女神さまからチートスキルをもらって異世界でドラゴンに転生したら腹ペコなので食事をしたいのだけれどスキルの効果が限定的すぎて俺の食べられるものがほとんどない
「気にいったスキル、ありました?」
「はあ……」
渡された〈スキル表〉から顔を上げ、俺は銀髪の美女を仰いだ。
彼女はキルケーさま。自称「転生担当女神のひとり」だ。
俺は実家住まいのしがないサラリーマンだったのだが、今朝目が覚めたらここに居た。
キルケーさま(神さまらしいのでそう呼ぶことにした)によると、寝ている間に俺の家に泥棒がはいったらしい。
泥棒は運の悪いやつで、金目のものがはいっていると思って開けたのが食器棚だった。
まあな、古くさくてどでかい食器棚だったから、母さんがへそくりを隠すことはあった。数万円程度だけど。
食器棚なので当然、はいっているのは食器だ。お目当てのものが見付からずにキレた泥棒はかっとなって、持っていたとてもかたい棒状のものを振りまわした。
手からすっぽぬけたそれは、居間のソファで寝ていた俺にまっすぐ飛んできて、頭にあたった。
ことの経緯を簡単に教えてもらった俺は、すぐに妹の安否を確認した。
凶器が俺にあたった時の音は凄まじく、すぐに両親がゴルフクラブを携えてやってきたそうで、泥棒は逃走して道路へ飛びだし、新聞配達のバイクにはねられて死んだらしい。
俺は帰省していた妹にベッドを譲って、居間のソファに居たのだ。
妹は妊娠中で、三日後に父さんの幼馴染みがやっている病院に入院する予定だった。初めての子どもだから、小さな頃から診てもらっている先生のほうが安心できるだろうと、義弟がいろいろと手配してくれたのだ。
妹もおなかの子どもも、それに両親も無事らしいので、それだけはほっとした。俺は死んでしまったそうだが、仕方ない。
俺を殺したやつは、泥棒ははじめてだったらしい。キルケーさまから聴いた。それまでやってきたのは暴行とか傷害とかで、捕まったのは三回、捕まらずにごまかせたのが四回だそうだ。俺が死ぬ原因になった相手なので、くわしいことを教えてくれたのである。
「あのー、生き返るとか……」
「あっ、ごめんなさい、それは無理です。復活担当へまわされてたら可能だったんですけど」
「はあ……」
「さっき説明しましたよね。わたしは転生担当者で、あなたをお好みの世界へ、お好みの姿で、お好みのスキルを持った状態で転生させます」
キルケーさまはにこやかにいってから、大口を開けて欠伸をした。
美女なのだが、着ているトーガみたいなやつの胸の辺りにトマトソースでもこぼしたようなシミがあるし、あきらかにおしゃれではなくサンダルが左右違うし、なんとなくずぼらな印象をうける。
「よみがえる場合は復活担当の、イシスとかアスクレピオスとかのところへまわされます。時間巻き戻しの場合は、えーっと、誰だったっけ……ヘベかウトナピシュテムのところだったかな? とりあえず、わたしの担当じゃないんですよ。悪いんですけど」
「そうですか。すみません」
面倒そうな様子だったので、つい謝ってしまった。
キルケーさまは気の毒げに俺を見て、細くて長い綺麗な指で表を示す。
「このなかからならなんでも選べますよ。役に立つスキルばかりでしょ? スキル内容の確認は、転生後もできますし、ぴんときたのを選んでみたらどうです?」
「うーん……しっくりくるのがないんですよね」
スキルには、いろんなものがあった。
韋駄天というのは、その世界で一番のスピードを出せるようになるスキルらしい。
ただし、「その世界で一番はやく動ける生きものよりもはやく動ける」ものなので、ゆったりした動きの生きものしか居ない世界だとほとんど役に立たない。
繁茂というのは、分身みたいなものだろうか?
死者の呼び声は、死んだ生きものを呼び戻して自分の指示どおりに動かすことのできるスキルだ。
ただし、自分で殺した生きものしか呼び戻せない。「スキルが進化して死者の歓声になれば、他者が殺した生きものでも呼び戻せる」とあるが、スキル進化には規定回数使用するという条件があった。
つまり、何度もつかっていたら強くなるよ、ということだ。最初の頃はどうしてもなにかを殺さないといけない。
暴力をうけて死んだ俺は、できることなら殺伐としていない世界に生まれ変わりたかった。そもそも俺は、意味のない殺生はきらいなのだ。このスキルをつかったら、平和な世界に転生しても俺がその平和を乱すことになってしまう。つかえないスキルをもらうのは無駄だし……。
思い通りの筆は、描いた絵が現実になるというスキルだが、これこそ俺には不要だ。絵がうまくないと扱えないスキルじゃないか。
幻影……透明になれるので戦闘に便利、か。戦闘に興味はないからな。でも、隠れるのにはいいかもしれない。
って、そういう殺伐とした世界には行きたくないんだって!
