第4章 32 最強の夢と最強の『ダイバー』
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「……っ。」
額を伝う生温かい感触とジンジンとしみるような痛みに私は目を開けた。
クロエに吹っ飛ばされて、『ナイトメア』の鳥かごに頭から突っ込んだ私は、一瞬意識が飛んでいた。
額が格子に割られてぱっくり割れている。ドバドバと血が流れてくるが、もう全身ボロボロでどこにダメージを受けたのかよく分からない。
左目は切り裂かれ横腹も裂け、左胸部にも風穴を空けられた。おまけに頭の中ではまだ嫌な思い出がカメラのフラッシュみたいに定期的に蘇る。
「……花梨。」
私は鳥かごの格子を両手で掴み、中で眠る花梨を見やる。
シオリもこの『ナイトメア』に取り込まれた。二人を取り戻すには……やるしかない。
私は痛む頭の中で必死に記憶を引きずり出す。
花梨との出会い、シオリとここまで来た道中、さらにもっと--もっと前まで……
花梨のことも、シオリのことも、クロエのことも--関わりのありそうな全てを思念として鳥かごに流し込もうとする。
格子が軋むほど力を込めて、手と鳥かごの境界が曖昧になるくらい集中して……
--ヨミは、長生きしてくださいね?
弾かれるように、頭に響くあの人の声に脳が沸騰するくらい熱くなる。
精神汚染が限界だ。
身体が全く動かない。力を込めた両手以外の感覚が消えて、記憶の底のトラウマばかりが私の中を駆け巡る。
立っていることすらできなくて私は鳥かごの格子を掴んだまま崩れ落ちていた。
やばい……。
いよいよ思考もままならなくなり、私はあの時--シラユキの夢の中で精神を侵されたあの時と同じ状態に追い込まれた。
背後でクロエが『ナイトメア』の攻撃をかいくぐりながらNo.10を何とか凌いでいる。とてもこちらの助太刀は期待できないだろう。
地面を削っていく死神の鎌を、辛うじて致命傷を避けながらクロエはNo.10のしつこい追撃を躱していた。
クロエが一対一なら、No.10には遅れを取ることはないだろう。
しかし、目で捉えられないほどの死神の猛攻は、確実に少しずつクロエを捉え始めていた。
クロエの身体に浅い傷が次々に刻まれていく。少しずつ鮮血を散らすクロエの動きの段々と精細さがなくなってきた。
鎌を躱すクロエの拳がNo.10の胴体を叩く。
一体どうやっているのか……クロエの身体から発せられる青い電撃が、No.10の体を貫いた。
しかし、その威力は最初の頃程の迫力がない。
今までクロエの攻撃にダメージを確かに受けていたNo.10が、とうとうその攻撃を意に介さずクロエに反撃した。
ほぼ同時に叩き込まれる二連撃。鋼の刃がクロエの身体に大きなバッテンを刻み血を噴き出させた。
「……っにゃろ…」
一瞬たじろぐが、クロエには大したダメージがない。すかさず雷光の鉄拳を叩き込まんと大きく踏み込んだ。
しかし、攻撃を受けた一瞬、クロエの動きは完全に停止していた。
No.10ごと巻き込んだ、死神の一閃がクロエの身体を通過する。
ついにクロエを捉えた『ナイトメア』の攻撃が、クロエの胴と下半身の接合を半分以上切り裂いた。
地面に咲いた花々が一気に灰色に石化し散っていく。
私の格子を掴んだ左手が、空間に呑まれるみたいに削り取られたのも同時だった。
「っ!?あぐっ!!」
ついにクロエの夢の世界での支配が途切れた。私の精神干渉は攻撃とみなされ、私の思念で鳥かごと一体化しつつあった左手が持っていかれる。
それでも辛うじて離さなかった右手だったが、直後私の身体を叩く見えない衝撃に私は鳥かごから引き離された。
空中に弾け飛ぶ私の身体を、背中からNo.10が刺し貫いた。
海老反りみたいに身体がくの字に曲がって背骨が軋む。身体を貫通していく真っ直ぐな衝撃に身体中の傷口から血が吹き出た。
やばっ……
空中で串刺しにされ地面に叩きつけられた手足があらぬ方向にへし曲がる。とうにポンコツな身体がいよいよ使い物にならない。
