二組の野外学習も始まる
時は少し遡る。
一年二組がバスに乗り込む直前——。
「夏木君、クラスみんないたわ」
出席確認は長の仕事である。それを先に終わらせてくれていた橘寧々が、そっと声をかけてくる。
「ありがとう助かる! 担任に報告してくるわ」
「……待って」
「ん?どうした?」
「私は、本当に……キャンプファイヤーを止めた方がいいのかな」
今までは、キャンプファイヤーに嫌悪感を隠そうともしていなかった橘寧々が、今はどこか悲しげな表情を浮かべている。
「急にどうしたの? 止めることに罪悪感でも出てきた?」
「そうじゃなくて……私は柊君に嫌われたいの。」
静かな衝撃が身体中に走った。
今までずっと、彼女は柊のことを嫌っているんだと思っていた。
でも違った。
橘寧々は——柊に嫌われたがっていた。
それは似て非なる感情。 「嫌い」と「嫌われたい」は違う。
「嫌い」は自分の意思で距離を取るもの。
「嫌われたい」は、相手の感情を操作してでも距離を置かせるもの。
つまりそれは——柊に対して、何らかの“特別な想い”があるということの証拠である。
「そう……なんだね。じゃあ、あいつに嫌われるために、あいつの案を否定してきたんだ」
「うん。否定してくる人間のこと、好きにはならないでしょ?普通は」
「分かってないね、柊の事」
俺は肩をすくめ、わざとおどけた調子で言う。
「柊はさ、否定されると余計に燃え上がる男だよ。
特に、好きな女に否定されたくらいじゃ、止まんない」
「じゃあ……どうすれば、嫌われるの?」
「簡単だよ。 無関心だ。」
「無関心……?」
「そうだな……例えば――名前を覚えない、誕生日を知らない、相手の成績や性格も知らない。
とにかく、あなたに興味がないって態度を取り続ける。
そうすると、相手は『自分はこんなに気にしてるのに』って、じわじわ傷つくんだよ」
「……確かに、それはかなり……来るわね」
ふむふむと頷く橘に対して、親友から嫌われるためのアドバイスをする奇妙な状況に、少しおかしく思えて、つい饒舌になっていた。
「人ってさ、自然と相手の事を知りたくなる生き物だと思うんだよね。知っていくと、相手の事を気になっていく。それが『恋』と錯覚する」
「無関心を貫くってことは、この循環をぶっ壊すこと」
「これは覚悟をもってしないと、中途半端は見破られるからね」
寧々は一瞬目を伏せ、深く息を吐いた。そして静かに頷く。
「覚悟………。覚悟は、もうしてきたつもりよ」
その目は少し震えていたけど、確かに“決意”が宿っていた。
「良いじゃん。それが出来たら、あなたはめでたく柊に嫌われる」
俺は、軽く拍手してみせた。
わざと悪役めいた笑顔で。
「ありがとう………参考にさせていただくわ」
「じゃ、俺は担任に報告してくるから。先に座ってて」
そう言ってバスに背を向け、ポケットから携帯を取り出す。
元々来ていたメールの返信は、突っぱねるつもりだった。
けれど、今の寧々とのやりとりで、方向を変えようと決めた。
(嫌われたい、か……)
それはつまり、まだ“好かれていたい”証拠だ。
彼女のその想いは、嫌悪じゃない。——好意の、裏返しだ。
「みんな、好きな人ができるのが早いなぁ……」
独り言のように呟きながら、俺はふと笑ってしまう。
まだ恋を知らないくせに、
一番“面白がっている”のは、この俺かもしれない。
——混ぜるな危険。だけど、だからこそ見ていたい。
この青春の行き着く先を。