「あの」
不安になって、キルケーさまを見る。
「お……わたしが転生する世界って、どんなところですか?」
「え?」
「いや、なんか物騒なスキルが並んでるので。殺伐としたところはいやなんですけど」
「あー」キルケーさまはくすっとした。「大丈夫ですよ。候補地はどこも平和です。モンスターが居るところばかりですけれど、おとなしい子達で可愛いです」
「あ、そうですか、よかった」
「文化的には、どこもあなたが生きていた世界ほどではないので、退屈かもしれません。でも、可愛い子達が沢山居ますから、とてもゆったりした気分ですごせると思いますよ」
成程、ファンタジー系のゲームみたいな世界らしい。それも、ほのぼのしたものだ。小さい頃、モンスターを育てるゲームにはまっていたので、可愛いモンスターが沢山居る、というのにはひかれた。
となると、こういう戦闘に特化したようなスキルは、尚更要らないな……。
迷い続ける俺を見かねたか、キルケーさまはふっと疲れたみたいに息を吐き、大切そうに抱えている杯を軽く振った。すると、彼女の手にあたらしく紙が握られている。
「迷ってらっしゃるなら、こういうのはどうです? くじで決めるんです」
「は?」
「そのなかのスキルはどれも強力で、候補地のどこへ転生してもかならず役に立ちます。だったら、くじで決めるというのもいいと思いますけれど」
ぴらっと、キルケーさまが紙を表に返した。あみだくじだ。さっきつかえないと判断したスキル達も並んでいる。死者の呼び声も。
キルケーさまがもう一度杯を振ると、あみだくじの横棒が上下に動きはじめた。
「それじゃあ、何番か選んでください。選んだ瞬間、動きが停まっ」
「すみません、すぐに決めます! あと五分だけください!」
キルケーさまは頷いてくれた。
俺はほっとして、表を急いで読み直す。
これはだめ、これもだめ、これも要らない、こんなのつかいこなせない……。
「はい、時間ですよ」
「こっ、これ! これにします!」
スキルの説明をしっかり読めなかったが、「植物」とか「食べる」とか書いてあった。植物を食べるのに役に立つスキルなら、問題ないだろう。
表を指さす俺を見て、キルケーさまはちょっと眉を寄せた。
「はあ。それでいいなら、そうしましょう」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、世界を選ぶんですけれど、その世界だとこのみっつのどれかね。じゃ、今度こそくじをひいてください。世界はスキルに応じて、ランダムでしか選べないんです」
「はい……」
もしかしたら、あーだこーだとなやむ俺を追い払いたくて、くじにしろといったのかもしれない。
そう思ったが、神さまの機嫌を損ねるのはこわいので、指摘しなかった。キルケーさまが手に持っている紙を見る。
「……一番左で」
「はい。さて、どこかしら……あら! よかったですね、152番です。ここでそのスキルだったら、種族は選ぶ必要ないわ」
「え?」
キルケーさまは杯を掲げる。
「おめでとうございます。あなたはこの世界で最強の種族に転生します。人間の大軍でもかなわないくらいですよ。あちらで楽しく暮らしてください」
「え? え? 人間じゃないんですか?」
キルケーさまはぽかんとした。杯が光りかがやきはじめる。
「あれ、いってなかったっけ? わたし、動物に転生するひとの担当なんです」
「え?」
「人間に転生する担当とか、神さまになる担当とか、いろいろ……あ、ごめんなさい時間です。行ってらっしゃい!」
目を突き刺すような強い光が杯からあふれ、俺はぎゅっと目を瞑る。動物? 動物ってなんだよ!?
