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風車の菊之丞  作者: みさきち
9/10

また会う日まで、お元気で 前編

菊丸が主君となり、五年の月日が経った菊花の国。

今年も祭りへ訪れた菊之丞達の前に、最強の敵が現れる。


「風車の菊之丞」シリーズ完結作の前編となります。



かつて、一つの国があった。

(とし)(わか)君主(くんしゅ)が治めるその国は、争いが無く、人々が身分に(とら)われず、助け合う美しい国だった。

しかし、時は戦乱(せんらん)の世。

戦う術を持たぬその国は、若き君主に変わってから五年程で、姿を消すこととなった。






ある国の城、天守(てんしゅ)に一人の男が居た。

一人で酒を(あお)る男の側に、家臣(かしん)が一人現れて膝を着く。


失礼(しつれい)(いた)します! 敵国の君主が降伏(こうふく)を致しました! 我らの勝利にございます!」

「…金目の物は全て奪え、男どもは従わぬ者は全員始末しろ」

「はっ!」


一瞥(いちべつ)もくれずに酒を煽る男に、家臣は()びた笑みを浮かべる。


「これで、この蒼鷹(あおたか)の周りの国々は全て殿の物となりましたな! 殿が世に名を()せるのも時間の問題ですな!」

「…そう思うか?」

「…はい?」

朱雀(すざく)、居るか」


男が呼ぶと、白い外衣(がいい)(まと)った赤髪(あかがみ)の男が現れ、男の後方に座る。


「いつでも居るよー、調べ物は終わったし」

「報告を」

「はーい」


朱雀と呼ばれた男は(ふところ)から取り出した紙を男に手渡し、男が置いた猪口(ちょこ)を手に取り酒を飲む。


菊花(きっか)の国…蒼鷹からは少し遠いけど、次の侵攻(しんこう)の途中にある小国だ…君主はまだ二十半ばの若殿様、争いを嫌う優しい君主で…民は自分達の身分など気にせず、皆で助け合って暮らしているらしい」

「…この戦乱の世で、おかしな国だな」

「しかし国に危機が(せま)ると、四人の戦人(いくさびと)集結(しゅうけつ)し、颯爽(さっそう)と敵を倒してしまうそうだ」

「戦人?」

「一人は、若殿に仕える腹心(ふくしん)の家臣の息子…養子らしいが、なんと(しのび)の技に()けた者らしい、自己流ながら、その腕は相当なものだ…続いて、長槍(ながやり)軽々(かるがる)と振り回す怪力男…歳は食っているが、年寄りだからと舐めて掛かれば早々に斬り捨てられるだろう…それから、舞うような剣術を見せる美しい男…綺麗な顔立ちで、静かに(りん)とした姿には敵も()()れするらしい」


朱雀は酒器(しゅき)から酒を()ぐ。


「そして、中でも一番の強者(つわもの)と言われているのが…〝風車(かざぐるま)菊之丞(きくのじょう)〟と呼ばれている(さむらい)(くず)れだ」

「…菊之丞…」

「この四人はかつての大戦(たいせん)に参加していたらしい…特にこの菊之丞という男、味方の士気を上げる中心人物だったと…どうかな九龍(くりゅう)、お気に()す情報は手に入ったか?」


