表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風車の菊之丞  作者: みさきち
2/10

抜身刀の菊之丞 後編





襲い来る野武士(のぶし)刺客(しかく)を斬り捨てて進み、一行(いっこう)は夜の森の中へと辿り着いた。


「今夜はここで野宿(のじゅく)だな…菊丸(きくまる)達の寝床(ねどこ)を用意する、左近次(さこんじ)、火を(たの)めるか」

「おぅ、(まか)せろ!」


一行は荷物を下ろし、左近次が焚火(たきび)の準備をして、菊之丞(きくのじょう)恭弥(きょうや)が菊丸と三太夫(さんだゆう)の寝床を用意する。


「さ、菊丸、おっさん」

「ありがとうございます、菊之丞様、恭弥様」


菊丸が二人に礼を言う中、三太夫は自分の羽織(はおり)()ぎ、周囲を確認(かくにん)していた銀次(ぎんじ)に差し出した。


「銀次殿、今宵(こよい)(いささ)か冷える…寝床が用意出来なかった代わりに、どうか使って欲しい」

「大丈夫だよおっちゃん、野宿に(かん)しちゃ俺や兄貴達の方が慣れてる、おっちゃんこそ慣れてないんだろうから、風邪引かねぇように羽織(はお)っておきな」

「しかし…」

「いいからいいから! ここに来る途中(とちゅう)で川が見えた、飲めるか確認してくる!」


銀次は笑って走り去る。


「三太夫の旦那は、何かと銀次を気に掛けておるな」

「ええ…」


左近次と菊丸が話す横で、菊之丞が銀次を追い掛けようとすると恭弥が止め、恭弥が銀次を追い、左近次が菊之丞の隣に立つ。


「ここは恭弥に任せろ、菊の字」

「左近次…」

「こういう時はな、案外(あんがい)不仲(ふなか)な奴の方が、本音(ほんね)を引き出せるものよ」





川の側、しゃがみ込む銀次の後ろに恭弥が現れる。


「んー…飲めなくはねぇけど、あまり綺麗ではないな、菊丸と三太夫のおっちゃんには合わねぇかも」

「…獣が一丁前(いっちょうまえ)に、悩み事か」


恭弥の言葉を聞き、銀次は立ち上がり振り向く。


「はぁ? 俺が悩んでるって? 隠居(いんきょ)生活で目が悪くなったのかよ、恭弥!」

「俺は菊之丞のように甘くはない…俺の前では、(いつわ)る必要は無いぞ」


銀次は恭弥を見つめ、いつも笑みを浮かべていた口元が(ゆが)み、顔を(そむ)けてしゃがみ込む。


「…なぁ恭弥…自分の子って、可愛いもんか?」

「何?」

「俺は…俺は(しのび)の生まれだから、可愛がられたことなんか無かった…道具として育てられて、けど出来損(できそこ)ないだって捨てられた…俺には、親の愛ってもんが分からない」


恭弥は静かに銀次を見つめる。


「…左近次のおっさんから逃げた時にさ、三太夫のおっちゃんと二人きりになったんだ」





走って来た銀次は後ろを確認し、息を切らす三太夫の背中を(さす)る。


「走らせてごめんな、おっちゃん! 大丈夫か?」

「え、ええ…こちらこそ、こんな老体(ろうたい)と逃げることになってしまい…」

「いやいや! 左近次のおっさんはどうも苦手でさぁ、俺も兄貴もつい逃げるのが(くせ)になってて! ごめんな?」


銀次は茶屋(ちゃや)を見付け、三太夫を座らせるとお茶と団子を注文した。


「俺の(おご)りだ、少し休もう」

「いや、金なら私が!」

「このくらいの金なら持ってるから大丈夫だよ! おっちゃんは息を整えることに専念(せんねん)してくれ」

「すみません…お優しいですな、銀次殿は」

「そんなんじゃねぇよ、俺は人間の限界が感覚的に分かるからさ、おっちゃんが相当疲れてるのも分かるだけだ」


お茶と団子が運ばれ、銀次は団子を食べる。


「うん! 美味い! 女将(おかみ)さん! 美味しいよ!」

「ありがとうございます」

「銀次殿は、いつも美味しそうに食べますね」

「そう?」


お茶を一口飲み、三太夫は銀次を見る。


「つかぬことを聞くが、銀次殿は(ぼっ)ちゃんと私を国へ送り届けた後、何処(どこ)か行くあてはあるのだろうか?」

「俺? 別に無いよ? 帰る家は無いし、その日暮らしをしてきたからさ」

「…ならば国に着いたら、私の家で暮らさんか?」


三太夫の提案を聞き、驚いた銀次は(のど)に団子を詰まらせる。


「ッ…!」

「銀次殿!?」


胸を叩きながらお茶を飲み干し、団子を飲み込んだ銀次は咳き込む。


「ゴホッゴホッ! あーびっくりした…!」

「驚かせてしまったようだな、申し訳ない」

「本当だぜおっちゃん! そういう冗談(じょうだん)は良くないぜ?」

「いや、冗談ではなく、本気で申しておる」


三太夫は背筋を正し、銀次に向かい合う。


「銀次殿…この旅が終わったら、私の息子として、共に生きてくれぬか?」

「…息子?」

「私は、子供が作れぬ身体でな…数年前に妻を病気で亡くし、今は寂しい人生を過ごしている…しかしこの旅で銀次殿と出会い、共に過ごして来て思うのだ…息子が居たら、このようなものなのだろうかと」


