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風車の菊之丞  作者: みさきち
10/10

また会う日まで、お元気で 後編

いざ始まる戦。

それぞれが思いを抱き、終わりを迎える。


「風車の菊之丞」シリーズ

これにて終結。




(いくさ)(ひか)えた前夜、菊之丞(きくのじょう)達は勝島(かつしま)邸の一室で自分達の配置場所を確認していた。

菊花(きっか)の国の兵を(ひき)いて銀次(ぎんじ)は北門、左近次(さこんじ)は東門、菊之丞は西門の配置になった。


「奴らは恐らく北門からの侵攻(しんこう)重点(じゅうてん)を置きつつ、西と東からも攻め入るつもりだろう…この二か所の敵を早々(そうそう)に蹴散らして、銀次が居る北門の加勢(かせい)に行く…いいな?」

「うむ、(こころ)()た!」

「俺も頑張って持ち(こた)えるな!」


菊之丞の指示に左近次と銀次が(うなず)く。


恭弥(きょうや)、お前には南門から民を逃す間の護衛を任せる…お前も完了次第、銀次の加勢に向かってくれ」

「ああ」

「頼んだぜ、恭弥!」


銀次が肩を叩き、恭弥は頷く。

「さてと…俺達の最後の大一番(おおいちばん)! 最後まで戦い抜くぞ!」

「「「おぉっ!!」」」


四人が声を上げる姿を、菊丸(きくまる)は廊下から見つめていた。


「菊丸様」


源蔵(げんぞう)が駆け寄り声を掛ける。


「明日の防衛(ぼうえい)戦、菊丸様は御殿(ごてん)でお待ちを…私と父上が、護衛に着きます」

「…ええ…頼りにしています」


菊丸は菊之丞を見つめたまま答える。


「菊丸様…?」

「…あの人は、私が死を選べば、共に来てしまうのですね」


菊之丞を見て、源蔵は小さく笑う。


「それは当然でしょう…兄は弟を見捨てない、弟も兄を見捨てない…そういうものでしょう?」


源蔵の言葉に、菊丸も小さく笑みを(こぼ)した。





夜が明け、朱雀(すざく)蒼鷹(あおたか)の軍を引き連れて菊花の国の北門へとやって来た。


「…へぇ…銀次くんが北門の守りなんだ?」


銀次は菊花の兵と共に北門の前に立ち、鞘から刀を抜く。


「さて、どこまで耐えられるかな…お手並み拝見(はいけん)


蒼鷹の軍が侵攻を始め、朱雀は(くさり)(がま)を構えて銀次に飛び掛かる。


東門へ回り込んだ末松(すえまつ)は、東門の周辺にあった林が綺麗に()られていることに驚く。


「この数日で、この辺りの木を切り倒したのか…?」

「末松殿!」


兵の一人が東門を指差し、見るとそこには、丸太(まるた)(かつ)ぐ左近次の姿があった。


「ぃよいしょおおぉぉっ!!」


左近次は声を張り上げ、丸太を蒼鷹の軍へ目掛けて投げる。


「なっ…!?」


丸太は兵達を吹き飛ばしながら地面に突き刺さり、左近次は直ぐに次の丸太を担ぐ。


「一投目、敵軍に命中!」

「そぉらどんどん行くぞぉ!!」


左近次が丸太を投げ続け、菊花の兵達も弓を構えて矢を放ち、蒼鷹の軍を東門へ近付けさせない。


「くそっ! 何だあいつは!? こんな出鱈目(でたらめ)戦法(せんぽう)、聞いたことが無いぞ!?」


兵達が倒れる中、末松は近くの兵を盾にしながら逃げ惑う。


「なっはっはっはっ! この島田(しまだ)左近次! ()によって菊花をお守り(いた)す! 儂に勝てる自信がある者だけ向かって来ぉい!!」


左近次の笑い声が(ひび)き渡る。


西門、左近次の大きな笑い声が聞こえて菊之丞は空を見上げる。


「左近次…相変わらず(やかま)しい笑い声だな…」


菊之丞の周りには斬り捨てられた蒼鷹の兵達が大勢倒れており、菊花の兵達は菊之丞を見つめて呆然(ぼうぜん)とする。


「ひ、一人で片付けてしまった…」

「ああ、一人でこれだけの数を…」

「我々がここに配属された意味は…?」

「悪いなお前ら、見せ場を奪っちまって」


菊之丞は刀を肩に担ぎ、兵達を見る。


「まだ潜伏(せんぷく)してる連中も居るだろうが、数は半分以下に減らした…後は任せるわ、俺は北門の加勢に向かう」

「は、はい!」

「承知致しました!」

「ご武運(ぶうん)を!」

「ん、お前らもな」


菊之丞は兵達に西門の守りを任せ、北門へと駆け出した。


北門、防衛戦が行われる中で、銀次は朱雀の鎖鎌を受け止める。


「ッ…」


銀次が鎖鎌を押し返し、朱雀は距離を取って着地する。


「うーん…すっかり警戒されてるね…新しく薬を調合してきたんだけど、(かす)りもしない」

「前回と同じ手は喰らうかよ! 俺のこと舐めすぎ!」

「えっ別に舐めてないよ? (むし)ろ君のことは買ってるんだよ銀次くん! 君は自己流でありながら、一つの(しのび)(ぞく)頭領(とうりょう)を倒した(ほど)の実力を持っているじゃないか…それはとても素晴らしいことだ」


