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風車の菊之丞  作者: みさきち
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銀次、参る! 後編





銀次(ぎんじ)源蔵(げんぞう)が屋敷を抜け出した翌朝(よくあさ)表御殿(おもてごてん)では家臣(かしん)達が(あわ)ただしく動き回っていた。


「銀次殿と源蔵殿が居なくなったと?」

「源蔵殿はまだ、左腕の怪我(けが)でまともに動けぬ(はず)では!?」

「銀次殿は一体…もしや気を()んでしまわれたのか?」

勝島(かつしま)殿は大丈夫でしょうか…」


裏御殿(うらごてん)菊之丞(きくのじょう)は正座する菊丸(きくまる)(もも)に頭を乗せて寝転がっていた。


「菊之丞さん、銀次殿と源蔵殿は大丈夫なのでしょうか…探しに行かれないのですか?」

「んー? 心配ねぇよ、用事が済めば帰って来るって」

「しかし…」

「銀次は今な、(ようや)く人としての葛藤(かっとう)ってものを経験してるんだ」


菊之丞は菊丸の手を取り、(てのひら)を見る。


「三太夫のおっさんに息子と呼ばれ、人として見られることが増えて…自分でも人であると認識したから、自分の(ごう)に気付いちまった」

「自分の業…」

「人を殺した罪は消えねぇ…銀次は自分があまりにも(きたな)くて、周りを(けが)してしまうと本気で考えてる」


菊丸の掌を指でなぞり、菊之丞は菊丸を見上げる。


「でも…一度握った優しい手を手放すのは、死ぬより怖い」

「…銀次殿は、その葛藤を越えられるでしょうか…」

「分からない…けど、俺は何とかなると思うぜ」


菊丸の手を離し、菊之丞は起き上がる。


「何せ、今のあいつは孤独(こどく)な獣じゃねぇ…親父も、可愛い弟も居るからな」

「…ですが…源蔵殿は、銀次殿と距離を感じると…」

「国境に向かう途中さ、恭弥(きょうや)が源蔵の頭に付いてた葉を取ろうとしたら、銀次が恭弥の腕を掴んで止めたんだ」


銀次を思い出し、菊之丞は笑う。


「あいつ、弟を守る兄貴の顔してたぜ?」

「え?」

「失礼します!」


(ふすま)が開き、見ると勝島三太夫(さんだゆう)と、彼の後ろに立つ恭弥と左近次(さこんじ)の姿があった。

三太夫は菊丸の前で両膝を着き頭を下げる。


「菊丸様! 此度(こたび)は銀次と源蔵が勝手なことを…!」

「三太夫殿、お顔をお上げください」

「菊之丞、恐らく銀次は、あの忍と決着を付ける気だ」

「銀次だけじゃ奴に勝てるとは思えねぇ! (わし)らも加勢(かせい)に…!」

「駄目だ、俺達はこの国に残る」


菊之丞の返答に恭弥と左近次は驚く。


「しかし…!」

「俺達まで国を出れば、国を守れる人間が居なくなる…俺達は銀次達が戻って来るまで、この国を守るんだ」

「銀次を見捨てる気か菊の字!? あいつはお前を兄貴と(した)っている可愛い弟分だろう!? 儂は行くぞ! 銀次を見殺しには…!」

「銀次を()(くび)るな、左近次!!」


立ち上がった菊之丞が怒鳴(どな)り、左近次は(だま)る。


「お前ら、久々にこの国に来てから銀次の何を見てた!? あいつはもう、白狼(はくろう)と呼ばれた獣じゃねぇ! この国で生き方を探す人間だ! 獣から人になったあいつが弱いと思ってんのか!? あぁ!?」

「菊の字…」

「あいつは強い! 必ず戻って来る! 俺には分かる!」

「…どうして、そこまで自信を持って言える?」


恭弥が(たず)ねると、菊之丞はニッと笑った。


「兄貴ってのはな、弟の前じゃ絶対に負けられねぇんだよ!」

「は…はぁ?」

「何とも、分からない理屈(りくつ)だな…」

「ああ! そういうことですか!」


左近次と恭弥が首を(かし)げるが、菊丸は納得(なっとく)したように手を叩く。


「お! 菊丸は分かったか?」

「はい! ならばきっと大丈夫ですね!」

「おいおい! 二人だけで納得するな!」

「という訳で、三太夫のおっさん!」


菊之丞は三太夫を見る。


「な、何でしょう?」

「あんたにやって貰いたいことがある…あんたにしか出来ない、重要(じゅうよう)なことだ!」


三太夫は首を傾げる。







夜の林の中、銀次と源蔵は焚火(たきび)の側に座っていた。


「ったく、また熱が出るかもしれねぇのに…しんどくなったらちゃんと言えって言っただろ?」


銀次は源蔵の左腕の包帯を新しい物に変えながら、源蔵に説教(せっきょう)をする。


「すみません…言ったら、置いて行かれるかと…」

「あのなぁ! こんな所に置いてったら確実にお陀仏(だぶつ)だっての! 俺は別にお前を死なせたい訳じゃねぇんだから、そんなことしねぇよ!」

「…すみません…」


源蔵が(うつむ)き、包帯を巻き終えた銀次は溜息(ためいき)()く。


「なぁ源蔵…何でこんな無茶を? お前がこんなことするなんて、おっちゃんが悲しむと思うぜ?」

「…悲しんで、くれるでしょうか…」

「え?」


銀次は源蔵を見る。


「…私の父は、あの方の弟に当たります…私の両親は…結婚を認めて貰えず、()()ちをしたそうです」

「駆け落ち…」

「…母は、百姓(ひゃくしょう)の出なんです…身分が違い過ぎると家族に反対され、二人は国を出て、二人だけで暮らして…唯一(ゆいいつ)叔父(おじ)(うえ)とだけ手紙のやり取りをしていたそうです」


源蔵は焚火を眺める。


「…両親は、流行病(はやりやまい)で亡くなりました…まだ(おさな)かった私を、叔父夫婦が引き取ってくださって…他の親戚の方々には、とても(うと)まれていました…流行病ではなく、母が何か病気を持っていて、父はそれに感染(かんせん)して死んだのだと言う人も居ました」

