二人で出ていきたい
熱気が渦巻いている。大勢の人間が取り囲んで、様々な怒声を浴びせてくる。
死ね。くたばれ。死ね。死ね。つまんねえ。死ね。金返せ。死ね。
そんな怒声の先は私で、死ねなんて言葉は多くの人の声で重なり合い、何度も繰り返される。だが望みとは正反対に、私は生きている。
コロシアムで見世物として戦わされた。私の見た目は人間にとって好奇なものだ。大柄な体は人間の成人男性の二倍程で、針の体毛に覆われている。毛は灰色、目は赤黒い。
人間と同じ頭は一つ、腕と足は二つずつで二足歩行ではあるが、化け物と呼ばれる。名前はそのまま化け物だ。
最初は人間に立ち塞がるものとして、どんな屈強な者でも勝てないとなるとその他の動物と、どんな狂暴なものでも勝てないとなると、私を殺せそうな人間を含めた動物と戦わせられる。
私は戦うなんて望んでいなかったが、死にたくないので、戦って生きるしかなかった。逃げられなかったので、戦うしか道はなかった。とはいっても、頑丈で強靭な体なため難しいことではなく、傷をつけられることすらなかった。ただ一方的な強さは面白味がなく、客には早く死ねと言われるのである。
死なないと諦めて、解放してほしい。今だ叶いそうにない望みだ。毎日戦わされる私の住処は勿論コロシアム内の檻の中だ。ガシャンと鍵が閉められ、足音は直ぐに遠ざかる。移動制限はあるが、体を拘束されることはない。化け物を牢屋に入れるだけでも恐怖なようだ。
牢屋は狭い。背を丸めなければならない。寝そべることができる大きさはあるが、ずっと寝そべるのはだらしないと思う。それに針山と化す。
「あの、」
か細い女の声が右側から聞こえる。
「……なんだ」
「わっ…………」
声が高い。子どもだろう。子どもならば、男でもあるかもしれない。
人間の言葉が分かり、話せる。罵りでなくまだ興味本位ならばと私は返事をしたが、黙られる。
「何用か」
「ぁっ、その、すみません。まさか返事があるとは思っていなくて」
顔は見えないが、声だけで驚きや戸惑いが感じられる。
「化け物、さん、ですよね?」
「このコロシアム内で一番よく言われるものならば、そうだ」
「やっぱり。人ではない重そうな足音だったから」
よかったら話をしませんか。
言い淀みながらも、確かにそう言われる。誰でも化け物でもいいので、寂しさをまぎらわしたいらしい。恐怖もらしいが、それは戦わされて死ぬ恐怖だという。化け物と話す恐怖はそこまでないらしい。
私は応じた。断る理由がなかった。
様々な話をした。
ここには醜女で売れなかったから来たの。家が貧しくてね。家族に会いたいなあ。から、星が綺麗だよ。わたしのところからは見えるんだ。とたわいのないことまで。
思いついたことを次々と話しているようだった。子どもは子どものことばかり話して、私は相槌をしてやった。安心できるように丁寧に、疑問に思ったことは質問もした。
「……あなたは? どうしてここにいるの?」
子どもの話はなくなり、私の番となる。
「気づいたら荒野にいた。彷徨っていると、親切なふりをした人間に捕えられた」
仮初の安心を与えられて油断していると、首輪をつけられた。無理やりとった死に、命令に逆らっても死んでしまう。今も首輪はつけられたままだ。居場所を知らせる機能もついているから、だから、逃げられない。牢屋の鉄格子は簡単に壊せそうだが、大人しく命令に従っている。
自分の正体なんて知らず、ずっとコロシアムにいた日々なので、語ることは少ない。
静かに聞いていた子どもが言う。
「でも、あなたはいつかここから出られるよ」
「なぜそう言い切れる。殺し合っても死なないからか。だが、私も死ねと命令されたら死ぬ」
「本当にそんなことができる首輪だったらね」