朱雀が猪口を差し出すと、九龍と呼ばれた男は猪口を受け取り、酒を一息で煽った。


「この男の居場所は?」

「もう直ぐ菊花の国の祭りだ、奴は毎年必ず参加しているらしい」

「そうか」


九龍が朱雀に猪口を渡して立ち上がると、金の龍の刺繍(ししゅう)が入った(こん)色の羽織(はおり)が揺れる。


「風車の菊之丞…興味がある」







ある町の飲み屋、菊之丞は酒を飲んでいた。


「菊之丞さん、おかわりは要るかい?」


店の看板娘のおみつが菊之丞に声を掛ける。


「いや、これを飲んだらもう発つ」

「菊花の国に向かうんだよね…若殿様によろしく伝えとくれ」

「ああ」


最後の一杯を飲み干した菊之丞が席を立ち、刀を腰に差し直していると、店の奥から店主が顔を出した。


「旦那、そろそろ身を固めてはどうだ?」

「ん?」

「旦那も良い歳だろう、家族を持ってもいいんじゃないかな? どれ、うちのおみつなんてどうだい?」

「やめとくれよおとっつぁん! 菊之丞さんに私なんかじゃ釣り合わないさ! ねぇ、菊之丞さん?」


おみつが笑って言い、菊之丞は微笑(ほほえ)み返す。


野暮(やぼ)なこと言うなよ親父さん、大事な一人娘を、俺のような情けない侍崩れに差し出すな…じゃあ行くわ、また来る!」

「お気を付けて!」


菊之丞が店を出て行き、おみつは溜息(ためいき)()いた。


「すまんなおみつ、(わし)はお前が不憫(ふびん)で…」

「ありがとう、おとっつぁん…分かってるんだ、好きになるべき人じゃないって」


おみつは菊之丞の背中を見送る。


「あの人の心は…菊花の国と共にあるのさ」






数日後、菊花の国へ着いた菊之丞は、風を受けて回る風車を(なが)める。


「あ、兄貴!」


声が聞こえ、屋根の上から菊之丞の前に降り立ったのは勝島(かつしま)銀次(ぎんじ)


