前日譚 小春日和前 四、乾坤一擲ⅱ
前日譚 小春日和前 四、乾坤一擲ⅱ
◉登場人物、時刻
???? 主人公。今回も出番なし。
〈戸田方〉
戸田高雲斎 中堅國人衆。棟梁家の血に
連なる。
大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。
〈南武方〉
櫻井余呉右衛門 南武家の重臣。先陣を務め
る。
田中次郎兵衛 南武家の先陣馬廻に参加す
る軍役衆(雑兵)。
◉軍役衆に関する詳細は一章の「【改訂・注釈】足軽・農兵・被官衆・地侍について」をご覧下さい。
この四人は主人公ではありません。
辰初の刻 午前七時から八時
庚戌二年長月十六日 辰初の刻 大久保六郎兵衛尉(戸田方先陣)
流れる景色と力強い馬蹄の音。
やはり先手を取れた優位は大きい。何よりも我が手勢の勢いがそれを証明している。
最高速に乗って敵方先陣とぶつかる。
“どごぉ”、
物凄い音がする。若侍が手綱をしくじり、敵の騎馬武者と衝突したらしい。そのしくじりもまた、良き経験よ。生きて帰れさえすれば。
さて、私に相応しき良き敵は……
近場にいた身形良き騎馬侍に鑓を付ける。敵は身を逸らして躱し、持っていた弓を捨て、太刀にて討ちかかってくる。
こちらも鑓を捨て、太刀打ちする。鎧を踏ん張り、鎬を削る。
良き敵、剛き敵よ!
何合か太刀を交わしたあと、同時に、一度離れ、再度相見える。
……二度目の衝突は失望を覚えるものであった。敵は衝突の瞬間力を抜くと、こちらに蹈鞴を踏ませて、隙を突くでもなく離れていった。
クソがぁ!
おのれっ、おのれっ、おのれッ、おのれッ!!
せっかくの良き戦を、それ程までの腕を持ちながら、今更ながら臆したか!
怒りに任せて、手近な敵の脇から上へと斬り上げる。敵はどぉっ、と馬から落ち、直後に我が近習に刺し殺された。
「我こそは戸田にその人ありと知られた大久保六郎兵衛尉なるぞ。手柄にせんと思う者は疾く見参せよ!」
若侍の二、三が掛ってくるものの、未熟すぎて相手にもならない。古侍は戦を避け、逃げていく。
おのれ、南武の強兵とはその程度か!
庚戌二年長月十六日 辰初の刻 田中次郎兵衛(南武方先陣)
逃げる、逃げる。
背を向けて逃げる様な肝のない奴はあっという間に討たれる。そんな奴は“逃げの素人”ら。戦う振りして逃げる、逃げて追い付かれる前に、また振り向いて戦う振りして逃げる。
私ほどの玄人になると逃げ方も堂に入ってるんだな。
…………うそ、だ。本当は私だって、何もかも放りすてて逃げ出したい。
そんな事思いもつかない内に、他の連中が逃げ出して、あっという間に悲惨な死に方してるもんだから、こわくなって逃げ出せなくなっちまっただけだ…………
チラリと横を見る。お殿様はそこに居られる。
お殿様なんだから、こういう状況も慣れていなさるだろう。なら、お殿様の近くにいる事が一番生き延びやすいはずら。
……………………本当にそうか?いざって時に捨てゴマにされるんでねぇか?
えぇぃ!考えてもしょうがねぇ。どうせ私の頭じゃ、他にいい方法なんか思いつかねぇら。お殿様に喰らい付いていけば、助かる。そう信じるしかねぇら。
また襲いかかってきた敵の騎馬武者の勢いを、槍を突き出し落とす。…………?、今日は騎馬武者とばかり戦っている気がするな?
小さな違和感は生き残りたい欲求とこちらを殺したい敵とのせめぎ合いの対応に忙しく、直ぐに忘れてしまった。
庚戌二年長月十六日 辰初の刻 戸田高雲斎(戸田方本陣)
よっしゃ!ドンピシャァ!!
先陣からの報せが来て、奇襲が成功したらしい。流石は当国一の夜這いの天才と呼ばれたこのオレよ!刀を振りかざす頑固親父共との修羅場に比べれば、この程度の奇襲は朝飯前よォ!!
よっし!これを機に、出来得るだけ戦果を拡大しなければならない。敵に立ち直る暇を与えず、押しまくらねば。
この先の土地は少し広くなっている様だ。我が先陣の他に本隊が追撃をかけても大丈夫だろう。
「全軍、敵の追撃に移る。手柄を立てよ」
物音一つ立てることなかった我が軍勢から、声なき声が沸き立つ。音に変わることのない空気の揺れ。それは勝利の喜びに満ちていた。
勝てる、この戦は勝てる。
鞭を振り上げ、振り下ろす
「全軍、推し出せェ!」
並足で進撃を始める。
並んで進撃する兵たちの鑓が山の端から顔を出した陽光にギラつく。
馬蹄を轟かせて奔る獣の群れ。
我が前に立ち塞がるのであれば、地獄の獄卒*1ですら破って見せよう。そんな覇気を纏い、軍勢が征く。
“飛流直下三千尺”
(滝の水は飛ぶように真っ直ぐ落ちること三千尺)
それは確かに勝者の軍勢と呼ぶに相応わしい威容を誇っていた。
【お願い】
この作品に出てくる『夜這い』の文言は、いわゆる無理矢理の方ではなく、婚姻交渉の一形態としてのそれを表しております。あらかじめご了承下さい。
◉用語解説
*1【地獄の獄卒】
いわゆる“地獄の鬼”。この場合、その軍勢。
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