一章 棟梁襲名 十四、一将功成りて
一章 棟梁襲名 十四、一将功成りて
◉登場人物、時刻
???? 主人公。次期棟梁。
弥助 口取り。主人公に恩義を
感じている。
於曽右兵衛尉 棟梁家の宿老。討ち手の大将。
余戸左衛門尉 棟梁家の宿老。討ち手の寄騎。
戸田高雲斎 棟梁家の血に連なる有力國人衆。
棟梁家の家督争いに乗じて叛旗を
翻す。
大堂辻前大隅 豪農。乙名衆。若衆のリーダー的
存在。軍役二鑓。
戸田方の在郷被官。
申初の刻 午後三時から午後四時。
申正の刻 午後四時から午後五時。
丁卯四年如月十四日 申初の刻 於曽右兵衛尉
戦は終わった。戸田高雲斎殿は這々の態で逃げ出した。敵将は取り逃したが、その勢には壊滅的な打撃を加えた。暫くの間は立ち直れないであろう。
だが此方の被害も馬鹿にならない。敗勢だった戦の途中から遮二無二突っ込んだものだから、「勢い」と「勢い」が正面から衝突する事になった。今、負傷者の手当、倒れている者どもの中から息の有る者を捜索しているが、向後の事を考えると頭が痛い。
「この老骨の血が滾るとは。本来ならば一分の負けでも良かった戦に我を忘れるなど……」
苦笑する。
笑うている場合では無いのだが、不思議と気分は悪く無かった。
丁卯四年如月十四日 申初の刻 大堂辻前大隅
戸田の領主様が逃げ出されて、御味方は散り散りになった。
だが、村の者にとっては、これは敗北ではない。
萱場の被害も最小限に留められたし、軍役衆には手負いが出た程度で、死に人は出なかった。負け戦で大きく稼ぐ事は出来なかったが、今頃戦場では、村の者どもが戦場稼ぎ※に勤しんで居るはずだ。まずは、良しとしなければ。
……小百姓の者共は一人も生きて帰れなかった。
丁卯四年如月十四日 申初の刻 戸田高雲斎
「………………ぬかったわ!」
潰走中の馬上で独りごちる。
勝てた戦だった、油断さえしなければ。自分の不甲斐なさに臓腑が煮え繰り返る!
……どうする?
今回の敗戦は痛い。元々、侍衆の参戦は少なかったが、総攻めの状態で逆撃を食らった形になり、在郷被官どもの手負、討死が多そうだ。
下手をすると領の防備に影響が出る程かもしれぬ。
---大領を持つ領主である、有力國人だ、などと言っても、それだけでは所領※は守れぬ。
所領を守りたい、望みはただそれだけなのに。したくも無い戦もせねばならん、交流したく無い相手とも交流せねばならん。挙句の果てには、自らの所領を自らの手で守る為にはより大きな“力”に従属し、広域の安全保障を実現するより他には無い。
しかし、それではより上部の戦にまた巻き込まれ、あの惨状を繰り返すだけでは無いか!俺は自分の戦を自分だけの意思で行う為に、棟梁になるのでは、無かったのか!勝てる戦を逃せば、その道が遠のく。金輪際、油断はならぬ!
……俺の戦に懸かっているのは、俺の命だけでは無いのだから。
……取り敢えずは今、この状況をどうするか、だねぇ。
九つの童と侮ったが、アレは中々の武者振りだ。彼奴に棟梁家で力を持たれるのは上手く無い。
……アレは庶子だった筈だ。
であるのに『嫡子の馬標』を使ったのは棟梁家の許しを得ての事か?御簾中様※に遣いを出し、揺さぶりをかけてみるか……
……例え相手が九つの童だとて、もう金輪際、油断はせぬと決めたのだから。
丁卯四年如月十四日 申正の刻 ????