「おー銀次!」

「そろそろ見える頃だと思ってたぜ! さ、どうぞこちらへ!」

「案内なんて()らねぇよ! 一人で行ける!」

「主君からの命なんで!」


二人は笑いながら歩き、一人の商人(しょうにん)と擦れ違った(さい)に、銀次は振り向いた。


「銀次?」

「…いや、何でもない! ほら早く早く!」


銀次が菊之丞の背中を押して行き、二人は裏御殿(うらごてん)へやって来た。


「来たぞ、菊丸(きくまる)!」


菊之丞が(ふすま)を開けると、書物(しょもつ)を読んでいた菊丸は顔を上げ、笑顔を見せた。


「菊之丞さん!」

「今年も菊が見事に咲いたな! それに風車、前より色とりどりでとても(あざ)やかだ!」

「今年は国の子供達も、一緒に風車を作ったのですよ」

「それは凄いな!」


菊之丞は菊丸の隣に座る。


「そうだ、おみつがよろしく伝えてくれと」

「おみつさん! 今もお父様とお元気で?」

「ああ、あの店も続いてる…来年辺り、あの二人も招待(しょうたい)してやってくれよ」

「そうですね、ご迷惑でなければ…銀次殿のお父様のお墓を守ってくれている弥平(やへい)さん達も、お(まね)きしたいですね」

「え、本当か菊丸!?」


家臣に指示を出して襖を閉めた銀次は、菊丸の側にしゃがむ。


「嬉しいなぁ! 弥平さん達に俺の大好きな国を見て貰えるなんて!」

「ふふ…ありがとう、銀次殿」

「失礼します、菊丸様!」


再び襖が開くと、源蔵(げんぞう)恭弥(きょうや)左近次(さこんじ)が立っていた。


「お、来たなお前ら!」

「菊丸様! 菊の字! 銀の字! 今年も元気そうだな!」

「皆、久しいな」

「久しぶり、二人とも!」


銀次は恭弥達に駆け寄る。


「あれ…はなさんとうたちゃんは?」

「それが、村を出る前日にうたが熱を出してな…残るべきだと思ったのだが、はなが、菊之丞達が待っているだろうからと…俺一人での参加となった、すまない」

「そんな、こちらこそお気を(つか)わせてしまい申し訳ありません…うたちゃんの体調が、早く良くなると良いですね」

「そっか…じゃあ、これは恭弥がお土産に持って帰ってくれ」


銀次は懐から包みを取り出し、開くと中には手彫(てぼ)りの(うさぎ)根付(ねづ)けが三つ入っていた。


「これは?」

「去年、うたちゃんに()って欲しいって頼まれたんだ!」

「あ、確か兄上が、私と父上に下さった物を見て、うたちゃんが欲しがったのですよね」

「ああ、この小さいのがうたちゃん、こっちがはなさんで、こっちが恭弥の!」


根付けを包み直し、銀次は包みを恭弥に手渡す。


「結構上手く作れたんだ! ちゃんと届けてくれよ?」

「…ああ…ありがとう」

「まったく、銀の字は本当に器用だなぁ?」

「本当だよな…銀次、今度は俺と菊丸にも作ってくれよ」

「兄貴達には風車があるだろ?」


一人の家臣が廊下を駆けてきて、銀次に(みみ)()ちをした。


「…分かった、()ぐに行く」


銀次が答えると、侍は直ぐに下がった。


「皆、(しばら)く菊丸の側に居てくれ、仕事を済ませてくる」

「銀次?」

「直ぐ終わるから、頼んだぜ!」


左近次達を部屋に押し込み、襖を閉めた銀次は外へ向かう。


「銀次様!」

「言われた者を連れて参りました!」


銀次が表御殿(おもてごてん)から外に出ると、数人の侍と、押さえ付けられて身動きが取れない商人の姿があった。


「こ、これは何の真似でしょう!? 私はただの商人、拘束(こうそく)されるような(いわ)れは…!」

殺気(さっき)敵意(てきい)を隠すのはお手の物だな…けど、染み付いた匂いが隠せてねぇよ」


銀次は刀を(さや)から抜き、商人の前に立つと刀を商人の首元に当てる。


大勢(おおぜい)の人間を殺してきた奴には、死の匂いがこびり付く…変装するなら、(こう)でも()いてから来るんだったな」


恐怖の表情を浮かべていた商人は銀次をジッと見つめ、次の瞬間(しゅんかん)、にんまりと笑みを浮かべる。


「これはこれは…期待以上の実力のようで安心したよ」


商人の声色(こわいろ)が変わり、銀次は瞬時(しゅんじ)に後ろへ()退()く。

商人の周りに斬撃(ざんげき)が舞い、商人を押さえ込んでいた侍達の身体が斬り付けられたかに見えたが、銀次が飛び退くと同時にいつの間にか周囲に()(めぐ)らせていた糸を引いて侍達を商人から遠ざけた為、誰も傷を負わなかった。


「…凄いなぁ…一人か二人は殺すつもりだったのに…」


商人の衣服や皮膚(ひふ)からは複数の刃が突き出ており、商人が皮膚に見える布を()()がすと、赤髪の男に姿を変えた。


「俺の変装を見抜いただけでなく、不意(ふい)()ちの攻撃だったのに一人も死人を出さない…いいねぇ、(そそ)られるよ君」


衣服を掴んで引き剥がし、白い外衣を纏った姿になった赤髪の男、朱雀は前髪に隠れていない左目で銀次を見つめ、うっとりと微笑んだ。


白狼(はくろう)の銀次…今は勝島銀次くん、だったよね?」

「…あんた、相当手練(てだれ)の忍だな」

「ふふっ…俺の名は朱雀…「蒼鷹」の君主、鷹森(たかのもり)九龍(くりゅう)の腹心さ」


糸を()き、銀次は刀を構え直す。


「御殿の守りを固めろ、誰一人中に入らせるな」

「銀次様…!」

退()け!」


銀次の指示で、侍達は御殿に駆け込み、(とびら)を閉めた。


「あれ、一人で俺と闘う気?」

「あんたの目的を()かせる、あんた相手に手加減は出来ない…邪魔な奴らには引っ込んで貰った」

「へぇ…ますます()かれるなぁ、銀次くん」

「気安く呼ぶなよなっ!!」


銀次が斬り掛かり、(かわ)した朱雀が外衣を広げるように両手を広げると、(くさり)(がま)がじゃらりと()れた。


「俺の目的が知りたいなら、教えてあげる」

「何…?」


銀次を見つめ、朱雀は嬉しそうに笑う。


「ねぇ銀次くん、俺の弟になってよ」

「…はぁ?」




廊下、菊之丞と恭弥と左近次は御殿の外へと向かい駆けていた。


侵入者(しんにゅうしゃ)と一人で戦うなど…!」

「あの馬鹿、突っ走りおって…!」

「銀次…!」


御殿の扉を開け放ち、三人は息を()む。


「…あれ? 遅かったねぇ?」


そこには朱雀が立っており、肩には傷だらけで気を失う銀次を(かつ)いでいた。


「「「銀次!!」」」


瞬時に菊之丞と恭弥が刀を抜き朱雀に斬り掛かるが、朱雀は二人の攻撃を(なん)なく躱して、(へい)の上に飛び乗る。


「あはははっ! 残念!」

「てめぇ…!」

「この子は一旦(いったん)預かるよ、人質(ひとじち)って言うのかな?」

「何…!?」

「俺の(あるじ)が、この国の君主である菊丸…そして君と話がしたいそうだ、風車の菊之丞」


朱雀は菊之丞を見下ろし笑う。


「北の国境(くにざかい)、そこで俺の主が待っている…二人ともちゃんと来れば、銀次くんは返してあげるよ…あ、でも主は少し短気なところがあるからなぁ…あんまり遅いと、銀次くんに何するか分からないかも」