三太夫は両手で銀次の手を握る。


「飯と寝床を心配する必要は無い、私が用意しよう…どうだろうか?」

「どうって…言われても…」

「あ…そうだな! 突然このようなことを言われても困るだろう! しかし、私は本気だ…国まではまだまだ距離(きょり)がある…それまでに、考えてみてはくれぬだろうか?」


銀次は三太夫に握られた手を見つめる。


「…あ! 銀次殿!」


三太夫は銀次の背後に立つ左近次に気付き、手を離して声を上げた。





「…誰かにあんな風に言われたの、初めてで…作り慣れたはずの笑顔が、作れなかった…」


銀次は川の水面(みなも)を見つめて話す。


「…なぁ恭弥、兄貴が〝折れちまった〟日のこと、覚えてるか?」

「…ああ」

「あの時、兄貴言ってたよな…「俺は侍じゃない、ただの人殺しだ」って…俺はあれを聞いた時、何を分かり切ってることを言ってるんだろうって思ってた」


銀次は自分の両手を見つめる。


「…けどあの時…三太夫のおっちゃんに手を握られた時…自分の手が、とんでもなく汚いと思ったんだ…この手は、殺した奴らの血で(よご)れてる」


銀次は両手を川に入れる。


「洗っても洗っても…この汚れは、こびり着いちまってちっとも取れねぇ…こんな俺が、どうやっておっちゃんの隣で生きればいいんだ?」


銀次は(おび)えた表情で恭弥を見上げる。


「おっちゃんの言葉は、心底(しんそこ)嬉しかった…俺のことを本気で考えてくれてるんだって分かったから…けど…俺が側に居たら、あの人を(けが)しちまうんじゃねぇかな…!?」

「…出会ったばかりのお前は、まるで獣のようだった」


恭弥は銀次の隣に立つ。


「本能のままに人を殺し、その時その時を生きていて、危険に(ひる)みもしない…そんなお前が恐ろしい(ゆえ)に、嫌っていた」

「…なるほどな…今なら、お前の態度に納得出来るよ」

「だが、今のお前は嫌いではない」


恭弥は銀次を真っ直ぐ見つめる。


「今のお前は…人に見えるぞ」


恭弥の言葉に、銀次は目を伏せた。





焚火の側、菊之丞が仮眠(かみん)を取る横で、菊丸と三太夫は左近次の話を聞いていた。


「ほぉ! 左近次殿には、ご子息が三人も居られたのか!」

「ええ、しかし先の大戦で、皆命を落としましてな…その後出会った菊之丞達が丁度(ちょうど)息子達と同じ歳の頃で…故に、父親風を吹かせている次第です」

「そのようなことがあったのですね…」

「父親…私は生憎(あいにく)、子供には恵まれませんでしたので…銀次殿に、強引な手を使ってしまい申し訳ない」

「三太夫の旦那、よもや貴殿(きでん)は、銀次を息子として迎えるおつもりか?」

「え、本当ですか、三太夫殿?」

「ええ、お話は持ち掛けました…銀次殿を見ていると、息子を持つのも良いものではと思わせてくれるのです! なので旅が終われば、共に暮らさないかと…」

「そのお気持ちは、銀次が咎人(とがびと)であろうと変わらぬか?」


左近次は真剣な目で三太夫を見つめる。


「え?」

「三太夫殿…(わし)らは人を大勢(おおぜい)殺した、その罪を背負う咎人だ…大戦に勝ち、英雄(えいゆう)扱いをされはするが…どれだけ良く言われようと、儂らは所詮(しょせん)は人殺しなのです」

「左近次様、そのような悲しいことを…」

「菊之丞が、侍を名乗らぬ理由をお聞きには?」


左近次に(たず)ねられ、菊丸は首を横に振る。


「…菊之丞は、とても強い男だった…此奴(こやつ)が居らねば、あの戦は勝てなかったと言っても過言(かごん)ではない…しかしそんな菊之丞は、一度心が折れてしまっている」

「心が?」

「…戦の終結が近かった時の出来事だ…布で顔を隠した兵士と戦い、菊之丞は其奴(そやつ)を斬り、顔の布を剥いだ…何を見たと思う?」


菊丸と三太夫は顔を見合わせる。


「…弟の面影(おもかげ)を持つ、男の顔だ」

「え…?」

「長く離れていたから、気付かなかったのも仕方がなかろう…菊之丞は、何よりも大切だった弟を手に掛けてしまったのだ…あの時の菊之丞の取り乱しようは、今も脳裏(のうり)を離れない…泣き叫び、弟であろう男の血が付いた刀を自らの手で拭い…(てのひら)が切れて血が流れようと、拭い続けていた」


左近次は菊之丞を見る。


「…その後の菊之丞は…まるで廃人(はいじん)だった」

「廃人…」

「それから直ぐに戦は終わりを迎えたので、儂らだけで終わらせることが出来たがな…菊之丞は手当を受けた両手を見つめ、静かに言った…自分は侍ではない、ただの人殺しだと」


菊之丞の側には、抜身の刀が置かれている。


「かつて、此奴に剣術を教えた侍が言っていたそうです…「刀は侍の(ほこ)りだ、己が刃を(さや)(おさ)めることで、我らは獣ではなく侍であれる」と…故に菊之丞は自分の刀を持つことをやめ…他者から奪い、鞘を捨てた抜身刀(ぬきみがたな)で戦うのです」