****
「キルケー、お疲れ。お茶しない?」
「あらイズン、まだお昼なのにあんたが来るなんて、めずらしい」
「もう、疲れちゃって。困ったのよ。すっごく細かく指示してくるひとでさ。五歳の誕生日の朝に戻せっていうの。でもその前にお金がないとだめだとか、おじさんを死なせないでとか」
「へえ。こっちは可愛い男の子で、楽しかったよ。ちょっと優柔不断だったけど、いい子」
「いいなあ」
「でも、変なスキル選んでた」
「変?」
「あたしがこの業務に就いてから誰も選んでないやつ」
「……四千年以上ってこと?」
「それくらいだっけ? スキルにあわせて、もの凄ーく強いドラゴンに転生させてあげた。えっと、とかげみたいなやつに似てるほうの」
「ドラゴンなんて聴いたことないわ! はじめてなんじゃないの」
「あー、あたしはスキルから選んでもらうからさ。昔は種族から選ばせてたから、もめてたんだよね。ドラゴンのスキルしょぼいとかって。しょぼくないっての。それいやがって、結局フェンリルとかドゥンとかに転生する人間が多くて、またもめるのやだなあって思ってたんだよね」
「あー、あるらしいもんね、直前でごねはじめちゃって、転生事故って。わたしも直前でやめるって騒ぐひとには困らされてるから、わかるよ」
「うん。……そっか。ドラゴンに転生させたのは、たしかにはじめてかも」
「凄いじゃん。ね、カフェテリア行って、くわしいこと聴かせて。そんでこっちの愚痴も聴いてよ。今日、おいしいりんごのサンドウィッチがあるってダグザがいってたから、食べたいの」
「あんた、りんごが好きよね」
「だっておいしいじゃない。キルケーはなににするの」
「うーん、それじゃ、あたしもたまにはそういうのにしようかな」
「おいしいよ! ねえ、その男の子ってさ」
「イズン、キルケー、ひまそうね」
「あらイルナン」
「わたしもまぜて。もー、どうしようもないやつが来ちゃって。暴れるから管理局に来てもらったの」
「まあ」
「適当なモンスターに転生させることになったんだけど」
「こっちはドラゴンよ! ねえキルケー」
「ドラゴン!? ちょっと、面白そうじゃない」
「面白くはないわよ。イルナン、ひまならあんたも一緒にカフェテリアに行きましょ。あのね、素直な男の子でさ……」
****
「ぐるるるるるる……」
ちょっと唸ったつもりが、かなり大きな音が出てしまった。
俺はあぐらをくもうとしていた脚を伸ばす。短いのであぐらは無理だ。
両手を見る。三本指で、指先が細い。ワニというか、とかげというか、そういう感じの肌だった。色は紫っぽい黒で、つやっとしている。
「……どらごん……」
ちょろっと、口から舌が出た。
俺はドラゴンに転生してしまったのだ。
「むむ、むむ……」
立ち上がろうとしたが、うまくいかない。
しばらくじたばたしてから、ようやくと立った。どうやら、尻尾で地面を押すようにして立たないといけないらしい。尻尾が長いので、重心が後ろに行ってしまっている。
俺は苦労して背中をなんとか見ようと頑張ったが、見えたのは手と同じ色の骨ぱった羽と、やっぱり同じ色の尻尾だけだった。
羽はひろく大きく、尻尾は太くて長い。あれで叩かれたら痛そうだ。
目を覚ましたのは、昨日の夜だった。
本当になんの光もないまっくらやみで、静かなところに居たのだ。
こわいので、朝が来るのを待った。朝日がさしこんできて、自分が苔の塊のようなものの上に座っていること、まわりに緑がかったたまごの殻が落ちていること、洞窟のなかに居ることがわかった。
おそらく、俺は生まれたばかりのドラゴンなのだ。あの苔は、親ドラゴンがつくったゆりかごだろう。そこにたまごを置いて、あたためていたのか、放置したのか……。
日中、洞窟の周囲をさがしたが、親らしきドラゴンは居なかった。もしかしたら、死んでしまった? それとも、たまごを産んだら放っておくのか?
俺は今、洞窟を離れ、洞窟のまわりにあった森のなかをうろうろしている。たまに動物? モンスター? を見かけるが、生まれたばかりでもドラゴンはドラゴンだ。おそろしいみたいで、悲鳴をあげて逃げていく。
「……おなかへった」
口にすると、尚更空腹がつらくなった。涙がにじんでくる。ドラゴンって、泣けるのか。
俺はぐすぐす鼻を鳴らしながら、のそのそと歩いていった。
尻尾を左右に振ると、バランスをとりやすい。しかし、尻尾は鋭利らしく、その辺の草がすぱすぱと切れてしまった。そりゃ、動物もこわがって逃げる。
しばらく行くと川があったので、水を飲む。つめたくて甘い、おいしい水だった。なにか、食べるものを見付けなければ……。
食べるものがない。
夜は洞窟へ戻って眠り、昼間は森の探険という生活を三日続け、俺は空腹でいらいらしていた。動物達は俺を見るとあっという間に逃げていくし、そもそもおいしそうに見えない。
木の実などは、俺以外の動物達が食べてしまっているのか、残骸みたいなものは幾らかあった。あきらかに腐っているので食べなかった。
川魚は居るのだが……なにが悪いのか、一匹食べたところ、酷くくだした。半日くらい動けなかったので、それから魚を食べることはしていない。
竹林はあったので、時期が来れば筍を味わえるかもしれない。尻尾を扱うのはだいぶ上手になったから、掘りおこすことはできるだろう。
キルケーさまは、ドラゴンはこっちで最強みたいにいっていたが、生まれたばかりで指導してくれる親も居ない俺は、どうやったら食事にありつけるかわかっていない。動物にとって一番大切なのは食事だと痛感した。
うさぎっぽいものが居て、それと比較したところ、俺は小柄な成人くらいの大きさみたいだ。こっちのうさぎが前の世界のうさぎくらいのサイズだとして。
「……そうだ、すきる……」
はっと思い出した。そういえば、転生前にスキルを選んだ。急かされたので適当にだったのだが、そのスキルはドラゴン専用みたいなことを、キルケーさまがいっていなかったっけ?