「貴様…!」


怒りを(あら)わにする左近次に対してヘラヘラと笑っていた朱雀だが、首元に刃を()えられるような錯覚(さっかく)を覚える(ほど)の殺気を感じ取り、背筋に汗が伝うのを感じながら再び菊之丞を見下ろす。


「…てめぇの、主の名は?」


菊之丞は鋭く冷たい目で、朱雀を(にら)み付けていた。


「…鷹森九龍…じゃあ、北の国境で待っているよ」


朱雀は飛び上がり、(かすみ)(まぎ)れるように姿が消えた。


「消えた…!」

「銀次…!」


足音が聞こえ、見ると扉の側に菊丸と源蔵が立っていた。


「菊丸様…!」

「源蔵…」

「兄上…兄上が連れ去られたのですか!?」


源蔵が(あお)()めながら左近次に掴み掛かる。


「嘘ですよね!? 兄上ほどの実力を持つ人が、そんな…!」

「お、落ち着け源の字!」

「…菊之丞さん」


菊丸が菊之丞の隣に立ち、菊之丞は菊丸を見つめ返す。


「…ああ…行ってやろうじゃねぇか」






北の国境の側、林の中の小さな小屋からキリキリと糸が張り詰める音が(かす)かに聞こえる。


「ッ…」


小屋の中には糸が張られ、両膝を着いた銀次が拘束されていた。


「ほら九龍! 見て、この子が銀次くんだ!」


小屋の()が開き、朱雀と共に蒼鷹の主君、九龍が入ってきた。


(こいつが…鷹森九龍…)


銀次は九龍を睨み付けるが、九龍は静かに銀次を見つめる。


「美しいと思わないかい? 銀色に(きら)めく髪、宝石のような赤い瞳…きっと闇夜(やみよ)を駆ける姿は()()れる程だろうなぁ…ねぇ九龍、菊花を落としたら銀次くんは俺にくれるでしょう? 弟が欲しいんだよねぇ俺!」

「…かつて技を全て修得(しゅうとく)した途端(とたん)に、一族を(みな)(ごろ)しにした奴が何を言っている」

「あの時は、俺と同じ技を持つ連中が(わずら)わしかったんだよ! でも最近、可愛がれる弟が居たら良いのになと思ってさ…ま、弱い奴なら要らないけど」


朱雀が浮かべる微笑みは、不気味(ぶきみ)さを感じる不穏(ふおん)なものだった。


「ちゃんとお世話するし可愛がるから! 九龍だってこういう生意気そうな子を調教(ちょうきょう)して、従順(じゅうじゅん)にして(はべ)らせるの嫌いじゃないでしょう?」

