第4章 30 ずっと一緒に
--それからどうしたのかは、記憶が朧気だった。
ただ、気づいたら私は、おばさんの車の助手席で目を覚ましていた。
「あら、起きた?」
暗闇に明かりの灯る夜の街並みを走る車の中で、おばさんは私に笑いかけていた。
「……?」
「花梨の部屋で寝ちゃったみたいだったから、今家に送ってるところよ。」
もう少し寝てなさいと、おばさんは私の頭を撫でてくれた。
「……ありがと…おばさん。」
まだ瞼の重かった私はその言葉に甘えて、再び座席にもたれて目を閉じた。
「--真奈美ちゃん。」
すぐに眠りに落ちていく私の耳に、おばさんの柔らかな声が届いた。
その言葉は、今の私にとっては残酷なものだった--
「花梨の友達でいてくれて、ありがと…」
--私が祖母から天照学園への入学を告げられたのは、そのわずか一週間後だった。
全寮制の学校で、福岡の学舎に通うことになると……
私は反対したんだと思う。……多分。
断片的な記憶の中で、生まれて初めて祖母に声を荒らげたのは覚えていた。
でも、結果は変わらなかった--
花梨は他の子達と同様に、地元の中学校に進学する予定だった。
楽しげに中学校での未来を語る花梨に、私は決まったことを言い出せなかった。
--私は花梨が好きだった。離れたくなかった。
私にとって花梨と、花梨との約束はそれだけ大きなものだったんだと、気づいた……
打ち明けたのは、卒業まであと一週間という時期だった。
あの公園で--いつもの日常の中で……
「……嘘つき。」
「真奈美の、嘘つき--」
※
--瞼を開けると、そこは何も無い暗闇だった。
地面も、空も、何も無い。ただただ虚空の中に、私は浮かんでいた。
否、ひとつだけ……そこには存在しているものがあった。
私を除いてひとつだけ--私に向かい合う親友だった彼女が……
「……花梨?」
「うん。そうだよ。」
あの鳥かごの上で、私を抱きとめた花梨が、暗闇に浮かんでいた。
私の顔を見て花梨は変わらない笑顔でくしゃっと笑う。
「久しぶり。小学校以来。」
私は耐えきれず、瞳から涙を吹き出した。
「……花梨っ、私は……っ。」
「ちょっと…何泣いてんの?」
「だって……っ。」
再会出来たことではない。あの日の光景を思い出し傷つき泣いている訳でもない。
花梨のことを今まで思い出せなかった--忘れていたことに、私は涙した。
「ごめん……」
絞り出して、嗚咽に紛れたのはそれだけだった。たったそれだけが、限界だった。
「……おいで?」
花梨が微笑んで、手を差し伸べる。その身体に引き寄せられるように、私は花梨の胸の方に近づいた。
「もういいよ?」
泣きじゃくる子供をあやす様に、花梨は私を抱きしめた。頭を撫でながら、囁くように、私を赦す。
「これからはずっと一緒じゃん?」
「……ずっと。」
「そ、ずうっと…」
花梨は力いっぱい、私を抱きしめ強く囁く。
「……私、花梨に言わなきゃいけないことが……謝らないといけないことが……」
「もういいって…私もごめんね。最後に酷いこと言った。」
私の言葉を遮って花梨は言った。
違うのに……謝らないといけないのは私なのに…
言わなければ…
「だめ……言わせて…私、その為にここまで……」
「分かった分かった。後で聞くよ。でも今はいいじゃん?時間はたっぷりあるんだ。今はもう、休みなよ……」
だめだ。そんな時間はない。
きっとまだ、ヨミもクロエも戦っている。早く花梨を連れ戻さないと……
分かっているのに、花梨の言葉に私の意識は薄れていく。
まるで子守唄みたいに私の中に入ってくる花梨の言葉は、私の意識をどんどん深くに引きずり込んでくる。
心地よいまどろみの中で花梨の声だけが私に届く。