近くの寺を借り床几を据え、於曽右兵衛尉、余戸左衛門尉両名を脇に従え、頸実検、及び軍忠状※を受ける。
整えられた敵方の兜頸。
提出される「分捕頸注文」「手負注文」「手負討死注文」「太刀打注文」「合戦注文」………
於曽、余戸両名が確認し「問題無し」とされた物に「一見了」と記し、花押を書き込む。又は必要に応じて、感状や添え状を発行する。
味方勢に五体満足な者など居ない。
手傷を負い、其れどころか眼を失った者、親族を失った者……
勝利に喜び皆々、本当に嬉しそうに笑っている。
……失った存在に気付かぬ様に。
こんな事にもう慣れてしまっておるのだ。
こんな事はもう、日常に過ぎないのだ。
……戦う、と決めたのは自分なのに。
……もう事は済んでしまっていると言うのに。
今更、迷っている。
---常日頃から感じていた。
こんな事を考える己は
やはり武家の資質に欠けるのか……
己以外の誰かの方が上手く
やれるのでは無いか?---
笑顔を維持する事にも不断の努力が必要だった。
己は、この者共に何をしてやれるのだろうか……
丁卯四年如月十四日 申正の刻 弥助
おんが若様はれーっ、すげぇ。
すくっと立ちなすったら、敵将を直きにゃあ、やっつけなさった。ふんだに、まるで摩利支天さまの如き早業だった。
それに比べておんは……おんは……
若様をお守りすると誓ったはええけど、貝吹いただけ……
刀さ、持てせんし……馬さ、乗れせんし……
でも若様の為なら何でも出来ると思ってただ……
何にもでんのに、おん……
---若様の為に何が出来るのだろうか……
若様は衆から離れなさって、一人。
河原の方を見てなさる。
あんねん大変お働きなさったのに、あんでほんなに辛そうな御顔をされているのだろう……
おん、解らねぇだよ……
丁卯四年如月十四日 申正の刻 於曽右兵衛尉
早馬の報せが届いた……
若は見事な初陣の熱を冷ます様に独り、河原を見ておられた。この報せは見事に初陣を飾った若様の御慶びに水を差す。
沈痛の思いがある……………………………………
…………………………だが、伝えぬ訳にはいかぬ。
「若、御屋形より報せが参りました……」
◉用語解説
【戦場稼ぎ】
戦国時代の戦はその後始末を勝った側が行っていました。もちろん当人達がするのでは無く、近くの農民達に幾ばくかの銭を渡し、農民達に片付けさせていました。これを「戦場稼ぎ」と言います。
死体から剥ぎ取った武具、鎧、小物類は片付けた者の勝手となっていましたので、身なりの良い武者の死体に有り付く事は心効きたる(有能な)農民の心得となっていました。
【所領】
所領=惣村、その集合体。
【御簾中様】
大名の正室(本妻)を指します。
こう言った事から家督争いに発展した例は実際に多かった様です。
【軍忠状】
軍忠状とは戦闘による功績を主人格の上層武士層に認めて貰う為に、実際に戦闘に参加した武士が上級武士層に提出した物であり、『分捕頸注文』『手負注文』『手負討死注文』『合戦注文』『太刀打注文』など様々な名称で呼ばれました。
基本的には勝者側の参加者が出す物であり、負けた側の参加者が出す事は無い、とされています。
元々、戦場での軍功認定は戦闘勝利後、その場で口頭で行われた物なのですが、元寇の際、実際の戦闘地(九州)と上級武士層(鎌倉)が離れ、軍功認定に時間が掛かり、その結果、鎌倉幕府が滅亡する遠因(「悪党」の出現など)になった反省により、南北朝期頃に整備されたとされています。
軍忠状には実際に戦闘を指揮・実見した上級武士が認定する「逐次型軍忠状」(守護請書など)と「一括申請型軍忠状」の2種類がありました。
「一括申請型軍忠状」は認定された「逐次型軍忠状」を添えて、実際の恩給発給権を持つ有力者に数件〜数十件まとめて一括申請されたものです。
この場で認定されている“軍忠状”は「逐次型軍忠状」の方で、この状を添えて、後日、恩給発給権を持つ守護職人(主人公の父)に提出される「一括申請型軍忠状」が提出される事になります。
内容は武士自身の戦場での行動を細かく記した物(敵方に与えた損害、軍功又は自身が被った負傷を含む)や日時、場所、家子・郎党や中間(非武士層の戦闘参加者、雑兵)の参加者の氏名、挙げた軍功、被った負傷やその箇所などを書いた物など様々でありますが、必要最低限の情報として『軍功(奪った頸と討ち取った者の姓名)』と『自分たちの負傷(その箇所・討死した味方の姓名』で構成され、それを実見していた近くで参加していた武士の『証人請書』(つまり証拠)を添えて提出されていました。
これらの情報を元に軍功が調査され、軍功が認められると軍功認定者の花押と共に「一見了」「承了」「無相違」などと記され、実効性を持つ事になり、その軍功を数件まとめて恩給発給者に一括申請する事により『本領安堵』や『新恩給与』などの恩給が発給される事になります。
・2022年6月10日
注釈中の『軍忠状』の項目が誤っていた為、訂正。
◉主要参考サイト
・観応・文和年間における室町幕府軍事体制の転換
花田卓司氏 439ページ
・『紀要第 31号』 平成30年3月
公益財団法人滋賀県文化財保護協会
『北朝期・室町期の近江における京極氏権力の
形成』 北村圭弘氏 50p『戦功認定権』
【若様の為に何にょう、でっかるだんべぇかぁ……】
本文中のある言葉をネット方言辞典で変換したのですが、作中のそれまでの余韻を全て吹き飛ばす余りの破壊力に恐れをなし、そこだけ共通語表記にしました(笑)。
お読み頂き有難う御座います。
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