Ⅱ
おはようございます、こんにちは、こんばんわ。八幡八尋です。
『ねじれの位置に恋模様』第2話になります。テレパスって最高のツッコミ役になることに、書きながら気付きました。今後に使えるかどうかは分かりませんが……
今回も楽しんでいただければ幸いです!
世の中には知らなくて良いことと、知ってはいけないことがある。例えば、バイト先の店長が今日わざわざ電話予約をして来店する客に、心の中でうんざりしているのは、別に知らなくて良いこと。例えば、店長がうんざりしているその原因が、数週間前に別れた彼女で、何の因縁か客としてやって来る点であることは、知ってはいけないこと。日本語には「知らぬが仏」という言葉があるが、全くもってその通りだと、私は常々感じている。
「またため息ですか、店長」
頼まれた商品を倉庫から持っていく途中、休憩室で本日何度目かの深いため息をつく店長に声をかける。ああ、沢井さん、と覇気のない声で私を呼んだその人は、隠すこともなくまた大きく息を吐いた。
「お疲れ様です……なんか、あったんですか?」
色々察していることを悟られないようにそっと訊ねてみると、店長は片手を頭の上に置いて少し首を傾げた。
「いや、これといって特にはね。今日は比較的平和だよ」
「そうなんですか? じゃあなんでまた」
「ちょっとね……」
はは、と乾いた笑いを返される。
「ため息ついたら、幸せが逃げるんですよ」
「え、それ迷信じゃないの?」
「さぁ? でも、気の持ちようって言いますし」
前向きにいった方が良いですよ、と言い残して、私はレジの方へ向かうことにした。
突然だが、私は人の心が読める。いわゆるテレパシー能力というやつだ。他人の心の声が聞こえるのは、以前は嫌で嫌で仕方がなかったが、最近、とあることをきっかけに「まぁそれもいいか」なんて思うようになった。いまだに神からのギフト、なんていう迷信めいた表現は嫌いだが、自分でも少し丸くなったような気がする。もちろん、それで急に心の扉が開くわけでもなく、この特殊能力に関して知っているのは、相変わらず両親と弟、そして父方の祖母しかいないのだが。
「あ、そうだ。沢井さん」
いつものように閉店の締め作業をしていると、唐突に店長から声をかけられた。昼間見たときより心なしか表情が明るいのは、件の客が元カノと同姓同名の全くの別人だったからだろう。まったく、口に出さないとはいえとんだ迷惑な話だ。元カノの声聞き間違えるか? 普通。
「はい、なんですか」
「ちょっとさ、頼みたいことがあるんだけど」
「はぁ……」
改まって言われるとこちらも緊張してしまう。店長の頭の中は、言おうか、どうしようか、やっぱり俺が行く方が良いのか……と迷いに迷っていた。
「清口さんのことなんだけど」
散々迷って出されたその名前に、私の心臓はドキリと跳ね上がる。清口さんは、同じくレジと事務作業担当の私の先輩、否、教育係に当たるベテランだ。
「そういえば今日、来られてなかったですね。急にシフト変わったんですか?」
平静を装って店長に尋ねる。シフトが被るはずの日なのに見かけなかったことは、実は1日中気になっていた。
「いや、今日お休みで。なんか、風邪ひいたらしいんだよね」
「な、なるほど。大丈夫なんですかね?」
「そう、それなんだけど。休みますって電話くれた時に、なんかちょっとヤバそうな感じだったから気になってて……それで、沢井さんに様子見てきてほしいんだよ」
「はい?」
思わずすっとんきょうな声が出る。確かに、私と彼女は家の方向が一緒で、帰り道に彼女の家に寄るのも可能だと思う。だと思う、というのは、家の所在地はなんとなく把握しているが上がりが一緒になったことはないので、実際に家を見たことはない、が含まれているのだ。
「ていうか、清口さんシフト朝からですよね? もうちょっと早めに別の人にお願いできなかったんですか?」
時刻は午後8時。本当にしんどそうなら、私より先に上がった人に様子を見に行かせることだってできただろう。店長に対して怒りが出てきて、しかし他の人が彼女の家に上がることを考えると、少しモヤモヤした。
「昼に電話したときは大丈夫ですって言われたんだよ。でも、さっき電話しても繋がらなかったから」
「それって、倒れてるとかそんなことは……」
「いや、それはない……とは言い切れないけど……ないって言わないとフラグじゃん……」
ないって言った方がフラグじゃん、という突っ込みは呑み込んだ。どちらにせよ気がかりだ。私が行って確かめる他ない。
「わかりました。押しかけてみます」
パソコンの電源を落としながら言うと、店長は心底ホッとした様子だった。
かくして、私は清口さんの家に行くことになった。店長から受け取った住所をスマホに入力する。なるほど、確かに私が1人暮らしをしているマンションからかなり近い。というか、彼女も別のマンションに住んでいたのか。
「てっきり一軒家だと思ってたわ……」
勝手な妄想が外れたことにガックリする。でも確かに、独身女性が一軒家、というのはあまりない話なのかもしれない。
夜道をザクザクと歩く足音は、いつになく緊張していた。
