ネアンデルタール人の島
詩は波で揺れる小型のクルーザーの甲板に立ち、目の前に迫ってきた島を指差した。
「見て! あそこがネアンデルタールの島! みんなどんな生活をしているのかしら」
茶色い髪を揺らしてはしゃぐ詩に腕を取られ、サンドラは仕方なく腰をあげた。
「詩さん期待し過ぎよ。いくら住人のDNAがネアンデルタール人に近いからって、どうせ私たちとたいして変わらないに決まってる。観光客目当ての宣伝を鵜呑みにするなんて、おめでたい人ね」
「そうかなぁ? 私は楽しみだけどなー。だって、色白で筋力が強くてオシャレで、しかも正直者っていうのが特徴なんでしょ? イケメンの条件を全て満たしてるじゃない。これはもう恋の予感しかしないわ」
「私は期待してないけどね」
(そう、私はべつに旅行になんて行きたくなかった)
――― 1ヶ月前 アメリカ
「おじい様、なぜ私は取締役になれないんですか!? 私が妾の子だからですか?」
会長室のソファに座る白髪の老人と、傍らに立ったまま話しかけるサンドラ。
金色の髪と美しい外見は、若くして亡くなった母に勝るとも劣らない。
「お前の才覚はよく分かっている。だが、地位のために自由を失うとしたら、お前はまだ若すぎる」
「元々自由なんてないわ。お兄様たちに蔑まれながら機嫌をとる毎日。あの人達を見返すためには力が必要なの」
困った表情を浮かべる老人が、机の上の封筒をサンドラに手渡す。
「珍しいチケットが手に入ってな。とても貴重な物だから手に入ったのはたった1枚だけ。これをお前にやる。他の兄弟たちではなく、お前だけにな」
封筒から取り出したチケットには「ネアンデルタール島 入島許可証」と書かれていた。
――― 現在 東アジア ネアンデルタール島
2人が簡易的な船着き場にたどり着くと、そこに居た短髪の青年が係留用のロープを2人に投げた。
一見するとアウトドアジャケットが似合う普通の好青年に見えるが、色素が全体に薄いため、肌は色白で茶色の髪や瞳が白っぽく透けているようにも見える。
「ワシ大河。ネアンデルタール人の血が濃い。お前たちガイドする」
陸に上がった2人に大河がグータッチを求めると、サンドラが眉をひそめて詩に耳打ちした。
(いきなり観光客が喜びそうなあいさつから始まったんだけど、本当にこんな喋り方なの?)
(シッ。聞こえます。ここは素直に喜んであげましょ)
「ワーオ! ネアンデルタール! ベリーマッチョね。 スゴイスゴーイ!」
「ワシ、お前ら歓迎する。だからコレやる」
大河はおもむろに背負っていたバッグから木の棒と短槍を取り出した。
「これアトラトル。古代のサピエンスの武器。お前らこれで自分の身を守れ」
手渡された棒と槍を眺めながらつぶやく詩。
(……。身、身を守れ!?)
「ここ、野生動物いっぱい。だから素敵なプレゼント」
(プ、プレゼントはいいとして、危険から守ってくれるのってガイドさんの役目なのでは……)
隣で槍と棒を重ねたり振り回したりしていたサンドラが顔をあげた。
「あ、あの、これってどうやって……」
「ノー 質問ノーよ! まずはググレって教わらなかったか?」
「で、でも」
「YouTubeを見れば一発よ。さあ、スマホ出して」
サンドラは渋々カバンからスマホを取り出した。
「あの、ここって、電波は……」
「ある。電波あるに決まってる。ネットに繋がらなきゃやってらんないジャン」
サンドラと詩が言われたとおりにスマホで動画を見終わると、
「見たか? じゃあワシ、お前らに手本見せるっけね」
大河は棒の先端の突起部分に槍の後端を引っ掛けると、大きく振りかぶって100m先に見えるヤシの木に狙いを定めた。
「え! あんなに遠くの木を狙うの?」
「いくらなんでも届くはずないわ」
「木じゃないよ。狙っているのはヤシの実」
ステップを踏んだ大河が力強く腕を振り抜くと、槍はゴォッっという空気の切り裂き音を響かせながらヤシの実に向かって飛んでいった。
やがて槍がヤシの実に命中すると、大河は2人を交互に流し見て、親指を立てながら笑顔を決めた。
「お前らノド乾いてるだろ? ついてこい」
ヤシの木の下にたどり着いた3人が見つけたのは、ひび割れて中の水分が流れ落ちた空っぽのヤシの実であった。
「ドンマイ、気にするな!」
(気にするなって、無理くない?)