倒れ伏す私を死神が見下ろす。その足元から膨れ上がった地面が、火山の噴火のように爆ぜた。礫と化した岩盤が天高く舞い上がり、そのまま夢の世界に雨となって降り注ぐ。
一片が人の頭ほどもある岩石の豪雨はまさに災害。身動きの取れない私の身体に容赦なく降り注いだ。
礫がぶつかる度肉が抉れて骨が割れる。
身体を打つ痛みの度私の中に漠然とした消失の恐怖が膨れ上がっていく。
--発狂。
正気を失う寸前の精神汚染の爆発。私の思考は目まぐるしく変化し、膨れ上がっていく負の感情と記憶の混濁に脳の処理が追いつかない。
--死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
沸騰する頭が爆発しそうだ。完全に脳がフリーズし、指一本動かない。
ピクリとも動かない私を嘲笑うようにNo.10が私の身体を踏みつける。
私を捕まえるように固定するNo.10を見下ろし、『ナイトメア』が手の鎌を振り上げた。
真っ黒な鎌が光る。
明確なトドメ--無意識の拒絶反応では無い、意志を持った殺意の行動。
貫かれるか、切り裂かれるか……
いずれにしろこの鎌が振り下ろされたなら、私は一瞬で殺される。きっと帰って来れない。あの人みたいになる。
……あれ?そしたら先輩に会えるのかな?
いよいよまともに頭が回らない。霞む視界の先に彼岸の花畑まで見えてきた。
ダメだ。死ぬ……先輩に笑われるな……
……花畑?
『ナイトメア』の鎌が振り下ろされる。真っ直ぐ切っ先が私めがけ迫ってくる。
--それを遮るように、岩盤が蛇のようにうねり私と鎌の間に割って入った。
鎌は突然進路を遮る岩盤の柱に突き刺さり、私にトドメを刺しそびれる。
続いて地表を割って空を突っ切る二本目の石柱が、一直線に『ナイトメア』の顔面に突っ込む。
……?クロエ?
見上げる私の視界の中、眼前迫る石柱を鎌で砕き割る『ナイトメア』にその一撃は届かない。
しかし、砕き割れた石柱から飛び出してきたクロエが、その右手に雷光を迸らせる。
胴体の半分以上を切断されて、上半身と下半身がほぼ千切れた状態だったはずだが、今のクロエは傷口から血を流しながらも断たれた肉体が癒着している。
私がみた花畑は彼岸の向こう側ではなかった。
石化して枯れていった花々が、私の倒れる地面に再び咲き始めていた。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
クロエの手の中で電撃は槍と化し、そのまま『ナイトメア』の空っぽの顔面に叩きつけられた。
落雷のように一直線に『ナイトメア』の全身に駆け巡る雷光が死神の身体を焼いた。
『ーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!』
死神の大絶叫と共に世界が揺れて、灰色の空に複数のひびが走る。
「……強いよおめぇ!!でも諦めな!!!!」
空中に滞空しながら両手を振り上げるクロエの手の中で二本の雷槍が生成される。撒き散らされる電撃はそれだけで地面を砕き雷鳴を轟かせた。
二本の雷槍が『ナイトメア』の身体を刺し穿つ。背中まで突き抜けた二本の雷槍が『ナイトメア』の胸部を焼く。
反射的に振られた死神の鎌は空中でクロエの身体を容赦なく切り裂いた。
避けきれず右腕と左脚を切断され、鎌の切っ先が腹部を深く抉っていく。
クロエの血が地上まで降り注ぐ。
その血の雨が赤い槍の雨と化して、真下のNo.10を貫いた。
拘束から解かれた私は這いずることも出来ず、そのままの場所でクロエの血の雨を浴びながら両者を眺めていた。
クロエの雷槍に穿たれて、ポップコーンみたいに『ナイトメア』の身体が爆ぜた。
胸部の肉が弾け飛び中の内蔵や骨が丸出しになる。
それと共に、私の眼前で鳥かごが音を立てて沸騰する。白い煙の立ち込める鳥かごの格子が、駆け抜けた電撃に熱されて赤く発光していた。




