菊之丞の受難
[番外編]
「菊花の風車祭り」を楽しむ菊之丞が、見知らぬ女性から赤子を押し付けられてしまい…
「菊花の風車祭り」が開催中の町、菊之丞は風で回る沢山の風車を眺めていた。
「おーよく回る…これだけあると圧巻だなぁ」
腕を組んで風車を眺める菊之丞の背中に、一人の女性がぶつかる。
「おっ? 悪い、余所見してた! 怪我は…」
振り向いた菊之丞に、女性は抱えていた包みを押し付ける。
「へっ」
「貴方の子です!!」
女性の言葉に菊之丞が呆気に取られている間に、女性は走り去った。
「えっちょっ!? 子って!?」
我に帰った菊之丞が声を上げるが、女性は振り返らなかった。
「な、何だぁ…?」
そこでふと、菊之丞は押し付けられた包みの温もりに気付き、恐る恐る包みの中を覗き込む。
包みの中身は赤ん坊で、赤ん坊は菊之丞と目が合うと笑った。
「えええぇぇぇぇっ!!?」
菊之丞の声が響き渡った。
「「子供を押し付けられた!?」」
勝島邸、菊之丞に呼び出された左近次と恭弥は、菊之丞が抱える赤ん坊を見て驚く。
「菊の字! お前さんいつの間にこの国の女とそんな…!」
「全く身に覚えがねぇよ! 押し付けてった女も顔が見えなかったから探すに探せなくて困ってんだよ!」
「本当に心当たりは無いのか、菊之丞」
「ある訳ねぇだろ!? 俺のこと疑ってんのかよ恭弥!」
菊之丞が声を荒げる度、赤ん坊は楽しそうに声を上げる。
「そういえば銀次は居らんのか? 彼奴なら国の者に詳しいだろう?」
「それが…どうしたらいいか分からなくてここに来たんだが、その時に銀次が…」
「銀次が?」
「銀次が…見たことないくらい冷たい目で俺を見て、そのまま出て行っちまって…」
菊之丞は涙目になる。
「あぁ…」
「めちゃくちゃ軽蔑の目された…! あんな目向けられたの初めてだよ…!」
「銀の字にそんな目向けられたら、泣きたくなるな…」
襖が開き、見ると菊丸と銀次が立っており、二人は無言で菊之丞の側に膝を着き、菊之丞が抱える赤ん坊を見る。
「き…菊丸? 銀次?」
「この子ですか?」
「うん、押し付けられたって」
「なるほど」
銀次は赤ん坊を抱き上げ、赤ん坊を包んでいる布を確認する。
「…身元が分かる物は無いな」
「そうですか…では銀次殿にはお手間をお掛けしますが、聞き込みをお願いします」
「うん、分かった」
「あ、あの…二人とも…?」
話し続ける二人に菊之丞は声を掛ける。
「「話し掛けないでください」」
菊丸と銀次は菊之丞を一切見ずに冷たく言い放ち、菊之丞はその場に俯せに倒れた。
「菊の字!?」
「菊之丞…」
「心当たり無いんです! 子供が出来るようなことしてません! 本当に身に覚えが無いんです! 信じてください!!」
「うわっ! 菊之丞様!?」
菊之丞が泣きながら訴えていると、銀次からお使いを頼まれ帰って来た源蔵がやって来た。
「兄上! 菊之丞様で遊ばない!」
「はーい」
「へっ…?」
「お使いありがとな、源蔵」
「一先ず、赤子のお世話に必要な物は揃えましたよ」
源蔵は持ってきた包みを置く。
「ごめんな兄貴、こんなに狼狽えてる兄貴が珍しいから、つい面白くて」
「てめっ! 銀次この野郎!」
菊之丞は銀次の首に左腕を回し、右拳を銀次の頭にぐりぐりと押し付ける。
「いたたたたっ!! ごめん兄貴! でも心配してたのもあるんだよ!」
「あぁっ!?」
「兄貴、前はよく飲んだくれてただろ? あの頃はよく記憶無くすまで飲んだりして…知らないうちにそんな過ちも、なんて可能性が無いって断言出来るか?」
銀次の発言に、菊之丞は考える。
「それは…難しいかもな…」
「だろ? 流石に兄貴が菊花に来たのは三年ぶりだから、この赤ん坊は兄貴の子じゃないと思うけど…色々気を付けなよ?」
「う…」
「では銀次殿、よろしくお願いします」
「うん、任された!」
菊丸に答え、赤ん坊を源蔵に手渡した銀次は窓から飛び出す。