それに、転生後にスキルの確認をできるといっていた。
「ええと……めにゅー?」
ぱっと、目の前にウィンドウが出てきた。おお、便利。
「きゃっ!」
「うん?」
悲鳴が聴こえ、そちらへ歩いていくと、藪のなかで女の子が座りこんでいた。ふわふわしたドレスみたいなものを着ていて、頭に宝石が光っている。人間……だと思う。
そのまわりに、武装した人間が沢山居るが、みんな腰をぬかしていた。武器をその辺に放り出してしまっている。
女の子は俺を見て、顔をあおざめさせながら、震える声を出した。
「あの……もしや、転生者さま……ですか?」
俺は首を傾げ、女の子はうーんと唸って気絶してしまった。
「だいじょうぶ?」
「面目次第もございません……」
空腹をごまかす為に毎日飲んでいるおいしい水を、尻尾で切った竹で汲んで、戻ってきた。
兵士達の分もある。両腕で竹筒を抱え、さばっと一気に水を汲んでしまって、持ってきたのだ。人間のような腕ではないのだが、結構器用なのである。
「わ」
兵士のひとりが吃驚したみたいに、竹筒をひっくり返した。足許で小さな魚が跳ねている。筒のなかにはいってしまったらしい。
「たべていいよ」
「あ……ありがとうございます……」
兵士達が恐縮した様子で、火おこしをはじめる。疲れた様子だったし、おなかが減っているように見えたのだが、やっぱりそうだった。
立ち上がる。
「転生者さま?」
「おさかな、もっととってくる」
のそのそと歩いていく。
魚をとって戻ると、大きな焚き火ができていた。兵士達は新鮮な川魚に大喜びで、早速焼きはじめる。
「あの……」
女の子が、ひげの兵士ふたりと一緒に近付いてきた。片方のひげが、焼き魚の匂いが漂ってきたからか、ぴくっと動く。
女の子はかたあしをさげるお辞儀をした。
「わたくしは、ここケーゼクーヘン王国の王女、ライヒと申します」
「らいひ」
「この者達はわたくしの親衛隊です。転生者さま、お名前を伺っても?」
頭を振る。転生の時になにかあったのか、記憶がとびとびになっていて、名前を思い出せないのだ。
ライヒはがっかりしたみたいだった。
「そうですか……では、なんとお呼びすれば……?」
「なんでも」
「では、ドラゴンさんと呼んでも宜しいですか?」
頷くと、ライヒはにっこり笑った。やわらかそうな頬っぺたの、可愛い子だ。表情や仕種が幼いが、二十歳前後という感じ。金髪が腰の辺りまで伸びている。
「ドラゴンさん、お願いがあって、ここへ参りました」
「おねがい?」
「我が国を襲う災厄をお祓いください。その為に、わたくしは、いけにえになるつもりでこちらへ参りました」
焚き火がゆらゆらするのを見ながら、ライヒの話を聴いた。
「事の起こりは、三年前です。王国の東にある森が、一夜にして姿をかえてしまったのです」
ライヒは水を飲むばかりで、兵士達が焼き魚を持ってきても口にしない。
「その森は様々な植物のある、豊かな場所でした。わたくし達王家の人間も、祭礼の折にはそちらへ向かい、森の恵みに感謝して……」
「もりは、どうなったの」
「一夜のうちに、すべての植物がなくなり、代わりにモンスターが我が物顔で鎮座していたのです。森の管理をしていた部隊によりますと、あっという間に植物が枯れ、モンスターがそこを縄張りにしてしまったと」
つまり、モンスターが植物を枯らしてしまったのか。毒でもあるのかな?
