学校の夜のプールでセイレーンに出会ったら
図書委員の仕事の居残りで、すっかり遅くなった日。
ララー ラー
近道しようと、満月に照らされた校庭を横切って歩く途中。どこからとなくそれは聞こえてきた。
「……歌……?」
声優さんの歌声みたいに美しく耳心地よいそれが、僕の鼓膜をそわりと羽毛で撫でてゆく。
「誰だろ……」
校庭の隅にあるプールの方から聞こえるようで、僕の足はふらふらと、その方角に誘われていった。
足元に薄っすらと白い靄が漂い出したことを、奇妙には思ったけど、それよりなによりもっとよく聞きたい、そして誰が歌っているか知りたい想いが抑えられなかった。
ララー ラーララー
ザザァー ザザァー
歌声を伴奏するのは波の音。
この季節は空っぽのはずのプールに、なみなみと水が満ちていて、まるで海のように波打っては溢れ出し、また引いていく音だった。
白い靄も、水面から発生している。
そして。
ララララ ラー
歌声の主も、そこにいた。
プールの端に腰掛けた、僕と同世代の少女。
歌に聞き惚れながら、その姿にも見惚れてしまう。
アイドルみたいに綺麗な顔立ち、華奢な首から肩の曲線、そして細い腕は青い羽毛に覆われ、肘から先はまるで鳥の翼。
ゴクリ、僕はつばを飲む。
月明かりに白い胸元は、長く波打つ銀髪で隠され、腰から下は人魚のように青い鱗で覆われている。
神話の本の挿絵とそっくりだった。
歌声で船乗りを誘い、食い殺す海の魔物セイレーン。
『きっと、満月のせい』
しばらく聞き惚れていると、歌を止めた彼女は僕に話しかけた。聞いたことのない言語なのに、意味はなぜか解る。
『べつの海につながったのね』
「あの、すごく綺麗な声と、歌で……」
『うれしい。最近は大きな船ばかりで、誰も来ないから』
「……じゃあ、僕を食べるの……?」
彼女は一瞬きょとんとしてから、首を振る。
「でも、歌を聞いて生き残る人間がいたらきみは」
死ぬ。そういう存在だと本にあった。
『物知りさんね。それにとっても優しい』
彼女は、ふわりと微笑む。
『でも平気よ、あれは嘘だから』
あれは嘘。それも嘘かもしれないと気付いたのは、背にしたプールからばしゃんと不穏に大きい水音がしたとき。
振り向くとそこには、乾いた長方形の箱が無機質にただ在るだけだった。
あれから次の満月の夜も、その次も、プールは空のまま。夏になって水が張られても、あの海と彼女は現れなかった。
それでも、もういちど彼女の歌声が聞きたくて、逢いたくて。僕は、今夜もプールを訪れる。
ラー ラララー