朱雀は銀次に微笑み掛ける。


「俺は強い奴が大好きだ…強い奴との戦いは、俺の血を(たぎ)らせてくれる…気分が(たか)まり、俺に生を感じさせてくれる! そんな戦いの場で死ねたら幸せだとすら思うよ!」

「うっわ…(いくさ)(ぐる)いかよ、あんた…」

「ふふ…褒め言葉だよ…まぁでも、九龍(くりゅう)に負けてからは彼奴(あいつ)(したが)っているけどね…俺の片目を潰して負かした(くせ)に、命は取らないと言われてね…蒼鷹の力となれと言われてしまったよ」


朱雀はつまらなそうに話す。


「まぁ九龍と居れば、強い奴と戦える機会が多いから退屈(たいくつ)しないけどね…あーあ、早く九龍を殺せるくらいにならないとなぁ」


朱雀の話を聞いて、銀次は不思議(ふしぎ)そうに首を(かし)げる。


「…何言ってんだ? あんた、とっくにあの男を殺せるだろ?」


銀次が(たず)ね、朱雀は目を見開く。


「…え?」

「…あ、そっかそっか! あんたら二人とも自覚(じかく)無いんだ! なるほど理解した!」

「えっいやっ何の話?」

「あんたはとっくに九龍を殺せるけど、()えて殺さないんだよ」


銀次は朱雀を指差して断言(だんげん)した。


「敢えて、殺さない…?」

「何でか分かんない? まぁ二人とも鈍感(どんかん)そうだもんな…ま、そのうち分かるんじゃない?」

「えっ…待って待って、本当に何を言っているのか…」


朱雀は飛び掛かってきた菊之丞を(かわ)す。


「チッ…」

「銀次! 何を呑気(のんき)に敵とお喋りしてる!」

「兄貴!」


銀次は菊之丞に駆け寄る。


「もう加勢に来たの…早すぎ…」

「本気出してなかったのは、お前らだけじゃないってことだ…やるぞ、銀次!」

「おぅ!」


菊之丞と銀次は朱雀に向かっていく。




裏御殿(うらごてん)、菊丸は部屋の中心で正座し、目を閉じていた。


「父上、菊丸様は?」


廊下(ろうか)、源蔵は部屋の中の様子を見ていた三太夫(さんだゆう)に訊ねる。


「戦が始まってから、ずっとあのままだ」

「そうですか…恭弥殿より、南門での任務が完了したと、兄上の加勢に向かってくれるそうです」

「うむ、報告ご苦労」


三太夫は菊丸を見る。


「…菊丸様…」






数刻(すうこく)が経ち、朱雀は自分の周囲を見回す。


「うん…予想よりこっちの被害が大きいね」


菊之丞達に斬り伏せられた兵達を数え、朱雀は振り返り菊之丞達を見る。


「いやはや恐れ入ったよ…其方(そちら)の軍は、俺達の軍の五分の一程度(ていど)の数しか居ないのに…あ、でも君達四人は、一人で五十人分くらいの戦力になるのかな?」


菊之丞、銀次、恭弥の三人は構えを解かずに朱雀を睨み続ける。


「念の為に銃兵(じゅうへい)まで連れて来たのに…まさかの銃が効かないってどういうことなの君達? 銃弾を斬り捨てるって常人(じょうじん)(ばな)れした技だって分かってる? 本当はもう少し中まで侵攻するつもりだったけど…門を(やぶ)るので限界かぁ」