左近次の話を聞き、菊丸は涙を流す。


「菊丸様?」

「若…?」

「ッ…私はッ…私は、(おろ)か者だ! 菊之丞様に、あまりにも無責任(むせきにん)なことを言ってしまった…! 彼の過去も知らずに…!」

「…菊丸様、どうか顔を上げられよ」


(うつむ)いて嗚咽(おえつ)()らす菊丸の肩に、左近次が触れる。


「菊丸様、儂は貴殿に感謝を()べたい」

「ッ…え…?」

「久しぶりに会った菊之丞の顔は別人のようだった…菊之丞の目は、かつての侍の目をしていたのだ…貴殿との出会いが、菊之丞に何か変化を(もたら)してくれたのやもしれん」

「そんな…私は、半ば強引に菊之丞様に護衛(ごえい)をして貰っているだけで…!」

「菊丸様…どうか菊之丞を、よろしく頼む」


左近次は菊丸に頭を下げる。


「左近次様…」

「菊之丞は今、かつての菊之丞に戻ろうとしている…その為には貴殿の存在が不可欠(ふかけつ)だ! どうか…どうか、菊之丞を支えてやって欲しい!」

「止めろ、左近次」


菊之丞は立ち上がり、左近次を見る。


余計(よけい)なお節介(せっかい)だ…これ以上は、本気で怒るぞ」

「…分かった」

「菊之丞様…」

「寝ろ、菊丸…明日には国境(こっきょう)だ、きちんと(そな)えろ」


菊之丞が去り、菊丸は(ふところ)から風車(かざぐるま)を取り出して見つめる。






数日後、菊花の国の国境近くの集落(しゅうらく)に着き、菊之丞は三太夫を見る。


「三太夫のおっさん、もう直ぐ国境だが、俺達はどこまで行けばいい?」

「少し待たれよ…おおい! お連れしたぞ!」


三太夫が声を上げると、集落から人々が現れた。


勝島(かつしま)殿だ…」

「勝島殿が戻られたぞ!」

「菊丸様は見付かったのか?」


三太夫は菊丸の背を押す。


「待たせたな、皆の者…この方こそ、菊花(きっか)の国の後継者(こうけいしゃ)である菊丸様だ!」


三太夫の言葉を聞き、人々は喜びの声を上げた。


「菊丸様がお着きになった!」

「よくぞご無事で!」

「これで国は安泰(あんたい)だぁ!」

有難(ありがた)いことだ! 有難いことだぁ…!」


人々は菊丸に頭を下げ、一人の若い侍が三太夫に声を掛ける。


叔父上(おじうえ)

