第三話
「こ、これは……」
先ほどリリーが言っていた通り、ここは内乱によって荒廃した街であるはずなのだが、この街はまるでここだけ時間が止まっているかのように、ビル群には汚れ一つないし、道行く人々も笑顔で溢れている。
「どうした、こんなところで立ち尽くして」
呆然とする私にリリーが声をかけてきた。
「いや、この光景に驚いて……」
「驚くことはない。この都市はこれが当たり前なのだからな。まあ依然としてこの都市の外側が戦場になっていることには変わらないが」
「そうなのか」
「そうだとも。君も見ただろう、あの廃墟を。あれはこの都市の一部だった場所だ。ノアの人々はここに壁を作り、新たな文明を創り上げた。
ここには戦争や死の恐怖はない。あるのは平穏な生活による幸せだけだ」
リリーは人込みをかき分けつつ進む。
なるほど、確かにここならば平穏な生活を送ることができるかもしれない、いや、もしかすると生前よりも楽な人生が送れるのか?
ならリリーに頼み込んでいっそここの住人にしてもらうか?私は物凄く悩み、リリーに声をかけようとしたその時だった。
「きゃっ」
目の前で小さな女の子が、足を引っかけて転んだのである。年齢的に小学生だろうか?
これは大変だ、私は膝をつき、その女の子に向かって手を差し出した。
「大丈夫かい?」
しかし私の予想を上回る事態が起きてしまった。
「う…うわああん!怖いよー!!!」
私の顔を見るなり、女の子は大声で泣きだし始めたのだ。
泣き声を聞いた、おそらく母親だろうか、若い女性が慌てて女の子を抱き上げる。
「あ…あの…」
どうすればよいのか分からず、私の身体は硬直してしまう。
はっとして母親の顔を見上げると、母親も青い顔をして私を凝視していた。
「す、すみません、う、うちの娘が…!ほら、おいで!」
母親はしっかりと女の子を抱きしめると、これ以上関わりたくないと言うかのように、その場を去っていった。
「うえぇぇ…ママぁ…」という泣き声がどんどん遠くなっていく。
私はそれを黙って見送った。
私が…怖い?
それはやはりこの顔のせいだろうか。そういえば都市に入ってから何となく人の視線は感じていた。
大きく裂けた口、白く濁った眼、不自然なほどに白い肌。おまけに半裸。
「何あれ…死体みたい…」
「うわ…あいつこっち見てるぞ…」
「しっ!見ちゃいけません!」
「やべ~超気持ち悪ィ」
「人間じゃねぇな、ありゃ」
人々の囁く声が聞こえる。私は眩暈を感じてその場を動けずにいた。
「大丈夫か」
リリーの声が聞こえ、私は顔を上げた。
「ふむ、どうやら君は怖がられるタイプのようだ、先を急ごう」
リリーは私の手を掴むと再び歩き出した。
しばらく歩くとだんだんと人混みが少なくなっていき、小ぢんまりとした店やゴミ、落書きが増えてきた。いわゆるスラム街と言った雰囲気だ。
リリーはある路地で足を止めた。
「さあ、着いたぞ」
そこは、他の家々とは違った趣のある建物であった。
「ここは?」
私が尋ねると、リリーは得意げに答えた。
「ここが私の家であり、診療所だ」
扉を開けると、中から薬品特有の香りが漂ってきた。
リリーは部屋の奥にある机の上に荷物を置くと、「適当に座ってくれ」と言い残して部屋を出て行った。
言われた通りに椅子の一つに腰かける。
改めて室内をぐるりと見渡すと、部屋の隅には白い棚があり、薬が大量に収められている。
本棚には医学書だけでなく、
その横に置かれたベッドでは患者らしき人物が鼾をかいており、床には脱ぎ散らかされた衣服が散乱している。
どう見ても医者の部屋とは思えない。ここは下宿か何かなのだろうか?
それにしてもベッドの上の患者の鼾がうるさすぎる。とりあえず起こしてやろうか。
私は小さなベッドに近寄り、患者をゆさゆさと軽く揺すってみる。
「んん…」
患者が眠そうなうなり声をあげ、のっそりと起き上がる。顔を見られるわけにはいかないと思い、私もあわてて顔を隠した。
起き上がった人物は、龍の模様があしらわれた黒いジャケットを羽織っており、少し伸びた髪を後ろにくくった、どう見ても患者ではない、若い男だった。
「何だよ…起こしてんじゃねぇよおばさん…」
「おばさん」?彼は何を言っているんだ?