朱雀は、開いた北門の柱の間に立っている。


「んー、予想以上に兵達に疲労の色が出てるし、これ以上の侵攻は得策(とくさく)ではないかな…今日のところは、これで失礼しようかな?」

「何だ、逃げるのか? 思ってたより腰抜けだな!」


菊之丞が(あお)るが、朱雀は笑みを崩さない。


「そんな安い挑発に乗るわけないだろう? 明日は城も落としてあげるから、覚悟しなよ」


菊之丞達に話し掛ける朱雀の背後、蒼鷹の銃兵が二人、火縄銃(ひなわじゅう)を構えた。


《殿の隣でヘラヘラと笑うあの野犬を、戦に紛れて殺せ》


それは末松の配下の兵で、兵は朱雀へ銃口(じゅうこう)を向ける。


「じゃあまた明日、精々(せいぜい)頑張ってねー」

「この野郎…!」


菊之丞が前に出るより早く、銀次が飛び出して朱雀に斬り掛かった。


「銀次!?」

「おっと!」


朱雀は身を(ひるがえ)して銀次を躱し、銀次と朱雀の立つ位置が入れ替わる。


次の瞬間(しゅんかん)、一発の銃声(じゅうせい)が響き渡り、朱雀と向き合った銀次の腰部(ようぶ)に銃弾が命中した。


「…は…?」


朱雀は銀次を見て笑みを消して目を見開き、菊之丞と恭弥は声を張り上げる。


「「銀次!!」」

「ッ…はッ…」


銀次はフラつきながら足を踏み出し、崩れ落ちそうになるのを朱雀が正面から受け止めた。


「何を…!?」

「ッ…あんたに向けて、銃を構えてる…もう一発、来る…」


再び銃声が聞こえ、朱雀は銀次を抱えたまま鎖鎌で銃弾を両断(りょうだん)する。


「ひっ…!」


弾を両断された銃兵が悲鳴を上げる間も無く、朱雀が投げた苦無(くない)が銃兵の額に突き刺さり、銃兵は倒れた。


「何だ!?」

「こいつ、朱雀様を狙ったぞ!」

「一発目は、敵が朱雀様を(かば)って受けたのか!?」


蒼鷹の兵達が(ざわ)つく中、朱雀は銀次を支えながら片膝を着き、銀次の顔を覗き込む。


「銀次…!」


菊之丞と恭弥は二人に駆け寄る。


「…何故(なぜ)、俺を庇った…何故だ!?」


朱雀が声を(あら)げ、浅く息を繰り返す銀次は、ゆっくりと朱雀を見上げる。


「ッ…あんたが、死んだら…悲しむ人が居るから…」

「…何…?」

「あんたが死んだら…ッ…誰が、彼の隣に立つんだ…!」


銀次が懸命(けんめい)に話す言葉を聞き、朱雀の脳裏には、九龍の姿が浮かんだ。


「…九龍…?」


恭弥は朱雀の前に膝を着き、両手を差し出した。


「…銀次を、こちらに」


朱雀は恭弥を見つめてから、銀次を恭弥の腕に抱かせる。


「…彼を頼む」


朱雀は立ち上がり、蒼鷹の兵達に駆け寄った。


「朱雀様!」

「今日はこれで退く…他にも裏切り者が居る筈だ、見付け出せ」

「はっ!」


兵達が下がり、朱雀は門を振り返る。


「銀次…! 手を貸してくれ! 早く!」

「銀次! しっかりしろ! 銀次!」


菊之丞が人を呼び、恭弥は銀次に声を掛け続ける。


「…」


朱雀は背を向け、兵達を追った。






日が暮れて、菊之丞達は勝島邸に居た。

別室では治療を受けた銀次が布団に寝かされており、源蔵が介抱(かいほう)している。


「銀次が撃たれるとは…突然敵が退いたので、何があったのかと思ったが…まさか、敵を庇うとはな…」

「ああ…ったく…銀次は優し過ぎる!」

「全くだ…一度は自分を殺そうとした相手だぞ」


(ふすま)が開き、見ると菊丸と三太夫が立っており、二人は菊之丞達の側に座る。


「菊丸…」

「銀次殿が撃たれたと聞きました、怪我の具合は?」

「腰をやられた…弾は取り出したが、回復したところで、この先歩けるかどうか…」

「そんな…!」


三太夫は(あお)()める。


「銀次殿は敵を…あの、朱雀と名乗る忍を庇ったと?」

「ああ…朱雀に斬り掛かる振りをしてな」

「…何とも、銀次殿らしい…」

「しかしどうする菊の字…これでは、三太夫殿と源蔵を逃すことが出来ん」

「ああ、本来なら今日を食い止め、明日の夜明け前に源蔵達と共に、銀次も国を出る手筈(てはず)だっただろう」


左近次と恭弥に訊ねられ、菊之丞は頭を抱える。


「全く…どうしたもんか…!」





九龍が待機する陣営(じんえい)、九龍は逃げ戻って来た家臣達から話を聞いていた。


「なるほど、東門は丸太と矢の雨で近付くことも叶わなかったと…残念だったな、末松」

「ッ…申し訳、ございません…」

「西門は(ほとん)どが菊之丞に蹴散らされ、潜伏させていた奴らも、残った菊花の兵達に倒された…菊花め、小国のくせにやるな」


膝を着いて報告する家臣達を見て、九龍は然程(さほど)興味も無さそうに言い、周囲を見回す。


「…朱雀はまだ戻らないのか」

「北門の兵は、(すで)に退いておりますが…」

「すまない、遅くなった」


朱雀は一同の前に現れ、手に持っていたものを片膝を着いている末松の前に放り捨てた。


「ひぃっ!?」


朱雀が投げたのは生首で、他の家臣達は悲鳴を上げ、末松は青褪める。


「朱雀、何だこれは」

「俺が率いていた銃兵に、末松の息が掛かった奴が数名居た…どさくさに紛れて、俺を撃ち殺せと命を受けたらしい」

「…何…?」


九龍は末松を見る。


「ッ…!」

卑怯(ひきょう)な奴が考えそうなことだよねー、部下に俺を殺させようなんて…ま、全員見付け出して、尋問(じんもん)の後で殺したけど」

「そ、(それがし)はそのような命令は出していない! 某の兵が紛れていたなど…!」


末松が弁明しようとすると、朱雀は末松の右手の甲に鎖鎌を突き立て、地面に()い付けた。


「ぐあぁっ!?」