「おお、源蔵(げんぞう)! お前も無事であったか!」

「はい、この通りに」

「皆様、ご紹介しましょう、こちらは私の(おい)の源蔵です」

勝島(かつしま)源蔵(げんぞう)と申します、菊丸様と叔父上をここまで護衛していただき、感謝(いた)します」


源蔵と呼ばれた侍が頭を下げ、銀次は源蔵を上から下まで(なが)める。


「三太夫のおっさん、あんた勝島って言うのか」

「ええ…勝島(かつしま)三太夫(さんだゆう)、先代の殿に仕えていた家臣(かしん)の一人にございます」

「叔父上は殿からの信頼も厚く、いわば腹心(ふくしん)と呼ばれるお方でした」

「良さないか源蔵、かつての話だ」

「いいえ叔父上、我々は貴方が直接(ちょくせつ)菊丸様を迎えに行かれると言い出した時は、(きも)()えたものです」


銀次は左近次の袖を引く。


「なぁなぁ、腹心って?」

「あ? ああ…殿様に心底信頼されてたってことだよ、三太夫の旦那は、それだけ人望(じんぼう)のあるお方だったというわけだ」

「菊丸様がお着きになった今、国の安泰へとまた一歩近付いた…皆の者、菊丸様を無事、国までお連れするぞ!」

「「「おぉ!」」」


人々が声を上げる中、源蔵は菊之丞達を見る。


「お力添(ちからぞ)えに感謝致します、旅の方々…ここからは、我らにお任せ頂きたい」

「…何?」

「え、源蔵殿?」

「ここからは国の者としての務め…菊丸様は、我らが無事に菊花の城へとお連れ致します…報酬(ほうしゅう)は用意してあります」


源蔵が言うと、数人の村人が菊之丞達に銭袋(ぜにぶくろ)を差し出す。


「源蔵! 何を!?」

「叔父上、菊丸様の兄君達は、国外(こくがい)の人間である野武士を(やと)っております…彼らには申し訳ないが、国民が彼らを恐れるやも知れません」

「しかし!」

「分かった、俺達は此処(ここ)でお(やく)御免(ごめん)だ」


菊之丞は銭袋を受け取る。


「菊之丞様!?」

「菊の字」

「菊之丞」

「兄貴…」

「仕方がねぇさ、国の連中からすれば、俺達も野武士と同じ余所者(よそもの)だ…遠ざけるのは当然だろうよ」


菊之丞が背を向け、恭弥と左近次も銭袋を受け取る。


「恭弥様! 左近次様!」

「菊之丞が此処までだと言うならば、それに従おう」

「…銀の字」


左近次に呼ばれた銀次は、差し出された銭袋を押し返す。


「俺はいいや…無駄(むだ)(づか)いするのが目に見えてるからさ!」

「銀次殿!」


三太夫が銀次の前に立つ。


「銀次殿…考えて頂けただろうか?」

「…ああ…忘れてた! 俺としては無しだわ、無し! 一つの場所に(とど)まるなんてガラじゃねぇよ! ごめんな!」


銀次が背を向け、三太夫は俯く。


「菊之丞様!」


菊丸は菊之丞の袖を引く。


「菊之丞様…私は…私は…!」

「菊丸」


菊之丞は振り向くと、懐にしまっていた赤色の風車を取り出し、菊丸に差し出した。

菊丸が風車を受け取り、菊之丞は微笑(ほほえ)む。


「…達者(たっしゃ)でな、菊丸」


一言()げて菊之丞が歩き出し、銀次達も菊之丞に続いた。


「ッ…」


菊丸はその場に膝を着き、嗚咽を漏らす。





集落から外れた林の中、菊之丞達は足を止めた。


「…呆気(あっけ)ない終わりだったな…お前ら、これからどうするんだ?」

「俺は、はなの元へ帰る」

「儂は大道芸(だいどうげい)をしながら旅を続けるつもりだ! これが案外、面白くてな!」

「俺は()()えず、今夜の寝床でも探そうかなぁ」


銀次が頭の後ろで手を組んで言うと、恭弥が銀次の隣に立った。


「怖くなったか、情けない」

「…は…?」

「先代の腹心だったと聞いて怖気(おじけ)()いたのだろう、だから三太夫殿の話を(ことわ)った」

「恭の字! ()し返してやるな!」


左近次が(いさ)めるが、恭弥は銀次の胸倉(むなぐら)を掴む。


「身分が違いすぎて怖くなったか、腰抜(こしぬ)けめ」

「恭弥!」

「…じゃあ…どうすりゃあ良かったんだよ…」


弱々しい声で(つぶや)き、銀次は恭弥の腕を掴む。


「あの人は…あの人はお天道(てんとう)様の下で生きる人だろ…俺はその逆…闇の中でしか生きられねぇんだよ…どう頑張ったって! あの人の隣なんて歩けねぇだろうよ!」


恭弥の手を外し、銀次はその場に(くず)れ落ちる。


「ッ…兄貴の言葉の意味が、今なら分かる…分かりたくなんてなかった…! こんな苦しい思いするくらいなら…獣のままで居たかった!」


銀次が嗚咽を漏らし、菊之丞は銀次に駆け寄って両肩を掴み、顔を上げさせる。


「銀次、こっちを見ろ…俺を見るんだ!」


銀次は菊之丞を見る。


「辛いよな、苦しいよな…陽の下に出るのは、自分の穢れを(さら)すようで怖いよな…! 俺だって怖い…!」

「…兄貴…」

「けどな、銀次…お前は後悔しないでくれ! 俺と同じ(あやま)ちは(おか)すな…自分の心の声を、しっかり聞いてやってくれ…!」

「…心の…声…?」

「菊之丞!」


恭弥が指差した先、集落から火の手が上がるのが見えた。


「集落が、燃えてる!?」

「敵の攻撃か…! 菊丸に気付かれている!」

「菊丸…!」


菊之丞は集落へと駆け出す。


「菊之丞!」

「菊の字!」

「兄貴ぃ!」





集落で火の手が上がり、人々は()(まど)っていた。

逃げ惑う人の中で、源蔵が菊丸に駆け寄る。


「もう敵の手が…! 菊丸様! ご無事ですか!?」

「私は無事です! 三太夫殿は!?」

「叔父上も無事です!」


人々の悲鳴が聞こえる中、菊丸は風車を握り締める。


「皆さん! (あわ)てないで! 燃えている家屋(かおく)に人が居ないか確かめ、鎮火(ちんか)(つと)めましょう! 怪我を負った者はなるべく安全な場所へ! 手当をしてください!」

「菊丸様…!」

(あきら)めてはなりません! 我らの故郷(こきょう)は…我らの国は、もう目の前です!」


菊丸が人々を鼓舞(こぶ)し、人々は建物の鎮火の為に駆け回る。


「源蔵殿! 三太夫殿が忍の者に!」

「何だって!? 叔父上!」


数人の忍が三太夫を拘束(こうそく)し、その側に忍の頭領(とうりょう)である寅次(とらじ)が刀を抜いて立つ。


「先代の隠し子をこちらに渡せ、さもなくば、この老人の命は無い」

「三太夫殿!」

「若! こいつの口車(くちぐるま)に乗ってはいけない! 私は大丈夫です!」

「ふん、強がりおって…流石(さすが)は咎人を息子になどと言った老耄(おいぼれ)だ、肝が()わっている」


三太夫は寅次を見る。


白狼(はくろう)の銀次…彼奴(あやつ)は飯と寝床さえ与えれば、躊躇(ちゅうちょ)なく人を殺める殺戮(さつりく)人形よ…獣どころか獣以下、実に便利な道具だ」

「…獣以下…?」


源蔵は刀を抜き構える。


「…その発言、取り消せ…」

「何?」

「あの子は道具でも獣でもない…一人の人の子だ! 侮辱(ぶじょく)(ゆる)さんぞ!」


三太夫が声を(あら)げ、寅次は三太夫を蹴り倒す。


「ぐっ!」

「三太夫殿!」

「叔父上! 貴様(きさま)ぁ!」

「くだらぬ意地を張りおって…先程(さきほど)の見ていたぞ老耄、彼奴は結局貴様から逃げたではないか、そんな奴を何故(なぜ)(かば)う?」

「ッ…あの子は…愛され方を知らぬのだ…私が怯えさせてしまった…」


三太夫は身体(からだ)を起こす。


「旅の間、あの子は何度も私の身体を気遣(きづか)ってくれていた…性根(しょうね)は優しい子なのだ…! 貴様らなどには分かるまい!」

「何度でも言ってやろう! 忍である以上、彼奴も咎人だ…貴様がどれだけ彼奴を買い被ろうと、人殺しの(ごう)が彼奴には()し掛かる! 彼奴はもう()ちた魂だ…そんな奴を庇って何になる!?」

