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月下独虎鈔〜泣き虫國主、乱世を生くる  作者: 独虎老人
前日譚 小春日和前
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前日譚 小春日和前 二、山峡を飛ぶ

|前日譚 小春日和前(こはるびよりのまえ) 二、山峡(さんきょう)を飛ぶ


◉登場人物、時刻

 ????  主人公。今回も出番なし。

 

〈戸田方〉

 戸田高雲斎    中堅國人衆。棟梁家の血に

          連なる。

 大久保六郎兵衛尉 高雲斎家臣。

 

 この二人は主人公ではありません。


 辰初(たつしょ)の刻 午前七時から八時


 何千年も変化がないと思わせるような山間の道が濃い朝霧に塗りつぶされている。

 静寂。

 その風景はこの先、何千年もこの世界は変わらないのだと、自然が問いかけているようだ。

 しかし、その自然に叛逆する様に、人間のみは、その言葉に耳を傾けない。人々は生き残るために、欲のために自然を作り変えていく。


 ……今もまた、安定した濃い朝霧の世界を切り裂く様に、軍勢が現れる。夢から覚める様に世界は音を取り戻す。

 

 険峻(けんしゅん)*1な山々に囲まれた頼りない隘路(あいろ)*2を騎馬武者の群れが進んでいる。

 馬に馬銜(はみ)をかませ、(しわぶき)一つしない人の群れは、ある意味、何らかの犯罪行為に向かう集団のようだ。もちろん、妥協(だきょう)を許さない絶対善の見地(けんち)に立てば、それが盗人集団だとしても、奇襲に向かう戦闘集団だとしても、悪である、という事実には大差無いのかもしれない。前者は物を奪うとしても、後者は命も物も奪うのであるから。


 しかし、妥協なき絶対善の見地(けんち)に立ってしまえば、中世ではそもそも『人が生きる』という事、それ自体が“悪である”との(そし)りを(まぬが)れ得なかったかも知れない。

 中世、人々はそこまで追い詰められていた。


 

 庚戌(かのえいぬ)二年長月十六日 辰初(たつしょ)の刻 戸田高雲斎(戸田方本隊)


 流れる河の轟音(ごうおん)の他は何も音のしない山間(やまあい)で、ドサッと重いものが落ちる音がする。騎馬武者に先行させて、敵の物見を(つぶ)している、その音だ。

 ……一人でも取り逃したら、それでお仕舞い。そんな危うい綱渡りは、今のところ順調に進行している。

 


 南武は強い。

 奴らはこの國では棟梁家に次ぐ勢力を持っていると認めざるを得ない。一國人衆であるにも関わらず、外の國とも付き合い、なにより“(ひな)の公方さま”*3とも昵懇(じっこん)の付き合いだという。奴らの所領はこのような山間の、ろくに田畠もない土地であるにも関わらずだ。


 南武の力の源泉は旧態然(きゅうたいぜん)とした武士には理解できない。そのような者どもに南武は妖術使いのように見えるだろう。

 しかし、もちろん妖術でも呪術でもない。


 南武の力の源泉は()ず『道』だ。「峡乃國」と「海乃國」を繋ぐほぼ唯一の道。当然そこには商人、職人を始めとした様々な人々が通る。金も人も自然と集まるのだ。その利点はいうまでもない。

 また、他國者と商売をする上で取り決めを()わさなくてはならない必要性は、自然に“常日頃からの付き合い”を生み出し、他國者との交流を生み出す。國を超えての“顔の広さ”はこれらが生み出したものだろう。


 次に『山』だ。その険しい山々は天然の要塞として攻める者を(こば)む。それは今、このオレが嫌というほど味わっている。南武の奴輩(やつばら)は要所要所を守れば良いのだ。それは自然、兵力の集中を生む。南武は勝ち易きを勝つ事になる。

 それだけではない、険峻(けんしゅん)な地形はそこに住む人々を自然と鍛え、優れた兵へと成長させる。

 稲作に向かない土地は他の活用法を見いだすしか無いが、畠にすら出来ない土地では草地を利用して、牧が営まれていた。その歴史は古く、この一帯は古来から優れた名馬を産み出す都鄙(とひ)*4に名の知れた馬産地であった。牧から産み出される馬はそれ自体が軍事力を支える軍需品であると同時に、経済を活性化させる優れた特産品でもあった。