「言っただろう? 尋問の後で殺したと…もう全て吐かせたんだよ、全てな」


朱雀は鎖鎌を足で押さえ、末松は痛みに顔を歪めながら朱雀を睨み付ける。


「あんたは家臣連中の中でも、特に俺を嫌っていたもんなぁ…俺を始末して、九龍の右腕に成り代わろうってか?」

「ッ…(いぬ)畜生(ちくしょう)めが…貴様などが、殿の隣に立つなど…!」

「何言ってるんだ、隣に立つ実力も無い癖にさ」


九龍は静かに立ち上がり、末松の前に立つ。


「殿! 某は…某は決して! 貴方様に謀反(むほん)(はか)ったわけでは…!」


九龍は末松が腰に差していた刀を抜くと、逆手(さかて)に持ち替えて末松の胸に突き刺した。


「がっ…」


末松の顔を掴み、九龍は刀を深く突き刺す。


「…朱雀の命を狙った時点で…お前は謀反(むほん)(もの)だ」


九龍は手を離し、朱雀を見る。


「怪我は」

「…してないよ…銀次くんのお(かげ)で」

「…どういうことだ?」


朱雀は(かす)かに眉を(ひそ)め、目を伏せた。


「…銀次くんが俺に斬り掛かる振りをして、代わりに弾を受けたんだ」


九龍は目を見開く。


「何だと…」

「信じられないだろう? 彼は敵である俺を庇ったんだ…正直、まだ少し混乱している…」


朱雀は前髪で隠れた右目を押さえる。


「…少し出てくる」

「朱雀」


去ろうとした朱雀を九龍は呼び止める。


「…気を付けて行け」

「…うん…」


朱雀の姿は闇夜(やみよ)に消えた。





勝島邸、源蔵と交代した恭弥は眠る銀次を見つめていた。

(まぶた)(ふる)え、銀次がゆっくりと目を開け、恭弥は銀次に近付き顔を覗き込む。


「銀次、大丈夫か」


銀次は恭弥を見つめ、口を動かす。


「何だ?」


恭弥は銀次を抱き起こし、銀次の口元に耳を寄せた。


「恭弥…頼みが、あるんだ」

「頼み…?」


恭弥が銀次を見つめると、銀次は微笑む。





「私と源蔵も、国に残ります」


隣の部屋、三太夫と源蔵は菊丸の前で頭を下げた。


「三太夫殿!」

「源蔵…!」

「私は、銀次を置いて行くなどとても出来ません…()()って行くのは可哀想(かわいそう)ですから…共にこの国で、最期を(むか)える所存(しょぞん)です」

「…源の字、お前も同じ意見か?」


左近次に訊ねられ、源蔵は拳を握る。


「はい…私も、兄上を置いて行くなど、とても考えられません…兄上には拒絶されてしまうかもしれませんが! それでも私は…兄上や父上と共に、この地に骨を埋める所存でございます!」

「源蔵殿…」

「ま、その答えに行き着くとは思ったが…良いのか二人とも、きっと銀次は望まねぇぞ」


菊之丞が二人を真っ直ぐと見つめ、顔を上げた三太夫と源蔵は静かに頷いた。


「…菊丸、こいつらの意思は強いようだ、何を言っても変わらないぞ」

「菊之丞さん…」

「三太夫のおっさん、源蔵、二人は…」


その時、襖が開き、恭弥が入って来た。


「恭弥?」

「どうした恭の字?」

「恭弥殿、兄上に何か…」


恭弥は(うつろ)な目をしたまま、三太夫と源蔵の側に正座し、両手を(そろ)えて置き頭を下げる。


「えっ…」

「恭弥殿…?」

「…すまない…」


置かれた恭弥の両手は強く握り締められ、恭弥はギリッと奥歯を噛み締める。


「…本当に、すまない…!」


恭弥の苦しげな謝罪の言葉を聞き、三太夫と源蔵は目を見開く。


「…まさか…」

「…嘘だ…嘘だ、嘘だ!」


源蔵が(つまず)きながら隣の部屋へ入っていき、三太夫も続く。


「…恭弥…」


菊之丞が恭弥に掛けた声は、隣の部屋から響き渡った源蔵の泣き叫ぶ声に()き消された。


「うあああぁぁぁっ!! 兄上ぇぇぇっ!!」

「ッ…!」


菊丸は息を呑み、左近次は恭弥の胸倉(むなぐら)を掴み顔を上げさせた。


「恭弥! 貴様…何てことを!!」

「止めろ左近次!!」


今にも恭弥を殴りそうな左近次を菊之丞が止める。


「何故だ! 何故お前が…答えろ恭弥!」

「頼まれたんだ!」


左近次の手を振り払い、項垂(うなだ)れた恭弥は絞り出すように叫んだ。


「銀次から、頼むと…! 俺にしか、頼めないと…!」


恭弥は(うずくま)り、嗚咽(おえつ)()らした。





「頼みとは何だ、言ってみろ」


恭弥が銀次の額に張り付いた前髪を退かしながら言うと、銀次は恭弥の手を掴んだ。


「…俺を…殺してくれ」

「…は…?」


恭弥は目を見開き銀次を見つめる。


「当たりどころ、悪かったみたいでさ…腰から下の感覚、全く無いんだ…きっともう二度と、俺は歩けない…けど、親父と源蔵はきっと、こんな俺を連れて逃げるか、一緒にこの国で死ぬか、選択すると思う…俺は、二人の足を引っ張りたくないんだ」


銀次が笑い、恭弥は顔を歪める。


「こんな時まで! お前は他人の心配をするのか!?」


恭弥は声を荒げた。


「身体の自由を奪われたんだぞ!? もう自由に跳び回れないんだぞ!? お前の自由が奪われたんだ!! なのにお前は…! こんなになっても、他人のことばかり…!」


恭弥が悔しさを(にじ)ませて声を荒げても、銀次は笑みを絶やさなかった。


「…違うよ、恭弥…これは、俺の為なんだ」

「…何…?」

「俺は、親父と源蔵に生きて欲しい…生き延びて、生きて生きて…(しわ)くちゃの(じい)ちゃんになって欲しいんだ…こんなとこで、死んで欲しくない…足手まといの俺を運んで逃げて、逃げた先で俺の面倒を見ながら生きるなんて、大変な思いをして欲しくない…俺は二人の、足枷(あしかせ)になんてなりたくない」


