命運ばれ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
泣くこと。
それは生まれ落ちた誰しもに与えられた、最初の運命といえるでしょう。
ほーら、今も近くの家で赤ちゃんが泣いていますよね。最近、実家に帰ってきた、ママなりたての人がいまして、どうも家ぐるみでお世話をしているみたいなんです。いまどき、ちょっと珍しめかもしれません。
生まれてすぐ泣くのは、呼吸器の発達を促すためと聞いたことがあります。その後は痛みだろうと、空腹だろうと、かまってもらいたい願望だろうと、赤ん坊は取りあえず泣くよりないのです。
けれど、その他大勢がそれを自然なことと認めてくれるから、生きることができる。
もしも泣かない赤ん坊がいたら、ほとんどの人がそれを異様に思い、なんとか泣かせようとするでしょうね。前述のような発達を促す役目もあるでしょうし。
運命を変える、というフレーズに惹かれる年ごろはありますが、すでに幾多もの運命に命を運ばれた身の上。土台ができたうえで変えていけるところ変えていきたいな~、という願望のあらわれレベルでしょう。
根本から変わらねば、運命を変えるなどおこがましい。そして、その変わった運命は受け入れられがたいことも往々にしてあります。そのような特殊な生まれにまつわる話も、古今東西に伝わっていますね。
私も最近、また新しい話を聞きまして。つぶらやさんも、耳に入れてみませんか?
むかしむかし。
とある町の往来で、ひとりの男が女房とすれ違ったみたいなんです。
もちろん、奥さんの意味合いじゃありませんよ。やんごとなきお方に仕えていると思しき女の人のことです。着ている単衣などは上等な生地を使っていたものですから。
そのすれ違い際。女房の足元へ、ころりと転がるものがあったようで、男はそれに気が付きました。
女房は見るに、手ぶらな様子でした。ならば、服の中に入れていたものを落としたのでしょうか。
男は足を止め、女房を呼び止めましたが彼女は見向きもしません。それどころか、明らかに早足となって、遠ざかっていってしまうのです。
かといって、追いかけるのもはばかられます。転がったものは、地べたの上でにわかに形を変え始めました。
丸い形から小さい手が、足が伸び、丸まっていた身体も広がっていくと、ひとりの赤子であることが見て取れたのです。
身体も四肢をだらりとさせながら、こそりとも泣かず、動かずな様子の赤ん坊。その静けさは最悪の事態さえ、想像させてしまいます。
男はとっさに、その赤子を抱え上げました。顔に手を軽くかざしてみると、かすかに当たる風を感じます。生きてはいるようでした。
子を捨てることそのものは、この町でもまれに起こることがあります。もっとも、寺の前やもっと人目に付かない家屋の影などで、ひっそりと生涯を閉じさせることがほとんどであり、こうも白昼堂々とした行いはまず見受けられません。
しかも、様子からして服の中へあらかじめ抱えていたであろうこと。この捨て方は計画的なことに相違ありませんでした。
男ゆえ乳を出すことなど思いもよらず、かゆでも飲ませれば大丈夫だろうかと、彼は寝ている赤子を予備の服へ包みながら考えます。
あれからすぐに家へ戻ったのですが、赤子はいまだ目立った動きを見せないまま。どうしたほうが良いものかと、男は頭をめぐらせます。
この町の知人に、育児を経験している女の知り合いはいませんし、実家も一日や二日では戻れないところ。かといって、勝手知らない赤ん坊の面倒を見きる自身もまったくありませんでした。
やはり、ここは事情を話してお寺などに預けたほうがいいのか……。
かゆを用意するため、玄関横のかまどでかかりきりになっていた男の背後で、にわかにごちんと硬い音を立てるものが。
振り返ると、先ほどの赤ん坊が土間に転がっていました。ここより一段高い、家の床の上へ寝かせていましたが、ここまでにはだいぶ間が空いていました。
包んだ布は、転がる勢いで広がってしまったらしく、あがりかまちのあたりまで、道のように身を伸ばしていました。その真下の土間へ赤ん坊は落ちてしまったらしいのです。
すわ一大事、とすぐに赤ん坊を抱え上げようとする男でしたが、間に合いません。
赤ん坊がお亡くなりになったわけじゃありませんでした。あの、女房の服の下から落ちたときと同じように、手足も頭もすぼめて丸まり、転がり出してしまったんです。
とっさに男はその進路へ手をやりました。赤ん坊を止めるに十分な壁に思われましたが、信じがたいことに丸まった赤ん坊は、すぐ手前で直角に曲がり、そしてまた直角に曲がることで防ぎをかわしてしまいます。
まるでこちらが見えているかのような動き。もし人の赤ん坊であったなら、このような体勢で知りようはずがない。
男はなお二度も、足などを使って立ちふさがりましたが、赤ん坊は勢いを増しながら、ついに外へ飛び出してしまったんです。この間、やはり泣き声ひとつあげません。
男の住まう家は、井戸を囲うように複数の家が建つ立地にある小屋のひとつ。丸まった赤ん坊は、真っすぐ井戸へ向かったかと思うと、組んである石にぶつかります。
石と金物がぶつかったような、異様に甲高い音。男のみならず、周囲にいた複数名もそろって耳を塞いでしまうような強烈な響きをもたらしながら、丸まった赤ん坊は彼らの目の前で、地面に潜っていってしまったのです。
男以外で、満足に赤ん坊の姿を見たものはおらず、そのままであったなら幻のような存在で終わっていたかもしれません。しかしそれ以降、かの井戸で水を汲もうとすると余計なものが入ってくるようになります。
はじめはその形から大根などのように思えましたが、その弾力は根菜にあるまじき豊かなもの。さらに時間と回数を重ねるにつれ、それはほのかに明るい黄色じみた色を帯びるようになりました。
手足です。赤ん坊のものを思わせるほど小さい、無数の手足が水汲む桶を引き上げるたび、入り込んできたのですね。
本来なら付け根に当たるだろう部分は、きれいに閉じられ、塞がれています。あたかも、最初からこのような形である、といわんばかりに。
このような異変を前に、井戸など使えるはずがなく、ほどなく封印が施されて誰も近寄ることもなくなってしまったようです。
泣くことのない赤ん坊。どのような思惑があったか分かりませんが、彼は彼なりのせいいっぱいの力で井戸に命を運んでいたのかもしれませんね。