「菊之丞様、この子の親が見付かるまでは、こちらでお過ごしください」
「あ、ああ…菊丸、あの…」
菊之丞が声を掛けるが、菊丸は立ち上がって背を向ける。
「私は戻ります、本日の護衛は源蔵殿が選んだ方にお任せします」
「承知致しました、菊丸様」
「では、これで失礼します」
菊丸は菊之丞と目を合わさずに出て行き、菊之丞は再び床に倒れる。
「嫌われた…! もう生きていけない…!」
「菊之丞様!?」
「あーぁ…」
源蔵と左近次が菊之丞を宥め、恭弥は静かに考える。
裏御殿、菊丸はぼんやりと外の景色を眺めていた。
「心ここに在らず、だな」
突然掛けられた声に驚き、菊丸が振り向くと、開いた襖の側に恭弥が立っていた。
「恭弥様…」
「源蔵より、お前の護衛を任された」
恭弥は菊丸の隣に胡座で座り、菊丸を見る。
「菊之丞に子供が居たなんて、突然聞けば驚くだろうな」
「…あの子は菊之丞さんの子ではありません」
「分かっている、冗談だ…何を気にしている?」
恭弥が訊ね、菊丸は目を伏せる。
「…菊之丞さんは、立派な人です…奥様が居たり、子供が居たりしても、何もおかしくないと思います…ただ…」
「ただ?」
「…もし、本当に菊之丞さんの子だったら…私に真っ先に教えて欲しかったです」
菊丸が頬を膨らませ、恭弥は目を見開いた後、吹き出した。
「ふっ…菊之丞がお前より先に、銀次に助けを求めたから拗ねているのか」
「…子供じみていることは、自分でも分かっています…」
菊丸が顔を背け、恭弥は口元に笑みを浮かべたまま、菊丸の背中を撫でる。
「大好きな兄に頼って貰えなかったことが悔しいんだな」
「…」
「お前が頼りにならないわけじゃないさ、お前に弟としての言い分があるように、あいつにも兄としての意地があるんだ」
「…意地、ですか?」
「ああ…お前の前で、無様で情けない姿は見せたくないのだ」
菊丸は分からないと言いたげな顔で恭弥を見つめる。
「お前には、格好良い兄として見て貰いたいのさ」
「…そういうものですか…」
「ああ」
その時、裏御殿の窓から銀次が飛び込み、軽やかに着地した。
「菊丸! 赤ん坊の母親を見つけた!」
「銀次殿!」
「源蔵に保護して勝島邸へ連れて来るように頼んだ、兄貴は?」
「左近次と共に勝島邸だ」
「そっか…なら、菊丸と恭弥も一緒に来てくれ…少し厄介そうなんだ」
菊丸と恭弥は首を傾げる。
「「人違い?」」
勝島邸、菊之丞達の前には銀次と一人の女性が正座している。
「この人はゆりさん、この子はゆりさんが、三年ほど一緒に過ごしてた人との間に出来た子らしいんだが、その相手が…」
「申し訳ありませんでした!」
ゆりと紹介された女性は、床に両手を着いて菊之丞に頭を下げた。
「あの人が、貴方と似た格好をしていて、後ろ姿だけであの人と勘違いしてしまい…! 本当に申し訳ございません!」
「ゆ、ゆりさん! 顔上げてくれ!」
菊之丞は赤ん坊を抱えたままゆりを宥める。
「勘違いした上に、子供を押し付けて…それも、国の英雄である菊之丞様にだなんて…!」
「英雄とかガラじゃねぇからやめてくれ! ほら、子供は無事だ! 抱いてやってくれ!」
菊之丞が赤ん坊をゆりに手渡し、赤ん坊はゆりを見上げると、きゃっきゃっと嬉しそうに声を上げる。
「ッ…ごめん…ごめんねぇ…! あなたを手放すなんて、私はなんて愚かなの…!」
ゆりは涙を流しながら赤ん坊を抱き締める。
「…ゆりさん、何やら切羽詰まったご様子…何か困ったことがあるならば、是非お聞かせ願えませんか?」
菊丸はゆりに訊ねる。
「そんな…これ以上ご迷惑は…!」
「なに、既に巻き込まれてんだ、迷惑の一つや二つ増えたって変わらねぇさ」
菊之丞が菊丸の隣に座って言い、ゆりは目を伏せる。
「…私は身寄りが無く、その日を生きるのがやっとの暮らしをしております…こんな状況で、私はこの子を身籠ってしまい、これからどうすれば良いのかと不安で…」
「…こいつの父親は? 逃げたのか?」