言葉のとおり事態を全く気にしていない大河を、上目遣いに睨む詩とサンドラ。
「じゃあ次は『雫の森湧水地』に行くっけね」
大河はジャングルナイフを取り出して、雑草を切り分けながら颯爽と森の中に入っていった。
慣れた足取りでズンズンと先に進む大河。その後ろを、小石や小枝を気にしながら慎重に進む2人。
しばらく獣道を進むと、眉をしかめていたサンドラが顔周辺を手であおぐ。
「ああっ! もうっ」
しつこく飛び回っている小さな虫を手で追い払うが、一向に居なくなる気配はない。
「ねえ、虫よけは? あなた持ってないの?」
詩は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、船の中に置いてきてしまって」
「使えないわね。なんのためのコンダクターなのよ」
よそ見をしながら歩いていたサンドラが、立ち止まった大河の背中に顔をぶつけた。
「ちょっと、今度はなに!?」
大きな声に反応した何かが前方の草むらでガサガサと音を鳴らすと、サンドラは引きつった表情でそこに顔を向けた。
「ねえ! 今の聞いた? ほら、あそこの草むら。何か居るんじゃない? ねぇ、あなたなんとかしなさいよ」
姿勢を低くして目を凝らす大河。
その後ろでは、パニックをおこしたサンドラが手に持っていたアトラトルのグリップを草むらに向かって投げつけた。
ゆるい放物線を描きながらフワリと飛んでいく木の棒。
(あぁぁ、投げるならせめて持ち手ではなくて槍の方を……)
詩がそんなことを思っていると大河が二人を横目に見た。
「脅かしたらダメ。イノシシに突進されたら、車だって凹んで壊れる。後ろを振り向かずにゆっくり下がって」
サンドラは緊張しながら後ずさろうとすると、今度は地面に張り出した木の根に足をとられて転倒してしまった。
音に反応して、再び草むらからガサガサと何かが動く音がする。
怯えて動けなくなったサンドラを振り返る大河。
「焦っちゃダメよ。ゆっくり立って。イザとなったら、ワシお前たちの盾になる」
「でも、あなたさっきイノシシは車も壊すって」
「大丈夫。ワシ、車よりイノシシより強い。ただ、無駄に戦いたくないだけ」
大河は白い歯を見せながらサンドラに親指を立てた。
(そのポーズをされると、そこはかとない不安を感じるのは何故かしら……)
傍から見ていた詩はふと思った。
その後、3人は茂みから離れ、安全圏へと身を引いた。
「無駄に攻撃しなければ相手も抵抗しない。獣も虫もこの島の一部。だから受け入れて共に過ごすべし!」
言いながら蚊に刺された腕をボリボリとかじる大河。
「あ、そうだ。忘れてた」
彼は背負ったバッグから虫よけスプレーを取り出した。
「これ仲間が貸してくれたんだった。虫よけスプレー! やっぱ文明の利器は賢く取り入れないとな。お前たちも使う?」
(虫よけスプレー持ってたんかい)
詩とサンドラは同時に思った。
その後気を取り直した3人は、再び湧水地へと迂回路を進み始めた。
しばらく行くと、サンドラが空っぽになった水筒を逆さにして、何度目かの同じ言葉を口にする。
「ねぇ、湧水地まだ? 後どのくらいで着くの?」
詩はリュックサイドのホルダーから水筒を引き抜いてサンドラに差し出した。
「遠回りをした分予定より時間が掛かってますね。サンドラさん、私が口をつけたお水でよかったら飲みませんか?」
差し出された水筒を突き返すサンドラ。
「結構よ。それはあなたの分でしょ。私は人から物を恵んでもらうほど卑しくないわ」
「おい、見えて来たぞ!」
前を進む大河が木々の切れ間を指差して2人を振り返ると、そこには光で輝く水面がわずかに姿を覗かせていた。
