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「対魔」

 ドグマは、どこにでもいる普通の青年、あるいは少年だった。

 幼い頃に、ドグマの両親が魔物に殺された。それは騎士が常駐しない小さな村ではさほど珍しくなどないことで、そこで彼は、たった一人の肉親である弟ともに生きることとなった。


 当時のドグマには、何の力もなかった。生きていく力のない彼は、生きるために、殺す力を欲した。魔物を殺して、弟を守る力を、ドグマは欲した。それは、冒険者であった父の血によるものであったかもしれないし、両親を殺した魔物という存在に対する復讐でもあったかもしれない。


 果たしてドグマは、村の猟師の弟子として活動するようになる。

 猟師の男は厳しく、そしてどこまでも現実的だった。魔物は、危険だ。狩るなら、動物を。


 それが彼の教えで、そしていつだって、ドグマはそんな彼に対して不満でいっぱいだった。強く、なった。自分の両親を食い殺した魔物も、今なら斃せるはず。


 日に日に強くなっていく思いの中、ドグマはとうとう猟師であった彼に内緒で、一人で森の奥に入り込んだ。


 そして、数か月。

 馬鹿なことをしたと、魔物に殺されたと村人に考えられていたドグマは、帰還を果たした。凶悪な魔物の毛皮をまとい、背負った荷物に、魔物からとれる魔石を大量に入れて。

 猟師は、ドグマを見てただ破門を言い渡した。


 そしてドグマは、村唯一の魔物猟師になった。村はそれ以降、魔物に襲われることはなくなった。そこには、自分たちを狩る者が、その来訪を待ち望んでいたから。村人を狙えば、決まってその敵が姿を現したから。日に日に周囲の魔物の数が減り、そのうちにドグマは森のさらに奥へ足を運ぶようになる。


 そしてそこで、一人の少年を助けた。白い肌と、銀色の短髪。高い知性をうかがわせる落ち着いた紫の瞳が、じっとドグマのことを見つめていた。


 自分と同じか、少し年上の少年。美しい刺繍の施された鮮やかな服に身を包む少年に、彼は出会った。


 命を狙われているのだと、少年は話した。自分は、強くなるためにここに来たのだと。けれど少年にとって魔物は強く、そして彼は逃げるように、追い込まれるように森の奥深くにたどり着いたという。

 見れば、その丈夫そうな靴は泥にまみれ、服はところどころ枝に引っ掛けたようでほつれが見られた。


 ドグマの逡巡は一瞬で、彼は少年を森の出口まで送っていくことにした。少年は、自分と同世代の「強者」を、目を輝かせてほめたたえた。ドグマも、まんざらでもなかった。だから、少年の瞳の奥に宿る、ほの暗い感情に気が付くことはなかった。


『君はきっと、素晴らしい冒険者として名をはせるんじゃないかな?』


『冒険者じゃない。俺は猟師だ……破門されたけどな』


『んーでも猟師って響きが悪いよね?そうだ対魔なんてどう?魔物に相対し、魔物を倒す人。対魔。君にぴったりだと思うよ!』


 森の出口で手を振る少年と別れてから三年後。

 気が付けば戦争が始まって、帝国に重い空気が立ち込めつつあった。


 それからおよそ半年後、13歳になったドグマに、帝国特殊部隊「シンカー」への徴用命令が届く。

 幼くも村一番の美女と名高い幼馴染を妻に娶り、とうとう弟を育て切り彼も少年から青年へと移ろい始めた頃、順風満帆な人生に吹いた一陣の風。それが運んできたのは、血と煙に満ちた戦場のにおいだった。


 帝都は、小さな村で育ったドグマの目では、混沌に等しい場所に映った。隣の人の会話を聞き取るのも怪しいほどに声であふれ、生活音に満ち満ちたその世界は、まさしくドグマにとって未知だった。


「誰か、そこのやつを止めて!」


 その声は、雑踏になれないドグマの耳にするりと入り込んだ。甲高く、けれど不思議と落ち着いた響きのある声を聞くや否や、ドグマは走り出していた。ドグマの脇と通り抜けて人ごみをかき分けて走る男へ、ドグマはとびかかる。


 バキ、とつかんだ手の中から何かが壊れる音がした。痛みに悲鳴を上げる男を押し倒したドグマのもとへ、声の主が近づいてきた。


「そいつに荷物を取られてしまってね。助かったよ」


 顔を上げた先に映るのは、美しい女性の顔。妻など比べるべきもない、まさしく芸術作品のような美女が、ドグマへ微笑んでいた。光を反射する金色の髪がまぶしく、落ち着いた光を宿す翠色の瞳の奥に険しい顔つきのドグマが映っていた。


