第5章 9 もうひとつの顔
「……ワタシ、ヤル。」
睨み合うコハクとクロエの間に、意を決したシラユキの声が飛び込んでくる。その場の全員の視線を集めたシラユキが毅然と続けた。
「ヨミ、ワタシノトキ、タスケテクレタモン。ダカラコンドハ…」
「待って、シラユキちゃん。」
と、シラユキの決意にコハクが横から口を出す。コハクはそのまま視線をクロエに再び戻して慎重な意見を述べる。
「あなたの話を聞く限り、そもそもの原因はあなた達みたいだし…なんだか話も突拍子なくて信用できない。」
「突拍子ないなら信じなくていーよ?そそ、ウチらはなんにも悪いことしてない。」
ふざけた様子で返すクロエにコハクが益々疑心暗鬼を加速させる。
「…作り話にしても自分らを悪者風に語るのはおかしいし……逆に真実だとしても正直に話すのもやっぱり変。なんだかあなたのことがよく分からないな。」
「ふっ、会ってたったの数分でその人を理解しようなどと、無理な話だぜワトソン君。」
「ヨミの状態をこの目で確認しないと…」
「よし!んじゃ今から東京行くか!」
突拍子のないクロエの提案に私は慌てて間に入った。だんだんおかしな方に話が進んでいる気がする。
「待ってっ!コハク、今はそんなふうに疑ってても仕方ないわ。シオリもクロエ先輩と同じことを言ってた。信じるしかない。」
「そーだそーだ。信じるしかねーぞ?」
「あなたは少し黙ってください。」
クロエにきつく釘を刺してから私は二人を見つめた。
「シラユキは覚えてないと思うけど、前回シラユキに『ダイブ』した時、すごく危ない目にあった。コハクは覚えてるでしょ?」
「…何が言いたいの?」
「みんなでそんな危ない目に遭う必要はないでしょってこと。」
私はシラユキを真っ直ぐ見つめた。懇願するような思いで彼女に語りかける。
「ヨミのことは私が何とかするから、シラユキとコハクはこれ以上関わらない方がいいよ。」
シオリがあんな目に遭って、ヨミも絶望的状況だ。この二人まで巻き添えを食ったら私は立ち直れないかもしれない。
「ヤダ。」
「それってハルカが潜るってことかい?」
が、案の定というか二人とも引き下がりはしない。頑として首を縦には振らず私に噛み付いてきた。
「コノマエ、タスケテモラッタモン。イクナラワタシ。」
「ハルカだけでどうにかなると?その危険な『サイコダイブ』を?シラユキの時も苦戦してたみたいだけど…」
コハクに悪意はなかったのだろうが、私は彼女の発した言葉にカチンときた。
「それ、どういう意味よ?」
「そっちこそ。そもそもハルカはどうしてシオリって子から聞いたことを教えてくれなかったの?」
「だからそれは…っ信じていい話かどうか…」
「じゃあこの『ナンバーズ』は信頼できるって?あのね。あの子が心配なのはハルカだけじゃないんだ。」
「…っ、誰もそんな風に言って--」
「言ってる。」
思えば、私ももしかしたらヨミのことで余裕がなかったのかもしれない。もしかしたらコハクも。
売り言葉に買い言葉、私とコハクの言い争いはヒートアップしていく。
「チョット…」
「おぉい!なんでそこで喧嘩すんのさ。」
言い争いにクロエが強引に割り込んだ。話を邪魔された私たちは「なに?」とすごい剣幕で睨みつける。
「ぴえん。」
「ガンバッテ。」
光の速さで撃退されたクロエがシラユキに泣きついた。そんな茶番に今は付き合っていられない。
「私は…っ二人のこと心配だから…。これ以上友達に酷いことがあって欲しくないって…ただそれだけなの!!」
顔が熱くなるような恥ずかしいことを私は大声で叫んでいた。静かな図書館に私の声が響いて二倍恥ずかしい。