ライヒは目に涙をうかべ、洟をすする。
「三年間、それ以上モンスターの版図がひろがらぬよう、王国の人間は必死に戦ってきました。しかし、それももう限界。こうなったら、この迷いの森に時折現れるという、強大なお力を持った転生者さまに頼るしかないと考えました」
「てんせいしゃ?」
「ええ。ドラゴンさんは、転生者さまですよね? 転生者さまは、不思議なお力で、宙に紙のようなものを出すと伝わっています。不思議な文言が書かれた紙を……」
「これ?」
「はい」
ウィンドウを出して訊いてみると、いい返事がある。これって他人からも見えるんだ。
ライヒは涙で潤んだ目で俺を見ている。
「転生者さまがたは、モンスター達をあっというまに倒すお力を持っているとうかがっています。ドラゴンは女性を食べるとか。わたくしでしたら食べられてもかまいません」
「え? えーと、いらない」
ふるふると頭を振る。ライヒはしょんぼり、肩を落としてしまった。
「お力添え、戴けないのですね……」
「にんげん、たべたくない」
「え? ドラゴンは、人間の女性を食べるのでは?」
もう一度頭を振った。
三日間もなにも食べていないが、ライヒを見てもおいしそうと思えない。ということは、俺は人間を食べる種類のドラゴンではないのだ。
ライヒはきょとんとしている。
「あら……? どういうことでしょう……?」
「たぶん、しゅるいがちがうよ」
「しゅるい? 種族ですか?」
頷いた。ライヒは口を半開きにしている。可愛いが、ちょっとどじな子らしい。
兵士が焼き魚を持ってきた。
「姫さま、ひと口でも」
「いえ、お前達が食べなさい。……いいえ、ドラゴンさん、もしかしたらお魚なら召し上がれますか?」
「ぐるるるるるるるる……」
俺の唸り声に、兵士達がまた、腰をぬかした。ライヒもへたりこんでいる。
頭をかく。
「ごめん。おさなかな、いらない」
「そ、そうですか……では、なにをさしあげたら、お力添え戴けますか?」
なにをさしあげたら、かあ。
市民権、とか思ったが、多分この感じだと、そういうものがなくても俺は強いので大丈夫だろう。唸り声で兵士達が腰をぬかしてしまうのだ。キルケーさまも、こっちで最強の種族だといってたから、困るとしたらドラゴン相手に戦う時だろうし……。
……ていうか、のんびりできる世界じゃなかったの? モンスターが人間を襲いまくってる。
キルケーさまはこういう世界でも「平和」なんだろう。その辺りをもっとしっかり確認するべきだった。幾ら、無駄な殺生がきらいといっても、こういう場所だとわかっていたら戦いに役立つスキルを選んでいた。
とりあえず、なにを食べたいか、を、考えてみた。空腹が我慢できないレベルになってきているのだ。
「ごはん」
「ご飯? 食糧でしたら、なんでも、お好みのものを用意いたします。お力添え戴けますか?」
「……じゃあ、いいよ」
ライヒは嬉しそうににっこりした。つられて俺も笑う。
相手がどんなモンスターか知らないが、このままこの森に居ても飢え死にしてしまう。食べものをもらえるのなら、モンスター退治をしようじゃないか。
可愛いライヒに感謝されるのも、やぶさかじゃない。
「おさかな、たべなよ」
「はい。戴きます」
ライヒはほっとしたみたいで、俺が促すとやっと、魚を食べてくれた。前世では川魚は好物だったのに、今はまったくおいしそうに見えない。
この間腹を下した時も、まずそうだけど我慢して食べよう、と思って食べたのだ。結果、酷い目にあった。
ドラゴンって、なにをくうんだろう……?
なんだか禍々しい、黒っぽい炎みたいなものを吐ける。
ちょっと疲れるけど、飛べる。
尻尾は刃ものみたいで、木でも竹でも伐採できる。
割と器用な手をしていて、身体能力も高く、魚をひょいひょいとるくらいは他愛ない。
自分の体についてわかっているのはこれくらいだ。ただし、個体差があるかも、ということは考慮にいれていない。
「ドラゴンさん、疲れてらっしゃるのじゃないですか?」
「だいじょぶ」
にっと笑った。馬にのっているライヒはくすくすする。馬にのっているといっても、またがっているのではなく横向きに座っていて、兵士が手綱をひいていた。ライヒのような金色のたてがみの馬だ。
馬と目が合った。あちらは礼儀正しくお辞儀する。俺もお辞儀をしておいた。
ライヒ達を手伝う約束をしたので、一緒に移動中だ。道が悪く、馬が転ぶかもしれないところだと、ライヒは文句もいわずに自分で歩いた。
「少し休憩しましょう」
ライヒがいうと、兵士達がほっとした様子で足を停める。
ここは迷いの森といって、人間が立ち入ることは稀だそうだ。だからか、人間には歩きにくい。モンスターが沢山居て、ライヒ達もここまで来るのに苦労したらしい。
けれど、俺が居るのでモンスターは近寄ってこず、これまで戦闘は一度もなかった。
もしかしたら、東の森というところに居るモンスターも、俺を見たら逃げ出すかもしれない。戦わずにすむのなら、そのほうが嬉しい。