「…(ひど)い話だな」

「ええ…叔父上だけが、私を(こころよ)(むか)え入れてくれました…それが今も、申し訳なくて」

「申し訳ない?」

「…叔父上は…困っている人に手を差し伸べる優しい方です…私のこともきっと、子供が一人で生きていくのは大変だからと…」

「…お前、本当はおっちゃんにも疎まれてると思ってんのか?」


銀次が訊ねると、源蔵は苦笑いを浮かべる。


「…そう、思っている自分が居るのは確かです…いつまでも、叔父上の手を(わずら)わせるのは良くないと…私は、望まれなかった子なのだから」


源蔵が()らした言葉に、銀次は目を見開く。


《望まれない子供なんて居ないんだ》


「望まれない子供なんて居ない」


脳裏(のうり)に浮かんだ言葉を口に出し、銀次は源蔵を見る。


「少なくともお前は、お前の両親に望まれたから産まれてきたんだ…自分を卑下(ひげ)して、両親の思いを()(にじ)っちゃいけない」

「銀次殿…」

「お前はまだ幸せだぜ、源蔵…お前は、死んだ両親の愛情を知ってる…知ってる人が、側に居るんだから」


銀次は焚火に(まき)を足す。


「それにおっちゃんだって…お前を弟さんの忘れ形見ってだけで見てるなんて有り得ねぇよ…俺みたいな野犬(やけん)を拾ってくれる人だぜ? あんなに愛情深い人、そう居ねぇよ」