 その上、山からは金・銅などが産み出され、生活を豊かにし、鉄を産出して優れた刀・槍・(やじり)などの兵具(へいぐ)を生み出す。この稲作に向かない山々は優れた『武』を生み出すのだ。


 最後にこの一帯が宗教上の一大霊場である事だ。『教え』は人の心の支えになる。そこに住む人々に“秩序“をもたらし、擬似的(ぎじてき)な同族意識を植え付ける。

 それは別の価値観への非寛容(ひかんよう)を生み出し、多様的な価値観を否定することにもなるが、“一色”の世界は、逆に言えば集団行動が結束し、崩れにくくなる。それはもちろん戦場でも同じことが言えるし、価値観が固定化され、調略が難しくなる。

 また、この“回廊”を商人や職人の他に参詣(さんけい)のために訪れる者も多くなり、金や人がさらに集まる。さらに旅僧はどこにでも入り込んでいけるため、國内外の情報が集まる。

 そして南武は最も身近な有力檀家(だんか)として、我らよりもそれらに触れやすい可能性がある。

 寺は日の本でほぼ唯一の学問の研究機関*5であり、それらには所領を統治するための方法論など実践的(じっせんてき)な技術も含まれる。『教え』と日常的に接触することは、とても重大な利点があるのだ。

 


 『道』『山』『教え』。

 『米』、言い換えれば武士が最も大切にする『土地』に頼らない武士。それが今、オレが対峙(たいじ)している恐ろしい南武という一族だった。



 …………近習の者が矢をヒョォッと放つ。木の上からドサッと人が落ちて来る。木の影から百姓姿の男が走り出し、あっという間に射殺(いころ)される。危うい綱渡りはまだ続いている。




 南武にも弱みはある。

 奴らの強みのうち『道』に関しては、回廊の出口の“ある程度の領域”をこちらで押さえれば、金や人はこちらにも流れ込んでくる事になる。富の独占が崩れて、南武は弱体化する。

 回廊に入り込んでしまえば、『山』の富を横から(かす)め取ることもできるし、『教え』の“一色”を崩すことも、こちらに取り込むことも可能だ。

 回廊内のある程度の領域を奪い、難所に要害(ようがい)*6を築き、確保しつつければ、こちらに少しずつ力が流れ、南武は弱体化し続ける。ある程度弱った所を、バクリと飲み干してやれば良い。

 今、南武のような強い勢力と正攻法で争い続ければ、双方病み疲れるだけだ。それでは“利”がない。やるならば強引でも一瞬で勝負を決める“()け”に出るべきだ。

 元々、戸田は水害に(さら)されやすいものの農地に適した『土地』を持っている。それに『道』『山』『教え』が加われば、他の追随を許さない力を手に入れられる。モノにすれば國の主に大きく近づく。

 

 そのためには…………

 ベロリと舌舐めずりをする。何処(どこ)かでまた、ドサッと音がする。

 …………この策を成功させなければ。


 息が荒くなる。手綱(たづな)を握る手が大きく震え続けている。何せ今回の策は敵に気取られれば、それで仕舞いだ。最優先で敵の“目”を潰しているが、絶対に潰しきれるとは言えないし、敵の中にもし気の利いた奴がいたら、見晴らしのきく高台に物見を置くだろう。

 例えば、あの山を回り込んだ向こうに槍と弓とで待ち構えられていたら…………

 ブルリと震える。そうなったらオレの命すら危うい。これは真面(まとも)な戦術ではない、ただの詭計(きけい)*7よ、当たればデカいが、外せば奈落(ならく)へ真っ逆さまよォ。


 だが、それがいい。ゾクゾクと背筋に虫が這い回るような危うい快感。喉がカラカラに渇き、背中にジットリと冷たい汗をかく。足元から地面が喪失し、宙に浮くような心持ち。

 オレは今、山峡(さんきょう)を飛んでいる。

 やめられねぇ、やめられる(はず)がねぇ。それがいつか(おの)が身を滅ぼすとしても…………オレという奴はつくづく度し難い。


 伸るか反るかの大勝負!命の賭かった大博打よ!せめてド派手に賭けてやろうじゃ無いの!



