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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第4章 忘れてはいけないもの
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第4章 29 約束

 

 ※




  --記憶の蓋が開いていく。


  目の前に現れた花梨の姿を見た瞬間から、私の中に洪水みたいに、勢いよく記憶の波が押し寄せてきた。


  --真奈美、私の名前は桜真奈美(さくらまなみ)


  --花梨、橘花梨。私の……友達。


  なんで忘れてたんだろう?どうして思い出せなかったんだろう?いつから忘れてしまったんだろう?


  私は瞼を閉じて、記憶の蓋をそっと開いた。

  瞼の向こうには、輝いていたあの日々があった--




 ※




  「真奈美っ!」


  見慣れた教室--私は頭上から降ってくる甲高い声に瞼を開けた。

  すっかり辺りも薄暗くなった夕方の教室。私の席の前で後ろで手を組む花梨が笑っていた。

  机から顔を上げた私は、どうやらまた寝てしまっていたらしい。


  「かーえろっ!」

 

  赤いランドセルを背負った花梨がそう言って手を差し伸べてきていた。



  私は五歳の頃まで、祖母の家のあるロシアで暮らしていた。

  小学校に上がる歳になって初めて、両親の故郷である日本に渡ったのだ。


  私の両親は私が産まれてすぐにいなくなった。

  理由は知らない。訊いても誰も教えてはくれなかったから……おそらく離婚したのだろう。

  母親はろくでもない人だったようだ。色んなところで男をつくって、そんな母に父は愛想を尽かして出ていったんだろう。


  なぜ私が祖母に引き取られたのかは知らない。多分、両親にとって私はいらない子だったんだ。


  そんな家庭環境で育って、日本にやってきた私が日本の小学校で馴染めるわけもなかった。

  言葉も通じず、読み書きもできない。必死になって日本の文化を勉強し身につけた頃には、私は一人になっていた。


  そんな私に、小学五年生の頃初めて出来た友達が花梨だった。


 

  「--何読んでんの?」


  学校の教室で一人、読書に耽る私にそんな風に声をかけてきたのが、花梨だった。


  日本語を学ぶ為に、幼少の頃から本にかじりついていたら、いつの間にか本の虫になっていた。ついでに、それ以外にすることも無くなっていた。


  そんな孤独な本の虫に、花梨は笑いながら近づいてきた。


  「……」

  「うわぁ…ホントに日本語通じないじゃん。」


  じっと花梨を見つめる私に花梨は私の手の中の本の題を覗き見た。


  「……う?なんて読むのこれ?ナンタラ…船?」

  「蟹工船。」


  ボソリと題を読み上げてやる私に花梨がビクッと驚いたように肩を揺らした。


  「喋れんじゃん。」

  「……日本語分からないなんて、言ってないし…」

  「ねーねー、かにこーせんってなに?」

  「……。」


  --私と花梨の出会いだった。


  花梨も私と同じように、友達が多くなかった。

  明るく誰とでも距離を縮められるはずなのに不思議には思ったが、その分花梨はよく一人でいる私のところにやってきた。

 

  「なんの本?それー。」


  花梨はよく私の読書の邪魔をする。私が読んでいる本を横取りしてくるのだ。

 

  私も最初はそんな花梨のことを疎ましく思うこともあったけれど、いつの間にか私から奪い取った本を一生懸命読み漁る花梨を見守り、漢字の読みや言葉の意味を教えてやるのが私の日課になっていた。


