左近次という男
番外編
「菊花の風車祭り」を催す菊花の国で、左近次は一人の生意気な少年と知り合う。
「菊花の風車祭り」が開催され、一週間の期間、菊之丞達は各々で楽しむことを決めた。
菊之丞達と別れ、島田左近次は街を一人歩いていた。
「あ、左近次さん!」
屋台を出している青年が左近次を見付けて声を掛ける。
「おお、正吉! 何とも美味そうな匂いだ!」
「今朝捌いた鳥の串焼きですよ! お一つ如何ですか?」
「これは嬉しいお誘いだ! どれ、一つ頼む」
正吉に代金を渡し、左近次は貰った串焼きを一口食べる。
「ん! こいつは美味い!」
「ありがとうございます!」
「左近次殿! うちの畑で採れた野菜も美味いですよ!」
別の屋台から顔を出した男が左近次を呼ぶ。
「おお、辰平殿! それは実に良い!」
「左近次殿! 桐生様から酒の差し入れが入ったのですが、ご一緒にどうですか?」
近くで酒を飲んでいた男達の一人が左近次に声を掛ける。
「おっ! 例の地酒だな! そういえば、こいつの名前は決まったのか?」
「ええ、「風見酒」だそうです!」
「名前を考える際、銀次様がボソッと漏らしたのを、桐生様が聞き逃さなかったそうですよ!」
「はははっ! 地獄耳だな桐生殿は!」
楽しげに話す左近次に数人の子供が駆け寄った。
「おいちゃん! やり回し見せて!」
「わたしも見たい!」
「ん?」
「こらお前ら! 左近次さんに我儘言うな!」
「えーっ! だって昨日のやり回し、おれ見れなかったんだもん!」
「そうよそうよ! 大人がみんな前に出るから見えなかった!」
子供達が駄々を捏ね、左近次は持っていた長槍を見る。
「ふむ…手が空いていると落ち着かんから持ち出して来たが、そういうことなら任せておけ!」
左近次は広場のようになっている場所に立つと、槍を構えた。
「皆の衆とくとご覧あれ! 大槍使いの島田左近次、その大槍回しをお見せしよう!」
人々が歓声を上げ、左近次は揚々と槍を回す大道芸を披露する。
子供達は目を輝かせ、大人達は楽しげな左近次を見て笑みを溢す。
最後に左近次が槍を空高く投げ、落ちて来たものを掴み取り、一際大きく回して止まると大きな拍手が巻き起こった。
「いやはや! お付き合い頂き感謝する!」
「おいちゃんすごーい!」
「もっかいやって! もっかい!」
「いやいや! 喜んでくれるのは嬉しいが、儂もそう若くない! 今日のところはこれで勘弁して貰えぬか?」
左近次がしゃがんで子供達に謝っていると、一人の子供が前に出た。
「へんっ! 何だよ大したことないな!」
「ん?」
左近次が顔を上げると、そこには十二歳くらいの少年が腰に手を当てて立っていた。
「若様を救った英雄の一人って聞いたからどんな奴かと思えば…ただの槍ぶん回すだけのおっさんじゃん!」
鼻で笑う少年を左近次が見つめていると、一人の男がやって来て少年の頭に拳骨を落とした。
「ッテェ!!」
「こら! 何を失礼なこと言うかこの馬鹿息子が! 失礼致しました、左近次殿!」
男が少年の首根っこを掴みながら謝り、左近次は思い出したように掌に拳を乗せる。
「おおっ! おぬしは確か家臣の!」
「はっ! 志波雅彦と申します! 此方は倅の冬彦と申します!」
「離せよ父上!」
冬彦と呼ばれた少年は志波の手を振り払い、左近次を指差す。
「何でこんな大して強くなさそうなおっさんに頭下げるんだよ! こいつが英雄の一人なんて嘘だろ!?」
「こら! 冬彦!」
「はっはっはっ! その通り! 儂は英雄なんて大したもんじゃないぞ、お若いの!」
左近次は笑って答える。
「運良く大戦で生き残っただけの無骨者だ、人に誇れるようなことを成し遂げた訳でもない…ただの駄目親父さ」
「左近次殿! そのようなことは…!」
「はっはっはっ! 良い良い! 今じゃ大戦を知る者も少なかろうて! 儂は気にしとらん!」
左近次は槍を担ぎ、笑ってその場を去る。
「左近次様はいつも笑っておられるな…」
「やはりあの方も大戦を駆け抜けた方だ…子供の戯言には引っかからんのだろう」
大人達がヒソヒソと話し、冬彦は眉間を寄せる。
正吉の屋台で買い足した串焼きを食べ歩きながら、左近次は国の外れの林まで来た。
「…なぁ坊主! お前さん何処まで付いてくるつもりだ?」
左近次が振り返り言うと、冬彦が木の陰から現れた。
「…気付いてたのかよ」
「人を尾けるならば気配を消す鍛錬をせねばな! 戦いも知らぬ子供には難しいが!」
「なっ! 俺のこと馬鹿にしてるだろ!?」
「いやいや! 儂は事実を述べたまでだ!」