「ほら、疲れてんじゃん。眠いんでしょ?一緒にいてあげるから…今は寝なよ?起きたら、また話そ?」
「起きたら……」
「そーそー、時間はたっぷりあるからさ…だって……」
--これからはずっと一緒だ。
花梨の言葉は呪いのように、私の中に溶けていく。
私の意識を、存在を引きずり込むように……
「ここにいれば、もう離れ離れにはならないよ。」
……そうだ。
ここなら、ずっと……一緒にいられる……
だから……
※
「--こんにちは、シオリさん?」
談話室で突然声をかけられて私はびくりと肩を震わせ振り返った。
本の世界に没頭していると周りが見えなくなる。そんな私を現実に引き戻した声の主は私のすぐ後ろに立っていた。
黒髪を後ろで団子にして纏めた、メガネの美少女だ。
私と同じ制服を着ている。当然だ。この寄宿学校に部外者はいない。
「……なに?」
「いや、編入生ってあなただよね?」
またこの手の輩だ。
この寄宿学校に入学してから一週間。私の元には連日このような輩が寄ってきていた。この子も外から来た私が珍しいんだろう。
「私、ハルカって言うんだけど……あ…」
勝手に自己紹介を始める少女を無視して私は本の世界に戻った。私の方に別に用はない。
……それに、今は誰かと関わりたい気分じゃなかった。
「読書の邪魔か…ごめんね。また今度……」
視線すら寄越さない私にハルカは申し訳なさそうに退散して行った。
彼女はまだいい方だ。しつこい奴はいつまでも居座ってくる。心底鬱陶しい。
--しかし、私の認識は甘かった。
「おはよう、シオリさん。」
「シオリさん、隣いい?」
「こんにちは、シオリさん。」
……。
大抵の生徒は二、三回話しかけてきても無視していれば勝手に離れていくのだが、どういう訳かこの女は毎日のように粘着してくる。
「シオリさん、いっつも何読んでるの?」
今日も談話室に現れたハルカが、私に声をかけてきた。
毎日毎日、馴れ馴れしく寄ってくるくせに、特に用がある訳でもなく、そして私には決して近寄らない。
常に一定の距離を保って、私に話しかけてくる。
「……関係ある?」
私は初めてあった日以来初めて、彼女に言葉を返した。
それは、彼女との出会いから一週間経った日の事だった。
私の辛辣な態度に「え……?」とハルカは目を丸くして固まった。そんな彼女に向けられる私の視線は冷たく鋭い。
「……気になるなら図書館で借りたら?別に珍しい本でもないし…」
と、必要以上に冷たい物言いを返す。その態度に、流石にハルカの表情も微かに不愉快そうに歪んだ。
「……いや、ちょっと気になっただけ……」
すぐに取り繕ったような笑顔を向けて、「またね。」と手を振り去っていく。
……もう二度と来るまい。
私は安心して再び読書に集中した。
……私は大甘だった。
「おはよう、シオリさん。」
翌日、また当然のように彼女は私に寄ってきた。
一体私の何にそんな興味があるというのだろう?
どうでもよかったが、望まずやってきたこの寄宿学校で友人を作る気もなく、これ以上読書の邪魔をされるのも不愉快だった私は、昨日よりも鋭い視線でハルカを睨みつけた。
「--あのさ、」
言いかけ、悪態を紡ぎかけた唇を私は途中で閉じた。
私と向かい合うハルカの手には、私が昨日から読んでいた小説の一巻が抱かれていた。
「これ、シオリさんが言った通り図書館あったよ。私あそこで本借りたの初めてだ。」
何がそんなに楽しいのか、照れくさそうに笑う彼女はそう言って本の表紙を私に見せつけてきた。
そして一言--
「全然面白くなかった!」
……なんだこいつは。
私のハルカへの心象は、最悪なものだったと記憶している。