  「真奈美はさ、私より日本語上手いよね〜。この間のテスト何点?」

  「……九十五点。」


  花梨はまだ小学生なのにもう勉強についていけないおバカな子だった。

  何度も交流を重ねるうちに、花梨に勉強を教えるのも私の日課のひとつになっていた。


  「……ねぇ、花梨。」


  ある日の教室で、私はふと花梨に尋ねてみた。

  その日もいつものように私が読んでいた小難しい小説を横から奪い取り花梨はわけも分からず読んでいた。


  「ん〜?」

  「……花梨はさ、なんで面白くもない本を読むの?意味わかってないでしょ?」


  私がそう尋ねると花梨はくしゃっと元気よく笑った。


  「友達の好きな物だから!」


  --その日、私は花梨の“友達”らしいということを知った。



  --夕日が照らした帰り道。

  緩やかな坂道を並んで歩く私たちの影が伸びている。すれ違う自転車の起こす風が冷たくて、季節の変わり目を実感した。


  「ね、今から家来るでしょ?」


  花梨は私に笑いかけた。今日はもっと遊びたいらしい。


  「えー……でももう遅いし…」

  「帰りは送っていくからヘーキだよ。」

  「……おばさんに迷惑。」

  「いーから!宿題見てくれる約束じゃん!」


  渋る私を強引に引っ張って、私は花梨の家路に付き合った。


  夕方の街並みはどこか哀愁を感じさせ、道行く人々はみな家路を急ぐ社会人。

  すっかり物騒になった近年、子供だけでこんな時間に出歩くのを見かけようものなら、大人たちは眉根を寄せるだろう。


  私たちは郊外の花梨の自宅まで帰ってきた。

  --この家も、通学路の街並みも、どれも私には新鮮なようで懐かしい。全てを思い出した今なら、目を瞑っていても歩ける道だ。


  花梨の家は母子家庭だ。

  母親は会社の経営者で、最近は大きなプロジェクトを推し進めていて忙しいんだとか…おかげで会社も大きくなっていると花梨は子供ながらに母親の仕事に胸を張っていた。


  そんな訳で花梨の母親と会うのは久しぶりだった。最近は家に来ても留守のことが多かったが、今日は私たちより先に帰宅しているようだった。


  「あ、お客さんかな?」


  普段と違うのはそれだけではなかった。玄関先には見慣れない靴が二足分……片方は草履だ。


  お客さんがいたことなんて初めてだ…


  「おかーさん、ただいまー!」


  私を引っ張って花梨が玄関をあがり、そのまま勢いよくリビングの引き戸を開けた。


  「……っ!花梨。」


  橘秋葉--花梨のお母さん。

  見慣れたしっかり者のお母さんが驚いたようにこちらを振り向いた。

  リビングでは、客人を接客中だったようだ。大きなテーブルをおばさんの他に二人、囲んでいる。

 

  一人は和装の美女--髪から瞳から和服まで全身真っ黒な女性だった。

  当時は知らなかった……でも、今の私には記憶にある顔だ。

  工藤環--天照学園の理事長だ。


  そしてもう一人も……

  黒いスーツを着込んだ少年だ。その姿は見間違えようのない、『ナンバーズ』のNo.01、その人だ。


  館で会った時と全く変わらない容姿--今から五年前の記憶の中の彼には一切の変化がなかった。


  『ナンバーズ』と言え全員が生徒では無いのか……?それにしても若く見える。


  混乱の渦中でも、私の記憶は止まることなく綴られる。


  「……こんにちは、花梨ちゃんでしたっけ?それに……お友達ですか?」


  と、立ち上がった理事長がこちらに優しく微笑んだ。


  「こんにちはー!!」

  「……。」


  物腰柔らかな客人に花梨は朗らかに挨拶を返す。その隣で私も無愛想にお辞儀した。


  「…真奈美ちゃん、いらっしゃい。花梨、お部屋に行ってなさい。」


  おばさんは私たちにリビングから出るように促す。記憶の中の彼女の顔は、どこか余裕がなく引きつって見えた。


  「……お菓子を持ってきたので、よかったら食べてくださいね?」

  「……っ!いいから!」


  リビングから出る私たちに理事長がそう声をかけるが、様子のおかしいおばさんはそんな理事長を無理矢理座らせた。

  当時もその雰囲気に違和感を感じたけれど、そんなことは当時の私には関係なかった。

  しかし、思えばあと時、彼らが何を話していたんだろうと、事態がこうなった今は無性に気になった。


  しかし、記憶は続いていく。私がかつて見た景色をなぞって……


  花梨の部屋は広く、立派な家は母子家庭ながらおばさんがどれだけ頑張っているのかを物語っている。


  私は、花梨のおばさんが好きだった。

  私にとても良くしてくれたし、母親の居ない私にとっては、お母さんのような存在だった。


  --だから、この家はとても居心地がよかった……


  しばらく花梨の部屋で宿題を見てやったいた。花梨は相変わらず馬鹿で、何度教えても同じところでミスをする。

  そんな花梨に呆れながらも、彼女と共有する時間は私にとってかけがえのない時間だった。

 

  きっと、当時の自分に言っても分からなかったけれど……


  「真奈美ちゃん、いらっしゃい。」


  しばらくして、おばさんがお菓子とジュースを持って来てくれた。客の私より先にお菓子に飛びつく花梨に私はまたしても呆れ顔だ。


  「お勉強?いつもありがとね。真奈美ちゃんのおかげでこの子も勉強するようになったわ。」


  なんて、おばさんは笑っていた。その笑顔を疑いたくないけれど、この時からおばさんは何か企んでいたんだろうか……?


  「私は全くがいなくても勉強するし……」

  「……しないじゃん。」

  「するよ!」

  「……してる人は何回もここ間違わない。」


  私と花梨のやり取りをおばさんは笑いながら見守っていた。

  私たちの頭を撫でながら--


 

  「……来年は中学生かぁ。」


  おばさんが出て言ってすぐ、鉛筆を回しながら花梨が呟いた。


  この時はもう、あと半年程で小学校も卒業という時期だった。なんだか花梨は感慨深そうに呟いていたが、私にとってはこれからも変わらない日常が続くと思ってた。


  「中学入ったらケータイ買ってくれるんだ。真奈美は?」

  「……うちはそんな余裕ないし。」

  「え〜?買おうよ。遊び行く時とか便利じゃん?逆にないと不便だし……」


  不満げな花梨に私は呆れたように返す。


  「……中学上がって遊んでばっかだと、ホントに勉強追いつけなくなるよ?」

  「真奈美がいるしへーきへーき。」

 

  …やっぱり私がいないと勉強しないつもりじゃないか。


  「……私は家庭教師じゃないし。」

  「分かってるよ〜。でも、勉強は教えてね?一緒の中学行って〜…クラス一緒だったらいいなぁ……真奈美いないとテスト点取れなそうだし。」


  そう言って彼女は笑った。


  自分の進学する中学がどこかなんて、考えてもいなかったけれど、ここら辺の小学生はみな地元の中学にあがるだろう。


  私もそんなふうに考えて、花梨の言葉を聞き流しながら頷いていた。

 

  「はいはい。面倒見てあげる……」


  私がそう返すと花梨はまた嬉しそうに笑っていた。


  「約束ね!」

 

  ……本当に、よく笑う子だ。

  こんな子があんな風に泣くなんて、私は知らなかったんだ……


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