第4章 22 忘れてはいけないもの
「なーなー、花梨の母ちゃんの夢ってどんなだった?」
と、私とシオリの間に空気を読まずに割り込んだのはクロエだった。
リスみたいに両頬を膨らませてくぐもった声でそう問いかける姿に、立派な大理石の食卓を囲む気品は欠片もなかった。
「……。」
「…そんなに睨むなし…ほら、今から潜る身としては気になるじゃん?No.10も戻ってきてねぇし……」
シオリの刺すような視線を受けてクロエがオロオロしながらビーフシチューをかきこんだ。汚い。
「……私の質問に答えたら答える。」
クロエに冷たい視線を送るシオリがそう告げた。
シオリの対応も当然だろう。現状、クロエもまた信用ならない側の人間だ。私自身、彼女の思惑も底もまるで見えてこない。
「……あなたは、私たちをもう一度潜らせるためにここに連れてきたの?」
シオリの厳しい声音にクロエは「あ〜」と困ったように眉根を寄せた。
「そこまで考えてないってば……ただ、ほんのちょっとでも手助けしてやりたいと思った。そんだけ。」
「……っなにが、あなただって……っ!」
「ウチはさー、分かるから……きみの気持ち。」
声を荒らげかけるシオリにクロエが淡々と続けた。その声は再び、抑揚のない感情の欠けた声になる。
「…友達、大事だもんな…」
クロエのどこか寂しげにすら見える瞳は虚空を見つめ、さっきまで嬉々として貪っていた料理への手が止まる。
そんな彼女の姿は、彼女の“本質”に近い気がした。
本音に近い言葉のように感じ、シオリも押し黙った。
「……手助けしたいというのなら、知っていることを全部教えて欲しいです。」
押し黙るシオリに代わって、私はクロエに口を開いた。
「喋れる範囲で、いいので…」
私の視線にクロエはまたいつもの雰囲気に戻った。分かりやすく狼狽してみせ、あ〜だのう〜だの喚き出す。
「信じてくんねぇかぁ…ウチはホントに善意でやってんだぜ?」
「残念ですけど、今のクロエ先輩の信頼度ってほぼ皆無です…」
私がちらりとシオリを見るが、彼女も同様の心情だ。厳しい目でクロエを睨んでいる。
「うぅぅ〜」と短く唸り声をあげ、頭を抱えて見せるクロエ。弱りきった仕草は完全にパフォーマンスだ。
しばらく弱々しい声をあげていたクロエだが、「分かったよォ」と観念したように呟いて、私たちを見つめてきた。
「ウチら…というかマザーはな、花梨が“特別”だから欲しがってんの。んで、お母さんはそれが面白くないから……」
と、抽象的な物言いでクロエがそこまで言ってからお茶を濁した。
「……お母さんの真意はウチには分かんね。直接訊いちくれ。」
「全然分かんない。」
と、肩をすくめる口ににシオリが棘を刺すように言った。
「特別って何?『サイコダイブ』の適正があるから?」
「ん〜…それもあんだけど…」
と、中々詳細を口にしようとしないクロエ。シオリに睨まれながら眉を八の字に下げてこちらを見てくる。
……これ以上は喋れないということだろうか…
「……花梨のお母さんは、花梨を守るためにこんなことをしてると…?」
クロエが喋れないというのなら、きっと彼女はそれ以上口にしないだろう。私はクロエの実に中身の薄い内容を要約する。
「まぁ、花梨を助け出せば分かるよ!」
「投げないでよ。大体--」
適当に投げられたシオリがクロエにまた噛み付こうとした時、シオリの言葉が急に途切れた。
「……?」
私の視界がぐらついたのもほぼ同時のことだった。
瞼が引っ張られるみたいに重くなり、頭が急に前に落ちた。
頭が重く支えられず、私はテーブルに思いっきり額をぶつけていた。
これって……!?
薄くなった視界で私はテーブルの上の料理を見た。私の皿に盛られた料理たちは、既に半分近く私に呑み込まれていた。
私の視界の端では、テーブルに突っ伏したクロエが早くもいびきをかきはじめた。
異変を察知したシオリが立ち上がろうとしたが、直後に糸の切れたあやつり人形みたいに力なく床に倒れてしまう。
「……料理、に薬……?」
私はシオリに駆け寄ろうと立ち上がろうとするが、腰が重い。
強烈な眠気が動くという意志を塗りつぶして私の自由を奪っていた。
どれくらい抵抗できただろう。いずれにしろ数秒だ。
二人と同じようにまどろみの沼に落ちていく私は、為す術もなく深い夢に落ちていた--
※
--私はなんて迷惑な奴なんだろう。
私は夢に落ちていく泥沼の中でそんな風に考えていた。
花梨が私のなんだったのかも、私には思い出せない。
思い出せたのは彼女の顔と、私を責めていたということだけだ。
嘘つきと責められた--何に対しての嘘つきなのかも分からないけれど、私は謝ろうと決めたんだ。
たったそれだけの為に、関係ないヨミを巻き込んでいる。
私は花梨に対して熱くなっている自分が不思議だった。
私の奥底に眠ってしまった感情はそれ程大きなものなんだろうか?
分からなかった--というか、思い出せない。
けれど、私は確かに確信していた。
夢に落ちていく泥沼の中で、私に悲痛な顔を向ける幻影に手を伸ばしながら--
きっと私は、忘れてはいけないものを忘れたんだって……