「…彼は、子が出来たことを喜んでくれました…三人で仲良く暮らそうと言ってくれて、私もそのつもりで…しかしこの子が産まれた頃、彼は突然姿を消してしまって…」
「突然の失踪…この子はまだ一歳にもならない、なら産まれた頃は…」
「兄上、その頃は確か、人攫いが起きた頃では?」
源蔵が銀次に訊ねる。
「人攫いだって?」
「はい、国の民が、人身売買を行う者達に攫われて…兄上が率いた調査部隊が人攫い達を見付け出し、国の民は全て救出した筈ですが…」
「ゆりさんの相手、この国の人間じゃなさそうだな…」
「その人攫い達は?」
「捕まえたが、首謀者は見付からなかったから、まだ何処かで悪さしてるかもとは思ってたんだけど…」
「なるほど…銀次、その時に集めた情報を俺達にも教えてくれ」
「分かった、親父がまとめてくれた筈だ」
銀次は立ち上がり部屋を出ていく。
「…」
「菊の字、何か気になるか?」
「いや…ゆりさん、あんたの相手の行方は俺達が掴む、だから安心して待っててくれ」
「菊之丞様…」
「その代わり、今度はこの子を手放さないでくれ」
再びゆりの前に膝を着いた菊之丞は、赤ん坊を抱き締めるゆりの手に触れ、微笑み掛ける。
「ゆりさん、この子の名前は?」
「…椿です…」
「椿か、そうか」
菊之丞は赤ん坊の頭を撫でる。
「椿、お前は本当に良い子だな…お前の母ちゃんはきっと、お前にいっぱい愛情を注いでくれてるんだろうな」
菊之丞の言葉に、ゆりは更に涙を流し、菊之丞はゆりの肩を優しく摩る。
菊丸は、静かに菊之丞を見つめていた。
夜、国境にある廃屋、そこには数人の浪人が居た。
「おい凛太郎、本当に今度は大丈夫なんだろうな?」
浪人の一人に呼ばれ、窓から外を眺めていた着流しの男、凛太郎は振り向く。
「数ヶ月前、俺達は売る為の人間の調達にこの国へ来たが、あの銀髪の忍のせいで失敗に終わった…今回も失敗したら、もう次はねぇぞ?」
「分かってる…俺だって殺されるのは御免だからな」
「しかし凛太郎、お前三年も商人の振りして国に忍び込んでたのに、何であの忍に勘付かれたって気付かなかったんだ?」
「勝島銀次を侮ったつもりはなかったんだがなぁ…まぁしかし、俺がお前達を招き入れたことには気付かれていないんだろう、こうして捕まっていないのだからな」
凛太郎は不敵な笑みを浮かべて答え、再び窓の外を見る。
「大変だ!」
小屋の戸が勢い良く開き、一人の浪人が青褪めて入って来た。
「どうした!?」
「勘付かれた! 国の守備隊がこっちに向かって来てる!」
「何だと!?」
「こんなに早く…!?」
「凛太郎! しくったなてめぇ!」
浪人が凛太郎を睨みながら刀を抜く。
「違う! そんな筈が…!」
「そうそう、お前らを見付けたのは、俺らの実力」
青褪めていた筈の浪人が笑って言い、凛太郎を庇い立つ。
「!?」
「何だ!?」
「悪いな、この人に用があるんだ!」
凛太郎を庇った浪人が自分の着物を掴み引き剥がすと、変装を解いた銀次が現れる。
「勝島銀次!?」
「あの時の忍か…! 俺の手下どもが世話になったなぁ!?」
浪人達が斬りかかり、銀次は刀を抜いて浪人達を斬り払う。
「ぐあっ!」
「殺しはしない! 突き出すべき場所に突き出すからそのつもりで!」
「ちっ…!」
凛太郎は隙をついて小屋を飛び出し逃げる。
「あ! ちょっと!」
銀次が凛太郎を呼び止めたのと、凛太郎の前に恭弥と左近次が現れたのは同時だった。
「大人しくした方が良い…これ以上は、罪を重ねるな」
「うるせぇ!」
凛太郎は懐から短刀を取り出し、鞘から抜いて振り回す。
「左近次、相手は素人だ」
「ああ」
恭弥と左近次は凛太郎が振り回す短刀を難なく躱し、恭弥が足を引っ掛けたことにより凛太郎は転ぶ。
「うわっ!」
起き上がろうとした凛太郎が地面に手を着いたのと同時に、その手の横に刀身が突き刺さる。
「妙な動きはするな、さもなくば先ずはこの手を斬り落とす」