「あそこが、雫の森湧水地だ」
眩しい輝きに向かって3人が進むと先の視界はさらに広がっていき、水辺に頭を下げて鼻をつける数匹の鹿の姿も目に飛び込んできた。
「森の中にこんな場所があるなんて……」
棒立ちになったサンドラが辺りを見回していると、大河が岩場の一角を指差した。
「水の流れる音、聞こえるか? あそこの湧き水、冷たくて美味い」
「ああ、助かるわ。私喉がカラカラなのよ」
サンドラが島に来てから初めての笑顔を見せる。
「がんばった者には神様がご褒美くれる。さあ、行こう」
湧水が流れ込む水たまりを囲む3人。
サンドラは澄んだ水を両手にすくって口に運ぼうとしたが、詩がその動きを制止した。
「待って、これを見て」
詩が指差した場所には、動かない小鳥が羽を畳んで横たわっていた
「骸が汚れていないところを見ると、きっとまだ死んだばかりね。こんな場所で急に亡くなるなんておかしい」
詩は水場の周りの地面を注意深く見回した。
「靴の足跡が残っているわ。ソールパターンから察すると、恐らく男性が2名」
小鳥の亡骸を見つめていたサンドラに、過去の記憶が蘇る。
――― 数年前……
サンドラの兄の居室。
ベッドには体調をくずした兄が横になっている。
隣に置かれた2つの椅子には、サンドラと姉が腰かけて様子を見守っていた。
「今日はすまなかったな、サンドラ。代わりに会合に出てもらって助かったよ。見事な応対だったらしいじゃないか」
「いいの。気にしないで。これからも私に出来ることがあったら手伝うから、その時は相談してね」
「ああ、ありがとう」
「あ、そうだ。これ、フルーツゼリー作ったから、2人で食べて」
兄と姉に手作りのゼリーを手渡すサンドラ。
「じゃあ私はこれで」
部屋を退室したサンドラは、自室に戻ると眠い目をこすりながらPCに向かった。
(寝てなんていられない。もっと会社のことを勉強して、お兄様たちの足手まといにならないようにしなきゃ)
30分後、机に向かったまま寝落ちしていたサンドラがハッと目を開けた。
(いけない、お皿を片付けなきゃ)
彼女が兄の居室に向かうと、中から話声が聞こえて来た。
姉「お兄様、あの人のことどう思う? わたし、急に姉妹なんて言われても実感湧かないわ」
兄「あいつ、俺達と違って要領がいいからな」
姉「人に取り入るのだけは上手いのよね」
兄「親父も特別扱いしてるし、もしかしたら相続のとき不利になるかもしれねーな」
姉「遺言書の内容によっては、取り分が半分以下になってしまうものね」
兄「あと、親父の会社に関わってくるのも問題だ。もし派閥の長に担がれるようなことがあったら、俺の立場も危うい」
姉「いっそ、いなくなってくれればいいのに」
兄「何か手を考えてみるか」
うつむきながら聞いていたサンドラの表情が曇る。
――― 雫ヶ丘湧水地
(人になんて……、好かれたっていいことない)
ボーっと鳥の屍を見つめているサンドラ。
大河は彼女の肩を軽く叩くたたいて注意をひきつけた。
「密猟者が近くにいるかもしれない。気を付けて」
「気を付けてって、何に気を付ければいいのよ」
眉間にシワを寄せるサンドラ。
大河は自分が来ていたベストを脱いで手渡した。
「ケプラー繊維は弾丸を通さない。お前が着ろ」
サンドラは使い込んで汚れた服に視線を落とすと、無言で袖を通そうとする。
その様子を見ていた詩が声をかけた。
「ねぇサンドラさん。大河にベストのお礼を言った方がいいと思う」
「…………なんでお礼を言わなきゃいけないの? 私はお客よ、報酬を払ってるじゃない」
「報酬のために彼がしたと思ってるなら、それは違うわ。お金のために命を危険にさらすなんて、私だったらできない」