「あの子が堕ちるのならば! 私も共に堕ちよう!」


三太夫は寅次を睨み付ける。


「あの子の業を、私も共に背負おうではないか! あの子が()の光を(おそ)れるならば、私が代わりにあの子を()らそう…あの子が(おの)が業に押し潰されそうになれば、私がそっと支えよう…! 生半可(なまはんか)な覚悟で、人の人生を(あず)かれるか!!」

「…どこまで行っても(あわ)れな男だ…死ねぇ!」

「三太夫殿!」

「叔父上!」


寅次が刀を振り被る。

三太夫の前に飛び出した銀次が、寅次が振り下ろした刀を忍者刀(にんじゃとう)で受け止めた。


「!?」

「銀次殿!?」

「ごめん…ごめんなおっちゃん!」


寅次を振り払い、銀次は三太夫を背後に庇いながら忍達を遠ざける。


「俺、おっちゃんに一緒に暮らそうって言われて、初めて自分の手の(きたな)さに気付いた…こんな手でおっちゃんに触れちゃいけねぇ、穢しちゃいけねぇって思って! だから…おっちゃんを()()ねた…」

「銀次殿…」

「けど…おっちゃんはこんな俺の手でも、握っててくれるって言うのか…」


銀次は三太夫を見る。


「こんな俺でも…人として、見てくれるのか?」

「…当たり前だ…銀次殿…いや、銀次…お前は私の息子だ、血の繋がりなど無くとも、どれだけお前の手が汚れていようと…私はお前を、息子と呼ぶぞ」


三太夫は銀次に優しく微笑み掛けた。


「何をくだらねぇことをベラベラと!」

「白狼の銀次を()ち取れば、俺らの名も上がるかもな!」

「その馬鹿な老耄と共に、死に晒せぇ!!」


忍達が二人に斬り掛かるが、銀次が目にも止まらぬ速さで忍達を斬り捨てた。


「速い…! 流石は白狼というわけか!」

「違う…白狼の銀次は…獣は、もう居ねぇ」


立ち上がった銀次は寅次に向き直り、忍者刀を構える。


「俺は勝島三太夫の息子…勝島(かつしま)銀次(ぎんじ)だ! いざ、(まい)る!!」


銀次と寅次の刀が(まじ)わる。


「源蔵! おっちゃ…親父は俺が守る! 菊丸を連れて逃げろ!!」

「銀次殿…!」

「…承知(しょうち)しました…頼みましたよ、兄上! 参りましょう、菊丸様!」


源蔵は菊丸の手を引いて走り出す。


「愚かな…貴様ごときが私に勝てるとでも?」

「勝ってやるよ! 俺はもう迷わねぇ! 元々うじうじ考えるのなんて(しょう)に合わねぇんだよ! 俺を息子と呼んでくれる人が居るなら…俺はその人の為に生きるぜ!」


銀次は寅次に向かって行く。




源蔵は菊丸を連れて走る。


「早く! こちらへ!」


しかし野武士が現れて二人を(かこ)み、一人の武士が現れる。


往生際(おうじょうぎわ)が悪いですなぁ…此方は手練(てだ)れが大勢ですが、其方(そちら)はまともに戦えるのは貴方ぐらいだ…その上、貴方…その歳では、戦場を知らぬでしょう?」

「貴様…何者だ!?」

「おっと…これは名乗り遅れました…(それがし)の名は鬼沢(おにさわ)鉄平(てっぺい)…隠し子殿、貴殿には人質(ひとじち)になって貰いたい」

「人質?」

「ええ…貴殿を人質に取ればあの男…菊之丞が必ず現れる筈だ」

「菊之丞様を知っているのですか?」

「ええ、勿論…あの男は大戦で、某に唯一(ゆいいつ)、傷を負わせた男だ」


鉄平は頬の傷を撫で、楽しそうに笑う。


「あの男との斬り合いはまさに命の(けず)り合い…いやぁ(たの)しかったものだぁ! しかし上の命令で、敵陣の士気を下げろと言われましてなぁ…某は奴の弱点を調べ、そこを突いた」

「弱点…?」

「あの男に、生き別れの弟が居ることはご存知か? 幼くして別れたならば、今の弟の顔は分かるまい…だから適当な若者を当てがい、奴に斬らせた」


菊丸は目を見開く。


「いやぁ! 弟を斬ったと思い込んだ奴の取り乱しようは傑作(けっさく)でしたなぁ!? 子供のように()(わめ)き、刀に付いた血を拭い落とそうと必死で! 笑いが止まりませんでしたよ!」

「貴方が…貴方があの人の心を!」

「しかし、その後の奴が廃人のようになってしまったのは残念だった…某はまだまだ、奴と殺し合いがしたかったというのに」

「ッ…貴方は、獣だ…!」

「何とでも(のたま)ってください、某にとって、命の削り合いは最も生を感じる行為なのですよ…相手が強ければ強い程、某の魂が震えるのです」


鉄平は刀を抜く。


「しかし、菊之丞を超える強者には未だ出会えずでしてなぁ…この(しばら)くの間、旅をする貴殿達の動向(どうこう)は部下に偵察(ていさつ)させていました…菊之丞は今、かつての侍の姿を取り戻そうとしている! 某に傷を負わせ、勝ち逃げしたあの頃にねぇ! そのきっかけは…どうやら貴殿のようだ、隠し子殿」