銀次は恭弥の手を握る力を強める。


「二人に…笑って未来を生きて欲しい…!」

「…何故、俺なんだ…」

「…人を(あや)めたことのない二人の手を、汚させたくない…兄貴は、菊丸と一緒に最期を迎える気だから、邪魔したくないし…左近次のおっちゃんには…〝また〟息子を殺すようなこと、させられないだろ…」

「…それだけの、理由か?」

「…恭弥は…うたちゃん達を残して、死んだりしないから」


恭弥は息を呑む。


「恭弥は、生きなきゃ駄目だよ…はなさんとうたちゃん残して、死んじゃ駄目だ」

「銀次…」

「俺、言ったじゃん…根付(ねづ)け、ちゃんとうたちゃんに届けてくれって」


銀次は恭弥の着物の胸元を掴む。


「…今日の、民の避難の護衛に恭弥を着けるように、兄貴に進言(しんげん)したのは俺だ」

「ッ…」

「本当は、恭弥も一緒に国を出て欲しかったけど…言っても聞かないだろうから…」


恭弥を真っ直ぐ見つめる銀次の目から、涙が溢れる。


「ッ…ごめんなぁ…本当はこんなこと、させるべきじゃないって分かってる…! 恭弥に、背負わなくて良い(ごう)を、背負わせようとしてる…!」

「ッ…銀次…!」

「お願い、恭弥…殺して…俺を、ここで…!」


銀次が嗚咽を漏らし、恭弥は銀次を強く抱き締めた。


「…分かった…お前が俺に頼み事なんて、初めてだな」

「ッ…そう、かも…」

「約束する、銀次…俺は、はなとうたと共に生きる…お前の命も背負って、生き続ける!」


銀次は泣きながら頷く。

銀次の指示を受けて、恭弥は銀次を自分の胸に寄り掛からせ、首に腕を回した。


「折る時は、一瞬で力を込めて…じゃないと、苦しむことになる」

「分かった」


銀次は首に回る恭弥の腕に手を()える。


「…銀次…」

「…ん?」


恭弥の瞳から、涙が一筋(ひとすじ)流れ落ちる。


「…お前という友を持てたことは…俺の(ほこ)りだ…!」


恭弥の言葉に、銀次は笑みを溢す。

(にぶ)い音が響き、恭弥の腕に添えられていた銀次の手が、力無く布団の上へ落ちる。


「ッ…ッ…銀次ッ…!」


もう目覚めることの無い銀次の頭を抱えて、恭弥は嗚咽を漏らした。





「…銀次殿は…本当に、お優しい方だ」


恭弥の話を聞き、菊丸は笑みを浮かべたまま涙を溢し、菊之丞と左近次は深く項垂れる。


「…ああ…優しすぎるッ…!」

「銀次…銀次…!」


菊之丞と左近次も、()ってしまった友の為に涙を流した。






蒼鷹の陣営、闇深い夜空を一人で(なが)める九龍の背後に、朱雀が現れる。


「…銀次くんは死んだよ…不自由な身体で生きることより、仲間の手によって死ぬことを選んだ」

「…そうか…()しい男を亡くした」

「ああ…出会いが違えば、本当に兄弟のように過ごせたのかな…銀次くんと共に戦場を駆け抜けられたら、きっと楽しかった」


九龍は朱雀の隣に立ち、朱雀の左目から溢れそうな涙を拭おうと手を伸ばすが、朱雀に振り払われた。


「…抜けたければ抜けるがいい、止めはしない」

「…馬鹿にするな」


朱雀は鎖鎌を持ち、九龍の首元に刃を向けた。


「この戦を仕掛けたのは、お前と俺だ…俺達には、この戦を最後まで見届ける義務(ぎむ)がある」

「…そうだな」


九龍が離れ、朱雀は鎖鎌をしまう。


「…銀次くんがさ…俺はとっくにお前を殺せるけど、敢えて殺さないんだと言っていたよ」

「…そうか」

「庇って撃たれた時も、俺が死ぬと悲しむ人が居ると」

「…そうか…」

「…彼には…一体、何が見えていたんだろうな…?」


朱雀は小さく呟き、九龍は再び夜空を眺めた。






翌朝、夜が明ける前に、菊之丞達は南門に立ち、恭弥と源蔵と三太夫を見る。


「恭弥、遠回りになるが、死児間(しじま)の谷まで、二人を頼んだぞ」

「…ああ…」