「ふん…」


九龍は銀次に近付き、目の前でしゃがむと、銀次の(あご)を掴んで顔を上げさせる。


「ッ」

「…まぁ…見てくれは悪くはないな」


銀次は九龍の顔に(つば)を吐き付けた。


「!」

「…ああ…なるほど…確かに嫌いじゃない」


顔を(ぬぐ)った九龍が右手を()げ、それを見た朱雀は近くの糸に指を引っ掛けて軽く引く。

すると銀次の身体は(あお)()けで床の上に倒され、四肢がぴんと伸ばされた状態で身動きが取れなくされた。


「!?」

「こういう生意気な餓鬼(がき)は〝(しつけ)〟が必要だ」

「あんまり(ひど)いことしないでよ? 俺だってまだ可愛がってないんだから」

「こいつ次第だな」


銀次の身体を(また)いで膝を着き、九龍は銀次の顔を掴む。


「さて…お前は、どこまで耐えられる?」

「ッ…!」

「失礼致します!」


蒼鷹の侍が小屋の戸の側で片膝を着く。


「菊花の国より、主君の菊丸、風車の菊之丞がお見えです!」

「あれ、随分(ずいぶん)早い到着で」

「…()(むか)える…朱雀、こいつを連れてこい」

「はーい」


立ち上がった九龍は朱雀と入れ違いで小屋を出ると、林を抜ける。

菊之丞と菊丸は蒼鷹の侍達に囲まれており、菊之丞が刀の(つか)に手を置き、恐怖を感じる程の殺気を放つ為に侍達は(おのの)いている。


「お会い出来て光栄だ、菊花の国の主、菊丸殿…そして、風車の菊之丞殿」


九龍は二人に頭を下げる。


「俺は鷹森九龍…蒼鷹という国を(おさ)めている者だ」

「銀次は何処(どこ)だ」


菊之丞の目線と殺気が、九龍に集中する。


「あいつに手出しはしてねぇだろうな…返答次第じゃ、この場でその首が飛ぶぞ」


数人の侍が小さく悲鳴を上げるが、九龍は変わらず静かに菊之丞を見つめている。


「落ち着いてください、菊之丞さん」


今にも斬り掛かりそうな菊之丞に、菊丸が声を掛けた。


「銀次殿の状況が分からない今、無闇(むやみ)に刺激するのは得策(とくさく)ではありません」


菊丸が静かに(さと)し、菊之丞は柄から手を下ろす。


「…ふむ…言うなれば、猛犬とその飼い主だな…唯一(ゆいいつ)その男の手綱(たづな)を握れる者か」

「おや、面白い例えですね」


菊丸は九龍に微笑んで答えた。


「それで、私達にどのような御用でしょう? わざわざ私の国の者を連れ去ってまで、話したいこととは?」

「…単刀(たんとう)直入(ちょくにゅう)に言おう…お前の国を、俺に寄越(よこ)せ」


九龍は右手を差し出す。


「大人しく(したが)えば危害は加えない…俺の下に付け、それなりの見返りは保証しよう」

「…なるほど…他国を侵略し、自国を拡大しているのですね」


菊丸は微笑みを崩さない。


「風車の菊之丞、お前の強さは噂で聞いている…俺はお前が欲しい、俺の国が更に強くなり、高みへ行く為の力として」

「…断れば、菊花を潰すってか?」


菊之丞は九龍を睨む。


「…一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「何だ」

「…貴方は、どのような国を目指しているのですか?」


菊丸の質問に、九龍の目が微かに見張(みは)る。


「…決まっている…蒼鷹の名を世に(とどろ)かせることだ…その為にどの国よりも強くなり、(いただき)に立つのだ…それが蒼鷹の主として生まれた、俺の目指すものだ」


九龍の答えを聞き、菊丸の微笑みは消え、悲しげな瞳を九龍に向けた。


「…それは…(むな)しくはありませんか?」


菊丸が()らした言葉に、九龍は目を見開く。


「…今、何と言った?」


呟いた次の瞬間、九龍は菊丸に斬り掛かり、菊之丞が刀を抜き九龍の刀を止める。


「「「殿!!」」」

「虚しいだと…? この俺に、虚しいだと!」

「…貴方が目指す国は、貴方のお父様や、お祖父様が目指したものではありませんか? 貴方自身は、どのような国を望むのですか?」


九龍は菊丸を睨み付ける。


「ふざけるな…俺に思想(しそう)が無いとでも言いたいのか!」


九龍と菊之丞が離れ、九龍は刀の(きっさき)を菊丸に向けた。


「気が変わった…俺を侮辱(ぶじょく)した貴様を殺し、貴様の国も潰してやる!」

「そんなことさせるか!」


菊之丞が九龍に向かっていき、刀を(まじ)える。


「菊之丞さん!」


菊丸の前に、蒼鷹の侍達が立ちはだかった。

菊之丞は下から刀を振り上げ、九龍は刀を躱して菊之丞の背後から首に目掛けて刀を振るう。

(かが)んで刀を躱し、踏み込んだ菊之丞が振り下ろした刀を九龍は受け止める。

(つば)を合わせ、(はじ)いた九龍が菊之丞の右肩に斬撃を入れ、菊之丞は痛みを(こら)えながら九龍の左手を斬り付ける。

九龍は刀を右手に持ち替えて突きを繰り出し、菊之丞の頬を(かす)める。


「ッ…!」


九龍が体勢を崩した菊之丞の腹に蹴りを入れ、菊之丞が倒れると九龍は菊之丞の背を踏み付ける。


「ぐあっ!」

「菊之丞さん!!」

「…この程度か…所詮(しょせん)、噂は噂か」

「あれー? もう始めてるの?」


声に見ると、朱雀と両腕を後ろ手に拘束された銀次の姿があった。


「銀次…!」

「銀次殿!」

「遅いぞ、朱雀」

「ごめんね九龍! この子、薬への耐性(たいせい)が強くてさ…俺の(しび)(ぐすり)にもう適応して、拘束を解いた途端に周りに居た奴らを斬り倒して…あ、今はまた動けなくしてるから大丈夫!」


