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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第4章 忘れてはいけないもの
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第4章 31 私が覚えてる

 


  ハルカはその後も、変わらず私の元を頻繁に訪れた。

  唯一変わったことは、私が読んでいる本を読み始めたことだ。そして決まってこう言うのだ。


  「この本つまんない。」


  ……これは私に対する挑発かなにかなのだろうか?


  私は微かな苛立ちを抱きながらも、いつの間にか彼女が傍にいることが当たり前になっていた。

  そして自然とそれを日常として受け入れていた。


  私に寄ってくる他の子達は、もっぱら私の知っている外の世界について興味があった。

  この学校に抱いた印象はとにかく閉鎖的であること。そして、生徒たちは知識として外の世界を理解しながら、その多くに触れていない。


  なんだか息苦しい場所だった。


  だからこそみな私に近寄ってきたのだろう。外からやってきた私に触れることで、刺激的な外の世界の一端に触れられるから--


  ただ、ハルカはそういった外の話は一切しなかった。

  彼女が興味を示したのはもっぱら私個人のことだった。



  「……なんで興味ないのに本読むの?」


  ある日私は談話室で彼女に尋ねてみた。いつかのように……

  例によってつまらないと断じたハルカは少し考えて……


  「……友達に本の虫がいてね、シオリみたいな。読書ってそんな楽しいのかなって…」

  「……それは、友達の好きなものを理解したいってこと?」

  「分かんない。ただの会話のネタじゃない?」


  一人でやってろ……そう思った。

  というか楽しいのかなんて、毎回つまらないと言っている時点でハルカにとってはつまらないのだろう。


 

  ハルカは花梨とは違ったタイプだった。


  友人は多く、常に誰かと一緒にいた。私と一緒にいる意味もよくわからない。

  実際、しばらくするとハルカは毎日は顔を出さなくなっていた。たまに見かけると、違う子と一緒に笑っている姿を見かける。


  そんな彼女に、もやもやした感情を抱く自分が不思議だった。


  それでも定期的にハルカは私の元に顔を出した。

  しばらくすると、彼女の距離感も変わってきた。用もないのにペラペラ喋ることはなくなり、本の世界に没頭する私の邪魔はしなくなっていた。

  最初の頃以来、私のことも詮索しなくなった。

  ただ、本を読む私の隣に静かに座っているだけ--そうしてたまに話しかけてくれた。


  「……前は毎日来てたのにね。」

  「ん?」

 

  彼女と出会って二ヶ月が経った頃、私はふとそんなことをハルカに呟いていた。


  「……読書はもういいの?」


  最近はもっぱら手ぶらになったハルカに、皮肉混じりにそんなことを尋ねる。ハルカは「あはは」と困ったように笑った。


  「もういいわ。私には合わなかった。」

 

  ……知ってたくせに。


  「シオリとはこういう距離感じゃないなとも思ったしね。」


  とハルカは笑い、眉間にシワを寄せて少し意地悪に顔をしかめた。


  「毎日絡んで行ったのは嫌がらせ。初めて会った時の印象最悪だったし。」


  ……私には今だにハルカのことがよく分からない。

  第一印象が最悪だったなら、もう関わらなければいいのに。嫌がらせしたいほどムカついたのだろうか?だとしたら相当に性格が悪い。


  --それでも、誰とも口をきかない日々の中で彼女の存在は唯一と言っていい私と誰かの繋がりだった。


  劇的な出会いがあった訳でもない。何かを一緒に乗り越えた訳でも、大きな衝突の末分かり合えた訳でも--


  私はハルカのことで知らないことは多いし、私も多くは語らなかった。


  知ってることは小学部からこの寄宿学校にいること。その頃からの親友がいること。暑がりなこと。辛いものが苦手なこと。本を読むのが苦手なこと。


  お互いを知らなくても、毎日顔を合わせなくても、お互いを大好きでなくても、友人になれることを知った。


  花梨のことが記憶から遠のいていく中、ハルカは私から離れることは無かった。


  朝起きて、花梨の名前を思い出せなくなった日--初めて自分からハルカに会いに行った。


  胸を焼く焦燥と恐怖に、私の身体は弾かれるようにハルカを求めていた。


  「……。」


  食堂ではハルカは知らない女生徒達に囲まれて朝食を摂っていた。

  私はその輪の中に入っていくことは出来なかった。自分から興味のない他人に関わることに忌避感すら覚え始めていた。


  結局、ハルカに声をかけることも無く食堂から逃げるように走り去った。


  初めて授業をサボった。

  誰もいない談話室のソファで丸くなって、訳も分からない胸の不安に身体が震えた。こんなに怖いと思ったことはなかった。


  このまま花梨のことも、何もかも忘れていくのだろうか……?