「菊丸様…最期まで共に居れず、申し訳ありません」

「謝らないでください、三太夫殿…銀次殿の埋葬(まいそう)、任せましたよ」


三人の側には、銀次の遺体を乗せた大八車(だいはちぐるま)がある。


「はい…!」

「行きましょう父上、恭弥殿」

「…源蔵」


大八車を引こうとする源蔵に恭弥が声を掛ける。


「…俺が(にく)いだろう」

「恭の字…」

「…憎くないと言えば、嘘になります…本当は今すぐにでも、貴方に掴み掛かりたい…」

「源蔵…!」

「しかし! それは兄上が望まないことです…あの人は、私と父上、そして貴方が生きることを、心から願っていた」


源蔵は涙を溢しながら、恭弥を見る。


「だから…兄上の弟として、これだけは言わせてください」

「…何だ」


源蔵は唇を噛み、恭弥に頭を下げる。


「ッ…兄上の最期の願いを聞いてくれて、ありがとうございます…!」

「ッ…」

「兄上は、きっと後悔していません…最期を看取(みと)ってくれたのが恭弥殿で…良かったと、思っています…!」


源蔵が嗚咽を漏らし、恭弥は拳を強く握り締める。


「…お前の兄を、決して忘れない…あれほど、優しく勇敢(ゆうかん)な男には、二度と出会えないだろう」

「ッ…!」


源蔵が手で目元を(おお)い、三太夫は源蔵の背中を優しく撫でる。

源蔵が落ち着くと、三人は菊之丞達に頭を下げ、大八車を引いて去っていった。


「…銀次は本当は…俺達にも生きて貰いたかっただろうな…」

「ああ…そうだろうのぉ…」


菊之丞と左近次は呟き、向かい合う。


「さて、左近次…銀次に(うら)(ごと)を言われる覚悟は出来てるか?」

「…おぅ…あの世で、銀次の気が済むまで、聞いてやろうぞ」


菊之丞と左近次は、握手を()わす。





数時間後、九龍と朱雀は軍を率いて菊花の国の北門を(くぐ)った。


「狙うは菊花の城の天守閣(てんしゅかく)! 菊花の(おさ)の首を()れ!」


城門(じょうもん)まで駆け抜け、辿り着くと一同は足を止めた。


「出たな…怪力親父!」


城門の前には長槍を持った左近次が立っており、側には残った菊花の兵達が集結していた。


「さぁよく来た蒼鷹よ! この城門は破らせんぞ! この島田左近次が、命に代えてもここを守り抜こう!!」

「気を付けろ九龍…奴は怪力な上に、かなり頑丈だ」

「ああ…銃兵、構え!!」


九龍の合図で、銃兵が左近次達に向けて火縄銃を構える。


「…放てぇ!」


天守閣にて、菊之丞と菊丸は銃声を聞いた。

菊丸は湯呑みに口を付け、菊之丞は外を眺めている。


「…始まったな」

「ええ…恭弥殿や三太夫殿達は、大丈夫でしょうか」

「恭弥が付いてるんだ、二人の身は安全さ…銀次の遺体もな」

「…お父様の隣で、眠らせてあげたい…源蔵殿は、本当に銀次殿を大切に思っておられていましたね」

「ああ…有難(ありがた)いことだ…あの二人に出会えたお陰で、銀次は獣としてではなく、人として死ねたんだ」


菊之丞は菊丸の向かいに座る。


「…左近次殿には、(そん)な役回りを…」

「あいつは気にしねぇよ、(むし)ろ自分から名乗り出たんだ! あいつの頑丈さは俺が保証する」

「…本当に…私の独断(どくだん)で、皆様にはご迷惑をお掛けして…」

「謝るなよ菊丸、俺達は自分で決めてこの国に残ったんだ…これ以上謝ったら怒るからな?」

「ふふふ…菊之丞さんは、私に怒ったことなんて無いじゃありませんか」


菊之丞の言葉に菊丸は笑う。

菊之丞は菊丸を見つめ、手に持ったままだった湯呑みを取り、畳に置く。


「…気分はどうだ?」

「…もう、手足の感覚はありません…銀次殿は本当にお優しい方です…自決(じけつ)用の毒の調合など、嫌な仕事を与えてしまったのに…私がなるべく苦しまないようにと、必死に調べて調合してくれて…」


