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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第4章 忘れてはいけないもの
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第4章 34 「ただいま」と「さよなら」

 

 ※




  --罪悪感。


  私の胸に逆流してきた感情に最も適当な名をつけるなら、そんなところだろう。


  シオリを見つめるその感情は、この気持ちの主である秋葉自身の胸を締め上げ、圧し潰すほどに強く激しく彼女の中で暴れ回っていた。


 

  「 --花梨を『ダイバー』に?」


  フラッシュバックする私の中の私じゃない記憶。

  橘秋葉の目に映る罪悪感の記憶。その感情。

 

  「花梨の『サイコダイブ』適性はとても高いわ。その上、あなたと同じく望んだ夢をみられる…」

  「冗談じゃないわ!!」


  ダイニングテーブルで向かい合った和装の女に、秋葉は激昂した。


  ……工藤理事長。


  全身を漆黒に染め上げた美女が、妖艶な笑みをたたえ秋葉に言い寄った。


  「……これはあなたの研究が実を結ぶチャンスでもあるのよ?あなたの娘が、あなたの研究を成就--」

  「研究なんてっ!とうに捨てた!!」


  秋葉が拳を叩きつけたテーブルの天板で湯呑みが踊るように揺れる。テーブルの端に立てられた写真が倒れて伏せられる。

  その写真立てを白い指先でつまむようにして起き上がらせ、理事長は困ったように眉根を寄せた。

  表情こそ弱っているが、その目にはいやらしい笑みが見え隠れしている。まるで狡猾な蛇のように……


  「花梨まで、私の研究みたいに……っあなたの私欲を満たす道具にするの!?」

  「……あの子は優秀な『ダイバー』になれる。そうしたら、あの子は…」

  「渡さないわよ!!あなたに全部取られるなんて……っ」


  震える声で秋葉は理事長を睨みつけている。眉間にシワがより、顔の血管が興奮して浮き上がっていることが分かる。


  ぼやけて朧気な背景の中、理事長の向けるその笑みのみが、強く記憶として刻まれ鮮明に映った。


  「……勘違いしないでね?あれは私があなたにあげた研究よ?実らせられなかったのはあなたのせい…それに花梨を奪い取ったりしない。」

  「嘘を……っ」

  「じゃあ今はいいわ。代わりに『ダイバー』を一人、用意できたらね?」


  理事長の一言に胸の奥が凍りついた。それが記憶の中の秋葉のものなのか、私の感情の揺れなのか分からない。


  「優秀な子が欲しい……都合がついたらまた来るわ。でも、無理なら……」


  理事長の唇が何かを紡ぐのを白んでいく視界の中で見つめていた。

  流れ込んできた記憶は一瞬のうちに駆け巡ったが、私の頭の中で何度も何度もリプレイされる。


  ……ごめんなさい。真奈美ちゃん。


  秋葉は最後に呟いていた。

  記憶の中で、心の中で……




 ※




  鉄の焼ける音と共に、赤く熱された青龍刀が溶けた格子を叩き斬る。


  「--花梨っ!!」

 

  切り込んだ格子をねじ曲げて、私は鳥かごに入り込んだ。高熱で熱されたのだろう溶けた格子が私の腕や太ももに当たり肌を酷く焼く。

  刺すような火傷の痛みに唇を噛みながら私は鳥かごの中に転がる。


  目の前--すやすやと眠る花梨が横たわっている。

 

  辿り着いた……ようやく。


  『--渡すものかッ!!花梨は私の子だッッ!!!!』


  花梨に伸ばす私の手が見えない衝撃に弾かれる。不可視の衝撃波に私の右手が潰れ、肉が飛び散り爪が剥がれる。


  「っ!!……うっぁぁぁぁ!!」


  それでも伸ばした手が、花梨に触れる。

  --真ん丸な目に、微かに日に焼けた肌。小さな唇。


  ……ああ、花梨。あなたはこんなふうに大きくなったんだね……


  潰れた手から零れた血が花梨の肌を汚す。両の手で引き寄せて力の限り抱きしめた。


  「……ごめん花梨。ただいま。」


  私の呟きに夢の世界が大きく揺れ始めた。より一層厚くかかる灰色の雲が踏みつけられた冬の水溜まりの薄氷みたいに蜘蛛の巣状に割れた。


  『やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!!』


  無くなった頭を抱えるみたいに身をよじる『ナイトメア』が無い口で叫ぶ。精神汚染の絶叫は自分の世界を壊さんばかりに響き、『ナイトメア』自身の体も振動させる。


  長い首が弾け飛び、胸が大きく裂けた首なしの体。剥き出しになった胸部の内蔵や骨を掻き分けるようにそれは飛び出した。


  内側がさらけ出された胸から、黒い血にまみれた白い体が生えてくる。

  大きさは成人女性と変わらない。しかし、その肌は青白くとても生き物には見えない。骨に皮を被せただけのようなガリガリの体躯。

  そしてその顔は苦悶に歪んだ髑髏。

  真っ黒な空の眼窩は悲しげに垂れ下がり、歪な歯並びの口からはどろどろと黒い血を垂れ流す。

  白い体の胸部には、煌々と輝く赤い肉塊が脈打っていた。


  「……まじで、しつこい奴。」


  ヨミの隣で立ち上がるクロエが、本体をさらけ出した『ナイトメア』に呟いた。


  「シオリっ!花梨を起こせ!!ヨミがもう限界だっ!終わらせっぞ!!」

 