  意味のわからない記憶の消失と、それを受け入れて生きている彼女らが当時は恐ろしかった。


  --今でこそ私も受け入れていた。むしろ、嫌な記憶がなくなっていくのは都合がいいとすら感じていた。


  ……でも、あの時の私は、そして今の私もそれが恐ろしくて仕方ない。


  思い出を無くしていって私は何者になるの?

  全てを忘れて、私は私だと言えるの?


  「……言えるんじゃない?」


  いつの間にか隣に腰掛けていたハルカの声に私はソファから転げ落ちる勢いで驚いた。


  「……??」

  「朝、なんか用事あったんじゃないの?」


  と、転げる私を笑いながらハルカが見つめていた。


  ……今の相槌。


  「……授業は?」

  「休憩時間。」


  談話室の壁にかかった時計を指さすハルカ。時刻は授業の合間の十分休憩の時間帯を指し示していた。私は五十分もここで一人丸くなっていたのか。


  「……心でも読めるの?あなた。」


  私の心に返したハルカの一言に私は疑問を呈した。それに対してもハルカは可笑しそうに笑っていた。


  「いや、言ってたよ?声で。心の声ダダ漏れ。」


  可笑しそうに笑うハルカに、私は顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。この場にいるだけで苦痛に感じ、思わず立ち上がってまた逃げるように走り出す。


  「シオリ。」


  やめろ恥ずかしい。もう関わるな。


  自分から会いに行ってこれだ。なんて身勝手なことだろう。

  そんな私にもハルカは優しく声をかけてくれた。


  「あんたが全部忘れても、私が覚えてるから。心配しなくていいよ?」


  心臓を優しく掴まれたみたいだった。


  思わず呼吸が止まり、目が熱くなってきた。多分、今の顔を見られたら、愧死(きし)する。

  でも、ハルカはこちらの表情を伺うことはない。それがハルカだ。



  私が全部忘れても、ハルカが私は私と証明してくれる。

  私との時間を覚えていてくれる彼女がいれば、私は私でいられる。


  --だったらもう少し、お互いのことを知ってもいいのかもしれないなんて、私は思った。


  だから……ハルカに傍にいて欲しいと思った。


  --だから、ハルカのところに帰ろうと…




 ※




  「……だめ。」


  目を開けた私の口からは、自然と言葉が紡がれていた。

  四肢に微かに力が籠り、ゆっくり花梨の抱擁を振りほどく。


  「……?」

  「……一緒にはいられない。」


  私の拒絶に、花梨はその表情を酷く悲しそうに歪ませて手を伸ばしてくる。


  「なんで?なんでそんな--」


  その手を振り払うように遠ざけ、私は自分の意思で後ろに遠ざかった。


  「待って?お願い!行かないで!!またおいていくの!?」


  花梨の悲痛な叫び声が私の鼓膜を震わせた。その度、頭を頭蓋の内側から叩くような激痛を襲う。


  あの教室が、花梨の部屋が、おばさんが、あの公園が私の記憶の中でフラッシュのように目まぐるしく頭を駆けていく。


  ……やっぱり、これは精神汚染。


  「行かないで!!私に言いたいことがあるんでしょ!?」

 

  花梨の言葉が私の鼓膜を叩く度、頭痛と共に目や口から血が溢れてくる。


  ……違う、こいつは花梨じゃない。


  「……それは、ちゃんとあなたに直接伝える。ここから出たら、ちゃんと……」


  「--行かないで!!こんな所でひとりにしないで!!」


  --しない。もうあなたを一人にはしない。もう忘れないし、今度こそ……


  「真奈美っ!!」


  「……もう少し待ってて、花梨。」


  終わらせて帰ろう--そしたら花梨にも、ちゃんと伝えよう。


  シオリには素敵な友達が、あなた以外に二人もできたよって--


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