菊丸は微笑む。


「その上…菊之丞さんが、私の最期を看取ると分かっていたのでしょう…話が出来るようにしてくれたんです」

「…あいつは、俺達をよく見てたからな…最後の時にならないと、腹割って話さないと踏んでたんだろう」

「ふふ…きっとそうですね…私も貴方も、頑固(がんこ)なところがよく似てしまった」

「ああ…お前がもう少し、折れやすい性格だったら良かったのになぁ」

「無理ですよ、幼少期は貴方にベッタリだったのですから」

「…だよなぁ…」


菊丸は微笑み浮かべたまま、菊之丞を見つめる。


「…菊之丞さん…」

「ん?」

「…かつてのように、あなたのことを呼んでも、構いませんか…?」

「…ああ…」

「…ねぇ、兄ちゃん」

「…どうした? 菊丸」

「…手、握ってくれないかな」

「…ああ、いいぞ」


菊之丞は菊丸の右手を取り、両手で優しく握る。


「…変わんないな、この手…今も昔も、優しくて暖かい…兄ちゃんの手だ…」


菊丸は満面の笑顔を浮かべる。


「…き…」


菊之丞が名前を呼ぶ前に、菊丸は菊之丞の胸に倒れ込んだ。

菊丸の呼吸が無いことを確認し、菊之丞は菊丸の身体を強く抱き締める。


「ッ…菊丸…兄ちゃんも、直ぐに行くから…ちょっとだけ、待っててくれな」


菊丸を優しく畳の上に寝かせ、菊之丞は涙を拭い鼻を(すす)る。

そして立ち上がり、部屋の(すみ)に置かれていた燭台(しょくだい)を掴む。





城門、九龍と朱雀は(いき)()えた菊花の兵達と、傷だらけで立ち続ける左近次を見つめる。


「ッ…ほぉれ…まだまだぁ!!」

「何だあいつは…!」

「銃弾も矢も()びせたというのに、まだ立つというのか!?」

「ありゃあもう人間じゃねぇ!」

「放てぇ!」


九龍の指示で弓矢兵が矢を放つ。


「ぬええぇぇいっ!!」


左近次は長槍を振り回して矢を全て斬り落とした。


「ば、ばけもんだ!」

「次、構え!」


九龍が指示を出すが、朱雀が手を(かざ)して制止する。


「どうした、朱雀」


九龍が訊ねると、朱雀は菊花の兵達の死体を()けながら跳んで、左近次の側に向かう。


「朱雀様!!」

「危険でございます!!」


兵達の声を背に受けながら、朱雀は左近次の前に立ち、(かが)んで顔を覗き込む。


「朱雀!」

「…もう矢は要らないよ、九龍…この人、もう死んでる」


左近次は長槍を構えて、九龍を睨み付けたまま絶命(ぜつめい)していた。


「…死してもまだ、敵に向かうか…敵にするには惜しい程に、(いさ)ましい男だった!」


九龍の言葉に、兵の数名が強く頷いた。


「殿! 朱雀様! 城から火の手が!!」


兵の一人が城を指差し、九龍と朱雀が城を見上げると、天守閣が燃えていた。


「火を放ったのか…つまり彼らの役目は、この為の時間稼ぎ!」

「殿! 城の下層からも火の手が!」


炎が城門にまで迫り、朱雀は九龍の隣まで戻る。


「全員退避(たいひ)倒壊(とうかい)に巻き込まれるぞ!」


朱雀の指示で兵達が下がり、朱雀は呆然と城を見つめる九龍の腕を掴む。


「九龍、離れるぞ…九龍!」

「…ああ…」


二人も兵に続いて城から離れる。




燃える天守閣、火を放ち終わって、戻って来た菊之丞は菊丸の隣に座り、菊丸を抱き上げた。

そして菊丸が口を付けた湯呑みを手に取り、中身を飲み干すと放り捨て、菊丸を強く抱き締める。


《なぁなぁ! 皆は生まれ変わりってあると思うか?》


菊之丞は一人、かつて裏御殿で銀次が言い出した話を思い出す。


《生まれ変わり?》

《菊丸が前に読んでた本に書いてあってさ、人は死んでも魂が残って、生まれ変わりとして、また生を受けるって!》

《まるで絵空事の話だな》

《なぁなぁ! 皆はもし生まれ変わるなら、どんな風に生きたい?》


銀次は菊丸の隣に座る。


《そう言う銀次殿は?》

《俺は…また父ちゃんの息子に産まれて、今度はずっと一緒に暮らすんだ! 爺ちゃんになった父ちゃんをおんぶするくらい長く!》

《ほぉ、それは良い!》

《あ、でも親父と源蔵とも、また家族みたいに仲良くなりたいな! 源蔵と幼馴染で、本当の兄弟みたいに仲良しとか…こういうこと考えるの、案外(あんがい)楽しいな!》

《確かに楽しそうだな…儂はやはり、また息子達と暮らしたいのぉ…儂は鬱陶(うっとう)しい父親だったようだから、今度は儂が鬱陶しく思うくらい、息子達と暮らすぞ!》

《左近次より鬱陶しいって、そりゃなかなかに難しくないか?》

《何だと菊の字!?》


菊之丞と銀次が笑い、声を荒げる左近次の肩を、恭弥が(なだ)めるように叩いた。


《俺は生まれ変わろうとも、はなと夫婦になり、うたの父となる…例え新たな生を受けようと、俺の幸せはあの二人だ》

《恭弥らしいな! 菊丸は?》

《え、私ですか? そうですね…》


菊丸は考えた後、菊之丞達を見て笑う。


《私は…生まれ変わっても、また皆さんにお会いしたいです…私の、大切な仲間達に》

《それは、嬉しいお言葉です、菊丸様》

《俺も俺も! また菊丸と出会って友達になるんだ!》

《…菊之丞、お前はどうだ?》


恭弥が酒を飲んでいた菊之丞に訊ねる。


《あ? 悪いが俺は特に無いな》

《えーっ!? 兄貴だけ答えないなんて、そんなの(ずる)いぞ!》

《狡いって何だよ! そんなあるかも分からねぇ話、するのはガラじゃねぇんだよ》

《またそんなこと言って!》


五人で笑い合ったのを思い出しながら、菊之丞はまるで眠っているようなあどけない表情の菊丸の頬を撫でる。


「…もし…生まれ変わりってのが本当にあるのなら…菊丸…今度は、本当の兄弟になろう」


菊之丞は菊丸に優しく微笑み掛ける。


