第5章 6 二年生
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しばらく他愛もない会話を交わしたが、シオリはそれどころじゃなさそうだった。
シオリの言っていることが全て本当なのか…私には判断がつかない。シオリの精神状態はよくないだろうから……
しかし、現実としてヨミは戻ってきていない。
シオリが眠りについたのは深夜の二時前だった。
眠りについた彼女をしばらく見守ってから私は来た道を戻り入院棟から抜け出した。
「……とにかく、クロエ先輩に会わなくちゃ…」
シオリの言っていることが真実かはそれからだ。もし本当なのだとしたら、『ナンバーズ』のクロエも信用ならないが、おそらくヨミを取り戻すには彼女が必要だろう。
「…それにしても、どうしてこう問題を起こすかな。」
敷地内を寮に向かって歩く私は夜の空を見上げた。眼鏡の奥で夜空に散らばる星屑たちを眺めながら、巡回する守衛に気づかれないように歩く。
『ナンバーズ』に、ヨミが出会った花梨という少女に、この寄宿学校に、『サイコダイブ』に……
「…私たち、一体なんなんだろう。」
今まで考えないようにしてきた疑問が頭に浮かんだ。
どうして私たちはこんなことをしないといけないのか?
親元を離れて、こんな所に閉じ込められて、友人たちはいなくなっていく。
……いなくなるか。
もし、もしヨミがいなくなったら…
想像した途端私の背中を冷たい悪寒が駆け抜けた。
今まで想像もしてこなかった。というか、考えないようにしてきた。彼女がそばにいるのは当たり前で、いないことなど考えたことも無く、漠然とそれはずっと続くんだと思っていた。
それでも、そんな信頼は薄氷の上に乗っているようなものだ。
どうなるかなんてわかったものではない。
「……フウカ先輩だって、いなくなった……」
ヨミも、彼女が敬愛したあの人みたいに誰かの為に犠牲になって、そのままになってしまうかもしれない。
あの子は先輩とは違う…そう思っていた。他人と距離を置く彼女は自分を優先してくれる。だから大丈夫だと私は信じてた。
でも、私にも知らないことは沢山ある。ヨミも、私の知らないことはあるだろうから…
空を見上げると小さく地上を見守る星々が私を見下ろして、暗澹の空を照らしている。
暗闇に小さく輝く星々は何故か私を不安にさせて、意味のわからない焦燥が私の胸を掻きむしった。
星の頼りない光が今にも夜闇に塗りつぶされそうで、ひどく不安になっていく……
夜は嫌いだ…と、心の中で一人呟いて私は夜空から逃げるように足早に寝室への帰路を急いだ。
※
「……ルカ?ハルカ?」
ぼーっと手元を見つめていた私が、前から呼びかけるシラユキの声に反応する。
びっくりして手元が狂った私の箸から、朝食の焼き鮭の切り身が床に転がり落ちた。
「……あ。」
「オッコチタ。」
慌てて拾うもののもう食べる気はしない。粗末にするようで申し訳ないが、拾い上げた鮭の身を皿の端に避けた。
「三秒ルールってあるけど…」
「いいや。コハク食べる?」
「いらない。」
埃のついた切り身を丁重にお断りするコハクが味噌汁を啜る。今朝は和食だ。
「ダイジョウブ?ネムソウ…」
「夜更かししたの?」
今だに夢現を彷徨う私に心配そうなシラユキとコハクが声をかける。
実際夜更かしだ。昨夜は寮に戻って床についたのが二時過ぎ…そこから三時半くらいまでずっと眠れなかったのだから。
「……ん、大丈夫。で?なんの話しだっけ?」
「ヨミ、マダカエッテコナイヨ。」
尋ねる私にシラユキがしゅんとしてそう返した。そんな元気の無い彼女をコハクがよしよしと慰めてやる。
「シラユキちゃんをこんなに心配させるなんてヨミは悪い子だね…でさ、マザーに今日訊きに行こうって話だったんだけど…」
シラユキの頭を撫でながらコハクがそう教えてくれる。正直、全然頭に入ってこない。
「……あ〜…ん。そうね。」
昨晩の記憶を思い返し、必死に脳を回転させる私の曖昧な返事に、シラユキもコハクも心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「……ホントに大丈夫?眠れなかったの?」
「大丈夫大丈夫、気にしないで…」
昨夜のシオリの話を、二人にするべきなのかどうか私は逡巡した。
本当のことなのかどうかもはっきりしない。こんな話をすれば余計にシラユキを不安にさせてしまうだろう。
……まずはクロエ先輩に会ってから。そこではっきりさせてから……
シオリを全く信じていないわけではなかった。でも、同時にこんな陰謀じみた出来事を信じたくないという気持ちもあった。
「……で、どうしようか?」
と尋ねてくるコハクに、私は迷いながらも答える。
「……今日、帰ってくるかもしれないし…明日まで様子をみたら?」
「デモ、シンパイ…」
「シラユキ、だからってじたばたしたってしょうがないよ?私たちもヨミみたいに抜け出して探しに行く?」
しゅんとするシラユキに言い聞かせるように私は言葉をかける。私の言葉にシラユキも無言でこくりと頷いた。
「明日戻らなかったら訊いてみよう。コハクも、それでいい?」
「……。」
私が尋ねるとコハクも無言で頷いた。
