第四話‐前編‐
「リリエッタ先生!」
バーンと扉が開き、血まみれの男を担いだ女が入ってくる。
「けが人だ!何とかしてくれ!」
血まみれの男は苦しそうに「うう…」とうめき声をあげており、腹部からは血がどくどくと流れている。
「これはひどいな……。すぐに縫合、輸血しなければ死ぬぞ」
リリーは素早く男の体に触診し、男の状態を確認する。
「服部!手術の準備を!」
「っ、分かった!」
慌てて手術に必要なものを取りに行く。
「おいおい叔母さん、そんなに慌てんなって……」
「黙れ、患者の前で騒ぐ奴があるか」
「申し訳ない」とアルベルトは肩をすくめる。
「さて…それじゃあ服部、血液パックを渡してくれ」
私から必要な道具を受け取ったリリーは、出血が完全に止まったのを確認すると慣れた手つきで傷を縫い始めた。
それを男を連れてきた、やけに大柄な女は心配そうに見つめている。
「お、おお……なんかスゲー」
アルベルトが感嘆の声をあげる。
「よし、これでひとまずは安心だろう」
数分後、リリーは額の汗をぬぐうとふうっと息をついた。
「終わったのか?」
大柄な女が声をかける。
「ああ、終わったさ。料金はある時払いで構わない。とりあえず数か月くらいは大人しくしておくんだな」
「ありがとう先生!ほら、行くぞ!」
「ぁりがとぅござぃました…」
患者の男は、女に引きずられながら出て行った。
「ふう……全く、元気なのはいいが、もう少し落ち着くべきだな……」
「…彼の身に一体何が?」
私が尋ねると、リリーはこちらを向いて言った。
「彼らはこのあたりに住む不良だよ。いつもどこかで喧嘩をしてはこの診療所に運び込まれている。困ったものだよ」
「そ、そうだったのか…」
「ただ、治療費もきちんと払ってくれるから助かっている。それに、アルの面倒も見てくれるのはありがたい」
「なるほど……」
私は苦笑した。なんとも彼ららしい話だと思ったからだ。
リリーの助手として働き始めること一週間。
最初は戸惑うことが多かったが、だんだんと要領を覚えてきた。そして同時に、ここでの生活にも馴染んできた。私の寝床が居間のソファーの上なのは納得がいかないが。
そしてまだ行ったことはないが、リリーはどうやら「出張」と称して都市の外で紛争に巻き込まれた人々を治療して回っており、その帰り道に私を偶然見つけたのだという。
なぜ廃墟に足を踏み入れたのかまでは教えてはくれなかったが…。
そして私の体の変化についても、分かったことがいくつかあった。
どうやら私の身体はの傷は自然に治癒していくらしい。
リリーの診療所生活二日目、私はメスでうっかり自分の指を切ってしまった。だが、なぜか見る見るうちに傷が塞がったのである。
つまり、あの時私の口の大きな傷を治すために使った薬は、そもそもいらなかったということになる。
それを知った時、私はリリーに文句を言った。彼女は「まあ、正直に言うといらないだろうなとは思った」とのこと。やっぱり私は実験台だったようだ。
取り合えず彼女には「今後一切私を実験台として使わない」と約束をさせたが、実際彼女がそれを守ってくれるかどうかは分からないので不安だ。
「よう服部!今日も元気そうだな!」
「やあアルベルト。君こそ相変わらず元気だね」
アルベルトも暇さえあれば私に話しかけてくるようになった。
そんな彼だが、時々悩ましげに溜息をつくことがある。それも決まってリリーのいない場所で、だ。
最近はその回数も極端に増え、そろそろ心配になってきた。
「何か悩みでもあるのかい?」
リリーが出張でいない昼下がり、彼を外に連れ出した私は彼に尋ねた。すると彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情になった。
「えーっと……服部は『ライラ』って奴知ってるか?」
「ライラ?」
「俺の…あー…知り合いみたいな?」
そう言ってアルベルトは顔を伏せる。まるで今顔を見られたくないかのようだ。
横目でちらりと見てみると、耳が真っ赤になっている。どうやら彼にとってライラと言う人物はとても特別な存在らしい。
「それで、そのライラと言う人がどうしたんだ?」
「なんつーかさあ、ライラ、叔母さんと仲悪いんだよ」
相変わらずうつむいたまま、アルベルトは続ける。
「俺はライラもリリー叔母さんもどっちも大事だから、仲良くして欲しいんだよな」
「ふむ…」
私は顎に手を当てて考える。
リリーの口からは『ライラ』と言う名前は全く出てこなかった。
それはつまり、彼女はそのライラをそれだけ嫌っているということにある。
これはライラと言うやつに会ってみなければわからない。
