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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第5章 おはようの朝はまだ遠くに
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第5章 15 濁水の女王

 

 ※




  姿を表したのは、魚でも、新たな『ナイトメア』でもなく、この夢の主その人だ。


  水面から飛び出したヨミは一糸まとわぬ姿のまま、太い鎖に締めあげられピクリとも動かない。

  その様は死んでいるのかと思うほどで、まるで精巧な彫刻か何かにすら見える。


  「……っ!今助け…っ。」

  「暴れんな。不用意に近寄んなっての!」


  ヨミの方に進もうとジタバタする私をクロエが襟を掴んで止める。その様はまるで駄々っ子に手を焼く母親だ。


  「忘れんな、今のヨミはウチらにとっては敵だぞ?」

  「……ッ、ヨミハ、テキジャナイモン。」


  クロエの言葉に冷静さを取り戻す私とは対称にシラユキがクロエにムッとして反論する。


  そうよ、シラユキの時もそうだった…


  夢の世界に現れた本人は、精神を汚染された状態なわけで、無策で突っ込んだら確実に痛い目を見る。


  「どうしたら!?」

  「おぉい。あんだけ経験者ですけど?オーラ出しといてそれかよ!?知らねぇしそんなの!!」


  『ナンバーズ』の頼りになる先輩はそんなの悲鳴を私に返してくる。確かに、一度シラユキに潜っていながらいざ現場ではどうしたものかと慌てふためくとは情けない。


  「ハルカ!ワタシノトキハ、ドウシタノ!?」


  シラユキの言葉に私は答えに窮する。

  あの時、シラユキを助けたのはヨミだ。正直、私はただ守られながらがむしゃらに戦っていただけ…


  「……っ!腐ってる場合じゃない!」


  私は精神汚染で重くなった思考を切り替える。

  そう、ここはヨミの世界。なら語りかければ何かしら反応があるかも…


  「……とにかく近づくわ。」

  「えぇ…ウチはやな予感すっぞ?」


  ごねるクロエを説得して私たちは彫刻のように固まるヨミに近寄る。


  「…ドウスルノ?」

  「……とにかく、語りかけてみる。私たちって分かったら、なにか反応するかも…」

  「は〜やだわ怖。怖すぎ、怖すぎて無理。」


  クロエの攻撃によるものなのか、ヨミの出現に伴い湖の中が静かになる。さっきまで泳ぎ回っていた魚影たちが全く姿を見せなくなった。

  それに応じてか、霧の向こうで人影がこちらに近づいてくる。どうやらコハクは無事そうだ。


  「…この湖はヨミっちの心そのものっぽいな。」


  と、私たちを連れてヨミの元まで向かうクロエが呟いた。

  クロエが覗く水面の先、濁った水の中でヨミの心に刻み込まれた風景が目まぐるしく変化している。


  ……大丈夫、今助ける。


  伝わるわけもないのに心の中で念じて私はヨミに手を伸ばす。

  もう触れられる距離だ。私はクロエの見えない力に吊り上げられたまま、身体を伸ばすようにしてそっと触れた。


  --酷く冷たい。まるで死んでるみたいに……


  「……っ、ヨミ、起きて。」


  私にならうように、シラユキもヨミの冷たくなった白い肌に指先で触れた。


  「……みんな待ってるんだから、早く起きなさい…この、バカ。」


  何を言うのか考えるより先に私の唇から言葉が紡がれる。消え入りそうな小さな声が、霧の靄にさらわれて消えていく。

  はたして届いているのか?

  いや、ここがヨミの心の中なら、きっと届いている--


  そう信じて、もっと触れようと身体を伸ばす--


  「--逃げてっ!!」


  霧の向こうからそんな警告が飛んできたのは、ヨミにさらに触れる直前だった。


  コハク……?


  声の方に振り向くより早く、私とシラユキの身体はクロエによって無理矢理引っ張られて上昇した。


  いきなり身体に襲いかかるGに胃が絞られるみたいな吐き気を感じたが、そんな不快さを噛み締める間も与えられない。


  --深い深い湖の底。

  どんより濁った水中に--ヨミが佇む真下から、なにかの巨大な影が確実に登ってきている。


  ヨミっ!!


