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公式企画

行きはよいよい 帰りはこわい

作者: 夏月七葉

 お囃子の音色。人々の楽しげな声。屋台から香ってくるソースの匂い。

 夏祭りの日はとても賑やかで、地上を見下ろす夜空の星々も何処か笑っているように見える。


 そんな中、私は今年も浴衣を着て神社の境内を歩く。

 毎年、幼馴染みと一緒に祭りを楽しむのだが、今年は特別だ。去年までは必ずどちらかの親が同行していたのだが、中学に上がったということもあって、今年からは二人きりで来ても良いことになったのである。

 親がいるからといって不都合なことはないのだが、自分達だけで夜を出歩けるということは、少し大人になれたようで何となく嬉しい。


 浴衣を汚さないようにだけ気をつけて、幼馴染みと屋台を見て回り、家を出る前に貰った小遣いで好きなものを買って食べる。勿論いつも美味しいのだが、今年は更に美味しく感じるような気がした。


 通りがかった屋台でくじ引きをしていたので運試しにやってみたら、赤い蜻蛉玉がついた簪が当たった。

 一等ではないし、どうせ安物なのだろうが、提灯の灯りに反射して煌めく蜻蛉玉はとても綺麗だ。

 団子に結った髪に挿したら、大人っぽくなったような気分になった。


 こんなに楽しい祭りは初めてかもしれない。

 しかし、そんな時間はあっという間に過ぎていった。いつの間にか帰らなければいけない時間になって、名残惜しさが紅潮した頬に留まる。だが、帰らなければ家族が心配する。

 また来年も二人で来ようと約束をして、神社の前で幼馴染みと別れた。


 鳥居の周辺は祭りの灯りでそれなりに明るかったが、少し行くと街灯の少ない住宅地に入る。

 この辺りは山間で神社仏閣が多く、店舗が少なくて人気もあまりないので、夜になるととても暗くなる。別の土地に住む人は暗過ぎて歩くのも怖いと言うが、地元民は慣れたもので然程気にも留めない。


 ……とはいえ、地元民全員がそうというわけではない。

 私だって、人並みに暗がりは怖い。使い慣れた道でも昼と夜とでは雰囲気が変わって、まるで別の道のようだ。

 この暗い道も、一人で歩くのは今日が初めてである。

 そう意識すると夜闇が濃くなったような気がして、二の腕を擦った。


(だ、大丈夫。家は遠くないし、いつもの道だし)


 自分にそう言い聞かせて、私は足を速めた。怖いのなら、さっさと通り過ぎてしまうに限る。家族が待っている家にさえ着いてしまえば、どうということはない。


 ポツン、ポツンと闇夜に浮かぶ島のように大きく間隔を開けて現れる街灯の灯りを頼りに、草履を鳴らしながら歩く。

 途中で一台、自動車がヘッドライトを眩しくさせて私の横を追い抜いていった。人の影は先ほどからなくて、心細い。


 一刻も早く帰り着こうと、私は再び足を速めた。

 その時、何かが聞こえたような気がした。草履の音に紛れて耳を掠めるような、高い音。

 一度足を止めてみると、確かに何か音がする。

 小鳥の囀りのような高音が波のように上がったり下がったりして、歌っているみたいな音だ。


 その音は、私が進む先から聞こえてくる。

 音の正体が判らなくて、怖い。

 遠回りをしようかとも考えたが、こちらの道が最短ルートだ。それに、回り道の方が街灯が少なくて、ここより暗い。


 私は蓋ができない恐怖を無理矢理抑え込んで、歩を再開させた。

 いっそ走っていってしまいたいが、履き慣れない草履では転ぶのが目に見えている。既に夜店を歩き回って、鼻緒が擦れて若干痛いのもあった。


 真っ暗な道を歩いていくと、前方に見えてきた街灯の下に小さな影が蹲っているのが判った。

 赤い着物を着た、小さな女の子らしい。長く垂らした髪を揺らして、リズムを取って歌っているようだ。

 先ほどから聞こえる音は彼女の歌だったらしい。近づくにつれて、歌がはっきりと聞き取れるようになる。


 とおりゃんせ とおりゃんせ

 ここはどこのほそみちじゃ

 てんじんさまのほそみちじゃ――


 正体がはっきりとしてほっとする一方、歌のチョイスに思わず眉根が寄る。選りにも選って、夜道で『とおりゃんせ』とは。彼女が好きな歌なのだろうか。

 夏祭りに来て迷子になってしまったのかもしれない。しかし普通、祭りには浴衣だと思うのだが、着物を着る人もいるのだろうか。

 不思議に思いつつ、私は女の子に近づいていった。


「こんなところでどうしたの? 迷子?」


 こんなに小さな子が一人では危ないと声をかけると、彼女はぴたりと歌うのをやめて顔を上げた。ビー玉みたいな大きくて丸い瞳が、私を映す。

 しかし、いくら待っても女の子は口を開かない。つい先ほどまで歌っていたのが嘘みたいに口を真一文字に結んで、私を見上げている。

 それなのに、何故か目が合わない。女の子は私を見ているはずなのに、視線が嚙み合わない奇妙な感覚がする。


「えーっと……お父さんとかお母さんは? あっちに交番があるから、一緒に行こうか?」


 言いながら手を伸ばすと、掴もうとしたその小さな手が徐に動いて私の頭を指差した。


「それ――」

「え?」

「それ、返しテ」


 女の子の語尾が不自然に揺らいで低くなる。

 それを認識する前に、私は悲鳴を上げて地面に尻餅をついていた。


 女の子の顔が赤に染まっていく。

 頭から流れ出る血液で、可愛かった顔が侵食される。

 表情は苦痛に歪むのに、両の目だけはぽっかり穴が空いたみたいに何の感情もなく真っ黒に塗り潰されているようだった。


 一歩、女の子が私に近づく。

 私は立ち上がって逃げようとしたが、できなかった。どうやら腰が抜けたらしい。女の子を凝視したまま、一歩も動けない。


 頭の血は止め処なく流れ続け、女の子の手足をも赤に染めていく。

 纏う赤の着物と相俟って、人型の赤い塊になっていく。


 私は声を上げることもできなくなって、ただ恐怖に震えていた。

 その間にも、女の子は私に近づいてくる。指差した手はそのままに、足を引き摺るようにゆっくりと。


 その手を見た私ははっと気づいて、髪に挿していた簪を引き抜いた。


「も、もしかして……これ……?」


 女の子が指差す先――そこには簪があると思ったのだ。彼女が見ていたのは簪で、だから視線が合わなかったのだと今になって気づく。


 尋ねた私に、女の子は動きを止めてこくりと頷く。

 私が簪を持つ震える手を差し出すと、女の子は血に染まった指先でそっとそれを取った。

 その刹那、冷蔵庫を開けた時のような冷気を肌で感じた。

 女の子は簪をまじまじと見つめて、それから大事そうに胸に当てる。


 そして私がほんの瞬きをした瞬間、女の子の姿が目の前から消えてしまった。違う映像を繋ぎ合わせたみたいに、綺麗に掻き消えたのだ。


 私はほっとして、しかしまだ残っている恐怖に動けず、暫くそこに座り込んだまま放心していた。


   *


 後から祖母に聞いた話だが、この辺りで昔、一人の女の子が七五三のお祝いに神社へ行った帰り、山崩れに遭って亡くなったという。

 女の子は赤色が好きで、持ち物は赤いものが多かったそうだ。


 もしかしたらあの簪も、女の子が大事にしていたものに似ていたのかもしれない――。

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