  鳥かごの中で花梨を抱く私にクロエが叫んで大きく跳んだ。


  その跳躍は、地上から数十メートル上にある『ナイトメア』の本体にまでひとっ飛びで達する跳躍。


  『ごめん真奈美ちゃん。ごめん。』

  「謝るときゃ顔見て謝りやがれ!!」


  涎のようにたれ流される黒い血を地面に垂らしながら、両手を組んで祈るように呻く『ナイトメア』にクロエが拳を振り上げた。

 

  「っ!?」


  しかし、空中で放たれた電撃の鉄拳は、『ナイトメア』に触れられず見えない壁に弾かれた。

  触れることも許さずクロエを吹っ飛ばした『ナイトメア』は、組んだ両手を抱え込むように胸に抱いた。


  同時、『ナイトメア』と繋がった下部の鳥かごが、飴細工のように丸まり縮小していく。

  中に私と花梨を残したまま。


  「っ!?」

  『ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。』


  呪いのように繰り返される謝罪の言葉。私たちの出口を塞ぐようにみるみる縮まっていく鳥かごが、私と花梨を圧し潰さんと圧縮する。


  「……っ!」


  頭の中に響く秋葉の声。感情を載せた謝罪の呪詛は私に形となって絡みつく。

  『ナイトメア』の本体から流れ出て地面に染みた黒い血が、鳥かごの中に蛇のように這ってきて私と花梨に巻きついた。


  まるで溶岩にでも巻き付かれたみたいな、痛みを通り越した熱さが私の肌を焼いた。花梨を守るように、必死に胸に抱き抱え、耐える。


  気色悪くまとわりつく秋葉の思念を、身体を焼く熱を--


  「……っか、りん…。」


  強く強く、抱きしめた。もう決して離れないように……

  これ以上彼女が傷つかないように……


  身体が爛れて肉が焼ける。酷い臭いは私の肉の臭い。身体から力が抜けていく。


  だめか…耐えられないか……?


  「ごめん……ごめんね。花梨っ……」


  「--いいって、もう。」


  私の鼓膜を優しい声がノックした。

  懐かしく、そして新鮮に震える私の鼓膜。震わせる囁きは、私の腕の中から……


  「……おかえり、真奈美。」


  私の腕に抱かれた花梨が、私に懐かしい笑顔でくしゃりと笑っていた。


  「……花梨?」

  「他の誰なのさ?」


  黒い血の縄に縛られて、私と花梨は至近距離で見つめ合う。

  私に語りかける声に、私を見つめる顔に、私は身を焼く痛みも忘れて花梨を見ていた。


  ……どうして、目を醒ましたのか?

  いや、そんなことはどうでもいい……それよりも……


  「……覚えて、私の事、覚えて……?」

  「私はそんなに忘れっぽくない。今日も、ずっと見てたよ?」


  私の目から、雫が零れた。

  記憶にある限り、初めて流した涙だった。

  涙とは、こんなに温かいものなのだと知った。


  「……か、りん…私……」

  「ありがと、真奈美。もういいよ?」


  花梨は私の額に額を合わせて、赦すようにそう囁いた。


  もういい?なにがいい?

  何も良くない。まだ言いたいことがちゃんとある。もっとしっかり、あの日のことを…


  「後はさ、私が何とかするからさ……」

  「花梨?何を……」


  私たちが言葉を重ねる間にも、血の縄はきつく私たちを縛り上げ、小さくなっていく鳥かごは今にも私たちを押しつぶしそうだ。

  格子から入ってくる外の鈍い光が私たちを照らしていた。それ以外、何も無い鉄の暗闇の中で、花梨は紡いだ。


  「母さんの事、このままにできないし…やっぱ、私ついてないと……」


  何を言ってるの?


  「花梨、今は時間が無い!ここから出ないと……っ」


  急かす私に花梨が軽く頭をぶつけてきた。その優しい頭突きで私の言葉が遮られる。


  「……ずっと、離れ離れだったけど、真奈美のこと忘れたこと無かった。」

  「……花梨?」


  花梨の言葉を聞きながら、嫌な予感がふつふつと湧き上がる。


  「ずっと、ずっと…一番の親友だ。会えて、良かった。」

  「花梨!外で話そう!目を醒まして、現実で--っ!」


  私たちを閉じ込めた『ナイトメア』の体が悲鳴を上げるように揺れだした。身体を揺さぶる地震のような揺れに言葉が続かない。


  ダメだ、喋れ!続けろ!じゃないと……


  「素敵な友達、二人もできたって?帰ってやりなよ。」


  こんなの……あんまりだ!!


  「でもさ……」

  「花梨っ!!」


  暗闇に亀裂が走り、外の光が入ってくる。同時に、身体を焼いていた血の縄が細かな粒になって弾けた。

  それがクロエの仕業なのか、ヨミの仕業なのか、それとも花梨がやったのか……私には分からなかったし、どうでもよかった。


  私は花梨を掴んだ。その手を掴んだ。しかし、潰れた右手では彼女の手を握ることは叶わず……


  「わがままだけど、私の事、待っててくれる?」


  花梨の言葉を最後に、暗澹(あんたん)の暗闇が弾けて割れた--


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