「…そう、でしょうか…」

「帰ったら聞いてみようぜ…「私も、貴方の息子として生きていいですか」って」


銀次は源蔵に笑い掛け、源蔵は小さく(うなず)いた。






翌日、銀次と源蔵は高く(そび)える(がけ)の下、薄暗(うすぐら)不気味(ぶきみ)雰囲気(ふんいき)(ただよ)う谷底の川辺へと辿(たど)り着いた。


「銀次殿、この先に行くと死児間(しじま)(たに)です」

「不気味な場所だなぁ、今にも何か()けて出てきそうだ」

「ちょっ! そういうこと言わないでくださいよ! 本当に出てきたらどうするんですか!」

「ん? 何だ源蔵…お前、ひょっとしてこういうの苦手か?」

「し、失礼な! 別に怖い訳では…!」


鳥のけたたましい鳴き声が上がり、源蔵は銀次の後ろに隠れる。


「…」

「…あの…このことは叔父上には…」

「えーどうしよっかなー?」

「銀次殿!」


そのまま二人は川辺を歩き、一軒の家を見付けた。


「あ、人が居るようですね…」

「こんな所に…」


家の横には小さな畑があり、一人の男が作業をしていた。


「少し話を聞いてみましょうか、(しのび)の里の場所を知っているかもしれません!」

「隠れ里だろうから知らないんじゃね?」


源蔵は家に駆け寄り、銀次は日が当たらないことを確認してから被っていた布を脱ぐ。


「すみません! 少しお(たず)ねしてもよろしいですか?」


源蔵に声を掛けられ、男は顔を上げる。


「ん? あれまぁ、こんな所に旅のお方とは珍しい! 一体どうされました?」

「はい、実は…」


源蔵に訊ねた男は、源蔵の後ろに立った銀次を見て目を見開いた。


「あぁっ!? あぁっ!」


男が銀次を指差して声を上げ、銀次と源蔵は驚く。


「おとう! おっかあ!」


男は転びながら家に入っていき、二人は顔を見合わせた。


「ど、どうしたのでしょう?」

「俺の顔見て驚いてたよな…ひょっとして、怖い?」

「いえ…優しいお顔だと思いますが…」


家の中からバタバタと足音が聞こえ、銀次は反射(はんしゃ)で源蔵を(かば)い立つ。

家から出てきたのは男の親と思われる老夫婦で、銀次を見て目を見開く。


「これはたまげた…まるで()(うつ)しだ!」


老人は二人の前に立って頭を下げ、二人も頭を下げた。


「はー…立派になったのぉ…あれからもう十年以上も経っとるからなぁ…」

(じい)ちゃん、俺のこと知ってんの?」

「無理もねぇ、あの時のお前さんはまだ十歳になったかならないかの歳だったろ?」


男が老人の隣に立つ。


「儂は昔からここに住んどる弥平(やへい)と申します、息子の弥吉(やきち)と、家内(かない)(うめ)です」


弥平と名乗る老人が紹介し、梅と弥吉も頭を下げる。


「俺は銀次って言います! こっちは…」

「銀次殿の友人の、勝島源蔵と申します…あの、銀次殿の過去のこと、何かご存知(ぞんじ)なら聞かせていただけませんか? 些細(ささい)なことでも良いんです」


源蔵が訊ね、三人は顔を見合わせる。


「知ってることって言っても、おら達がこの人と会ったのは〝あの時〟だけだし…それ以外のことは何も知らねぇ」

「あの時…?」

「お前さんはあの日、この死児間の谷から続く川辺で見付けたんじゃ」


弥平は谷の方角を見る。




十数年前、弥平は十五歳の弥吉と梅を連れて川辺の林で(きのこ)を採っていた。


「おとう! おら、魚が()れないか川辺を見て来るべ!」

「あまり遠くに行くんでねぇぞ! この近くには忍の隠れ里があるって昔から言われとるからな! どっかに(ひそ)んでるかもしれねぇ!」

「分かってるよぉ!」


弥吉は林を抜けて川辺に向かい、川魚を探して水面(みなも)(のぞ)き込んだ。


「…ん?」


透明(とうめい)な川の水に赤色が混ざるのが見え、弥吉は川辺の上流(じょうりゅう)の方を見る。

するとそこには、銀髪(ぎんぱつ)の子供と白髪(はくはつ)の男が横たわっていた。


「おとう! おっかあ! 来てみ!」


弥吉が大声で二人を呼び、弥平と梅は川辺にやって来る。


「どうした弥吉!?」

「人が倒れとる! あそこに二人!」

「何だって!?」


弥平達は倒れている二人に駆け寄る。

弥平は(うつぶ)せに倒れている男の背中を見て、深く刻まれた傷に小さく悲鳴を上げた。


「なんて傷だ…この出血じゃ、もう…!」

「あんたぁ! こっちの子は息があるよ!」


弥吉が抱き起こした子供の容態(ようだい)を見た梅が声を上げる。


「身体が冷え切ってる筈だ! 家連れてって、あっためてやれ! 弥吉! この人運ぶの手伝え!」

「おぅ!」


梅が子供を抱えて家に向かい、弥平と弥吉は男を仰向(あおむ)けにして運ぼうとする。

すると、男が弥平の腕を掴んだ。


「ひっ…!?」


男はうっすらと目を開け、赤い瞳を弥平に向ける。


「…も………こども……こども、は……ッ」

「ッ…あの子はおめえさんの息子か!? 子供は無事だ! 生きとる!」


弥平が答えると、男は目を細め、安心したように微笑(ほほえ)んだ。


「…よか………た……」


弥平の腕を掴んでいた男の手が、力無(ちからな)(すべ)り落ちた。


「おい!? おい!!」


弥平が必死に声を掛けるが、男が再び目を開けることは無かった。




「…その後、熱を出したお前さんを梅が辛抱(しんぼう)(づよ)看病(かんびょう)してなぁ…三日(ほど)経って、お前さんは目を覚ました」


家の中、銀次と源蔵は弥平の前に座り話を聞いていた。


「目が覚めたお前さんは、おとうは何処(どこ)だと聞いてきてな…こんな幼い子にそのまま伝えるべきか分からず答えられずにいると、お前さんは家を飛び出してしまって…それからもう、十数年だ」

「そう、だったのですか…」

「…そうだ…」


源蔵は俯く銀次を見る。


「目が覚めたら、知らない所に居て…父ちゃんが何処にも居なくて、捨てられたと思ったんだ…爺ちゃんを見て、売られたんだと思い込んで…逃げなきゃって思って、俺は飛び出した」

「混乱していたんだな…無理もない…けどな兄ちゃん、お前さんは捨てられてなんかいない…あの人は息を引き取る寸前だってのに、お前さんを心配してた」


弥平は立ち上がると窓の側に立ち、谷の方を指差す。


「ここからもっと死児間の谷に近い川沿い…お前さん達を見付けた場所の近くの林に、親父さんを埋葬(まいそう)した…見に行くか?」

「…うん…」

「では、ご友人はこちらでお待ちを」

「あ、はい…」

「源蔵」


銀次は弱々(よわよわ)しく源蔵を呼ぶ。


「お前も来てくれ」

「え…しかし…」

「頼む」


俯く銀次の声に不安が(にじ)んでいることに気付き、源蔵は頷いた。




川辺を歩き、二人は川の側の林へと辿り着いた。

数本の木を切り倒して少し開けた場所に、岩が()まれた(はか)があった。


「これのこと、ですよね…」


二人は墓の前に膝を着き、手を合わせて目を閉じる。


『こんな所に居たのか、銀次』


聞こえた声に銀次は顔を上げる。


『おっこれはまた美味そうな(にぎ)(めし)だな』

『父ちゃんも食べる?』

『いや、これはお前が食べろ、大きくなる為にはしっかり食べないとな』


自分によく似た白髪の男の姿が脳裏を(よぎ)り、銀次は目を見開く。




木の根元(ねもと)(こし)()け、白髪の男は握り飯を(ほお)()る幼い銀次に微笑み掛ける。


「銀次はいつも美味(うま)そうに食べるなぁ」

「うん! 俺、大きくなったら百姓になりたい!」

「え、百姓? 百姓になれば米を腹一杯(はらいっぱい)()えるわけじゃ…」

「ううん! 俺が作った米で、誰かが笑顔になってくれるだろ? だから百姓が良い!」


幼い銀次の言葉に男は目を見開き、次に楽しげに笑う。


「そうかそうか! 銀次は優しい奴だなぁ!」


笑って銀次の頭を撫でた男が、次の瞬間には笑みを消し、振り返る。


「くだらぬ夢だ」


そこには寅次(とらじ)と数人の忍が立っており、男は銀次と共に立ち上がり、銀次を抱き寄せる。


「実にくだらぬ…忍としての才もない其奴(そやつ)など、生きる価値も無い」

「失せろ、この子に(かか)わるな」

龍次(りゅうじ)、良い加減に目を覚ませ、お前は儂の後を()ぐ者だ」

「継ぐ気は無いと言った筈だ…失せろ!」


寅次は銀次を一瞥(いちべつ)し、手を(かざ)すと配下(はいか)の忍が龍次と呼ばれた男の側に立つ。


「やはり其奴はお前を堕落(だらく)させる存在だ…我が一族に出来(でき)(そこ)ないは()らん、子供を捨てろ龍次」


忍が銀次に手を伸ばした次の瞬間、忍の身体が目にも止まらぬ速さで斬り刻まれた。

他の忍達が小さく悲鳴を上げる中、斬り刻まれた忍が倒れ、龍次はいつの間にか腰に携えた(さや)から抜いていた白銀(はくぎん)に輝く刀に付着した血を振り落とす。


「…この子に手を出すな…殺すぞ!」

「…素晴らしいぞ、龍次よ…また来よう…お前は儂の後を継ぐ、他に道は無いのだ」


寅次達が姿を消し、銀次は龍次を見上げる。


「父ちゃん…」


刀を鞘に(おさ)め、膝を着いた龍次は銀次を抱き締める。


「ごめん…ごめんな、銀次…」


龍次の涙を(こら)えるような声に、銀次は小さな手を龍次の背中に回し、静かに龍次の背中を撫でた。




もう直ぐ十歳を迎える銀次は森の中を駆け抜け、走りながら苦無(くない)を投げて的に当てる。


「…よし! 全て命中だ!」


最後の一本を投げ終え、足を止めて息を整える銀次の前に龍次が現れた。


「本当!?」

「ああ、十本全て命中している…俺の教えをちゃんと学んだようだな」

「うん! あ、でも…誰かを傷付けるのは、まだ怖いな…」

「そうだな…お前は俺との組み手も()()(ごし)だからなぁ」

「ごめんなさい…でも、人を傷付けるのは…やっぱり、怖い」


銀次が俯き、龍次は片膝を着いて銀次の顔を覗き込み、肩に手を置く。


「なら銀次、人を傷付ける為に強くなるんじゃなくて…自分を守る為に、強くなれ」

「自分を、守る…」

「そうだ、今は父ちゃんが守ってやれるが、お前も大人になって、一人で遠くに行くことがあるだろう…そんな時の為に、自分の身を守る(すべ)を知っておいた方が良い…それに強くなれば、大切な人が出来た時、その人を守ることも出来るんだ」


