第5章 8 得体の知れない
とぼけた声が図書館に響き渡り、あまりの声量に思わずその場の全員がビクリと身体を震わせた。
「あたしを取り合って争わないで!」
次の瞬間にはコハクを掴んでいる先輩の肩にいつの間にか腕を組んでくる少女が、眉を八の字に寄せて割り込んできた。
……誰?
私とシラユキの頭に疑問符が浮かぶ。
寄宿学校の制服ではない黒いスーツ。低い位置で二つ結びにされた黒髪と、爪に彩られたネイルアート。どことなく幼い雰囲気を感じる美少女が突然現れた。
「…あ、クロエ…」
「ん?“クロエ”?」
「……さん。」
先輩が笑顔の少女の圧に気圧され敬称を取って付ける。「よし。」と満面の笑みの少女が頷いた。
……“クロエ”、この人が『ナンバーズ』…
突然の乱入者にぽかんと固まる私たちをよそにクロエと呼ばれた少女は聞かれてもないことを喋り出す。
「いやぁ、昨日まで東京言ってたんだけどさなんか知らんけど怒られてぇ〜、帰りの乗り物手配してもらえんかったから自腹でタクシー乗って帰ってきた。そんだらこんな時間よも〜。」
「…へ、へぇ。」
ペラペラと饒舌に語るクロエに、肩を組まれた先輩はガチガチに固まって大人しくなってしまっている。
今朝あれほどクロエのことを罵倒していて、いざ目の前に現れると「さん」付けだ。
どうやら『ナンバーズ』とは生徒たちからも恐れられているらしい。
「でさ、さっき教室行ったらなんかウチに客、来たんだって?」
クロエの切り出す本題に先輩たちがびくりと身体を震わせた。
「なんかきみらと揉めたって話だったけど?知らね?」
「……いや。」
「…そのお客さん、私たち。」
超至近距離に顔を近づけて先輩に尋ねるクロエに、コハクがはいと元気良く挙手。
余計な事をするなと言わんばかりの先輩たちの視線をよそにクロエが嬉しそうに表情を輝かせた。
「おお〜そうかそうか!チミらかね?ウチに用がある可愛い後輩とは…むっ!?なんだねチミは?可愛いなおい!!」
矢継ぎ早にべらべらと喋るクロエが私の隣のシラユキに猛スピードで近づいて頬を思い切り両手で挟み込む。
餅のようなシラユキのほっぺの柔らかさを存分に堪能するクロエから解放された先輩たちは今がチャンスと足音を殺して図書館から退散しようとする。
「あ〜…後ろの。」
シラユキをむにゅむにゅするクロエが振り返らずに先輩たちに言葉を投げた。まるでぜんまいが切れた人形みたいに止まった三人組にクロエは変わらぬ調子で忠告する。
「後輩には優しくしなよ?」
変わらぬトーン、その表情はシラユキの柔らかさに至福の笑みだ。
対する三人組は、その一言にガタガタと震えだして、脇目もふらずに駆け出した。
クロエに対する先輩たちの反応……クロエに対して得体の知れない恐怖を覚えつつ、とりあえずもう絡まれることは無さそうだと私は胸を撫で下ろした。
「あ〜ん。雪見だいふくかよ。」
「ヤミェテ。タフヘテ。」
※
三人組の先輩たちが退散してしばらく…
私とコハク、シラユキは新たにクロエを迎えて図書館のテーブルを四人で囲んでいた。
「そっかそっか。シラユキって言うのかお前。かわいいなぁお前ェ。」
すっかりシラユキのことが気に入ったクロエが彼女の隣を陣取って撫で回す。最初は嫌がっていたシラユキも、もう諦めたのか今では借りてきた猫のように大人しい。
「で、そっちはハルカとコハクか。」
と、私たちのサンドウィッチを勝手に頬張りながらクロエは頷いた。
簡単な自己紹介を終えて、私は念願の『ナンバーズ』のクロエとの対面に至る。
当初はクロエがヨミとシオリを連れ出したと思っていた。勝手な先輩の行動に文句のひとつも言ってやるつもりだったが、シオリからことの全てを聞かされて考えが変わった。
まず、事実の確認--話はそれからだ。
「初めまして……私たちヨミの友人で--…」
「知ってる知ってる。シラユキに『サイコダイブ』した子らでしょ?」
話を切り出してすぐに私はクロエの言葉に驚かされる。なぜそんなことを彼女が知っているのか?