「あ、いえ、どうも」


 とはいえ、根本的に女性にさほど興味がなかったドグマは、女性にそっけなく返し、それから男がつかんでいた女性もののカバンへと目を向ける。


「これか?」


「そうよ。本当に助かったわ……殺されるところだった」


 殺される、という言葉が、いやに残響した。たかが荷物を取られた程度で殺される、その思考の果てにドグマが理解したのは、女性が何か高額な品を頼まれて運んでいるというもので。

 だから、地面に放り出されていたカバンから滑り落ちた、一つの手紙にドグマは目をむいた。


 真っ赤な、血を吸ったかのような赤。それは残虐帝が好む色であり、その手紙の蝋封は赤を凝縮したようなどす黒い色をしていて、そこの紋章が彼の目を捉える。


「あっ、なんでもないのよ。なんでも、ね」


「………」


 カバンと一緒に地面に落ちていた手紙を拾い上げた女性が、慌てたようにそれをカバンの奥へしまいなおす。


 ——殺される。


 女性の声が再生される。震える口が、勝手にその単語を紡いでいた。ドグマの思考とは別に。


「シンカー」


「ッ、なぜそれを……まさか、あなたも?」


 こくん、とうなずくそこに力はなく、ただ言いしれない不安と不快感が、ドグマの身を包み込む。殺されるような状況が、あの手紙の先に待っているかもしれない。魔物に等しい何かが、口を開いて自分を待ち構えているのを、ドグマは幻視した。その敵の名を、暴君帝ベインツィヒといった。


 結局二人はそのまま、シンカー候補者たちが逗留するために用意された宿に足を運んだ。

 皇帝が呼び寄せたにしては粗末な、けれど分相応な宿。その一室のベッドの上で、ドグマは先ほどの女性の言葉を反芻する。

 自分や彼女を殺すかもしれない、暴君帝は敵か?倒すべき、敵か?


 魔物討伐という殺伐とした世界で生きてきたドグマにとって、敵と味方、二つに分けて物事を考えることはひどく自然なことで、けれどこの時、なぜか暴君帝を敵のグループに組み込んではいけない気がした。本能が、それを止めていた。

 それがなぜか、いくら考えてもドグマにはわからなかった。



それは、ドグマが帝都にたどり着いてから三日目の夜だった。その日の昼間、集まったシンカー候補たちは宿の最上階の広い一室に集められた。およそ30人。驚いたことに、集められた者たちの中には戦闘に携わっているとは思えない、明らかに素人を思わせる動きをする者もいた。


 人数に対して少し狭い部屋で彼らを待っていたのは亡霊のように無表情で、そして抜身のナイフのように油断ならない男だった。


「あなた方の実力を確認したのち、この中からシンカーに正式採用するメンバーを決定いたします。実力が不足していると判断された者は……」


「んな奴が、何だってんだ、あ?」


 わずかにためを作る男に、集まった中の一人が吠えた。冒険者らしき粗野で、そして自分の戦果をひけらかすように、すぐさま戦いの場へ向かうわけでもないのに魔物の毛皮でこしらえた装備をまとっていた男。彼が口をはさみ、そして、その首が落ちた。


「このような対応をさせていただきます」


 血が、高級そうなカーペットを染めていく。その場の誰も、一言も発しなかった。ただ、顔を青ざめさせて、男の言葉の続きを待っていた。実力が期待未満であれば、床に倒れた男の二の舞になる。そのことを、男の言葉を聞くまでもなく理解した。


「それでは、各々の資質に合わせたこちらのノルマを三か月以内で達成してください。ああ、協力していただいて構いませんよ。ノルマがこなせれば、それで構いません」


 それだけ言い残すと、男の姿が消失した。そこには初めから誰も立っていなかったようで、けれど床に倒れた男の死体と強烈な血のにおいが、彼が確かに先ほどまでここにいたことを伝えていた。


 金縛りから解放されたように、青ざめながらも候補者たちは男が指示したテーブルへ行き、そこで自分の名前が書かれた封筒を手に取る。残ったのは、床に倒れる男の一つ。その赤い封筒が、ドグマにはまるで男の血を吸い取ったかのように感じられて、ひどく不気味だった。


「……これ、は」


 おそらく魔物の討伐だろうと踏んでいたその予想は正しく、けれど、魔物の名前は、聞いたことのないものだった。

 思えばただ魔物を討伐し、その肉や素材を売ることで収入を得ていたドグマにとって、魔物の名前というのは重要ではなかった。冒険者にも学が必要だと言っていた亡き父のおかげで、読み書きこそはできたが。


 シンカー候補者の中には文字の読めないものもいたようで、申し訳なさそうに周囲の者に内容を尋ねていた。

 そして、ここにも一人、ドグマに声をかけるものがいた。


「ねぇ、ノルマは何だったの?」


 銀髪の青年が、実に気安くドグマに話しかけて来た。揺れるポニーテールは尻尾を振っているようで、ドグマはそこで、先ほど男が死んだ場面で一切表情に変化が見られなかった要注意人物だと、彼のことを思い出していた。