銀次は龍次をジッと見つめる。


「…強くなれば…俺が父ちゃんを守れる?」


龍次は目を見開き、一瞬(いっしゅん)唇を噛み締め、()ぐに笑顔で銀次を抱き締める。


「そう簡単に息子に守られるかよ! そういうのは、父ちゃんより強くなってから言え!」

「えーっ!?」


二人は笑い合う。


「さ、もう帰るぞ? 空に月が見えてきた…今夜は三日月だな」


銀次を離し、立ち上がった龍次は銀次の手を引いて歩き出そうとしたが、周囲の違和感(いわかん)に気付く。


「父ちゃん?」

「…静か過ぎる…」


次の瞬間、突如(とつじょ)現れた忍達が二人を囲み、龍次は銀次を庇い立つ。


「お前ら…!」

「十五年だ、龍次…もう十分だろう?」


寅次が現れ、冷たい目が銀次を見下ろす。


「何…?」

「十五年前、お前が里を抜けた時から散々(さんざん)我儘(わがまま)(ゆる)してやったのだ…里に戻れ、儂の後継(こうけい)として役目を果たせ」

「ふざけるな…! 俺は銀次と生きていくと決めた! もうあんたの息子じゃねぇ!」

「まだそんなことを…分かっているだろう、今の一族には、儂の後継に相応(ふさわ)しい者は一人も居らぬ、お前以外はだ…それなのにお前は十五年前、突如姿を消したかと思えば、百姓の女と夫婦として暮らし、その女との間に子供を…」


寅次は自らの左腕に触れる。


「お前の立場を分からせる為に女を殺し、その子供も手に掛けようとした時…お前に左腕を斬り落とされたなぁ…その餓鬼(がき)を見ると…儂の左腕が(うず)いて仕方がない…!」


寅次の殺気(さっき)に恐怖した銀次が座り込み、龍次は刀の(つか)を掴む。


「全くもって不愉快(ふゆかい)な存在だ…貴様さえ居なければ、龍次が道を(たが)えることはなかった…貴様は望まれぬ子だ、出来損ないめ」


寅次は刀を抜く。


「出来損ないは、斬り捨てる」


龍次も刀を抜くが、寅次は一瞬で背後に回り込み、銀次へ刀を振り下ろした。




「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


三日月に(あわ)く照らされる森の中、深傷(ふかで)を負った龍次は銀次を抱えて走っていた。


「父ちゃん…」

「ごめんな、ごめんな銀次! こんな血生臭(ちなまぐさ)い血筋の子にしちまって…俺なんかの子にしちまって!」


銀次は龍次の後ろに(したた)る血を見る。


「けどな銀次! お前は望まれない子なんかじゃない! 望まれない子供なんて居ないんだ! 銀次は、父ちゃんと母ちゃんに望まれて産まれてきたんだから!」


忍達が立ち塞がり、龍次は瞬時(しゅんじ)に斬り捨て、刀を鞘に納める。


「銀次! お前の母ちゃん…ゆきは傷だらけの俺に手を差し伸べてくれた優しい人だった! それまで道具として生きてきた俺を、初めて人として見てくれた人だった…ゆきのお(かげ)で俺は人になれた! そして銀次! お前が俺を、父親にしてくれた!」


銀次の顔に、龍次の涙が当たる。


「ありがとうな銀次! 俺を父にしてくれて…お前と過ごした十年、ずっと幸せだ!」


森を抜けると崖に着き、龍次は涙を(ぬぐ)うと銀次を地面に降ろし、膝を着いて目線を合わせる。


「銀次、(しばら)く息を止められるか?」

「うん」

「よし…今から父ちゃんは、お前を抱えてこの下の川に飛び込む…父ちゃんが良いと言うまで、息を止めて目を閉じてるんだ」

「でも父ちゃん…凄く高いよ?」

「大丈夫! 父ちゃんが離さずに居るから!」

「本当…?」

「ああ! 父ちゃんが嘘吐いたことあるか?」


銀次が首を横に振り、龍次は微笑む。


「銀次…父ちゃんは銀次のことが大好きだ、だから絶対に離さない…ずっと一緒だ」

「…うん」

「よし、行くぞ!」


銀次が目を閉じ、龍次は再び銀次を抱えて立ち上がり、崖から飛び降りようと身構えた。

途端、龍次の背中を鋭い爪が斬り裂いた。


「がっ…!」


銀次は目を開け、龍次の肩越しに背後の人物を見る。

そこには寅次が立っており、鋭い爪を持つ左手からは血が滴っていた。

寅次が右手を銀次に伸ばすが、龍次は銀次を強く抱え直し、地面を強く蹴って崖から飛び降りる。


「父ちゃ…!」


銀次は龍次を見上げ、目を見開く。

龍次は、とても優しい微笑みを銀次に向けていた。




「……殿………んじ殿……銀次殿!」


源蔵が銀次の肩を揺する。


「大丈夫ですか? 何処か具合が…」


銀次は源蔵を見つめ、深呼吸をする。


「…思い出した…」

「え?」

「俺…父ちゃんに抱えられて崖の上で逃げ回ってたんだ…父ちゃんは俺を守る為に、崖から飛び降りようとして…あの忍に斬り付けられた」

「では…奴は、銀次殿のお父上の(かたき)なのですか!?」

「父ちゃんだけじゃない…母ちゃんも、あいつに殺された」

「そんな…!」


銀次は深呼吸をして、深く息を吐き出すと同時に、涙が溢れ落ちた。


「銀次殿…?」

「…全部…全部思い出したんだ、源蔵」


龍次の笑顔を思い出し、銀次は泣き出す。


「俺…俺、父ちゃんに愛されてた…! 捨てられてなかった…!」


源蔵は目を見開き、涙を浮かべ、銀次を強く抱き締めた。


「父ちゃんは、俺が一人になった時に、自分の身を守れるようにって戦い方を教えてくれてたんだ…人を傷付ける為なんかじゃない…なのに俺、父ちゃんの教えで…人を…!」

「もう良い…もう良いです、銀次殿!」


銀次は嗚咽(おえつ)を漏らし、源蔵は右腕で銀次の頭を抱えるように抱き締める。


「貴方は自分の身を守る為に、戦い続けてきたんです…お父上の教え通りにしたんですよ」

「けど…」

「貴方もでしたね、銀次殿」


源蔵は銀次に微笑み掛ける。


「貴方も…望まれない子などではなかった」


銀次は源蔵の背中に手を回す。

次の瞬間、銀次は源蔵を抱えて後ろへ跳んで退()がり、二人が座っていた場所に数本の苦無が突き刺さる。


「!?」

「…来たな、糞爺(くそじじい)