「今度は絶対に離れない、ずっと一緒に居られるように…お前は頑固だから、俺はもう少し、気を抜いてても良いかもな…」


菊丸を抱き締めたまま、菊之丞は横になる。


「…菊丸…ありがとうな…俺の、弟になってくれて…」


天守閣は激しく燃え、城全体に火の手が回っていく。

北門まで下がった九龍達は、燃え上がる城を静かに見つめる。

国から離れた丘の上で、恭弥達も、城が燃えるのを見つめていた。






鎮火(ちんか)したのは二日後だった。

九龍と朱雀は跡形(あとかた)も無く燃え落ちた城の跡地を歩き、朱雀が近くの炭と()した木材を(つつ)けば、がらがらと崩れ落ちた。


「これは凄い…これほど跡形が無くなるなんて…これでは、君主が城で死んだ可能性は低いんじゃないか? 逃げてないか調べさせるかい?」

「…あの男が、そんな真似をすると思うか」

「…思わないね、彼は良くも悪くも真っ直ぐな子だった」


朱雀は九龍の隣に立つ。


「…気付いているか…この(くに)()めで、菊花の民を一人も捕えられなかったこと」

「ああ…斬ったのは全て、国の為にと残った兵のみ…国中の家がもぬけの殻だった」

「奴は初めから、民を逃がすことしか考えてなかったのだな」

「城の焼け跡からは金銭(きんせん)(たぐい)は全く見付からない…恐らくは逃がした民達が暮らしていけるように、全て配ってしまったのだろうね」

「…戦に勝ったというのに…何とも、(むな)しい終わりだな」


九龍が呟くと、朱雀は九龍の顔を覗き込む。


「…虚しいと(なげ)く割には…何だかすっきりとした顔をしているな」

「…そうか?」

「ま、なんとなく気持ちは分かるよ…敵だというのに、気持ちの良い連中だった」

「…ああ…彼らのことは、心に刻んでおくことにしよう」


九龍はそう言うと、一人で笑みを溢した。


「九龍?」

「…恐れ入った…俺は今、菊丸の思い通りの言葉を口にしたぞ」

「え?」

「…心に残る国を…全く、恐ろしい男だ…敵の心にまで、お前は残るのだな」


九龍が歩き出し、朱雀も後に続いて、城の跡地から去った。





こうして菊花の国は、蒼鷹に敗北し(つい)えた。

しかし時代は戦乱の世、蒼鷹もまた、更なる大国と戦い、国は落とされた。

争いが続く戦乱の時代、その時代を全力で生き抜いた小さな国が、どれほどあったことだろうか。








現代、ある公園のベンチで、襟足(えりあし)の長い茶髪の男が本を読んでいた。


「おぉ! 居た居た!」


声が聞こえて顔を上げると、初老(しょろう)の男が手を振って駆け寄って来た。


「すまん、待たせたな!」

「いや、俺も先程(さきほど)着いた」

「ん? 何だまだ儂らだけか? てっきり儂が最後かと…」

「いつものことだろう…どうせ最後は、あの兄弟だ」

「…うん、言われてみればそうだな!」


茶髪の男は、本を閉じて立ち上がる。


「奥さんは里帰り中だったか、連絡は取れているか?」

「ああ、母子共に順調だそうだ」

「それは良かった!」

「そちらは、相変わらず息子達とは仲良しか?」

「ああ、もう毎日鬱陶しいくらいに後を着いて来てなぁ! 今日もついて行くと聞かないので説得(せっとく)して来た! 全く(おや)(ばな)れが出来ない奴らで困ったものだ!」

「ふふ…」

「退いた退いたぁ!」


声が聞こえた次の瞬間、黒髪の青年が二人の後ろのベンチを飛び越えて現れた。


「っはー間に合った! よっ! 二人とも!」

「相変わらず(にぎ)やかな登場だなぁ!」

「ああ…幼馴染は一緒じゃないのか?」

「あれ? さっきまでついて来てて…」

「もう! 何でいつも置いてくんだよ!」


焦茶色の髪の青年が駆け寄り、黒髪の青年の肩を叩く。


「えー? お前が遅いだけじゃん!」

「はぁっ!? 元はと言えば、お前が途中の店で大食いチャレンジなんかしてたせいだろ!? 食った後であんなに動けるのなんてお前ぐらいだよ! このことは叔父さん達に報告するからな!」

「えっ! それは勘弁(かんべん)!」

「相変わらず仲が良いな」

「さて…後はあの兄弟だけか」


初老の男が言ったその時、元気な声が聞こえた。


「皆さーん! お待たせしましたぁ!」


軽い癖のある茶髪の青年が、ハーフアップの黒髪の男の手を引いて四人に駆け寄った。


「おお、来た来た!」

「いつもすみません! 遅くなって!」

「気にするな! どうせまた、そっちが寝坊したんだろ?」

「兄貴、また()()かししたのか?」

「原稿の締め切りが近いんだよ…ふぁぁ…」


ハーフアップの男は欠伸をする。


「しっかりしてよ兄さん! 今日は皆で出掛けるって前から言ってただろ!」

「まったく…お前はどうして俺の弟なのに、そんなに真面目なんだぁ?」

「兄さんがぼんやりしすぎなだけ!」


癖のある茶髪の青年は、頭を撫でるハーフアップの男の手を振り払う。


「まぁまぁ! 全員揃ったんだ、そろそろ行こう!」

「ああ」

「先ずは飯にしようぜ、飯!」

「さっき食ったものはどこに!?」


四人が歩き出し、茶髪の青年とハーフアップの男も続こうとして、男はベンチの陰に落ちていたものに気付き、しゃがみ込んだ。


「兄さん?」


青年が近付くと、男はオレンジ色の風車を拾い上げた。


「見て、落ちてた」

「ちょっ…やめなよ落ちてた物を拾うの! 汚いだろ!?」

「誰かの落とし物かもしれないじゃん」

「もう! 兄さんは本当にマイペースなんだから…ほら、置いてかれちゃうから行くよ!」


風車をベンチに置いた男の腕を引き、青年は四人の後を追い掛ける。


ベンチに置かれた風車は、吹いて来た風を受け、微かに回った。





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