恥ずかしいけれど本心だ。
「……心配なのはこっちだよ。ハルカは私より弱っちいじゃん。」
「…っ!だから、どうしてそういう言い方--っ」
「へいへいストーップ!!そこまでだぜベイビーちゃん達!!」
身を乗り出す私とコハクの間に再びクロエが飛び込んだ。
私たち二人の額に手を当てて熱でも測るみたいに二人の距離を遠ざける。
……っなに、してんだろ。私たち……
クロエの手が私たちを遠ざけた直後、すっと熱が引くみたいに私は冷静さを取り戻す。
急に自分のしていることがバカバカしく感じ、私はそのまま椅子に座り込んだ。
私の正面でコハクも同じように、気の抜けた顔で「もういいや。」と椅子に収まる。
「オーケーオーケー。ダチ公がピンチの時に仲間割れしてる暇ないぜ?」
「ソウダヨ?ヨミニワラワレルヨ?」
シラユキに怒られてなんだか急に恥ずかしくなった。
「そーだぞ?それに誰が潜るか決めるのは君らじゃないしね。」
「…すでに決まっていると?」
コハクの問いかけにクロエは大きく胸を張って親指で自分を指し示す。
「まずウチ。で、他に連れてくとしたらシオリかな〜?」
「は!?」
私は机を叩いて勢いよく立ち上がった。私のあまりの勢いにクロエとシラユキがびくりと跳ねる。
しかし今のは聞き捨てならない。冗談にしてもタチが悪い。
「なんでシオリ!?あの子は今入院棟で療養中ですよ!?」
「おう…知ってるし…原因作ったのウチだし……」
「そんな状態の子を潜らせるって言うの!?」
再び頭に血が上る私をコハクが宥める。
「…落ち着いて、ハルカ。シオリちゃんが回復してからの話なのかもしれない。」
「そんなのんびりしてられねーかな?」
コハクのフォローをクロエ自身が台無しにする。
たしかに精神汚染は時間を追うごとに悪化するだろう。しかし、だとしたら尚更看過できない。
「なんでシオリなんですか!?」
「ちょちょちょっ落ち着けよォ。首締まる首締まる!!」
胸ぐらを掴みあげて激しく揺さぶる私にクロエが悲鳴を上げながら私を突き放す。華奢な身体に反して想像以上の腕力だった。
「今回の件は極秘なんだよォ。だから事後処理もやるなら当事者だけって話なの。まぁ極秘事項漏れ漏れなんだけどさ…」
「…極秘…犯罪者以外への『サイコダイブ』だからですか?」
「ハルカぴょん。きみらの考えることはそんなことじゃないっしょ?ウチにそういうこと訊かれても答えないぞ。」
……ハルカ“ぴょん”?
「私たちが今考えるべきことは……どうやってあなたをその気にさせるかってことだ。」
挑戦的なコハクにクロエは「わぉ」と嬉しそうに笑った。こっちはちっとも愉快じゃない。
「そんなに潜りたいってこと?ウチが何とかしてやるって言ってんのに?それか、ウチがそんなに信用ならないってこと?」
「全部。」
バッサリ切り捨てるコハクにクロエは「ガビーン」とショックの表情。
こんな漫才を見ている暇はない。今は一刻を争うのだろう。
シオリを行かせる訳には行かない。私がやるんだ…
「…ヨミは、私たちの友達です。だから、あの子を助けるのも私たちです!!」
言葉を選ぶ余裕もなくて私は思わず声を荒らげていた。
私のその台詞に全員がぽかんと口を開けるなか、言った本人の私の頭がみるみる沸騰してくる。
もしかして今の台詞はすごくくさいのでは…
「…そっかァ。」
クロエは私に向かって、深々と頷いて呟いた。その言葉は先程の調子で軽い声音だが、表情にはどこか影がかかったような、先程までとは違う雰囲気を感じた。
私の中にあった軽薄な今までの印象が一瞬揺らいだ。
「ハナシヲキイタカラ、ワタシタチモ、トウジシャ、ダヨ?」