ライヒは竹筒を集め、兵士と一緒に近くの川へ水を汲みに向かった。王女だというのによく働く子だと思っていたのだが、ひげの兵士が教えてくれた。
「姫さまは、前王の忘れ形見なのです」
「ぜんおう?」
「はい。今の陛下の兄君であらせられました。三年前の東の森の異変直後、自ら軍を率いて制圧に向かい、亡くなられ……」
ひげの兵士は肩を震わせた。泣いているらしい。
「以前の宮廷は、東の森に接する場所にありました。東の森に異変あれば、王自ら向かうのが慣例だったといえ……その後、ライヒさまの公爵閣下との婚約が解消され、今の陛下の娘が後釜に座りました。お住まいも、粗末なものにかえられてしまって」
「でも、らいひ、ほうせきをもってる」
「今は、かつてのようなお召しものですが、それもここへ向かう途中に民達に見られるからです。ドレスも髪飾りも、いとこである王女のお下がりですよ」
成程な。
ライヒが戻って、水を配った。
「ドラゴンさんも、どうぞ」
「ありがとう」
ライヒはにこっとする。今度はお魚も捕って参りますわ、といっていた。
森をでるまでに、一週間かかった。その間も俺はなにも食べられず、空腹は常に傍に居る友人のように親しいものになってしまった。
「おすきなものはなんなのでしょう……?」
折角ライヒがとってきてくれた木の実や、甘そうなりんごみたいなものも、口にいれると気持ちが悪くて吐き出してしまう。飲み込んだらあとでくだすかもしれないので、無理に飲めない。
食べものがだめになってしまって申し訳ないので、ためすのも最近はしていなかった。
唯一、ライヒが持っていた塩だけは、舐めることができた。といっても、ほんのちょっぴりだ。
「お塩は、お好きなのですよね」
「たべられる」
「なにを召し上がりたいのでしょう。申し訳ございませんが、ドラゴンさん、あの……少し、痩せてらっしゃるように見えます」
ライヒがいいたいことはわかる。その状態で戦えるのか、だ。
俺は唸りたいのをこらえ、ごろんと横になった。ライヒはしばらく俺の傍に座っていたが、兵士達に呼ばれてテントへはいっていった。彼女はひとりで小さなテントをつかっていて、兵士達が不届き者が来ないようにみはっている。
俺はうすく目を開けてテントを見、ふと、彼女達との出会いを思い出した。あの時俺は、スキルをたしかめようとしていた。
ちょっと考えて、メニューを開く。兵士達は俺を気にしていない。スキル、スキル……これか。
スキル確認というところをタップすると、スキルが表示された。無駄に洗練された無駄のない無駄な捕食……?
なんだこのスキル?
****
「じゃ、そのスキルをあげたの?」
「ほしいっていうから。152番だから、沢山居るでしょ」
「え? 今152っていった?」
「なによ、イルナン」
「そうだけど」
「わたしも152番へ送ったのよ。暴れたやつ」
「え?」
「めずらしい。こんなことあるんだ」
「ほんとほんと。とにかくわたし、はやくすませたくてさ、ほしがってるスキルあげて、モンスターに転生させて」
「なににしたの」
「なんだったっけ? でも最後の最後でモンスターになるなんて聴いてないとかいいだして、また暴れて。最初に説明したのに聴いてなかったのはそっちだっていうの。それで、管理局のひと達が手伝ってくれたんだけど、事故った」
「うわ、最悪」
「なにタイプ?」
「時間異常」
「未来に送っちゃったの?」
「ううん、過去。だから始末書はまぬかれたよ。ぎりぎりでね」
「素直なひとだとほんとにたすかるよねえ」
「ねえ」
****
「ドラゴンさん、大丈夫ですか? ふらついているみたいに見えます」
「だいじょぶ」
ふうふういいながら、歩いていく。
森をでて、街道を歩くこと十日。町の外だろうとなかだろうと、人間達はドラゴンにびくつくのだが、ライヒが俺が転生者で、人間を食べないドラゴンであり、東の森のモンスター討伐に行ってくれるのだと説明するとみんなありがたがった。
ありがたがるのはいいのだが……ドラゴンさんに食べものを、と、なにかしら持ってきてくれるのが、ありがたくない。食べると吐くかくだす。
かといって、いらない、と突っ返すと、俺のことをこわがるような顔で見るし、仕方ないのでひと口くらい食べて、すぐに隠れて吐くようにしていた。ライヒは無理をしなくていいと云ってくれたのだが、彼女の評判も気になった。
まともに口にできる水と塩で、なんとか保っていた。モンスターを追い払うくらいは、できると思うのだが。
「らいひ」
「はい、ドラゴンさん」
「あとどれくらい?」
「もう少しです。そろそろ、昔の宮廷に着きます」
ライヒは馬の上で、哀しそうな顔をした。
「昔の宮廷は、この三年で、東の森にのみこまれてしまいました。東の森のモンスター達に……」
「のみこまれた」
はっと、ライヒがこちらを見る。
「ごめんなさい、ドラゴンさん。本当は、宮廷へおつれして、おじさま……陛下にお目通りしてもらってから、こちらへ案内するのが筋なのですが、陛下がそんなことよりも急げと」
「いいよ。はやくいったほうがいい」
「ありがとうございます……」ライヒは安堵の息を吐いて、前方を示した。「見えて参りましたわ」
