第5章 1 穏やかな朝と胸中の靄と
私が目覚めて一番に目にしたのは、シャンデリアのかかった天井だった。
明らかに見慣れない、どこか非現実的な光景。
身体を沈めたベッドの布団はふかふかで、私の体温を吸収してほのかに温かく私を包んでいる。
部屋は広く、カーテンが開かれた大きな窓からは優しい日差しが差し込んでいる。窓から見渡せる庭は一面緑に囲まれて、窓から入ってくる日差しも緑の爽やかさを一緒に運んでくれる。
部屋の中に点在する調度品たちは、下品に主張しすぎず、それでいて優美な装飾が施されていた。
要するに、寄宿学校の自室でも、入院棟の病室でもなかった。
「……おはようございます。シオリさん。」
ぼんやりと室内を見回す中で、私の耳を鈴の音のような声が叩く。
部屋の隅、扉の隣にちょこんと佇む黒いスーツの少女--たしか、『ナンバーズ』のNo.04と呼ばれていた少女だ。
彼女の隣には食器運搬用の台車が置かれており、上に乗せられた皿からは湯気がたっているのがベッドの上からでも分かった。
「お医者様がそろそろ目を覚ますだろうとの事でしたので、朝食をお持ちしました。」
まるで客人にでも対応するように、台車をベッドまで運んでくるNo.04が、ベッド脇のテーブルに朝食を配膳する。
まだ温かいトーストに、スクランブルエッグ、よく分からない小皿にありがたそうに載せられたものはクリームチーズとキャビアの乗ったクラッカー。湯気を立たせるコーンスープに、紅茶。
「……コーヒーがよろしければ、準備致します。」
No.04に首を振って返して、私は促されるまま朝食に手をつけた。
『サイコダイブ』から目覚めた朝で、こんなに気分が良かったのは初めて……
なんて考えながら、また薬でも盛られてないだろうかと警戒するふりをして私は黙々と朝食を胃袋に流し込む。
「……花梨は?」
私が朝食を摂る様子を部屋の隅で見守っているNo.04に私は呟くように尋ねていた。
今は頭が冷静な思考を働かせられていない。機械的に朝食を食べる私にNo.04は静かに答えた。
「……お食事が済みましたら、すぐにでも……」
※
朝食を済ませて、就寝着からいつもの制服(洗濯済)に着替える頃には私の脳は正常に機能し始めていた。
--後はさ、私がなんとかするからさ……
--わがままだけど、私の事、待っててくれる?
私の中に蘇る記憶たち--
夢の中の花梨の言葉に、私は不安が募っていく。
結局、最後どうなったのか?花梨は戻ってきたのか?ヨミは?クロエは無事なのか?
胸を焼く焦燥に私は答えを求めて身支度を整える。いつもなら気にする寝癖や服装の乱れも無視して、私は部屋を飛び出していた。
「……よぉ。」
慌てて出てきた私に、不機嫌そうな声が挨拶を投げてくる。早速、焦燥のうちの一つが解消された。
No.04の隣で、同じように黒いスーツに身を包んだクロエが寝起きの寝ぼけ眼をこちらに向けていた。
いかにも不調そうな彼女だがしっかり髪は整えられ服装もスーツを乱れなく完璧に着こなしている。ついでにネイルも昨日と違った。
「……おはよう…ございます。」
「気分は?」
いかにも気分が悪そうなクロエが私の体調を案ずる。それがなんだか妙におかしく感じた。
「……大丈夫そうだね。タフなんだきみ…」
うんうんと頷くクロエの隣でNo.04が私に歩み寄った。
おもむろに近づくNo.04が私の額に額を合わせてくる。突然の行動に私は面食らって固まるが、クロエは何も突っ込まずNo.04も真剣な表情。というか、彼女がふざけてみせる様子はちょっと想像がつかない。
「……問題ないようですので、行きましょうか。」
「うっし!」
と、なにが問題ないのかNo.04はつかつかと廊下を歩き出してクロエもそれに続いた。
私は駆け足で二人の後ろに追いついて尋ねた。
「……ヨミと、それに花梨は……?」
「今から会いに行くの。」
クロエはそれしか返してくれず、No.04は振り向きもしない。
階段を下り、玄関で使用人と思わしき女性達からの見送りを受けて、私たちは昨日通った庭の通路に出た。
No.04とクロエに続いて私もレンガの道をひたすら歩く。先に見える門はかなり小さく、改めて敷地の広大さを思い知った。
私たちが庭に出てきてすぐに待ってましたと言わんばかりに道に集まってくる番犬たちの唸り声を聞きながら、私たちは門に向かって歩を進めていた。
時間にしてゆうに十分は歩かされ、ようやくたどり着いた門には黒い車が停められていた。
窓にはスモークフィルムがはられ内装は見えない。私たちがこの洋館に乗ってきた車だ。
「どうぞ。」
No.04に促され私は後部座席に乗り込んだ。遅れてクロエも隣に乗り込む。
助手席にNo.04が乗り込んで、車は目的地も告げぬままゆっくりとか走り出した。
「……あの、クロエ…先輩。」
「ん?」
しばらく車が走った頃、私は車内の沈黙を破り重い口を開いた。
私のクロエに対する呼び掛けに、クロエの方も目を丸くして思わずこちらに向き直っていた。
「……その、『サイコダイブ』中は、ありがとうございました。助けられました。」
私はクロエの顔も見れずに、ただ頭を深く下げて素直に胸の内を吐き出した。
「……あと、昨日はなんか、色々すみませんでした。酷いこととか言って……」
私の謝罪にクロエは「あ〜」とバツが悪そうだ。
隣に座る私に肩を組んで身を寄せるクロエが大袈裟な挙動で感激し頬ずりまでしてきた。
「ぉぉぉシオリィィ、いい子だなぁお前ェ。」
「離れてくださいぶちのめしますよ?」
両手で全力で突き放す私に離れようとしないクロエが私の手でつぶされたブサイクな顔のまま変わらないトーンで口にする。
「でも、ウチは別にシオリや花梨の為に潜ったわけじゃないし……仕事だからだし?」
「……それでも、感謝してます。」
「マザーが命令すれば花梨でもヨミでも殺すよ?」
実にあっさりと、わざわざ批判を買うようなことを言ってのける。そんなことを口にしたクロエはいつもの脳天気な表情をしている。それがまた一層不気味にも思えた。
「……それでも、です。」
喉元まで出かけた言葉を呑み込んで私はクロエを引き剥がす。
言うだけ言ったクロエは満足したのかあっさりと離れ「んぁぁもぅっシオリちゃん食っていい?」と奇声をあげ始める。
そんなクロエから腰を浮かせて距離を取りつつ、私は窓の外に目を向けた。
スモークに遮られた窓の外には何も見えず、私の胸中と同じく靄がかかったままだ。