朱雀が銀次の膝裏を踏み、銀次はその場に膝を着く。


「そうか…なら丁度(ちょうど)良い…朱雀、そいつを殺せ」

「「!!」」

「えー? 殺しちゃうの?」

「気が変わった、俺は菊花を落とす…手始めにこいつらの前で、そいつの息の根を止めて見せてやれ」

「てめぇ…!」


菊之丞が起き上がろうとすると、九龍は踏み付ける力を強める。


「がっ…!」

「菊之丞さん!」

「…あらら…九龍ったら頭に血が上っちゃってまぁ…なら仕方ないか…ごめんねぇ? 銀次くん…死んでくれ」


銀次の背後に回り、朱雀は鎖鎌の鎖を銀次の首に巻き付けて締める。


「ッ!」

「銀次殿!!」

「ッ…やめろ…!」

「お前らよく見ていろ、これは始まりだ…誰を敵に回したのか、その目にしっかりと焼き付けておくことだ」


銀次は腕を拘束されたまま(もが)き、朱雀は鎖を引く力を強くする。


「抵抗すると苦しみが増すだけだよぉ…大丈夫、終わる時は一瞬だから…!」


ギリギリと締まっていき、銀次の意識が遠ざかり始める。


「やめろ…やめろぉ!!」


菊之丞が叫んだその時、バキバキバキッ、と何かが折れる音が周囲に響いた。


「…何の音?」


朱雀の意識が銀次から離れた一瞬(いっしゅん)()

次の瞬間、蒼鷹の侍達の上に、大木(だいぼく)が落ちてきた。


「!?」

「えっ!? 何!?」


朱雀は背後(はいご)から迫る殺気に気付き、鎖鎌を(はな)して飛び退き、寸前(すんぜん)まで迫っていた刀を躱す。


「…()しかったな」


刀を構えていたのは恭弥で、恭弥は銀次の側に立ち鎖鎌を外した。


「ゴホッゴホッ!」


銀次の腕を拘束する糸を切り、恭弥は片膝を着いて咳き込む銀次を抱き寄せる。


「落ち着いて呼吸をしろ、もう大丈夫だ」

消耗(しょうもう)が酷い…薬を()られたか)