「情報はもう漏れてるんだし…それにさっきの口ぶり、私たちに潜れって言っているようだったけど?」
追撃とばかりにシラユキとコハクがそう告げてくる。
それにはなんの反応も示さず、クロエはわざとらしい難しい表情を浮かべたまま私のことを見つめてきた。
「…やな訳だ。友達が危ない目に遭うのも、危ない目に遭ってる友達放っとくのも。」
「……っ、友達って、そういうものでしょう?」
どことなく冷たい、射すくめるような視線に今まで感じたことの無い寒気を感じた。
それでも私は毅然と言い返す。
背筋を走った悪寒を毛ほどにも表情に出さずに、一歩も退かぬという意志を込めて…
「……でもそれさ、シオリっポコも同じだと思うんだけど?」
予想外のクロエの切り返しに私は言葉に詰まった。なにか言い返そうと息を吸うが、それが上手く言葉に繋がらない。
「あの子も責任感じてる。だから自分を行かせろって言うだろうし、ウチのマザーもきっとそう言う。きみがヨミの友達であるようにシオリぽこの友達なら、本人の意志を尊重するのも大事じゃん?」
急に真面目なトーンで淡々と言葉を紡ぐクロエに私たち三人は呆然と固まる。
私の言葉を皮切りにクロエの様子が明らかに変わった。まるで別人格みたいに、先程まで見ていたクロエとは別人のような落ち着いた様子だ。謎の敬称は変わらずだが……
「それがシオリぴんを助けることにもなるっしょ?行動しないと、出ない答えも救われない想いもあるよ?」
謎のクロエの圧に私は言葉が出ない。
クロエ先輩の言っていることも、正しいのかもしれない…
そう思った瞬間から、私の口から反論の言葉が失われる。何を言えばいいのか分からない。
それどころか、私たちの主張が--ヨミは自分たちで助けるという想いそのものすら間違っている気がしてくる。
「……っ。」
言いようのない悔しさに唇を噛み締める。同時に、急に様子が変わったクロエが心底不気味だ。
まるで別の生き物みたいな気配と圧は、本当に先程までのクロエと人格が入れ替わったみたいに--
……負けるな!私は間違ってないわ!!
「--シオリも、私の大切な友達です。だから、私があの子の代わりにあの子の責任を果たせばいい…」
大きく息を吸い、吐き出すのと同時に同時に私は言葉を吐き出した。
それは、クロエに見つめられ金縛りにあったみたいなっていた私がほんの一瞬、昔の記憶を手繰り寄せた時に出た言葉。
--ヨミとの思い出。
取るに足らない記憶の断片が、思考まで金縛りにされたみたいなクロエの圧から一瞬私を解放した。
「大事だからこそ、譲れないことも尊重できないこともある!!その分私がシオリに寄り添えばいい…っ!!」
肺に溜めた息を吐き出しながら私は一気にまくし立てた。
直後、私の頭がガンガンと痛み出す。視界が一瞬白く点滅して貧血みたいに足下がふらついた。
倒れそうになる私が何とか椅子に腰掛ける。
「……うぅん。」
私のそんな様子にシラユキとコハクが心配そうに見守り、クロエは驚いた様子で目を丸くする。
「友達かぁ……それを言われると弱ぇよなぁ…」
ため息を吐き出すみたいに虚空に向けて呟くクロエからはたった今までの気配も圧も感じなかった。
……気の所為?
今だに微かに痛む頭を抱えて私がクロエを観察する中で、彼女はやれやれと首を振った。
「わかったよォ…うちの負けだ。」
実にあっさりと、クロエは首を降って両手を挙げた。
「降参」を意味するそのポーズに私たち三人は虚をつかれた。
「エ?マケ?ジャア…」
「た〜だ〜し〜!」
シラユキの唇に人差し指を押し当ててクロエはゆっくりもったいぶって私たちの顔を見回して……
「ウチの条件飲めたらね。」