  気づいた私が手を伸ばすが、クロエはそれに応じてくれない。

  そんな私の目の前で、巨大な飛沫をあげた水面が膨れて爆ぜた。


  眼下、ヨミの身体を呑み込むように出現したのは、形容しがたい怪物だった。


  ヨミを呑みこむ大きな口は四つの弁に別れ、まるで花弁みたいに開いている。その中は眩しいくらいの赤一色だ。

  大きく四方に割れた口の下には、まるで女の髪の毛ような真っ黒な毛を生やした顔が続く。左右についた灰色の目はまるで切れ込みを入れたみたいに細く、周りが赤らんでいる。


  顔だけでヨミの数十倍はあろう体躯--巨大な顔から下に伸びるのは細長い魚の体だった。形は鯉に似ている。

  特筆すべきはエラ蓋の周りに生えた無数の人の手。あの怪魚たちの腕が数え切れないくらい体の両側に生えて蠢いている。


  鯨くらいありそうな体に腕を生やした巨大な人面魚--


  端的にその『ナイトメア』の容姿を表現するならそんなところだろうか…

  とにかく異様で、不気味な怪物だ。


  『ナイトメア』はヨミを口に含んだまま口を閉じ、再び倒れるようにして湖の中に落ちていった。


  その光景を真上から見て絶句する私とシラユキ。目の前で友人を食われた私たちにクロエだけが淡々と冷静に指摘する。


  「落ち着け。ここはヨミっちの夢ん中だ。自分で自分を殺すかよ。多分、剥き出しの自分を外敵から守ったんだ。」

  「…ガイテキ。」

  「ウチらのこと。」


  冷静さに眼下を眺めるクロエの視線の先で、獲物を求める怪物が遥か頭上の私たちを待ち構えて遊泳する。

  ヨミから遠ざかる私の胸の中で焦りがふつふつと湧き上がってくる。


  「さて!」


  私たちを浮遊させたままのクロエが下に向かって人差し指を向ける。その指を上に持ち上げるように曲げると、真下の水面が何かに触れられたように大きく波紋を広げた。


  「うわわわわわわわわっ!?」

 

  クロエの見えない力に引っ張られ、橋の上に佇んでいたコハクが霧の中からこちらに向かって上昇してくる。


  そんなコハクを逃すまいと、再び水面を突き破り顔を出す人面魚だが、すんでのところで取り逃がす。

  逃げられたとすぐに諦め水中に引っ込んでいく怪物に、危なっかしいと私はため息を零す。


  「浮いてる?え?あれ?私浮いてる?」


  私たちと同じ高さまで引っ張り上げられたコハクが自分と私たちと下の光景にびっくりしながらあたふたしている。


  「あ、ハルカにシラユキ…無事だった?よかったよ。」

  「シラユキがちょっと無事じゃない…」

  「…ダイジョウブダヨ?アシ、ヒッパラナイモン。」


  なんとか全員合流することが出来たが、状況がなにか好転したわけでもない。

  私は以前変わらない状況になんとか冷静さを保とうとする。


  「で、これからどうする?」


  コハクが私たちに意見を求める。私たちと、頭上の暗い空を交互に見つめる彼女の表情は深刻だ。

  私もひび割れた空を仰ぐ。懸念点はやはりそこだ。


  「これは…ヨミの精神がダメージを受けたってことだよね?」

  「…多分。で、私たちはヨミにを傷つけないように、あの子の精神汚染を排除しなくちゃいけない…」


  問題はその方法--

  クロエが言うには、原因を解明してそれを排除する必要があるという。


  シラユキの場合、シラユキの精神が汚染によって上書きされた為、それを排除したことによって解決した。

 

  ではヨミは?


  「…ヨミの精神がおかしくなった理由を探らないと……」

  「理由というか、原因というか…要はヨミが苦しんでいる原因なんだけど…」


  コハクが頭を悩ませる。当然だ。

  今のところ、ヨミの夢の世界は今までの『サイコダイブ』と大差がない。

  かと言って、従来通りヨミの『ナイトメア』をやっつけるのはまずいのだろう。


  『ナイトメア』は精神世界の防御本能だ。自分の中に入り込んだ“異物”を排除しようとする精神の拒否反応。

  『ナイトメア』の攻撃自体は正常な反応だとして、ならどうしたらいいのか?


  はっきり言って手段が不明瞭すぎる。攻撃は正常なヨミの精神構造にダメージを与える。しかしこの世界で私たちにできるのは戦うことだけだ。


  「…カラダガミズデヌレタトキ、スゴクイヤナキブンニナッタノ。シラナイヒトト、ミタコトナイキオクガ、ワタシノナカニハイッテキタ。」


  ぽつりと、力なく項垂れていたシラユキがそんなことを言った。


  「精神汚染よ。あの湖そのものがヨミの感情と記憶なの。だからシラユキ、今は無理しないで--」

  「ヨミハキット、イマワタシトオナジキモチナンダヨネ?ダカラ、オキタクナインデショウ?」


  休むよう促す私にシラユキは続けた。


  同じ気持ち…だから起きたくない…


  精神汚染により感じ取ったヨミの感情と記憶。

  見えたのはあの人の記憶--ヨミは今過去のトラウマに囚われているのかもしれない。


  「スゴクサミシインダ。サムイノ、ココガ……」

 

  シラユキは自分の胸に手を当ててそう呟いた。苦しそうな彼女の表情と声音は、彼女自身が自分のトラウマに苦しんでいるようにすら感じる。


  「ナグサメテアゲタラ…ダイジョウブダヨッテ、ソシタラメヲサマスカナ…?」


  どこまで根拠や確信があって言っているのかは分からない。

  それでも、シラユキの言葉に私はやるべきことの鱗片を見た気がした。


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