凛太郎が見上げれば、地面に突き立てた刀の柄頭に手を乗せた菊之丞が凛太郎を冷たく見下ろしていた。
「ッ…」
「前以て人里に入り込み、人々の行動などを調べ、攫う機会の算段が付けば、人攫いの浪人共に情報を渡し報酬を貰う…半端に頭の切れる奴ってのは、どうしてこう狡賢いことを思い付くもんかねぇ?」
「兄貴の言う通り、この数年の間に国へ出入りした商人の情報を洗い直して良かったよ…お陰で、今回は誰も攫われない段階で捕まえられた」
「菊の字、此奴はどうする?」
「菊花の国を危険に晒したんだ、それ相応の処罰は免れねぇだろうな」
「ふん…俺は直接手を出したわけじゃない! あの浪人共ほどの罪にはならねぇだろ!」
開き直る凛太郎を見て、菊之丞は顎に手を当てて考える仕草をする。
「…銀次、確かこいつには、国で深い仲になった女が居たよな?」
「え? うん…」
「名前は確か…ゆり、と言ったか」
「ああ、あの赤子を連れた…」
恭弥と左近次の言葉を聞き、凛太郎は目を見開く。
「…じゃあこいつへの罰は…その女に下す」
菊之丞は地面から引き抜いた刀を担ぎ、凛太郎に背を向けて歩き出す。
「やめろ! ゆりに手を出すな!!」
凛太郎が吼え、立ち止まった菊之丞は振り返る。
「何だお前…国の事情を知る為に利用した女を庇うのか?」
「なっ…」
「案外良い仲だったか? 手を出すなと懇願なんざして…けどな…お前が苦しまなきゃ、罰にならねぇだろ?」
凛太郎を見下ろす菊之丞は、震え上がる程に恐ろしい目をしていた。
「ッ…!」
凛太郎は立ち上がり、短刀を構えて菊之丞に向かっていく。
「兄貴!」
「菊之丞!」
「あいつに何かしてみろ! 殺してやる…俺がお前を殺してやる!」
凛太郎が突き出した短刀を躱し、菊之丞は凛太郎の腕を掴み、顔を近付ける。
「罰なら、俺自身に下せ…! 彼女は、巻き込まないでくれ…!」
凛太郎は菊之丞の目を真っ直ぐと見つめて言った。
「…」
冷たい目をしていた菊之丞がゆっくりと瞼を閉じ、再び開けると、その目はいつもと同じ光が宿っていた。
「何だよお前! ゆりさんのことちゃんと好きなのな!」
軽い調子で言った菊之丞が背中を叩き、ふらついた凛太郎は菊之丞を見て唖然とする。
「は…?」
「いやー慣れない芝居打った甲斐あったぜ! 向かってこなかったら、お前のこと、この場で斬り捨てるつもりだったからさ!」
「は…は? な、あんた、試したのか!?」
「もう! 兄貴ってば本気の目するからヒヤヒヤしたじゃん!」
銀次は菊之丞の横に立ち肩を組む。
「そうか?」
「ああ、意外に役者だな、菊之丞」
「菊の字の意外な特技を見つけたな! 菊の字、お前さん役者を目指してみるのも良いんじゃないか?」
「うーん…」
「…ゆりには、初めから手を出す気はなかったのか…?」
「ああ、そんなことするわけねぇだろ?」
菊之丞が答えると、凛太郎は短刀を手放し、両手と両膝を地面に着く。
「なんだ…良かったぁ…!」
「…凛太郎さん、あなたは今も、ゆりさんのこと…」
銀次は凛太郎の側にしゃがみ、短刀を拾って凛太郎の顔を覗き込む。
「…ゆりは…ゆりは、俺の良心だ…彼女と居る時だけは、盗人の一味の俺ではなく、一人の女を愛する俺で居ることが出来た…! けど、子供がもう直ぐ産まれるって時に、奴らに急かされて…俺は、国を離れざるを得なかった…!」
「…子供は無事に産まれたぞ…元気な男の子だ」
「ああ、名前は椿というらしい」
「椿…ああ…ゆりが、子供には俺の好きな花の名前を付けると言ってたが…そうかぁ…椿は無事に産まれたか…!」
凛太郎は涙を溢し、嗚咽を漏らす凛太郎に菊之丞は近付く。
「凛太郎、ゆりさんの所に帰ってやれ」
「…え…?」
「お前はあの浪人達に、妻となる女を殺すと脅されて、仕方なく手を貸していた…しかし直前で思い留まり、浪人達と言い争いになった所を取り押さえられた…こんな筋書きでどうだ?」
菊之丞が恭弥達を見れば、静かに頷いた。