彼からライラのことを聞き出そうと口を開いた時。
「あ、ほら!服部、アイツがライラだ!おぉ~い!」
アルベルトが前方の人物に向かって手をぶんぶん振る。
私も目を細め、ライラと呼ばれたその人物を確認する。
その瞬間、私の口からは「ゴフ」という笑い声が漏れた。
彼の顔が余りにもおかしかったから…という訳ではない。
ライラは余りにも、容姿が整いすぎていた。
短く整えた金髪、サファイヤのごとき青い瞳、桜色の薄い唇。
なるほど、彼もよい女を捕まえたものだ。全くうらやましい、リア充爆発しろ。
そんなことを考えていたが、ふと、あることに気が付いた。
あれ?ライラって人…なんかゴツくね?筋肉質じゃね?身長もなんだかアルより高いみたいだし…。
「ちょ!男じゃねぇか!」
そう。ライラは男だった。容姿のせいで一瞬女に見えた。完全に騙されてしまった。
「何だよ服部、俺はライラが女だなんて一言も言ってねぇぞ」
アルベルトが怪訝そうな顔をしていった。
「しかし…」
そんな私の声を遮るかのように、「アルベルト君!」と。
ライラの滅茶苦茶にうれしそうな声が飛んできた。
そのままアルベルトにガバァと抱き着く。迫力がありすぎて怖い。
「会いたかったよ!僕に会いに来てくれたんだね!?」
そう言いながら頬をすり寄せている。
「お、おう、元気にしてたか?」
「もちろんさ!ああ、君の匂いがする……」
ライラはハア、と熱い息を吐く。何だこいつ、怖すぎる。
「ン“ン”っ…服部、紹介するよ。こいつがライラだ」
「初めまして」
と言ってライラは右手を差し出す。私はそれを握り返した。
「私は、」
「知っています。『アルの友人』の服部さんですね」
私が尋ねると、ライラは不思議そうな顔をした。
「貴方のことは、いつもアルベルト君に聞いていましたから。何でも、傷をつけてもすぐに回復してしまう…『ゾンビ』だとか」
「えっと、はい。なるほど……」
確かにアルベルトは私のことをよく話していたようだし、それなら納得だ。
「それよりアル、今夜泊まりに来ない?」
納得している私をよそに、話をどんどん進めていくライラ。
「ばっ、馬鹿野郎お前何を言ってるんだよ!そういうのはまだ早いっていうか」
「まだ……ってことはいずれならいいのかい?」
「えっと、それは……その」
アルベルトの顔がどんどん赤くなっていく。
同時に通りすがりのサラリーマンのオッサンの咳払いが聞こえる。
「ちょ、君達ここをどこだと」
私が注意しようと口を開くと、二人そろってこちらを見た。
「「お黙り」」
「はい……」
二人の眼力に私は口をつぐんで大人しくすることにした。
その後、二人が私の目の前でキスをかまし始めた時は、流石に止めに入ろうと思ったのだが。
結局私は黙って見ていることしかできなかった。
ライラとアルはどこかに行ってしまい、私も診療所に戻ることにした。なぜライラとリリーが不仲なのかも結局聞けずじまいだ。
その晩、リリーはやけに不機嫌だった。
「ライラさんとアルはどういう関係なんだ?」
居間の奥の古めかしいキッチンで夕食の後片付けをしながら、私は彼女に尋ねた。
「まあ、仲がいいんだろう」
リリーは食器を拭きながら冷たく答えた。
「本当にそれだけですか」
「他にどんな理由がある」
リリーは眉間にしわを寄せて言う。
「いや……ただ少し気になっただけだ」
「……」
「リリーさん?」
リリーは皿を拭く手を止め、俯いたまま動かない。
キッチンに静寂が流れた。
そのうちリリーはぽつりと語りだした。
「君には少し話しておこう。私はライラのことが……『憎い』。
今の彼を見れば信じられないことかもしれないが、ライラは人間という個体としてはかなり問題がある。分かりやすく言えば『最低男』といったところだ」
私はにわかには信じることができなかった。ライラはそこまで悪い人間ではないように見えたからだ。まさか外面だけが良いとでもいうのだろうか。
「…といってもそれは昔の事だがね。今の彼はやさしい。彼にアルの人生を任せるのも良いと思える。だが、私には彼が犯した罪を赦すことなどできない」
「罪…?一体君と彼の間に何があったんだ?」
「回答を拒否する。君にはもちろん、ライラにもアルにも教えることはできない」
リリーはそう言って立ち上がった。
「すまないが、今日はもう休むことにする。お休み、服部」
「あ、ああ……お疲れ様…です」
リリーは自室へと戻って行った。
どうも彼女は何かを隠しているような気がするが、下手に詮索すれば脳天にメスをぶっ刺されるだろう。
とりあえずこのことは自分の心の引き出しにしまっておこうと決め、私も居間に引っ込むのであった。