朱雀は刀が掠った頬から伝う血を指で(すく)い、それを見つめてから恭弥を見る。


「…お前…何か気に入らないなぁ…」

「気が合うな…俺も、お前が嫌いだ」


恭弥と朱雀が睨み合う中、林の中から大木を担いだ左近次が駆けてきた。


「菊丸様! どうか躱されよ!」

「えっ!?」


左近次が大木を九龍達に目掛けて放り投げ、菊丸が反射でしゃがみ蒼鷹の侍達は大木に巻き込まれて吹き飛ぶ。


「うおおぉっ!?」


大木を躱す為に動いた九龍の足が離れた為、菊之丞は転がって大木を躱し、菊丸の側にしゃがんだ。


「左近次! 俺まで巻き込む気か!?」

「すまんな菊の字! お前なら躱せると思ってな!」

「ざけんな!」

(やかま)しいのがぞろぞろと…!」


九龍は左近次達を睨む。


「よく覚えておけお若いの! 菊花の国を攻め落とす気ならば、儂らが相手になるということをな!」


左近次は菊之丞と菊丸の前に立ち、九龍を真っ直ぐと見つめる。


「菊花は菊丸様の大切な国、菊丸様は菊之丞の大切な方…その菊之丞は儂の大切な仲間、菊之丞が大切なものは、儂にとっても大切ということだ!」

「…意味が、分からん」


九龍は不快(ふかい)そうに顔を(ゆが)める。


「…なるほど! お前さん、さては大切とは何かを知らんな!」

「あ…?」

「何とも寂しい男だのぉ! ただ強さのみを求め、他国を蹂躙(じゅうりん)する暴君(ぼうくん)か…虚しくはならんか?」


左近次の言葉に、九龍の額に青筋(あおすじ)が立つ。


「どいつもこいつも、俺に虚しいだ何だと…余程(よほど)俺を怒らせたいようだなぁ!?」

「っと…これはまずいな…」


朱雀は恭弥達の側から離れ、九龍の前に立った。


「落ち着け九龍、ここは一度引こう?」

退()け、朱雀」

「今の君は頭に血が上りすぎてる、冷静な判断が出来ていない…一度引いて、頭を冷やしてから状況の確認を…」


朱雀の言葉を(さえぎ)り、九龍は朱雀の首を掴む。


「「「!!」」」

「俺に命令するな朱雀…殺すぞ…?」


九龍が手に力を込め、朱雀の首が締まる。


「ッ…」

「いけません!」


菊丸が立ち上がって九龍に言った。


「菊丸!?」

「先程の失言(しつげん)については謝罪致します! ですのでどうか、その手をお離しください!」

「あぁ!?」


九龍が睨み付けるが、菊丸は真っ直ぐと九龍を見つめ返す。


「…その人を殺せば…貴方は必ず後悔する」


はっきりと告げた菊丸を見つめ、九龍は目を閉じて深呼吸をしてから、朱雀を離した。


「…一度、引くぞ」

「ッ…了解…立て、お前達」


朱雀は動ける侍達に指示を出し、菊之丞達から離れさせる。


「…菊丸…どのような国を目指すのかと聞いたな」


九龍は再び菊丸を見る。


「ならば俺からも問おう…お前は、どのような国を望む?」

「…私は…私が目指すのは…」


菊丸は、自分の胸に手を当てる。


「人の心に、残る国を」


九龍と朱雀は目を見開く。


「人に、こんな国があったと、思い出して貰えるような国を…私は目指しています」

「…何だ、それは…お前は、国を(なが)らえさせることは考えていないのか?」


九龍の言葉に、菊丸は微笑みを返す。


「形あるものは、いつか必ず終わりが来るものです…例えこの先、菊花の国が無くなることになろうとも…人々の心に残れれば、菊花が消えることはありません」


朱雀は菊丸をジッと見つめる。


(この子…(いつわ)りなく言ってる…本気でそう()ろうと考えているんだ)