「そんな…俺は罪人で…!」
「お前が加担していたことを知っているのは俺達と菊丸、それに三太夫のおっさんと源蔵だけだ…俺達が黙っときゃ良い話さ」
「しかし…!」
「惚れた女なんだろ、己の過去を悔やむほどに」
菊之丞の言葉に、凛太郎は目を見開く。
「なぁ凛太郎…人を殺したことはあるか?」
「い、いえ…」
「ならお前はまだ引き返せる…俺達と違って、その手は血に汚れてねぇんだから」
凛太郎は息を呑み、菊之丞や銀次達を見回す。
「人を殺したらな、一生業を背負って生きていくしかねぇ…そんなもん背負って、血なんかに手を染めて、どうやって惚れた女を、子を幸せにしてやれるか」
菊之丞はしゃがみ、凛太郎の肩を叩く。
「お前は俺みたいに手遅れになる前に、惚れた女を、強く抱き締めてやれ」
「…菊之丞さん…あんたにも、そういう人が…」
凛太郎の問いに、菊之丞は微笑むだけで答えなかったが、凛太郎は菊之丞を見つめ、涙を拭い立ち上がる。
「…菊花の若殿様に、全てをお話しします…その上で、あの国で罪を償いながら、ゆりと椿と共に生きていくことを、許して貰えないかお聞きします」
「そっか…じゃあ俺から菊丸に取り合うよ、きっと聞いてくれるさ!」
銀次が凛太郎に答え、菊之丞は月を見上げた。
数日後、裏御殿で菊之丞は酒を飲みながら寛いでいた。
「菊之丞さん」
菊丸が現れ、菊之丞の隣に座る。
「今日、銀次殿の付き添いの元、凛太郎さんがゆりさんに会いに行かれましたよ」
「そうか…ようやく息子にも会えるんだな、良かった良かった」
菊丸が酒器を持ち、菊之丞はぐい呑みを差し出して酒を注いで貰い、口を付ける。
「…菊之丞さんの想い人って、おみつさんでしょう?」
菊丸に問われ、菊之丞は口に含んだ酒を吹き出す。
「わっ!」
「ゲホッゲホッ! てめっ菊丸…何で…」
「銀次殿達から、菊之丞さんに想う相手が居るらしいとお聞きして」
「あいつら…!」
菊之丞が腕で口元を拭い、菊丸を睨む。
「…おみつだと思った理由は?」
「菊花に来てくれた際にお話を聞くと、いつもおみつさんの名前が出るので」
「…えっ…俺、そんなにおみつの話してたか?」
「はい、おみつさん達のお店にいつも行ってるんだなとしか、最初は特に思いませんでしたが…おみつさんの話が出た時の菊之丞さんの目を見てて、そうかなと」
菊丸の返答に、菊之丞はぐい呑みを置いて顔を手で覆う。
「自覚なかった…」
「ふふっ…私が出会った時、菊之丞さんはおみつさんに、ツケを払えと耳を引っ張られていましたよね」
「そういや、そうだったな」
「勝気な方だなと思いました…菊之丞さんは、おみつさんのどういう所に?」
「…出会いは…店に押し入りが入ったって人が集まってて、目線の先を見れば、押し入り相手に父親を庇って一歩も引かずに立ってるおみつが見えてな…ほんの気紛れで、その押し入りを俺が蹴散らしたんだが…あいつ、腰を抜かしちまって」
「おみつさんが?」
「ああ…大丈夫かって手を貸したら、「怖いけど踏ん張ってたから、気が抜けた」って笑って…強い女だと思ったよ」
菊之丞はぐい呑みに入っている酒を眺める。
「押し入りに刃物なんざ向けられて怖かったろうに、親父さんを守る為に震える身体で前に立って…か細い身体してる癖に、強く優しい心を持った、良い女だと思ってさ」
「そうだったのですね…おみつさんには?」
「馬鹿、言えるわけねぇだろ…あいつに触れるには、この手は汚れ過ぎた」
菊之丞は自分の手を眺める。
「菊之丞さん…」
「けどま、それでもおみつのことが気になっちまってな…わざとツケ作って、あの店に行ってるわけだ」
菊丸は菊之丞に微笑みかける。
「…いつか、おみつさん達もこの国にお呼びしたいです」
「ん?」
「風車祭りで、沢山の風車を是非見て頂きたいです…菊之丞さんの隣で」
菊之丞は目を見開き、次に苦笑いを浮かべる。
「そうか…なら、その時は少し、頑張ってみるかね」
終