「菊丸様! お逃げを!」


源蔵が鉄平に斬り掛かるが、鉄平は源蔵を容易(たやす)(かわ)し源蔵の左肩を斬り付ける。


「ぐあっ!」

「源蔵殿!!」

「さぁ、大人しくして貰いましょうか…ああ、ですが抵抗してくれても構いませんよ? 傷付けられた貴殿を見て、菊之丞がどうするか…見ものだなぁ」


野武士達に壁際(かべぎわ)へと追いやられ、菊丸は腰の刀を掴む。


「おっと! 戦いますか? 面白い!」


刀の(つか)を握り直し、抜こうとした瞬間、菊丸は懐に入れていた、菊之丞から受け取った赤色の風車に気付く。


《お前は人を斬るな》


《根から優しいお前の手に、血の色は似合わねぇ…誰かの命を奪うなんざ、して欲しくねぇ》


《お前がその刀を振るうことが無かったこと…俺は、心の底から良かったと思ってる》


刀の柄から手を離し、菊丸は風車を取り出す。


《腰抜けだと、笑いませんか?》

《笑わねぇ、お前はそれで良いんだ…人を傷付けるのが心底嫌いで、皆に幸せになって欲しいと願う優しいお前は…その綺麗な手のまま、綺麗な国を作ってくれ》


菊丸は刀を鞘に納めたまま腰から抜き、地面に置き座った。


「…どういうおつもりで?」

「私は、誰も斬りません…言われたのです、綺麗な国を作ってくれと」


菊丸は、鉄平を真っ直ぐと見る。


「私は…菊花の国を()ぎ、生まれ変わらせる! 貴様の(さく)になど乗らぬぞ! 侍の誇りを持たぬ獣よ!」

「菊丸様…!」

「…愚かなお方だ…構わん、抵抗出来ないようにしろ」


野武士達が刀を抜き構え、菊丸は真っ直ぐと前を見据(みす)える。


《その代わり、お前やお前の国に手を出そうとする輩が現れたら…》


野武士が菊丸に斬り掛かろうとしたその時、雄叫(おたけ)びを上げた菊之丞が抜身刀で野武士達を斬り捨て、菊丸の前に立った。


《俺が何処からでも駆け付ける、俺がお前の代わりに刀を振るう》


「無事か、菊丸!」

「菊之丞様!」

「来たか…菊之丞!」


菊之丞は鉄平を睨み付ける。


「菊丸! 刀は抜いたか!?」

「…いいえ」

「人を斬ったか!?」

「…いいえ!」

「…よし…それで良い!」


菊之丞が刀を構える。

怪我を負った源蔵を左近次が手当し、肩を貸して立ち上がらせる。


「菊の字! こっちは生きてるぞ!」

「左近次様!」

「左近次! 銀次の方頼んだ!」

「おうよぉ! 任せなぁ!」


左近次が源蔵を運んでいき、恭弥が菊之丞の隣に現れる。


「菊之丞」

「恭弥…菊丸を頼む」

「…承知した」

「菊之丞様!」


恭弥は菊丸の腕を引き走り去る。


「くくく…再び戦える日を楽しみにしていたぞ…菊之丞!」

「…悪いが、俺はお前なんざ知らねぇ…とっとと終わらせるぞ」


菊之丞と鉄平は向かい合う。


「そうだろうなぁ…あの頃の貴様は、目の前の敵など見てはいなかった…いつも遠くを見つめて、何かを探し求めていた…ああ、哀れだなぁ菊之丞…弟を斬ったと思い込み、侍であることを辞めたお前が、今更、侍の真似事(まねごと)か!」


鉄平は笑い声を上げる。


「良いことを教えてやろう、菊之丞…貴様が斬ったのは弟ではない…某が適当に選んだ(こま)だ、それにまんまと()まりおって!」

「…知ってたさ」


菊之丞が静かに告げ、鉄平の笑みが消える。


「…何…?」

「あれが弟じゃねぇことぐらい分かってた…あいつは虫も殺せない程に優しい奴だった…戦場に居る筈がねぇ」

「知っていただと…? では、お前のあの取り乱しようは何だったのだ!」

「…気付いちまったのさ…(おのれ)の業に」


菊之丞は自分の手を見つめる。


「…弟を連れ戻すと、その為ならどんなこともしてやると思って駆け抜けて来た…けれど立ち止まったあの時、自分の手を…赤黒い血に染まった手を見て、気付いちまった…俺はもう…あいつに触れることは出来ねぇと…こんな手じゃあ、あいつの頭を撫でてやることも出来ねぇ…抱き締めてやることも出来ねぇ! 俺は…俺はただの人殺しだ」