寅次が姿を現し、銀次は源蔵を降ろして庇い立つ。


「父親との再会はどうだった、銀次…儂のお陰で、己の過去を知れた気分はどうだ?」

「…あんたのこと以外は、最高の記憶だよ」

「くくく…さぁ、此方(こちら)へ来い銀次…龍次に代わり、儂の後継として生きるのだ」


寅次が右手を差し出すと、銀次は鼻で笑う。


「後継だぁ? 散々俺を斬り捨てるとか言ってたくせに」

「あの時は貴様に才が無いと思った故だ…今の貴様は違う、独自で身に付けたにも関わらず、貴様の忍の技は素晴らしいものだ…龍次亡き今、貴様以外に後継に相応しい者は居ない」

「お断りだ、誰が自分を殺そうとした奴の後なんか継ぐか!」

「…貴様の過去は分かった筈だ…貴様は、儂と同じ穢れた血を継ぐ者だと…それでも未だ其奴らと生きるつもりか?」

「お前なんかと同じにすんな」


銀次は忍者刀を抜き、構える。


「俺の中に流れてるのは…優しくて、愛情深い父ちゃんと母ちゃんと同じものだ!」


銀次が飛び掛かり、寅次は左手で忍者刀を受け止める。


「父ちゃんに斬り落とされた左腕…それ、絡繰(からくり)義手(ぎしゅ)だな!」

「ああ…特別に造らせた物だ!」


寅次が銀次を振り払い、左手を翳すと、(くさり)で繋がる義手が銀次に向かって飛んでいく。


「うおっ! 飛び道具にもなんのか!」


銀次が義手を(かわ)し、鎖が巻かれ義手は寅次の左腕に戻った。


(恐らく、義手の爪に忍の毒が()られてる筈だ…(かす)り傷でも致命傷(ちめいしょう)になりかねない!)

「銀次殿!」

「源蔵! 離れてろ!」


飛んでくる義手を躱して寅次の懐へ迫った銀次は忍者刀を振るうが、戻ってきた義手を躱し体勢を崩す。


「チッ…!」


寅次が振りかぶった義手を躱し、距離を取った銀次は川の側に立つ。


「ふむ…太刀筋(たちすじ)(まよ)いがある…今更恐ろしくなったか? 父から教わった技で、人の命を奪うことが」

「ッ…」

「愚かな…所詮(しょせん)は人を殺す技に過ぎぬだろうに!」


寅次が一瞬で目の前まで迫って義手を振るい、受け止めようとした銀次の忍者刀が折られる。

忍者刀が折れたことに気を取られた銀次の(すき)を狙い、寅次の義手の爪が銀次の脇腹に突き刺さった。


「がっ…!」

「…殺しはせん…抵抗が出来ぬように大人しくして貰おう」


爪を引き抜き、寅次は銀次を川に蹴り落とした。


徹底(てってい)的にやらねばならん…貴様の反抗の要因(よういん)になるものは、全て排除(はいじょ)せねば」


寅次は振り返り、刀を抜いた源蔵が繰り出した突きを躱し、義手で源蔵の右手を掴む。


(くそっ! 片手じゃ勢いが足りない…!)


寅次は右手で源蔵の首を掴み上げ、義手で刀を奪い川に投げ捨てる。


「ぐっ…」

「龍次の時は要因の排除に失敗したからな、今度は間違えぬ…貴様の次は、あの老耄(おいぼれ)も始末せねば」


寅次が右手に力を込め、源蔵は地面に付かない足をバタバタと動かす。


「ッ…ぎ…」


(とお)退()きそうな意識の中、源蔵は銀次が落ちた川を見る。


「…あ、に…うえッ…」

「ふむ…なかなかにしぶとい、ならば一思いに終わらせてやろう」


寅次は義手の爪を源蔵に向ける。

その直後、背後から感じ取った殺気で寅次は全身に悪寒(おかん)が走った。

振り向くとそこには銀次が立っており、川の水で()れた髪をそのままに、源蔵の刀を握っている。


(いつの間に川から…いや、そもそも何故立っている? 毒を受けた筈だぞ?)


濡れた前髪の隙間から覗いた赤い瞳が、寅次を(とら)える。

その姿が、寅次の脳裏で龍次の姿と重なった。


(…龍次…?)


身構えようとした寅次は、自分の右腕が前腕(ぜんわん)から無くなっていることに気付く。


「…は…?」


龍次の墓の前に立つ銀次と地面に下ろされる源蔵の姿があり、源蔵は激しく()き込んでいる。


「ゴホッゴホッ!」

「刀、借りるぞ源蔵」


持っていた寅次の右腕を投げ捨て、振り向いた銀次は寅次を見る。


「貴様ぁ!!」


寅次が義手を飛ばそうと左手を翳すと、一瞬で間合(まあ)いを詰めた銀次が寅次の義手の掌に(かかと)を押し付け飛ぶのを(ふせ)ぐ。


「!?」


片脚(かたあし)()ちから、上半身を横に倒した銀次は地面に片手を着いて刀を振るい、寅次の右(すね)を斬り付け、寅次が体勢を崩し後ろに傾くと、地面に両手を着き寅次を蹴り飛ばした。


「ぐあっ!」


銀次は刀を逆手(さかて)に持ち直し、寅次に飛び掛かり身体を数度斬り付ける。

倒れた寅次が痛みを堪えながら見上げると、先程と変わらず冷たい赤い瞳が静かに見下ろしていた。


(知っている…この目は、あの時の龍次と同じ…!)