「それができる首輪なんだ」
「なんで? 確かめたの?」
「確かめていたら、私はここにいない。あの騙した人間が、そう言ったから」
「あなたは化け物だけど――臆病なんだね」
臆病、か。
「私は頑丈で強靭な体がある」
「だから臆病と言っているんだよ」
私は押し黙る。つまらない見栄を張り、否定できなかった。
子供は構わず言う。
「もし、でいいよ。出られたらさ、わたしも一緒につれていってね。あなたは知らないことだらけだから、案内してあげる。お気に入りの場所、特別に教えてあげるね」
「お気に入りの場所とはどこだ?」
「ひーみーつ! 楽しみはとっておかないと!」
無邪気な笑い声が聞こえてきて、案内してくれるなら、とそんなもしを想像した。次の日もその次の日も、たわいもない話やどこに行きたいなどと様々なことを話したのに。
初めて会えたというのに、血塗れで力のない姿となるなんて。
「ニーナ」
教えてもらった名前だ。
「ニーナ、ニーナ、ニーナ」
なぜ、自分に短剣を刺した。
私とニーナは隣の檻にいた。私の周りはいくつも檻があるが、私の近くまで行くのは恐いのだろう、檻はいくらでも空いている。ニーナはその度胸試しと子ども相手への嗜虐心のため、隣に入れられた。
それに関係する看守かどうか知らないが、にやにやとしながらニーナをつれていく。殺し合いをさせられる。牢屋に永遠に入れられたままのはずがないというのに、分かっていたはずなのに、私は頭が追いつかなかった。
「私も共に連れていけ」
ニーナを守らなければ。檻から出されて行われることはただ一つしかなかったのに、考えなしだった。
「ああ、つれていってやるよ」
そして、私とニーナは殺し合うことになった。
ニーナが勝てるはずないのは明白だ。どんな人間でも私には敵わなかった。か弱い子ども、それも衰弱しているのだから無理だ。
「ステラ、あの、ね。ステラをころっ……倒せたら、わたしはここから出られるって、そう言うから……っ!」
化け物、あなたじゃ不便だからと、ステラと名付けてくれた。
同じ口から、私を倒してコロシアムから出ると発する。小さな手が短剣を握る。
声も手も震えながら。
「ニーナにならば殺されてもいいかもしれない」
死にたくないが、もし、をみせてくれたから。看守に殺されるよりはいいから。
だが、
「できないんだよ」
短剣を右足に刺そうとするが、体に生えている針に阻まれる。何度も短剣を振り下ろしても、逆にニーナが傷つくだけだった。
「うあああああああああああああああああああ!!!」
私をどうやっても殺せないと、絶望して泣き崩れる。客はブーイングを浴びせた。私はどうしようもできなく、項垂れる。
ニーナは私を殺せない。私はニーナを殺したくない。だが、このままではいつまで経っても終わらない。オーナーが残念そうにしながらも、早くやれと表情が言う。
命令されて、終わるのだろうか。
あの看守が自身の心臓辺りを拳で叩き、にやりと頬を吊り上げる。いや、もう一つ方法がある。
「すてらぁ」
だが、ニーナの方が早かった。
「ごめんね」
思いつくのも、実行するのも、早かった。
こうしてニーナは自分自身を短剣を刺した。
躊躇いなく、心臓を一刺しした。
「なぜっ」
生きたかったのではないか。あんなにも、もしの話をしてつれていけと言い張ったではないか。
なぜなのか、ニーナ。
問いかけると、目が合う。まだ死んでいない。
「すて、らは、ここから…………」
『でも、あなたはいつかここから出られるよ』
かつてのニーナの言葉を思い出す。
「私は一人で出たい訳ではない……!」
そのようなことを言っても無駄だった。ニーナは息絶えている。二人で話していたときに輝かせていただろう瞳は虚ろだ。