 紫の瞳が、ドグマを捉える。そこに、誰かの面影が重なった気がした。


「俺は——」


「え、ミュータント・キングの討伐⁉あ、ごめんなさい。あまり大声で言うものではなかったわね」


 背後から聞き覚えのある女性の声がして、ドグマはわずかに眉間にしわを寄せながら振り返った。


「どういう魔物だ?」


 周囲の人間の数名がぎょっと目を見開いたのを確認して、ドグマが聞き返す。顎に細く長い指をあててしばらく考えていた女性は、それからため息交じりに口を開く。


「異形の、魔物ね。ミュータントという他の生物を取り込んで、その体の部位を獲得する魔物。その王がミュータント・キングよ。姿は常に変化して、そして長く生きるほどに厄介で……最近帝都近くの森で目撃報告があったらしいわ。戦争で手が空かない代わりに徴兵で対処、か。シンカーというのも魔物討伐用の組織なのかもしれないわね」


「それはないよ?シンカーは、あくまでも戦争用の組織。でないと、口外を禁止して、シンカーの名を広めた場合に処刑するなんてことを手紙に書かないでしょ?」


 おかしそうに笑う銀髪の青年。その感情が、ドグマには理解できなかった。

 ——なぜ、彼は笑っているのか?


 流れで、三人でそれぞれの依頼を協力して達成する中でも、そんな気持ち悪さは膨れ上がるばかりだった。


 そう、強烈な出来事が、その感情を上書きするまでは。


 シンカー徴用試験は、終わった。

 28名中18名がノルマを達成した。残りのメンバーは、気が付いたら姿が消えていた。そして、正式にシンカーに採用されたドグマたちに、その指令が届いた。


 最初の指令は、偽装工作。

 帝国侵攻の動機づけに、国境付近の帝国側の村を襲えというものだった。


 揺らめく炎の中で、シンカーのリーダーに抜擢されたアメリアという、あの金髪の女性が険しい表情で紙をにらむ。それをシンカーメンバーに回し読みさせ、そしてろうそくの炎にかざして灰にする。


 誰も、何も言わなかった。せめて、敵兵を倒すだけであってほしいと、そんな声が聞こえた気がした。本当に戦争に参加するのかと、絶望の声が聞こえた気がした。

 近くの椅子に座り込んだアメリアは、うなだれたまま動かない。動ける、はずがなかった。


 自国民を、同胞を殺せというのだ。それは、守る者のために守る者に刃を向ける、最悪の行為。試金石だと思われる非道な命令に、暴君帝をなめていた、と皆が思った。

 その程度で、暴君帝などと、呼ばれるはずがなかった。


 翌朝、シンカーが逗留する宿に、絶叫が響いた。


 何事かと飛び起きたドグマは、部屋から顔を出す仲間より一足先に廊下を走りだし、声のもとへと急いだ。何かが、ドグマを急き立てた。早くいかなければ、あるいは、もう遅いという悲観が。


「あ、ああ、あああああああッ」


 慟哭が、響いた。そこは、シンカーリーダーであるアメリアの部屋で、そして半開きの扉の先で、滂沱の涙を流すアメリアがいた。

 わずかにドグマの鼻を襲うのは、嗅ぎなれた血の匂い。


 それは部屋の中央の、アメリアが立つすぐわきのテーブルの上から香っていた。乱雑にかぶせられた紙箱の蓋の隙間をつくり、そしてドグマの手はそこで止まった。


「……………は?」


 目が、あった。箱の中の何かと、目があった。そんなはずがないと、思いたかった。気が付けば息は荒く、そして腕の震えが止まらなかった。

 これは、誰だ。そう、告げたつもりだった。口はただの少しも開くことはなく、目線だけで、ドグマはアメリアに問うていた。口を開いてしまえば、自分たちが置かれた状況に対する絶望が身を包み込んで、希望が零れ落ちてしまいそうだったから。


「いもうと……と、そのおっとと、こども」


 どこまでも冷酷な声に聞こえたのは、きっと感情を押し殺しているから。そうでなければ、言葉など口にできなかったから。漏れ出す絶望が、怒りが、後悔が、不安が、心を雁字搦めに縛ってしまいそうだったから。きっとそうなったら、自分も暴君帝に消されるだろうから。それでは、肉親の死にすら、意味がなくなってしまうから。


 扉から恐る恐る顔を見せた、仲間が絶望に顔をゆがめる。


「ふざけるなッ!戦争への参加を強制しておいて、まだ足りないのかッ悪魔めッ」


 ネロと名乗った銀髪の少年が、吠える。その声に歓喜がにじんでいるような気がしたのは、きっとドグマが壊れていたからだ。

 そう、考えた。考えてしまった。

 

 思えば、ここが引き返すべき最後の場所だった。

 これより先には、死すら生ぬるい、絶望が待っていたのだから。


 シンカーの歩むその先に、救いはなかった。

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