今はこんなに彼女の事を心配してくれている子たちがいる……昔は考えられなかった。
あの子の周りも人が増えて、嬉しいような不安なようなそんな、複雑な感情だ。
「アイタイナ、ヨミ。ナニシテルンダロ…」
「戻ってきたらうんと叱ってやろうね。シラユキちゃん。」
ちびちびと元気なくご飯粒を摘むシラユキにコハクが寄り添うように言うのを眺めながら私も朝食をかきこんだ。
※
話も終わり、朝食を摂り終えた私たちは各々の教室に向かう。
学舎の廊下でシラユキとコハクと別れた私はそのまま階段を登って二階に向かった。
私たち一年生の教室は一階だ。二階、三階は上級生の教室になる。
本来用のない生徒が学年を跨いでの階移動はしない。暗黙の了解を破って私は普段上がることの無い階段を踏みしめた。
高等部の学舎の二階--木造の古臭い造りの学舎の二階部分も、一階と大差はない。ただ階段を上がっただけなのになんだか別世界に迷い込んだみたいな緊張感だ。
別に初めて上がるということでもない。普段は上がらないが、二階にある教室に用があることも稀にある。
私はなんだか肩身が狭い思いでなるべく廊下の端を歩きながら目的の場所を目指す。
廊下をすれ違う生徒たちも、私たちよりほんの一、二歳上なだけで随分大人に感じた。
これが学校という環境の独特なところだろうか。社会に出たら、きっと一歳二歳の歳の差なんてあってないようなものだろう。
なるべく目立たないように廊下を進み、目的の場所にたどり着く。
目的は二年生の教室--
木製の引き戸を引いておそるおそる中を覗き込んだ。
教室でホームルームの開始を待つ生徒たちの何人かが覗き込んでくる私に気づく。幸いまだこの教室のマザーは来ていない。
「……あんた、一年生?」
廊下から教室を覗き込んでどうしたものかと思案する私に、三人組の少女が教室の中から近寄ってくる。
見るからにキツそうな性格の女生徒たち。鋭い目付きに私より頭一つ分も高い上背。いかにも“先輩”って感じだ。
私が一年生なのはすぐ分かったようで、どことなく高圧的な態度で話しかけてくる。
「なんの用?」
「……あ、えっと…クロエ先輩の教室ってここで合ってますか?」
何となくなるべく刺激しないように、低い物腰で私は尋ねる。
用があるのは『ナンバーズ』のクロエだ。彼女の所属するクラスは知らない。当てずっぽうで目に付いたこの教室に入っただけだった。
「クロエ?」
「はい。『ナンバーズ』の…」
『ナンバーズ』という単語を出した途端、後ろにいた二人の女生徒が明らかに不快そうな態度を示す。
「あいつになんの用さ?」
「知り合い?クロエの?」
どうやら彼女のことを知ってそうだ。私は『ナンバーズ』のことを知らなかったが、流石に同学年の子たちはその存在を知っているようだ。
それにしても先輩たちの態度は面白くなさそうだ。それが気になりながらも私は先を続ける。
「知り合いではないんですけど……ちょっと用事が……」
「はっ!あいつなら居ないよ?どっか行ってるって!」
と、不機嫌そうに背の高い先輩が私を睨む。
「知り合いじゃなきゃなんの用さ?一年生がこんな所まで来て……」
「ごめんなさい…あの、何かあったんですか?随分とその……機嫌が…」
「カンケーある?」
なんだか本当にまずい雰囲気。どうやらクロエは不在なようだし、さっさと退散したくなってきた。
そんな私の心境をよそに、ご丁寧なことに先輩たちは不機嫌な理由を説明してくれる。
「あいつが一年を勝手に外に連れ出したせいであたしらの暮らすが連帯責任で罰を受けてんだよ。おかけで課題の量は増えるし外出日も無くなるし……」
「オマケに当の本人はそんなの知ったこっちゃないってまた一年を連れ出して…しかも今回は二人も!」
「私たちのペナルティは増えるのに無視するクロエだけお咎めなし……何が『ナンバーズ』だよ。」
どうやらクロエのせいで迷惑を被っているのはヨミだけではなかったようだ。
このクラスのマザーは厳しい人なのだろう。それでも、クロエにはなにも言えないということか…
「そういう訳でクロエは外出中!わかった?」
「あ、はい…すみませんでした。あの、それでいつ戻るとかは……?」
余計なことを訊いただろうか?私の質問に先輩たちはさらに不機嫌になる。
「知るわけないじゃん!大体連れ出した一年も一人戻ってないみたいだし…」
と、そこまで言って先輩は何か思い当たったように私をじっと見つめる。
「……あんたさ、もしかしてその一年の友達?」
「え?」
図星をつかれて思わず固くなる私に先輩たちが詰め寄った。その表情はとても友好的とは言えない。
「そうでしょ?じゃなきゃ二年生の教室にわざわざクロエを尋ねてなんて来ないし…」
「友達が外に連れてってもらえたから、自分もってねだりに来たんだ?」
「え?違いますよ!私は…」
「嘘つくな。あんたらのせいでこっちはいい迷惑なのよ!」
相当にいらついていたのか、言いがかりをつける先輩達が私のネクタイを捕まえて怒鳴り散らす。
周りの生徒達がどうするかと思案しながら、割って入っては来ない。
ああ、最悪だ。
次の瞬間には平手でも飛んできそうな勢いだ。なにかに八つ当たりしたいのだろう。
私の予想は悪いことに当たり、私が何か言う前から先輩が既に手を挙げて--
「--あのさ。」