左近次がヘラヘラと笑い、冬彦は怒って顔を真っ赤に染める。
「ずっとヘラヘラしやがって…! 英雄の一人なんて言われてるけど! どうせ四人の中じゃ一番弱いんだろ!?」
「ん? そうさなぁ…まぁあの三人には勝てんだろうな」
「ほらな!」
「あの三人は化け物並みだからのぉ…あれと比べるなんて、人と別の生き物を比べるようなものだな」
左近次は一人で納得するように言う。
「ところで、冬彦と言ったか? お前さん、どうしてそこまで儂に突っかかる? 儂はお前さんの気に触るようなことを何かしたか?」
「ッ…うっせぇ! 俺はお前みたいな歳食って威張ってるだけの奴が嫌いなんだよ! 祖父ちゃんみたいで腹が立つ!」
「祖父ちゃん? となると、お前さんのお父上の前に家臣だった方か」
「そうだよ! 代々家臣を務めた家だが何だか知らねぇけど、いつも威張り散らしてて! 父上や母上のことも見下してて! 死ぬ間際さえ父上達を罵倒して遠ざけて…一人で死んじまった糞爺だ!」
鼻息荒く言う冬彦を見つめ、左近次は笑う。
「それはお前さん、祖父様は死に様を見せたくなかったんだろうさ」
「…は…?」
「父親とは妙な所で意地を張る生き物でな…息子夫婦、更にはお前さんに、弱った姿を見せたくなかったのだろう」
「はぁぁっ!? 適当言うなよおっさん!」
「あながち間違ってはおらんと思うがなぁ、儂も息子が三人も居ったからな! 父親としての考えは分かるつもりだ!」
「ふんっ! あんたみたいな父親、どうせ鬱陶しがられてるんだろ!?」
冬彦が罵倒するが、左近次は笑顔を崩さずに口を開いた。
「もう分からんなぁ、全員死んでしまったので」
「…え?」
「大戦には、息子達と参加してな…皆、この父より先に逝ってしまった」
左近次は串焼きを食べ終え、串を折って懐にしまう。
「妻の葉月からとって、青葉に紅葉に緑葉と名付けてな…妻を早くに亡くして男手一つで育てたが、実に立派な子らだった! しかし、大戦で皆…儂を置いて逝ってしまったよ」
「…三人とも…?」
「ああ…緑葉は戦闘での怪我の手当てが遅れたせいで感染症に罹り、苦しみながら…紅葉は敵に脚の腱を斬られ、歩けないまま生きていくならばと、儂に介錯を頼んだ」
左近次は木々を見上げる。
「そして青葉は…儂や仲間を守る為に、抱えられるだけの爆薬を抱えて、敵陣に飛び込んだ」
冬彦は青褪めた。
「…戦とは…そうも簡単に人が死ぬのか…」
「ああ、一瞬だ…未来ある若い者達が呆気なく散り…儂のような年寄りが、運悪く生き残ってしまった」
左近次は自分の手を見る。
「…あの子達の代わりに儂が死んでおれば…何度、考えたことか」
そう呟く左近次の笑みが悲しげで、冬彦は息を呑む。
「しかしそんなある日、戦場であいつらに出会ったんだ」
「あいつら?」
「菊之丞、恭弥、銀次の三人だ…偶然にも、あいつらは儂の息子と歳が近くてな…それでつい世話を焼いてしまい、鬱陶しがられてしまっての!」
左近次は笑顔で話す。
「お前さん達の殿である菊丸様を救ったのも成り行きよ! 菊之丞が彼を守ると決めたならばと、それに付き合ったに過ぎん!」
「な、何で…」
「…あいつらが大切に思うものは、儂にとっても大切なものなのだ」
風が吹き、舞い落ちる木の葉を左近次は摘み取った。
「息子達に出来なかったことをしてやりたいのだ…菊之丞達の大切なものならば、儂も共に守りたい…そうして死ぬことになっても、それならば僥倖! その時には儂は漸く、胸を張って息子達に会いに行けるだろう」
左近次は優しく温かみのある微笑みを浮かべ、冬彦はその表情に見惚れる。
「さて、お喋りはそろそろ終いだな!」
冬彦に背を向け、左近次は槍を構える。
「良い加減に姿を現したらどうだ?」
「え?」
冬彦が首を傾げていると、野伏が木々の陰から現れ、二人を囲んだ。
「ひっ…!?」
「ふむ…三太夫の旦那から、盗人へと落ちた野伏が目撃されるようになったと聞いていたが、まさかこれほど国の側まで来ていようとは…すまんな冬彦、本当はここへ着く前にお前さんを撒くつもりだったのだがのぉ」
冬彦を背後の木の側に突き飛ばし、左近次は笑みを消し野伏達を睨む。
「儂の名は島田左近次! この国は儂の息子の宝が治める国…手出しをしようと目論むならば、この儂が黙ってはおらんぞ!!」
野伏達が雄叫びを上げながら向かってくるが、左近次は槍で蹴散らしていく。
長い槍を自らの手脚のように操り、向かってくる敵を捩じ伏せていく。
(す、凄い…さっきの町で見せた立ち回りなんて序の口かよ!?)