寅次が殺そうとした赤子の銀次を片腕に抱え、返り血に染まったまま静かに見下ろす龍次の姿が寅次の脳裏を過ぎる。

呼吸が落ち着いた源蔵は立ち上がり、銀次を見つめる。


「…銀次殿…」



『銀次は捨てられたっていつも言うけど、本当は愛されてたんじゃねぇかなって思うんだよ、俺』


国境へ向かう途中、源蔵の隣を歩いていた菊之丞が、恭弥と共に前を歩く銀次を見て呟いた。


『え?』

『あいつの戦い方ってさ、攻撃と言うよりは守りに近いの、気付いてたか?』

『それは…確かに手合わせをしても、こちらの攻撃を流すような動きを…』

『そうそう、己や他者を守るのに適した技だ…前は自分の為だけに振るってたが…あいつの親はきっと、守る為の強さを持つ人だったんだと思う』

『守る為の…』

『銀次はまだ振るう刀に迷いがあるけどな…だが、その迷いが消えた時…あいつは、とてつもなく強くなる』



銀次は寅次を見下ろしたまま口を開く。


「失せろ…もう二度と、俺の前に現れるな」

「ッ…!」

(おかしい! 何故毒が効いていない!? 呼吸(こきゅう)心拍数(しんぱくすう)で回りが早くなる毒だぞ!? これだけ動いておきながら…!)


寅次は銀次を睨み付ける。


此奴(こやつ)…呼吸も心拍数も、先程(さきほど)から一切の乱れが無い! 小僧を助ける為に川から上がってきてからずっとだ! 先程までの太刀筋から感じた迷いも、嘘のように消えている!)


龍次の姿が過り、寅次は()(ぎし)りをする。


(龍次…貴様が(のこ)したのは、とんでもない()(もの)だ!)


その時、川を挟んだ寅次の背後に数人の忍達が降り立った。


(加勢か!? 銀次殿…!)

「ッ…お前達! この(しのび)(くず)れを殺せ! 奥の若造もだ!」


寅次が声を荒げて命令を出すが、忍太達は微動(びどう)もせず、静かに銀次を見つめていた。


「聞いておるのか!?」

「…なるほど…強い者が頂点に立つ世界か」


寅次が再び見上げると、銀次は構えを()いていた。


「何とも悲しい世界だな、そこは」

「は…」

「やっぱりあんたと俺は違ぇよ」


銀次は寅次に背を向け、源蔵に近付く。


「行くぞ、源蔵」

「え…でも…」

「奴はもう、自分の配下である連中から上に立つ者では無いと見做(みはな)された…始末は奴らが付けるだろうさ」


銀次は左手で源蔵の右手を握る。


「俺には関係のない世界だ…帰ろう、親父が待ってる」


そのまま銀次が歩き出そうとすると、立ち上がった寅次が二人に向かって駆け出した。


「ふざけるな! 貴様が儂より上だと!? 認めん…認めんぞぉ!!」


銀次に向かって義手を振り上げた寅次の背中に、忍達が投げた苦無が突き刺さる。


「がっ…!」


寅次の視界に、刀を振り上げた銀次が映る。


「…さようなら、俺の血縁」


銀次が寅次を斬り、寅次の死体が転がった。

忍達は二人に近付き、片膝を着いて、銀次に向かって頭を下げる。


「俺はお前らの(かしら)になる気は無い…失せろ」


銀次がふらつき、源蔵は銀次を支える。


「銀次殿…!」

「…その死体を持って、さっさと消えろ…二度と、俺と俺の家族の前に、現れるな…」

(毒が回り始めた…身体が(しび)れる…)


視界がぼやける中、銀次は龍次の墓を見る。


(…父ちゃん…ありがとう、源蔵を守る術を教えてくれて…)


そのまま銀次は、意識を手放した。





ふと目を開けると、銀次は白詰草(しろつめくさ)が咲く野原(のはら)に寝転がっていた。


(…どこだ、ここ…気持ち良いな…このまま眠りたい…)


銀次が再び目を閉じると、頭上から声が聞こえた。


「眠っては駄目だ銀次、まだここに来ることは許さないぞ?」


聞こえた声に目を見開き、銀次は自分の顔を覗き込む人物を見る。


「…父ちゃん…?」


そこには龍次が立っており、龍次は銀次に微笑み掛ける。


「大きくなったな、銀次」


龍次が優しく言い、銀次は勢い良く起き上がり龍次を見上げる。


「父ちゃん…」

「ん? どうした?」


幼い銀次の記憶と変わらず、龍次は優しく微笑んだ。


「ッ…ごめん!!」


銀次が大きな声で謝り、龍次は目を見開く。


「ごめん父ちゃん! 忘れてごめん! 捨てられたとか思ってごめんなさい! 父ちゃんはずっと俺のこと想ってくれてたのに! 守ってくれたのに忘れちゃってごめん!!」


銀次は涙をボロボロと溢しながら謝る。


「それに戦い方も! 自分や大切な人を守る為のものだって教えてくれたのに! 俺、使い方間違えてた! 父ちゃんの意思に反する使い方してた! 沢山人を殺した! 俺、本当に、本当に駄目な奴で…!」

「はははっ!」


龍次が笑みを溢し、銀次は驚く。


「ふふ…すまない…俺の息子は、案外泣き虫だったのかと思ってな」

「ッ…笑うとか酷くない…?」

「ごめんごめん…父ちゃんは怒ってないよ、銀次…(むし)ろ、謝らなきゃいけないのは俺の方だ」


片膝を着いた龍次の言葉に、銀次は首を横に振る。


「父ちゃんは何も悪くない!! 俺が…俺が馬鹿で出来損ないだから…!」

「いや、銀次…俺は、お前に血生臭い道の生き方しか示してやれなかった…守る為と言いながら戦い方を教えた…その道しか知らなかった故に…本当なら、真っ当な生き方を教えてやるべきだったのに…」


龍次が目を伏せ、銀次は龍次を見つめる。


「…違うよ、父ちゃん」

「ん?」

「だって、戦い方を知らなかったら…俺は、兄貴達に出会えなかった」


銀次は菊之丞、恭弥、左近次の姿を思い浮かべる。


「行き場の無い俺に、兄貴達が手を差し伸べてくれた…兄貴達は皆、大切なものの為に生きる人だった…そんな兄貴達との繋がりが出来たから、俺…」


優しく笑う菊丸、そして三太夫と源蔵の姿を思い浮かべ、銀次は涙を溢したまま笑う。


「居場所が出来た…また、家族が出来た」

「銀次…」

「俺…父ちゃんの子で良かった」


龍次は息を呑む。


「父ちゃんの墓の前で、昔のこと全部思い出してさ…上手くまとまらなくて、何を言えばいいのか分かんなくて…けど、やっと言いたいことが分かった…俺、父ちゃんの子に産まれて良かった…父ちゃんが、愛情いっぱいに育ててくれたから…命を張って守ってくれたから…俺、今ここに居る」