私は、清口さんを恋愛的な意味で好いている。それに気付いたのはつい先月の話で、しかもその時に彼女の気持ちまで一緒に知ってしまったから、この恋にあまり不安だとかは感じていない。人を好きになること自体が初めてなので、そもそもよく聞く恋愛の不安というのが何なのかも、いまいちよく分かっていないのだが。散々迷った挙げ句、両想いなことを知っているのは私だけ、だから、彼女が心を開いてくれるまでこの気持ちは隠しておこうと決めたのは、先週に入ってからだった。自分の心にこんなに向き合うのは、人生で初めてかもしれない。
そうこうしているうちに彼女の家__正確にはマンションのエントランス__に着いた。少し躊躇ってから、インターホンを押す。しばらくの間の後、スピーカーから声が聞こえた。
「……はい、どちらさま?」
ゴホゴホッと辛そうな咳をした声の主に、弾かれたように早口になる。
「清口さん、私です……沢井、沢井奏です!」
「沢井さん……?」
「こんな時間に、押しかけてごめんなさい。でも店長から様子見てこいって言われて……」
言い訳がましく店長を引き合いに出すと、しばらくの沈黙の後、開けるから来ていいよ、と小さな声で言われた。
「すみません、お邪魔します……」
3階に上がると、清口さんは扉から少し顔を覗かせていた。私を見つけると扉を大きく開け、中に入るよう促される。
「本当に、ごめんなさい。迷惑かもしれないって思ったんですけど……」
「いいの、こちらこそ、何のお構いもできなくてごめんなさいね」
「いえいえ! 清口さん風邪引いてらっしゃるんだからいいですよ……むしろ、すみません」
頭を下げるとあやすように髪を撫でられる。触れた手がほんの少し熱くて、やっぱり熱があるのだということを再認識させられた。
「色々、買ってきたんです。スポーツドリンクとか」
お金気にしなくて良いですから、とコンビニの袋を差し出すと、中身を確認した彼女はありがとう、とはにかむような笑顔を見せた。不意打ちに思わず顔を背けてしまう。
「店長、電話かけたけど出なかったから、様子見てきてほしいって言ってました」
「あ、なるほどね。いいって言ったのに……」
携帯の着信履歴を見た清口さんが、この時間は薬飲んで寝てたなぁとごちる。思ったより元気なのかもしれない。あまり長居して、彼女に気を遣わせてはいけないから、早々に退散することにしよう。
「顔見れてよかったです。レトルトのお粥とかも買ってきたんで、もしお腹減ったとかなったら食べてください……何か、お手伝いすることがあれば手伝いますけど、なさそうなら帰ります。あんまり、長居するのも申し訳ないし……」
言いながら椅子から腰を浮かせると、机に置いた片手をそっと掴まれた。
「じゃあちょっと……色々、頼んでもいい?」
立つのが辛いという彼女に代わって、台所でレトルトのパックを電子レンジに突っ込む。放置されたままの食器も気になったので綺麗に片付け、もうひとつ頼まれた洗濯機も回しにかかった。
「ごめんなさいね、疲れてるのにこんなことさせちゃって」
「いえいえ、やるって言ったの私なんで、こき使っちゃってください」
ホカホカのパックをお皿に開け、彼女の前に差し出す。少量ずつ口にお粥を含む彼女を見ながら、私も自分用にと買っていたサラダを食べた。
「沢井さん、夕飯それだけ?」
「まあ、面倒なので」
「ダメよ、ちゃんと食べないと。あなたただでさえ細いんだから……って、ごめんなさい、私ったらまたお節介。本当、おばさんの悪い癖ね」
我に返って謝られるが、別に悪い気はしなかった。
夕飯を終え、彼女に薬を飲ませると、時刻は既に午後10時を回っていた。
「清口さん? 私、そろそろ……」
「ベッドまで、連れてって」
帰ります、の最後の言葉を衝撃の一言で塗り替えられ、思わず固まる。薬で眠くなったのか、随分甘い声だった。比例するように私の心臓の鼓動も早くなる。
「じゃあ、どうぞ……」
そっと肩を貸して腰に手を添える。細すぎるのはあなたの方だと、喉元まで出た言葉を無理やり押し込めた。家に入ってから唯一、固く閉ざされていた扉がゆっくりと開かれる。よほど辛いのか、んん……っとくぐもった声を出して両腕を首に回してきた彼女と、扉が開いた瞬間に包まれた彼女の匂いに、私までクラクラしそうだった。なんとかベッドまで連れていき、ゆっくりと寝かせる。首に腕を回されているせいで、距離がほとんど0だ。
『暖かい……やっぱり安心するなぁ』
呑気に微睡んでいく彼女の心の声を聞きながら、私は自分の心臓の音が聞こえないか不安で仕方なかった。首にまとわりつく腕を優しく解き、自分を少し落ち着かせる。ふうっとらしくない息をついて、部屋を出ようとしたその時。
「行かないで、奏ちゃん」
服の裾を掴み、清口さんが囁いた。掴んでいる手は弱々しかったが、それが、本心から来る言葉であることを、私は誰よりもよく知っている。
「……分かりました、ここに、いますから」
ベッドの縁に腰を下ろして服を掴んでいた手を握り直すと、彼女は満足そうに微笑んで、そして眠りの世界へ落ちていった。
愛しい人の寝顔を眺めながら、そうか、自分の気持ちがバレないかが恋愛の不安になるのだ、と気が付く。だったら私もちゃんと不安だ。聞こえないことが分かっている彼女に、自分の心が聞こえやしないか、ドキドキしてしまうくらいには。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次週は若干視点変更です。良ければまた、覗いていただければと思います。それでは!