野伏達を蹴散らす左近次から目が離せない冬彦は、木の陰から近付く野伏に気が付かなかった。
「冬彦!!」
「えっ!?」
左近次に名前を呼ばれ、野伏に気付いた冬彦は咄嗟に両腕で身体を庇う。
次の瞬間、木の上から飛び降りて来た銀次が二振りの刀で野伏を斬り伏せた。
「銀次様!?」
「楽しそうなことしてんな、おっさん!」
冬彦の頭を撫で、銀次は左近次の側に立つ。
「何だ銀の字、お前も尾けて来たのか?」
「気づいてた癖に何言ってんだよこの狸爺! 兄貴と恭弥にも伝達は済ませてるっての!」
野伏達の背後に、菊之丞と恭弥が現れる。
「おいおい左近次、一人で始めるなんてつれねぇなぁ?」
「これは俺達四人で受けた依頼だ、抜け駆けは許さん」
「はっはっはっ! すまんすまん! 儂もちょっとした手違いがあってな!」
「まぁ、話は後でゆっくり聞くわ」
菊之丞と恭弥も刀を抜き、四人は笑みを浮かべる。
「さて…やるぞ!」
「「「おぅ!!」」」
菊之丞の掛け声と共に、四人は野伏に向かっていく。
「…兄上の伝達を聞き、直ぐに駆け付けたつもりでしたが…」
数刻後、兵を引き連れて林へやって来た源蔵は、四人によって縛り上げられた野伏達を見て溜め息を吐く。
「悪いな源蔵! もう片付いちまった!」
「酷いですよ兄上! 次の任務では共に戦わせてくれると約束していたのに!」
「我儘言うなって! ごめんって!」
源蔵が右手で銀次の胸をポカポカと殴り、その様子を見て恭弥は笑みを溢す。
「左近次、そいつは…」
「ああ、家臣の志波殿の倅だ、冬彦と言う」
「ふーん」
左近次の紹介を聞き、菊之丞は屈んで冬彦と目を合わせる。
「どうだった、冬彦」
「え…」
「左近次は、強いだろう?」
菊之丞の質問に、左近次は目を見開く。
「…はい…あの! 散々失礼なこと言って、ごめんなさい!」
「ん? ああ…気にしとらんぞ!」
「冬彦!!」
見ると駆けてくる志波の姿があり、志波は冬彦を抱き締める。
「父上…」
「良かったぁ! お前に何かあったらと、父は心配で心配で…!」
「すまんな志波殿、御子息を巻き込んでしまった」
左近次が頭を下げ、志波は首を横に振る。
「いいえ! 冬彦が勝手に貴方について行ったのでしょう! 守ってくださり、本当にありがとうございました!」
「いやいや、全ては儂が…」
「左近次様」
「さ、様!?」
冬彦からの呼び方が変わり左近次は驚く。
「…こんなこと、俺なんかが無責任に言っちゃ駄目かもしれないけど…」
一度目を伏せて、意を決したように冬彦は左近次を見つめる。
「貴方の御子息達は、貴方を誇りに思っていると思います」
左近次は目を見開き、口を少し歪ませた後、恥ずかしそうに笑った。
「そうかのぉ…そうなら、嬉しいなぁ」
「左近次様は、素敵なお父上だったのでしょうね」
夜、裏御殿に招かれた菊之丞達は酒を飲み、月を見上げながら酒を煽る左近次の隣に菊丸が座って言った。
「えぇ? そんなことは…息子達を守り切れなかった…父親失格ですよ、儂は」
「いいえ、左近次様…貴方を見ていれば分かります…貴方の御子息達は、きっと立派な人達だったのだろうと」
菊丸は優しく微笑む。
「それに、貴方の子は他にも居ます」
「え?」
菊丸が振り返り、左近次も視線を追うと、酒を飲み騒ぐ菊之丞達の姿があった。
「菊之丞さん達も、各々の形で貴方の教えを受け止めていると思います…それに、冬彦君も」
「え、冬彦がどうされました?」
「…志波殿と、お祖父様の話をしたそうです…志波殿から、お祖父様は人に弱さを見せたがらない人だったと聞き…左近次殿の言う通りだと、笑っていたそうです」
「…そうですか…少しは、蟠りを解けたら良いが…」
「冬彦君、貴方のような槍兵になりたいそうですよ」
菊丸は左近次に笑い掛ける。
「貴方のように、笑って国を守れる男になりたいそうです」
左近次は目を見開いた後、大声を上げて笑った。
終