大河の表情をうかがうサンドラ。
「彼は、ただ純粋にあなたのことを守りたくて貸してくれたんじゃないかしら。だったらせめて感謝の気持ちは伝えるべきだと思う」
サンドラは硬い表情に戻って、再び詩に向き直った。
「なによ。まるで私が悪者みたいじゃない。いいわ。だったらそう思ってればいいじゃない。でも、私だって昔からこんな性格じゃなかった」
唇を噛んで下を向くと、手にしたベストに顔をうずめて表情を隠した。
「今のこんな自分、私だって好きじゃない。でも、どうしようもないの。優しくされても素直に喜べない。本当は感謝してるのに」
大河は歩み寄り、彼女の頭を胸に包み込んだ。
「無理に心開かなくていい。お前、信じて裏切られるのが怖いだけ。いつか心の傷が癒えたら、また人を好きになれる」
そう言ってベストを羽織らせると、ポケットからスマホを取り出して仲間に電話した。
「こちらチームブラボー。雫ヶ丘湧水地に密猟者の痕跡有り。救援を頼む。時刻ヒトヨンフタマル」
救援要請が終わった大河は手にしたスマホをしげしげと眺めた後、得意げにサンドラに見せつけた。
「どうだ? 最新機種だぞ。限定カラーの迷彩柄。困ったときはやっぱスマホだよな。お前、緊急時のGPS信号はONになってるか? ちょっと見せてみろ」
ポケットに勝手に手を突っ込んでスマホを取り上げる大河。
「ち、ちょっと、人の携帯勝手に見ないでよ」
取り返そうと手を伸ばすサンドラには、はにかむような笑顔が浮かんでいた。
――― 5日後
詩・サンドラ・大河の背景に、船着き場と森が見えている。
サンドラは、そよ風に煽られないようかぶっていたキャプリーヌハットに手の平を乗せた。
「私この島に来てよかった。あなたたちと一緒に過ごして、なんか自分が変われそうな気がしたから」
詩は上半身を斜めに傾けてサンドラの顔を覗き込んだ。
「サンドラさん、来たときよりも嬉しそう。今の表情の方が、ずっと素敵ですよ!」
「お前、これからもっと美人になれる。心の美しさ、外にも表れるから」
「ふふっ。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃない。ワシ、言葉が苦手な分、人の心見える」
「ありがと大河。私アメリカに帰っても、あなたたちみたいに明るく力強く生きていくことにするわ。たとえ、未来にどんな運命が待っていたとしてもね」
詩はサンドラの凛々しい表情から大河に視線を移した。
「ところで、ちょっと違和感なんだけど。大河なんか距離近くない?」
「近い決まってる。なぜなら、これ以上後ろに下がったら海に落ちるからだ」
「そうじゃなくて、なんであなたも船に乗ってるの? って聞いてるの」
クルーザーの最後尾に固まって立つ、詩・サンドラ・大河の3人。
船は船着き場を離れ、沖へと漂い始めている。
「その件についてだが。ツアーガイドの仕事、やってみたら面白いことが分かった。だから、これからも続けることにした」
大河は、ポカンと口を開けている詩を指差した。
「お前と!」
「な、なな、なんで私? あなた島に残らなくていいの?」
「お前言葉上手い。でも方向音痴。ワシ、いろんな乗り物操縦できる。防衛大学で90式戦車やヘリコプターの乗り方も習った。だから役に立つ」
「戦車の乗り方なんて、いったいどこで役に立つのよ。ていうか、どうして私が方向音痴なこと知ってるの!」
2人のやりとりを見ていたサンドラが微笑みかける。
「ふふっ。私は、2人はいいコンビになりそうって思ったけどな」
驚きの表情を浮かべる詩と、目を細めてウンウンと頷く大河。
背後に見える島が、ゆっくりと遠ざかっていく。
ネアンデルタール人の島 序章 終わり