彼女が示したほうを見ると、なんだか気味の悪い、大量の草が茂った森があった。
森が見えるくらいで、俺達は足を停めた。今夜はゆっくり寝てくださいとライヒがいいだしたのだ。
「あのモンスターは、三年前の異変からもわかるように、夜のほうが活発になるのです。戦いは朝になさったほうが」
「うん。わかった」
「なにか、精のつくものを用意できたらよいのですが……」
ライヒは項垂れ、兵士達も申し訳なげにした。
「ドラゴンさんには、魚を沢山捕ってもらったのに、申し訳ありません」
「民達からの献上品も、わたしらにくれて……」
「ありがとうございます」
頭を振る。兵士達はすっかり、俺になれたみたいで、ドラゴンさんドラゴンさんと呼んでかまってくれていた。疲れている俺の足裏をもんでくれたり、体を拭いてくれた兵士も居る。
ライヒのおじさんという今の国王は、どんなやつか知らないが、ライヒやこの兵士達を助ける為だったら俺は頑張る。
まるまってうとうとしていると、ひげの兵士がやってきて、毛布を掛けてくれた。
彼はそのまま俺の傍に座り、膝を抱える。
「ドラゴンさん、明日は決戦ですね」
「……うん」
「姫さまの名誉の為と思って、同行いたしましたが、ドラゴンさんのような転生者さまが居てくれてよかったです。どうぞ、姫さまを、そしてケーゼクーヘン王国を、お救いください」
ちょっと頭を上げて、頷く。ひげの兵士は俺の背中を軽く叩いてくれた。こちらへ生まれて、親は居なかったが、親に寝かしつけられているような気持ちになってきた。
ほかの兵士達も、数人やってきた。気持ちはみんな一緒なのだろう。俺の耳を撫でたり、尻尾を拭いてくれたり、いたわってくれた。
「皆、なにをしているの……」
ちょっと呆れ声で、ライヒがいう。兵士達は苦笑いした。
ライヒはそれでわかったのだろう。くすくすする。
「同じ気持ちなのね。わたくしと」
「はい、姫さま」
ひげの兵士が応じて、兵士達もくすっとする。
ライヒは真面目な顔になると、俺の傍に来た。俺は耳を撫でてもらったり尻尾を拭いてもらって、眠くなっている。
「ドラゴンさん、無理はしないでくださいませ」
ライヒは俺の鼻面を撫でて、泣くような顔をした。
「あなたはわたくし達の為に、命をかける必要はないのですから。無理だったら逃げてください。それだけは約束して。お父さまのように死なないでください」
ライヒは泣きはじめ、兵士達も膝をついて泣き出した。俺は彼女を慰めたかったけれど、空腹に勝てずに眠った。
目を覚ますと、ライヒ達は俺に寄りかかって寝ていた。あたたかくて気持ちいい。
ひげの兵士が目を覚まし、俺が起きたのに気付いた。朝日がかすかに、森の向こうからさしてくる。
「異様な光景でしょう」
ひげの兵士が小さな声でいい、俺はそれに、頷いた。
森……なのはわかる。だが、一種類の草しか生えていない。見たことのないものだ。アザミに似ていなくもないが、サイズが大きすぎるし、ところどころにオダマキに似た花が咲いていた。
その植物だけが生い茂り、しかもそれらが複雑に絡み合っていて、まるで一個の巨大な苔玉かなにかのようになっている。
「あれ……なに?」
ひげの兵士はなにかいおうとしたが、はっと息をのんだ。
「動いた!」
見ると、森がかすかに動いている。モンスター達が出てこようとしているのだろう。
俺は小さく咆吼し、ライヒ達を起こした。
「ドラゴンさん」
「らいひ、ひげさん、みんな、にげて」
「ドラゴンさん、絶対に無理はしないで!」
ライヒに頷いて、俺はそれへ飛び立った。
ちらっと見ると、ライヒは泣きそうな顔で俺を見ていた。ひげの兵士が叫び、兵士達がそれに追随した。
「ドラゴンさん、生きて戻ってください!」
俺は深呼吸して、森へ向かって飛んでいった。
痩せても枯れてもドラゴンはドラゴンだ。
キルケーさまがいったことが本当なら、俺はこちらの世界で最強の種族である。モンスターの一匹や二匹、どうということもない。それにもしかしたら、俺を見ただけで逃げていくかもしれない。
そういう淡い期待があったのだが、なんとなくなにかの気配を感じた。
なにかが居る。それも、沢山。やまほど。
「わ!」
気配を感じて、空中で体を反転させた。目の前をなにかが飛んでいく。スキルはつかえそうにないが、俺にはこの強靱な体と、刃ものみたいな尻尾、黒い炎、器用な手、羽がある。
またなにか飛んできた。空腹でふらついているのもあって、今度は完全には避けられず、鼻先を掠る。
「……うん?」
甘くていい匂いがする。
凄くおいしそうな匂いがする。
鼻先を拭う。手にべたべたしたものがついた。黄色っぽい白だ。寒い時期にかたまったはちみつみたい。
ぺろっとなめてみる。
おいしい。
吐き気もなく、おなかが痛くなることもなかった。
それに驚いて呆然とする俺に、またあれが飛んでくる。
今度は避けなかった。大きく口を開けて待ちかまえていた。
べちゃっと音をたてて口へはいってきたものをのみこむ。
おいしい。
おいしい!