「…五日後だ」


九龍は背を向ける。


「五日後、貴様の国を攻め落とす…貴様が目指す国とやらが、どこまで耐えるか見てやろう」


菊之丞達が構えるが、菊丸が制止した。


「菊丸様…!」

「…私は、逃げも隠れも致しません…これで国が終わるならば、それを運命と受け入れましょう」

「…そうか…」


九龍が歩き出し、侍達は後に続く。


「じゃあねぇ、銀次くん」


朱雀は銀次に手を振り、九龍を追い掛けた。


「菊丸…」

「…争いを()けてきた私の国では、あの方の国には勝てないでしょう」


菊丸は遠ざかる九龍の後ろ姿を見つめる。


「ですので…私は、私がすべきことを、精一杯やるつもりです」


静かに告げる菊丸を見て、菊之丞達は何も言わなかった。






菊花の国に戻り、菊之丞と銀次は手当てを受けた。


「菊之丞、銀次、気分はどうだ」


手当てを終えて休む二人の元に、恭弥と左近次が訊ねる。


「俺は大丈夫だ、銀次は…」

「俺も平気…(ようや)く薬が抜けたよ」


銀次は水を飲む。


「…菊の字…あの男の実力はどうだった?」


左近次が訊ね、菊之丞は窓の外の月を見上げる。


「…本気じゃなかった」

「何?」

「あいつは本気を出していなかった…菊丸の言葉に腹を立てていたが、全力で斬り掛かっては来なかったな」

「あの赤毛の忍もだ」


銀次はまだ動きの(にぶ)い腕を動かし、着物の袖に腕を通す。


「あの人、まるで遊ぶように俺の相手をしてた…殺す気が無いから、手を抜かれたんだ」

「…本気を出さずに居ながら、菊之丞と銀次をここまで追い詰めた連中か…」

「下に付く奴らは恐るるに足らん雑兵(ぞうひょう)だが、あの二人は厄介(やっかい)だのぉ…」

「…菊丸は?」

三太夫(さんだゆう)殿を含む家臣の方々と、話し合いをしておる」


菊之丞は右肩の動作を確認し、着物を着直すと立ち上がり、窓の側に立つ。


「…銀次、五日後までに全快(ぜんかい)出来るか?」

「…問題無い…出来てなくても、意地でも動いてやる」

「そうか」

「菊之丞…」


菊之丞は振り返り、銀次達を見る。


「…俺は、菊丸が決めた道を進む…あいつがこの国と共に死ぬつもりなら、俺も共に死ぬつもりだ」

「菊の字…」

「だが、俺もただでは死なねぇ! 菊丸が最後の(わる)足掻(あが)きを見せる気なら、俺も足掻いてやろうじゃねぇか!」


菊之丞の言葉に、左近次はニッと笑う。


「ならば儂も付き合うぞ菊の字! この国は、死ぬには良い場所だ!」

「お前がそう決めたのならば、俺も手を貸そう…死ぬ時は共にだ」


恭弥の言葉を聞き、銀次は恭弥を見つめる。


「よぉし…五日後の戦! 足掻けるだけ足掻いてやろうじゃねぇか!」

「「「おぅ!!」」」






菊花の国から少し離れた丘の上、朱雀は遠くに見える菊花の国を見つめていた。


「朱雀」


九龍が朱雀に声を掛ける。


「九龍…話し合いは終わったかい?」

「ああ…五日後、先ずは菊花の国の北門を落とす、戦力の大半はそこに向け、残りを分けて、西と東の門を狙わせる」

「三方向からの侵攻か…うん、悪くないんじゃない?」

「お前は北門を落とす部隊に付け、好きに動いて良い」

「九龍は?」

「俺は落とせた箇所から国へ入る…それまでは、ここで待つ」

「やっと冷静になってくれたようで安心したよ…さっきまでのお前じゃ、いの一番に菊花へ攻め込む選択をしていただろうからね」


九龍と朱雀が話していると、一人の家臣が現れて九龍の後ろで片膝を着く。


「殿! この戦の先駆(さきが)け、(それがし)(つと)めさせていただきたい!」

「おや、誰かと思えば末松(すえまつ)殿、九龍に直談判(じかだんぱん)とは大した度胸(どきょう)だ」


朱雀が茶化(ちゃか)し、末松と呼ばれた家臣は朱雀を睨む。


「気安く話し掛けるな、家臣の一人である某に、忍崩れの傭兵(ようへい)風情(ふぜい)が軽々しく口を聞いて良いと思うのか!?」

「おや、これは手厳しい…共に蒼鷹を強くした仲間でしょう?」

「何が仲間だ! 貴様など…!」

「末松」


背を向けたままの九龍が名前を呼んだと同時に、胸を刃で(つらぬ)かれるような殺気が末松を呑み込んだ。


「…お前に…朱雀のような活躍が、期待出来るとでも言いたいのか?」

「ッ…」

「こらこら九龍、部下を怖がらせちゃ駄目でしょう」


九龍が殺気を解き、末松は詰まった息を吐き出す。


「でも、九龍の今の発言には一理あるなぁ! 忍崩れの傭兵風情…そんな俺に(まさ)る活躍なんて、あんたに出来る?」


朱雀が見下し、末松は歯を食い縛った。


「末松、先程話した通りに、お前は東の門を攻めろ…いいな?」

「ッ…承知(しょうち)、致しました…」


拳を握り締め、末松はその場を離れた。


「…傭兵、ねぇ…別に(やと)われてるわけじゃないけど」

「ああ…俺に喧嘩(けんか)で負けたから、従っているだけだよな?」


九龍が笑みを含んで言い、朱雀は前髪で隠れた右目に触れる。


「あの時お前に潰された右目が、酷く(うず)く時がある…お前が、心に迷いを持つ時だ」

「…迷い?」

「菊丸…彼の言葉が引っ掛かっているんだろう? 彼が言った国の在り方…お前が教えられてきたものとは全然違うものな」


朱雀は九龍の隣に立つ。


「蒼鷹の主として育てられたお前と違い…彼は長い間、あちこちを回って暮らしていた過去を持っている…彼は国よりも、広い世界を知っている」

「…広い、世界…」

「…きっと彼の目には…国の中しか知らないお前には、想像も出来ない景色が広がっているのだろうな」


朱雀が去り、九龍は遠くに見える菊花の国を眺めた。





後編へ続く

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