銀次の言葉に、龍次の目からも涙が溢れる。


「父ちゃんが愛してくれてたって、今は分かってるから…俺、幸せ者だったんだな!」

「ッ…そうか…そうかぁ…それは良かった…俺は銀次を、幸せに出来てたんだなぁ…!」


二人は嗚咽を漏らし、落ち着くと龍次は涙を拭い、銀次を見る。


「さぁ銀次…もう行かないと」

「え…行くってどこに? 俺、父ちゃんと…」

「言っただろ、まだここには来るなと」


立ち上がった龍次は、銀次の背後を指差す。


「ほら、待ってるぞ」


龍次の言葉に銀次が振り向くと、一羽(いちわ)白兎(しろうさぎ)が座っていた。


「…(うさぎ)…?」

「小さい頃、お前は兎の話をすると、見てみたいとよくせがんだなぁ」


白兎は赤い瞳で銀次を見つめると、ぴょんと跳ねて駆け出す。


「もう行くといい…お前の帰りを待ってる人の元へ」

「父ちゃん…」

「お前が来るのをここで待ってるよ…あ、でも直ぐに来たら追い返すからな?」


銀次を立ち上がらせ、龍次は銀次の頭を撫でる。


「…お前は父ちゃんの誇りだ、銀次…お前をこれからも、見守っているからな」


龍次は銀次を振り向かせ、優しく背中を押す。

銀次は一度龍次を見るが、直ぐに前へ向き直り、白兎を追い掛けて駆け出した。


「…息子を、よろしく頼みます」


走っていく銀次の背中を見つめ、龍次は呟く。


白兎を追い掛けながら、銀次は野原を駆け抜ける。

白詰草しか無かった野原に、長槍(ながやり)群青(ぐんじょう)色の鞘に納まる刀が突き刺さっていたり、菊の花の中で風を受けて回る(だいだい)色の二本の風車(かざぐるま)見掛(みか)ける。


(…ああ…そうだ…)


白兎はやがて、赤毛(あかげ)二羽(にわ)の兎の側に着き、銀次を振り返る。


(そうだ…戻らないと…約束しただろ)


銀次は三羽(さんわ)の兎に、必死に手を伸ばす。


(家に帰ろう…源蔵)