俺は笑いながら、森へ向かっておりていく。どういうことかわからないが、この攻撃はたべられる。
森がざわっと動いた。と、植物が動いて、石畳の地面が見える。もしかしたら、ライヒが昔すんでいたという宮廷だろうか?
そこへ降り立った。石畳は植物の根にやられたようで、ところどころひっくり返っている。
東のほうを見ると、お城らしきものがあった。おいしいなにかを食べて元気を多少とりもどした俺は、そちらへ向かって矢のように飛んでいく。
アーチをぬけると、ヨーロッパの古城のような広間だった。
「なんだ、てめえ!」
甲高い声がして、玉座らしきものに座っていた植物が立ち上がる。外に生えていた植物よりもずっと小さいが、人間に似た形をしていた。だが、肌の感じが生のデーツみたいだ。
俺は口から、小さく炎を吐き出した。
「どらごんだ。おまえがひがしのもりにすみついたっていうもんすたーか」
「ああん? ドラゴンだと? 畜生、そんなかっこいいのが居るのに、どうして俺はこんなしょぼいモンスターなんだ! ついてねえ!」
「なにをいってる」
植物は黄色っぽい白のなにかを、唾みたいに吐き出した。
「俺はなあ、転生してきたんだよ! こんなしょぼいモンスターにされて、悔しいからこの国を支配しようと思ってな! 繁茂なんて、いいスキルだと思ったのに、植物系のモンスターになるなんて……」
繁茂! 覚えがある。
あの時は分身のようなものだと解釈したが、そうじゃなかったのか。もしかしたら外の植物は、こいつがつくったものなのか?
「ついてねえ。ほんとについてねえ! 盗みにはいった家にはなにもねえし、バイクにはねられるし。いや、でも、お前そんなに強そうじゃないな。ドラゴンにしちゃ小せえじゃねえか」
そいつはにんまりした。ほおずきの実にも似ている。
「よし、選ばせてやる。俺の手下になるか、ここで死ぬかだ。お前の体はつかえそうだからな。人間に成り代わる手段をためしてたが、お前をのっとるほうが楽かもしれない」
「おい。おれもてんせいしゃだ」
そういうと、植物モンスターに転生したそいつは俺を睨みつけた。
俺は頷く。
「それで、今からお前を食べる」
「は……?」
そいつの余裕そうな顔がはじめて崩れた。
「なに……?」
「おれのすきるは無駄に洗練された無駄のない無駄な捕食だ。見たんじゃないか」
そいつは大口を開けた。
「やった!」俺はわざと、癪に障るようないいかたをして、にっこり笑った。「まんどらごらだ!」
そいつ……マンドラゴラの王さまは、悲鳴をあげた。
無駄に洗練された無駄のない無駄な捕食……。
効果説明には長々といろいろ書いていたが、その効果は単純だった。
「塩と水以外は、動いている植物しか食べられない」。
こうして、女神さまからもらった俺のチートスキルがようやく発動。俺はこちらでの初めての食事を楽しんだ。
どうやら、こちらの世界のドラゴンは、草食らしい。
「ドラゴンさん!」
繁茂したマンドラゴラ達をたっぷり食べて戻ると、ライヒが泣きながら迎えてくれた。
抱き付かれ、よろける。
「怪我は……?」
「だいじょぶ。おなかいっぱい」
「え? た、食べたのですか?」
「はんぶんくらい。のこりは、にがした」
悔しかったのですねたみたいな口調になってしまった。
ライヒは泣いていたが、ふふっと笑った。
兵士達も駈け寄ってくる。ライヒの笑い声はもっと大きくなっていく。
「ドラゴンさん、ありがとうございます……本当に、ありがとう……」
俺は短めの腕でライヒを抱きしめ、顔をそむけてげっぷをした。
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その後、スキルを駆使してマンドラゴラの残党狩りをしたり、アルラウネ達と戦ったり、人里を襲う樫の木達を蹴散らしたり、モンスターに寄生する宿り木退治をしたり……転生ドラゴンの活躍はこれからも続くのだが、本日はとりあえず、ここまで。