庚戌(かのえいぬ)二年長月十六日 辰初(たつしょ)の刻 大久保六郎兵衛尉(戸田方先陣)


 殿の策にはいつも苦労させられる、口にも表情(かお)にも出せないが。

 全くどうしてこういつもいつも、危うい橋を渡りたがるのか……


 騎馬武者四十騎を預かり、先陣を任されたからには敵の先陣を崩して押し込まなければならない。後続の殿の本隊、八十一騎を決戦兵力として敵本隊に叩きつける為の道を開く。我が軍は準備不足の進軍で、物見の報告すらまだ戻らぬ有様だが、こちらより少ないということは無いだろう。中々骨が折れる。


 …………それにもう一つ仕事がある。

 考えたくは無いが、敵に奇襲を気取られていた時。敵が然るべき地点で槍と弓とで待ち構えていた際は、命を的にして何とか殿の本隊を逃さなければならない。そんな事になって欲しくは無いが……


 背筋がゾクゾクする。喉は乾くし、世界はグラグラ揺れている。背中に冷たい汗をかく。顔が熱くなり、上気している。手を開いたり閉じたりしてみる。握る。

 ……不思議と悪くない。苦笑する。結局、私もあの殿に毒されているのだ。


 山を回り込み、もうすぐ視界が開ける。天国か地獄か、それともまだこの“どっち着かず”が続くのか?答えはすぐそこにある。


 南無八幡大菩薩。

 どうか殿の博奕(バクチ)*8が当たりますように。






◉用語解説

※1【険峻(けんしゅん)】 

 高くけわしいこと。または、そういう場所。


※2 【隘路(あいろ)

 通路として狭い、進行上の難所。


※3 【(ひな)の公方さま】

 モデルは鎌倉公方やその後身の古河公方。また、堀越公方。室町幕府の関東支配のために置かれた出張機関ですが、堀越公方はともかく鎌倉(古河)公方は、実質的に反抗する力を失うまで、ほぼ代々、本家の室町幕府将軍に謀反を起こし、それに起因する乱の数々は、畿内より早く関東に戦国時代をもたらした、と言われています。

 堀越公方足利政知も応仁の乱後に義澄(十一代室町幕府将軍。十三代義輝、十五代義昭はこの系統)を本家に送り込んでいるため、似たようなものと言えるかもしれません。


*4【都鄙(とひ)

 都はみやこ。鄙はひなびた場所(田舎)。

『都と田舎の両方』という意味で、今で言う“日本国中”という意味で使う事が多い言葉です。


*5【日の本でほぼ唯一の学問の研究機関】

 中世の寺社は『徳政思想』(徳のある政治をしようという政治運動。借金棒引きの『徳政令』は元々、その一部でした)による寄進により、下手な武家や公家より広大な荘園を持っていた為、それを管理する技術を持った荘官(荘主(しょうす・そうす)と呼ばれる)を育成する必要があり、専門の荘官養成機関を持っていました(特に五山派禅寺が有名)。

 これは計算・経理・管財、土木技術、農業技術などを教える当時ほぼ唯一の専門機関で、そこで養成された荘主はとても優秀で、武家領や公家荘園にも貸し出される『人材派遣業』的な業務も行っていました。

 今川家の太原雪斎、毛利家の安国寺恵瓊、徳川家の以心崇伝、南光坊天海など大名家のブレーンに禅宗を始めとした各宗派の僧侶が多いのは、外交僧(僧侶は権力から独立している建前〈『無縁』〉を持っていたため、どこにでも出入(ではい)りしやすかった)としてだけではなく、そう言った技術の担い手だったからという理由もあります。


*6 【要害(ようがい)

 城や砦のこと。


*7【詭計(きけい)

 人をだますこと。


*8【博奕(バクチ)

 当時、賭け事はどこにでも見られましたが、多くの施政者はこれを非常に問題視しており、場所によっては死刑や追放刑、もしくはその両方など非常に重い罰則を課していました。村から「(逃亡したので所在不明だが)村からバクチの(とが)で追放。見つけ次第殺害すること」という当時の回状(周辺地域への連絡状)が多く発見されています。

 …………八幡様に何てこと祈っているんでしょうか、この人は。



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[気になる点] 方言など読みづらくする要素が多いため、序盤にこのまま読み続けたいと思う何かがないと読者が離れていってしまうのではないでしょうか?
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