ゆっくりと(まぶた)を上げると、見知らぬ天井が見えた。

何処かの家の布団に寝かされているのだと、銀次は理解する。

周囲を確認しようと起き上がると、掛け布団と共に温かい何かが身体の上からずり落ちるのを感じ、目線を下げる。

そこには、銀次の身体の上に上半身を乗せて眠る源蔵の姿があった。

名前を呼ぼうとして、(のど)(かわ)き声が(かす)れていることに気付き、軽く咳をしていると、部屋の襖が開いた。


「あっ目が覚めたか」


弥吉が部屋に入ってきて、眠る源蔵を見て声を(ひそ)める。

布団の側に座った弥吉から水を貰い、銀次は喉を(うるお)す。


「気分はどうだ?」

「…思っていたより良い…俺は、毒を受けた筈だけど…」

「この人の話だと、忍者がお前さんに解毒薬(げどくやく)を飲ませたとか…お前さんとこの人をおら達の家まで運んで来たら、直ぐに何処かへ消えちまったが…」


弥吉は部屋の押し入れから掛け布団を取り出し、未だ眠っている源蔵にそっと掛けた。


「この人、熱があるから休めって言ったんだが、お前さんが目覚めるまでは離れないって聞かなくて…友人思いの良い人だな」

「…友人じゃない」

「え?」


銀次は源蔵の頭を撫で、源蔵の()い茶色の髪を(いじ)る。


「…弟なんだ、俺の」


弥吉は銀次と源蔵を見比べた後、ふわりと笑みを溢した。


「そうかぁ…それは可愛くて仕方ねぇな?」

「…そうでもないな…生意気(なまいき)で我儘だから、手を焼いてる」


銀次の返答に、弥吉は小さく笑い声を漏らした。




翌日、銀次と源蔵は弥平達の家の前に立っていた。


「もう少し休まれた方がよろしいのでは?」

「いや…帰りを待ってくれてる人が居るからさ、早く安心させたいんだ」

「本当に、何から何までお世話になりました」

「どうかお気になさらずに、行方が気になっていた子に再び会えて安心しました」

「あ! 良かったまだ居た!」


家の中から飛び出してきた弥吉は、手に白い鞘に納まる刀を持っていた。


「弥吉! 朝から物置(ものおき)で何してたんだ?」

「これをお返ししねぇと! 親父さんの形見(かたみ)だ!」

「父ちゃんの…?」

「中は()びちまってるが、お前さんが暮らす国に腕の良い職人が居れば、きっと綺麗に直してくれるべ!」


弥吉が差し出した刀を受け取り、銀次は鞘をしっかりと握り締める。


「…沢山のお心遣(こころづか)い、感謝します」


銀次が頭を下げ、源蔵も(なら)う。


「またいつでも、お父上の墓参りにお越しください」

「はい、必ず…行こう、源蔵」

「はい…皆さん、お元気で!」


弥平達と手を振り合い、銀次と源蔵は国へと戻る道を歩き出した。




国境に近付くと、銀次は(あご)に手を当てて考えた。


「うーん…三太夫のおっちゃん達に、何て言い訳したもんか…」

「言い訳って…素直に話すしかないのでは? まぁ怒られるのは確実でしょうけど…」

「だよなぁ…兄貴達やおっちゃんに怒られるのは確実だろうけど、菊丸まで怒ってたらどうしよう…絶対怖いやつじゃん…!」

「う…それは…見たこともない菊丸様の本気のお怒りですか…想像するだけで怖い…」


二人でそんな話をしながら国境が見えてくると、二人は目を見開いた。

国境の見張り小屋の側に、数人の兵を連れた三太夫の姿が見えたからだ。


「おっちゃん!?」

「叔父上…!?」


二人は駆け出し、三太夫も二人に気付き、二人に駆け寄る。


「おっちゃん! 何でここに…!」


二人の目の前に立った途端(とたん)、三太夫は銀次と源蔵に拳骨(げんこつ)()らわせた。


「あだっ!」

「ったい!」


二人は拳骨を落とされた頭を押さえながらしゃがみ込み、三太夫は息を荒げて二人を見下ろす。


『三太夫のおっさん、あんたは国境で、二人の帰りを待っててやってくれ』


三太夫の脳裏に浮かぶ菊之丞は、三太夫に笑い掛ける。


『悪さした子供に説教すんのは、父親の役目だからな』


「ッ…勝手なことをしおって! この馬鹿息子ども!!」


三太夫が怒鳴り、二人は三太夫を見上げる。


「おっちゃ…」

「銀次! 私の息子になると決めたならば、心配させるようなことをするな! お前が居なくなってどれほど心配したか…!」

「叔父上、あの…」

「お前もだ源蔵! しっかり者のお前まで銀次と一緒になって家出など…どうして私の息子はどちらもこう世話が焼けるんだ!」


三太夫は銀次と源蔵を強く抱き締める。


「決めたぞ! 私はこの手、もう二度と離さん! お前達の父として! 何があってもお前達を離しはしない! 死んでも離してやるものか!」


涙を浮かべながら、三太夫は宣言(せんげん)した。


「「…」」


銀次と源蔵は、三太夫の背中に手を回す。


「…俺…まだおっちゃんの息子か…?」

「私も…良いんですか…?」

「ッ…何度も言わせるな! 馬鹿息子!!」


三太夫が抱き締める力を強め、銀次と源蔵は涙を溢す。


「ッ…ぁ……ぅぁぁあ…!」

「ああぁぁ…ッ!」


銀次と源蔵は声を上げて泣きながら、三太夫の着物を強く握り締めた。







二週間後、菊花の国の外れにある林の中で、刃の交わる音が響く。

左近次が振り回した長槍を躱した源蔵は、身体を低くして左近次の懐まで滑り込み、右手に握る脇差(わきざし)を左近次の首元に突き付けた。


「っと…」

「そこまで!」


恭弥が言い、源蔵と左近次は構えを解いて離れる。


「この二週間で、新たな戦い方をかなり自分のものに出来てきたな、源の字」

「ああ、初めの頃より隙が減った…覚えが良いな、源蔵」

「ありがとうございます! 左近次殿と恭弥殿が鍛錬に付き合ってくださったお陰です…それに、先生が優秀(ゆうしゅう)な方なので!」

「確かにな…あいつの戦いに関しての(さい)は、飛び抜けとるな」


三人から少し離れた場所で、菊之丞と銀次が刀を交えていた。

銀次は源蔵が使っていた刀ともう一振りの刀を持ち、二刀流(にとうりゅう)で菊之丞の相手をしていた。

左手の刀を逆手に持ち変え、銀次は全身での回転を乗せての回し斬りを繰り出し、菊之丞はそれを全て()なす。

銀次が右手の刀で突きを繰り出すとしゃがみ込んで躱し、菊之丞はしゃがんだまま銀次に足払いを掛ける。


「うおっ!」


体勢を崩して転び、起き上がった銀次の目の前に、菊之丞の刀の(きっさき)が突き付けられる。


「よし、ここまで! 惜しかったな銀次」

「くそ〜! やっぱ兄貴は強いなぁ!」


刀を鞘に納めた菊之丞の手を借りて立ち上がり、銀次は腰に携えた二本の鞘に刀を納めた。


「しっかし銀次が二刀流とはなぁ、一刀でも忍者刀から形が変わってやりづらいだろうに…」

「まぁ慣れるまでまだ時間が掛かると思うけど…どうしてもこの源蔵の刀と、父ちゃんの刀を使いたくてさ」

「そういや、今日研磨(けんま)が終わって受け取れるんだったか?」

「うん! 兄貴の刀の仕上げもしてくれた研師(とぎし)松右衛門(まつえもん)さんが、屋敷に持って来てくれる約束なんだ!」


銀次が嬉しそうに話し、菊之丞は微笑む。


「…なぁ、銀次」

「ん?」

「…忘れちまってた過去を思い出して、自分が何者か分かったか?」


菊之丞の質問に銀次はきょとんとした後、ニッと笑う。


「俺は俺だよ! 忍の龍次と百姓のゆきの血を継いで産まれて、忍の技を受け継いで…今は勝島三太夫の息子で、勝島源蔵の兄貴だ! どれも今の俺を形作るものだ…だから、俺はこれからも俺の罪と向き合って生きていく、忘れることも無かったことにする気もない…全部が、俺なんだから」


菊之丞は笑みを深め、銀次の頭をわしゃわしゃと撫でる。


「おう! 分かりゃ良いんだよ分かりゃ! お前はお前だもんな!」

「変なこと聞くなぁ兄貴は!」

「兄上! 一度帰りましょう! 式典(しきてん)の準備をしないと!」


源蔵が銀次を呼ぶ。


「分かった! じゃあ兄貴、式典でな!」

「ああ、遅刻するなよ」

「兄貴こそ!」


銀次が源蔵に駆け寄り、二人は手を繋いで駆けていく。


「おーおー、仲が良いこった!」

「…菊之丞の言う通り、何も心配する必要は無かったな」

「だろ? これからあの兄弟は、この国を守る刃として、その名を世に(とどろ)かせるだろうさ」


左近次と恭弥の肩に腕を乗せ、菊之丞は笑って言った。




式典の場、国民の前に立つ菊丸の後ろには家臣達の姿があり、その中には三太夫と源蔵、そしていつもの忍装束姿の銀次が立っている。


「皆さん! 準備のご協力ありがとうございました! 皆さんが頑張ってくれたお陰で無事、菊の見頃(みごろ)に間に合いました!」


菊丸の言葉に、国民達は喜びの声を上げる。


「ここに、〝菊花(きっか)風車(かざぐるま)(まつ)り〟の開催を宣言します! 菊の見頃の一週間、皆で楽しく過ごしましょう!」


菊丸が宣言したと同時に風が吹き、(かざ)られている沢山の風車が回り出し、人々が歓声(かんせい)を上げた。

家々の屋根から張られた糸に通された沢山の風車を見上げ、人々は楽しそうに笑う。

その中には見事と声を上げる左近次や、はなの隣でうたを抱き上げる恭弥、菊丸の隣に立つ菊之丞の姿もある。

銀次と源蔵も回る風車を見上げながら、三太夫の手を握り締めていた。





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