「…それが、貴様が折れた(しん)の理由か」

「ああ…元から侍のつもりなんざ無かったが、己の業に気付いてからは、刀を鞘に納める気にはならなかった…俺は獣と同じだ…獣が牙や爪を隠すか?」


鉄平は菊之丞を見つめる。


「…つまらん…堕ちたものよな菊之丞…貴様はただの獣か…獣の貴様を斬るなど、何の面白みも無い!」

「何とでも言え…お前が菊丸に…菊丸の国に刃を向けるなら、俺はお前を斬るまでだ!」

「ほざけ獣風情(ふぜい)がぁ!!」


菊之丞と鉄平の斬り合いが始まる。


二人の刀が交わる音が(ひび)き、二人は傷を負っていく。

何度も刀を交え、先に膝を着いたのは菊之丞だった。


「弱い…弱いぞ菊之丞! 今の貴様は最早(もはや)()(がら)だ、獣ですらない! こんな腕で、よくもまぁあの小僧を(まも)るなどと抜かしたものだ!」

「…俺だって…こんなことになるつもりは無かったさ…けどあいつが…菊丸が! 俺の目を侍の目だと言いやがった!」


菊之丞は刀を支えにして立ち上がる。


「本当に馬鹿な奴だ…正直者で、無鉄砲(むてっぽう)無垢(むく)で…だから俺なんかを、侍だと思ってやがる」

「ふん…確かに馬鹿な小僧だ!」

「けどなぁ! そんなあいつが、俺を侍だと言ったんだ! 俺は…あいつの思いに応えなきゃならねぇ!」


菊之丞は再び刀を構える。


「あいつが俺を侍と呼ぶならば、俺は偽りでも侍になる…侍として! お前を斬る!」

「菊之丞ぉ!!」


再び刀が数度(すうど)交わり、鉄平が菊之丞を蹴り飛ばし、菊之丞は刀を落とす。

鉄平が菊之丞に向けて振り被り、振り下ろした刀を、菊之丞の前に出た菊丸が鞘に納めたままの刀で受け止めた。


「菊丸!」

「貴様ぁ!」

「ッ…菊之丞さん! 斬って!」


菊之丞は菊丸が持つ鞘から刀を抜き、鉄平を斬り付けた。


「がっ…!」


深傷(ふかで)を負いながら鉄平が再び刀を振り被るが、菊之丞が素早(すばや)くもう一撃(いちげき)を入れた。

鉄平が倒れ、菊之丞も倒れそうになると、菊丸が菊之丞を抱き止めた。


「菊之丞さん!」

「菊丸…お前…」


支え切れず、菊丸は菊之丞を抱き締めたまま両膝を着く。


「菊之丞さん…ありがとう…!」

「菊丸…」

「貴方のお陰で、私は故郷に戻って来れた…あの日、貴方に出会えたから…私は今、ここに居る!」


菊丸は菊之丞を強く抱き締める。


「今度は私の番です…約束します…平和で、貴方に綺麗だと思って貰える国を、必ず作ります!」

「…そうか…」


菊之丞はゆっくりと右手を上げ、菊丸の背中に回した。






その後、菊之丞達を引き連れた菊丸は菊花の国の城へと辿り着き、新たな殿になることを(ちか)った。

(はら)(ちが)いの兄達は国を追放(ついほう)され、雇われていた野武士達も、菊之丞達により追い出された。

忍達もいつの間にか姿を消し、銀次が対峙(たいじ)した頭領の寅次は、不穏(ふおん)な笑みを(こぼ)してから去っていった。


多くの者が傷付いた心と身体を(いや)し、再び、菊花の国が動き出す時が来た。





城と国が見渡(みわた)せる丘の上、左近次と恭弥が銀次を(はさ)んで立っており、左近次は綺麗な着物に身を包む銀次を指差して大笑いをしていた。


「なっはっはっはっ! 何だ銀の字! お前全然似合わんなぁ!」

「うるせぇよおっさん! 似合ってねぇことは俺が一番知ってるっての!」

馬子(ばし)にも衣装という言葉があるが、お前の場合は、猿に烏帽子(えぼし)だな」

「んだとてめぇ!」


恭弥に掴み掛かろうとする銀次を左近次が(えり)を掴んで止めていると、三太夫と源蔵が現れる。


「兄上、新しいお()し物はいかがですか?」

「ああ…落ち着かねぇけど、悪くはない」

「それは良かった、叔父上が兄上に着せるからと仕立(した)て直させた物ですから」

「あ、それからさ、源蔵…その兄上って呼び方、やめてくれねぇかな?」


銀次の頼みに、源蔵はきょとんとする。


「え、何故ですか? 銀次殿は叔父上の息子となられたのですから、私にとっては兄上ではありませんか」

「あーそれがなんかこそばゆいんだって!」

「銀次の奴、三太夫の旦那と源蔵殿の勢いに押されているな」


左近次が楽しそうに恭弥に話し、恭弥は銀次を見る。


「銀次」

「何だよ!」


銀次が振り向き、恭弥は微笑む。


「お前と、(ようや)く対等になれた気がする」

「…笑った…恭弥が笑った!?」


銀次は恭弥を指差して驚く。


「えっ俺に笑い掛けた!? いっつも仏頂面(ぶっちょうづら)で俺のこと睨み付けてた恭弥が!?」

「案外根に持つ男だな…いずれ、はなとうたを連れてこの国を訪れる、その時までに案内が出来るように、国のことを知っておけ」

「お…おぅ! 任せとけ!」

「こうして見ると、恭弥殿と銀次は案外、仲がよろしいですな」


左近次の隣に立った三太夫は、二人を見て微笑ましそうに言う。


「そういえば、菊の字と菊丸様は?」

彼方(あちら)で話しておいでですよ、話したいことが山程(やまほど)あるかと思い、二人きりにしてあげようと思いまして」

「ああ、なるほど」