そこで私は以前ヨミが言っていたことが思い当たる。
シラユキの『サイコダイブ』から目覚めてすぐ、ヨミのところにこの学校の理事長が訪問してきたとか…美味しいお見舞いのクッキーを分けてもらったのを覚えていた。
そういえば、ヨミがクロエと初めて談話室で会ったって言ってたのも、シラユキの『サイコダイブ』のすぐ後だった…
なんだかきな臭い予感に私は無意識のうちにクロエへの警戒が高まっていく。そんな私の心中など知らず、クロエは相変わらず軽い調子で話を続ける。
「で?ヨミのお友達がウチになんの用?」
「……そのヨミが帰ってこない件についてです……あなたが連れていったヨミが…」
クロエに返す私の口調は意識した訳でもないのに自然険しいものになっていた。
私の言葉選びに全く気にする様子を見せないクロエは「うんうん」と頷いた。
「だと思った。んで?」
「…ヨミは今どこです?」
分かっていることなのに私はあえて口にしていた。なぜかは分からない。回り道している暇はない。気持ちは急いているのになぜか言動は慎重になる。
「それは知ってんじゃないの?だからウチに用があるんしょ?」
クロエの言葉が私の心臓を鷲掴みにする。そんな私たちのやり取りにコハクが不満げに入ってくる。
「あのさ、私たちが置いてけぼりなんだけど…?」
「……待って。」
コハクを手で制して私はクロエに切り出した。
「…シオリから聞きました。橘って人の『サイコダイブ』のこと……」
「だろーな。あいつ口軽っ!」
参ったというように額に手を当てて天井を仰ぐクロエ。私は自然言い訳のように言葉を重ねた。
「シオリから喋ったんじゃなくて、私が訊いたから答えてくれただけで……私が無理に聞き出しただけだからあの子から喋ったんじゃ--」
「オーケーオーケー。んな事ウチにはどーでもいい。」
シオリを庇う私にクロエはヘラヘラ笑いながら私の言葉を制する。
「ハルカっち、だったっけ?」
「…ハルカ“っち”?」
「シオリっぴから全部聞いてんなら、ヨミっ子が今どういう状況か知ってんしょ?」
……さっきから呼び方が気になるが今はいい。私はこくりと頷いた。
「……?ヨミ、イマドコニイルノ?」
「どういう状況って…それ、なんだか物騒だな。一体何がどうなってるって?」
話題に置いてけぼりのシラユキとコハクが私に詰め寄ってくる。
ここまできたら隠すことも無い。クロエを信じるなら、シオリの話に間違えはないのだ。
つまり…ヨミは今--
私はシオリから聞かされた話をコハクとシラユキに打ち明けようと口を開きかけ……
「……ヨミっ子は今、東京で昏睡状態だよ。『サイコダイブ』で壊れちった。」
私より先にクロエが実に呆気からんとそう告げた。
「……。」
「……エ?」
クロエの発言に固まる二人。私自身、彼女のあまりにも他人事な言い方に固まった。
「昏睡状態?壊れた?東京で?なんで東京で『サイコダイブ』するの?ハルカ、説明を--」
「コハク、落ち着いて……」
「ウチが教えたげよう。」
殺気立ちはじめるコハクを宥める私をよそにクロエが呑気にそう提案する。私たちの返事も待たずにクロエは勝手にペラペラと喋り始めてしまった。
シオリの友人に会いに東京に向かい、その先で『サイコダイブ』をして精神汚染で戻って来れなくなった--
時間にしておよそ五分程度。シオリが語った内容とおおよそ違いのない説明をクロエは終始軽い調子で語って聞かせた。
「……えっと。」
話を聞き終えたコハクが、困惑気味に何から尋ねたものかと逡巡する。
「…ヨミは、自分の意思で潜った…てことでいいんだね?」
「そだぞ。あいつは漫画の主人公だからな。」
コハクの確認になんだかよく分からない肯定を返すクロエ。
この場の三人--各々クロエに対して言いたいこと、訊きたいことがあっただろうが、とりあえず最も重要な点について確認する。
「それで、ヨミは助かるの?」
ヨミに『サイコダイブ』し、精神異常を解消すればまた目覚めるだろう--
クロエがシオリにも語ったその言葉の信憑性を私たちは確認する。真剣な眼差しで尋ねるコハクにクロエは相変わらずな態度で頷いた。
「うん。多分。」
先程から当事者であるクロエと私たちの温度差が激しい。クロエにとってヨミはどうでもいい後輩なのかもしれないが、それでもなんだか不愉快だ。
「タブンッテ…」
「そりゃあねぇ?できるかどうかは潜る『ダイバー』次第じゃね?」
クロエはこの場の全員を見回してから意味深にそう言った。
人懐っこそうなクロエの丸い目がこちらの心中を見透かすみたいに私たちを射抜いてくる。得体の知れない悪寒が私の背筋を襲った。
「……潜れって言うんだ?私たちに……」
「だからあれこれ訊いて来るんしょ?それとも怖い?コハクっちょは優秀な『ダイバー』って聞いてるけど?」
コハクを挑発でもするみたいにヘラヘラと笑いながら見つめ返すクロエ。
…やっぱりこの人は信用できない。