「おいおい君、私は男だぞ?それに君は一体何なんだ?」
「うぉ?!リリーおばさんじゃねぇのかよ!え、誰…?不審者…?」
私と目が合った少年は、酷くうろたえるような素振りを見せた。
どうやら彼はリリーの知り合いのようだ。
「あ、えぇっと…私はリリーさんに連れられてここに来たんだ…」
「へぇ~なるほど…つかお前なんで俺の事起こしたんだよ」
男は「くぁぁ」と欠伸をしながら眠そうに眼をこする。
「いや、すまない…少し鼾が…ね」
「え、マジ?そりゃすまんかった!」
男はベッドから降り、ぺこりと頭を下げた。
「いや、良いんだ、ところで君は?」
「俺はアルベルトっていうんだ、アンタは?」男はにっこりと笑って答える。
アルベルトの顔立ちはリリーに少し似ているような気がした。
「私は服部裕二だ。その…どういうわけかこの姿だが、私は…」
私は口元を隠す手をそっとどけながら言う。
「?、アンタ人間じゃねぇの?」
意外な反応だった。ここの都市の住人たちとは全く違う。てっきり怖がられるものだと思っていた。
「まあ…そんなところ…なのかなぁ」
しどろもどろになりつつ私は返事をする。
その時、
「起きていたか、アルベルト」と、リリーが3人分のドリンクを載せて部屋に戻ってきた。
いつの間にか白衣を羽織り、眼鏡をつけている。やはり彼女は医者なのだと実感がわく。
「んあ、おばさん」
アルベルトもリリーの方を向いた。
「服部、紹介しよう、彼はアルベルト・ミューキリオス。私の甥だ。ちなみに16だ」
なるほど甥か、どうりで似ているわけだ。私は納得したようにうなずいた。
さて、と。リリーはお盆を近くの小さい机に乗せ、私に向き直った。
「そろそろ君の傷の手当と、君の素性をはっきりさせておかなければならないね」
「あ、ああ……」
私がうなずくと、リリーは消毒液を取り出し、真剣な表情で口を開いた。
「まずは服部、君が廃墟に来るまえの出来事を教えてくれないか?」
「それが……」
私は自分がなぜあの場所にいたのかを説明した。
自分は元はこの世界の人間ではないこと、外回り中にめまいを感じ、ふらりとしたところをトラックに轢かれたこと。
そして。死ぬ間際に「仕方がないな」という声が聞こえ、気が付いたら廃墟であったこと。
「ふうむ」
私の話を聞き終えると、リリーは顎に手をやり、首をひねった。
「異世界からの転移とはまた珍しいものを……」
「?!君もまさか……!」
私が思わず立ち上がると、リリーは苦笑しながら答えた。
「いや、残念ながら私にはそういった能力は持ち合わせていないよ」
しい気持ちになった。
「でも、それなら何故……」
「おそらく、君が死ぬ前に聞いた謎の声の主と何か関係があるのだろうな。その人物の声を聞いた後、君は死んだはずだ」
確かにそうだ。あの声が聞こえた瞬間、私の意識はブツリと途絶えたのだ。
「それが本当だとするなら、私はどうすれば……」
すると、アルベルトが言った。
「要するお前がここに来たのは偶然ってことだろ?んで、帰れる方法もわからない。だったらここで暮らすしかねぇんじゃねえかな?」
「しかし……」
私は不安だった。見知らぬ場所で、見も知らぬ人々と共に生活するなど、到底できるとは思えない。都市の人々は私を恐れているようだし、そもそも正式な住民コードも持っていないのだ。
「心配はいらないさ」
と、リリーが微笑み、私の傷に怪しげな薬を塗りながらながら言う。
「君はここにいる間、私の助手として働くといい。丁度人手不足だったんだ。役所には私から話を通しておこう。何、多少は顔も聞くから大丈夫さ。難しい手術などは私がやる。
その代わりと言っては何だが……君はしばらく、自分の身の上について黙っていてくれないか?」
「え?!それは一体どういう……」
「言葉通りの意味だよ」
そう言うと、リリーはアルベルトの方を見た。
「なあアルベルト、この事は内緒だぞ?」
「わーってるって!」
アルベルトはニヤリと笑い、親指を立てた。
「では、よろしく頼むよ、服部」
「え…えぇ……でもこの顔じゃあ…」
そう言いながら顔を触れてみて驚いた。傷が、無くなっている。
「私特製の秘薬だ。ふむ、どうやら人体に影響は無いらしいね」
どうやら彼女は私を実験台に使ったらしい。アルベルトに差し出された鏡を見てみると、痕は残っているが、気にならないレベルにまで傷が回復していた。
「すげぇだろ?俺の叔母さん」
「……まあ……すごいな……」
私は苦笑しつつ答える。
「まあそういうわけだから、これからよろしくな!」
「ああ……わかった。ありがとう」
私は頭を下げる。こうして、私はしばらくの間この診療所で世話になることになった。
私が死ぬ間際に願った、「ましな人生を送りたい」という願いはまだまだ叶わないようだ。