四人から少し離れた場所、綺麗な着物に身を包んだ菊丸と、鞘付きの刀を腰に(たずさ)えた菊之丞は丘からの景色を眺めていた。


「美しい国だなぁ…」

「三太夫殿の話では、時期になると、菊の花が沢山咲くそうですよ」

「なるほど、だから菊花の国か」


菊之丞と菊丸は向き合い、菊丸は頭を下げる。


「菊之丞さん…本当に…本当に、ありがとうございました」

「…大変なのはここからだぜ、菊丸…お前は国の主として、やらなきゃならねぇことが沢山あるんだ! 生半可な覚悟じゃ出来ねぇ…ちゃんと、覚悟は決まってるのか?」

「勿論です…平和な国を(きず)きます、私の人生を()けて」

「困った時は呼べよ、必ず駆け付ける」

「はい!」


菊丸が真っ直ぐな目で答え、菊之丞は(うなず)く。


「それにしても菊之丞さん…本当に報酬がそれだけでよろしいのですか?」


菊丸が指差す、菊之丞が腰に差した刀は、(だいだい)色の鞘に納まっている。


「ん? ああ」

「私が護身(ごしん)用として持っていた物でしょう? 国の腕の良い(かたな)鍛冶(かじ)の方に打ち直して頂きましたから、斬れ味に問題は無いと思いますが…やはり、新しく(つく)られた方が…」

「いいや、これで良い…こいつが良いんだ」


菊之丞は刀の柄を撫でる。


「…でも菊之丞さん…鞘付きの刀を持ってしまったら、もう「抜身刀(ぬきみがたな)菊之丞(きくのじょう)」とは呼ばれませんね?」

「あ? どうでもいいってのそんなの、周りが勝手に呼んでただけで…」

「となるとやはり、新しい呼び名が必要ですよね…」

「って聞けよ!」


菊丸は考える仕草(しぐさ)をした後、思い付いたように菊之丞の胸元を指差す。


「「風車(かざぐるま)菊之丞(きくのじょう)」なんてどうでしょう? ほら、刺青(いれずみ)もありますし!」

(ざつ)だな! 思いつきにも程があんだろ!」


菊丸が楽しそうに笑い、菊之丞は背を向ける。


「…菊之丞さん!」


声を上げ、菊丸は深呼吸をする。


「…私は…私は、本当は!」

「菊丸」


振り向いた菊之丞は菊丸に向き直り、菊丸の手を取ると、懐から取り出した、橙色の風車を握らせる。

風車を見てから顔を上げた菊丸の頭を、菊之丞は優しく撫でた。


「…達者で暮らせ…立派な男になれよ」


菊之丞が真っ直ぐと見つめ、菊丸は頷く。


「…菊之丞さんも…どうか、元気で」


菊丸の言葉に菊之丞は頷き、再び背を向け、今度こそ歩き出した。


「おいおい、待てよ菊の字! 菊丸様、銀次、皆さん、どうかお達者で! 菊の字〜!」


走ってきた左近次は、菊丸や三太夫達に頭を下げてから菊之丞を追い掛ける。

恭弥は菊丸の横に立つ。


「かつての非礼(ひれい)()びよう…良き君主(くんしゅ)となれ」

「…はい」


恭弥も去っていき、菊丸は三人に向けて頭を下げた。

顔を上げた菊丸の横に、今度は銀次が立つ。


「菊丸、言わなくていいのか? 何なら俺が、兄貴を連れ戻して…」

「いいえ、銀次殿…あの人は、分かってくれています」


銀次に笑って答え、菊丸は風車を指で回す。




菊之丞は橙色の風車に息を吹き掛けて回しながら歩き、左近次は菊之丞に訊ねる。


「菊の字、何ならお前さん、国に残っても良かったんじゃねぇか?」

「俺も左近次と同じ意見だ、菊丸もお前を快く受け入れよう」

「…馬鹿言え、俺は人斬(ひとき)りだ…弟が夢の国を造る邪魔(じゃま)なんざ出来るかよ」

「何だぁ!? 気付いとったのかお前さん!」


左近次が前に回り込み、菊之丞は遠くなった菊花の国を見る。


「当たり前だろ、弟が分からねぇ兄貴が居るかよ」

「お前らしいな…いつから気付いていたんだ?」

「…弟は風車が大好きでなぁ…俺が何度、これは息を吹き掛けて回すと教えても…いつもこうやって、指でゆっくり回すんだ」


菊之丞は、風車を指でゆっくりと回す。


「…それで? これからどうする?」

「そうさなぁ…また、旅でも始めるかぁ」


菊之丞は風車を腰に差し、刀の鞘に触れる。


「そういや菊の字、それは菊丸様の刀だな? お前が鞘付きの刀を持つとは面白い!」

「ああ…こればっかりは、無くす訳にはいかねぇな」


三人が向かい合い、互いに頭を下げ、恭弥と左近次が別方向へと走り去る。






かつて、一つの国があった。

年若い君主が(おさ)めるその国は争いが無く、民が身分を気にせず助け合う、平和で美しい国だった。

その国に脅威(きょうい)(せま)ると、四人の戦人(いくさびと)が現れ、幾度(いくど)と国を救った。

忍の技を持つ、君主の腹心の息子。

長槍(ながやり)を振り回し、敵を()ぎ倒す怪力の槍兵。

舞うように刀を振るい、静かに敵を斬り刻む剣士。

中でも一際(ひときわ)強さを放っていたのは、(みずか)らを(さむらい)(くず)れと名乗る男だった。

両の(てのひら)に深い傷を刻み、向かい来る敵を(またた)く間に斬り捨てる強さを持つ男。

腰に刀と風車を差す男は、人々から「風車(かざぐるま)菊之丞(きくのじょう)」と呼ばれた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