第1章 6 お風呂場の女の子
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夕食を終えて、決められた時間に寮の浴場でお風呂に入る。一応、狭い自室の中には小さなバスルームが併設されているけれど、やっぱりみんな大きなお風呂に入りたいらしい。時間が無い時以外は私もこの浴場に足を運ぶ。
浴場は三十人のクラスメイト達が一度に入浴できるほど広く、全体的に古臭い印象しかないこの寄宿学校の中でも、ここだけはオシャレな雰囲気も相まって生徒からの評判も悪くない。
決して豪華で煌びやかではないけれど、オシャレで下品過ぎず、ここだけまるでちょっとした古代ローマのテルマエのような雰囲気だ。
ひと通り体も洗い終わり、私は大きな浴槽の端っこに入水する。ハルカは離れた方で数人の女生徒と談笑している。
ハルカは私と違って友人が多い。
私もハルカと常にべったりという訳でもなく、一人で過ごす時間を大切にするタイプの私にとっては、ハルカとの距離感はこの程度が好ましい。
「……はぁあ」
肩までお湯の中に沈み込むと、じんわりと体の芯に向かって熱が染み込んでくるような感覚に包まれる。
全身が程よい熱さに包まれ、体からお湯へ体の力みと疲れが溶けだしていく。
「…あぁ…足が伸ばせるだけでお風呂の気持ちよさは三倍違う…」
惚けた顔で小さなテルマエへの心からの賞賛を口から吐き出す。私はやっぱりお風呂が好きだ。真夏でも熱いお湯に浸かりたい。少し前にハルカが暑い日はシャワーだけで済ませると口にした時は衝撃を覚えたものだ。
「…お湯に浸かる至福を理解できないなんて人生の八割損してるね…」
「大袈裟だな。」
私の誰に対してこぼしたわけでもない戯言に対して、お湯に情けなく溶けた私の隣で湯船に浸かる少女が素直な感想を口にした。
「…え?」
まさか誰かの反応なんて想像していなかった私は急に鼓膜に割り込んできた声に対して間の抜けた声を返していた。
隣に居たのはクラスメイトだろうか?
周りに対してあまりにも無関心な私にはそれすら分からない。
隣で湯船に浸かるのは、栗色の髪の少女。
髪の毛は私よりさらに短いショートボブで、くせっ毛なのか所々くるくるとカールしている。今は濡れているが、平時はこのくせっ毛のおかげでもっとボリューミーに見えるだろう。
小さな顔の白い頬はお湯の熱気で朱に染まり、桜色の唇の下にはよく目立つホクロが一つ。
身長は私より少し高そうで、均整のとれた美しい肢体に口元のホクロが相まって大人びた色気があった。
若干眠たげな目が鋭い目つきを演出してしまっているが、文句のない美少女だった。
……誰だろう?
まじまじと観察してみても、そもそもクラスメイトの半分の顔も覚えていない私にはどこのどなたなのか検討もつかない。まして、気軽に話しかけられる覚えもない。
……用がなく接点もないなら話しかけないという思考回路が私の友達の少なさの原因なのでは?
用がなくても気軽に話しかけるというのが普通なのだろうか?
別に私は他人との交友が少ないことに思うところもないのだが、ふとそんな考えが頭を駆け抜けた。
「……その髪。」
隣の少女が固まる私の前髪を指さす。視線の先はひと房の赤いメッシュ。
「自分でやってるの?」
「……ぁー、いや。自分でやる時もあるけどね。いつもはお店でやってもらってるよ。」
「外出日に?」
「うん。」
少女は私の派手な髪色に興味を示していたらしい。私の返答に満足したのか、少女は「ふーん…」と小さく息を漏らすように私に応じ、
「…自分でやるのってどうやるの?」
「え?フツーにカラー剤で…アルミホイルとかサランラップとかで簡単にできるよ?」
「…へぇ。」
今度はあまり興味のなさそうな返事が返ってきた。やり方を訊いてみたものの、実際自分でやる気はなさそうだ。
どうやらただの物珍しさで話しかけてきただけらしい。
「そういうの、校則違反だと思ってたよ。」
今だ興味深けな少女が意外そうに口を開く。
「いや、普通に違反だよ?怒られたし私も…」
こんな髪色+ピアスまで空けまくってる女生徒が校則を気にするいい子ちゃんなわけが無い。
「怒られたのにやめないんだ…なんかいいね。」
「え?なにが?」
何がいいのやらさっぱり分からないが…この子も不良みたいなことしてみたいのだろうか?
首を傾げる私に少女は初めて柔らかな表情を見せる。
ほんの少し口角を釣り上げ、気のせい程度にクスッと笑顔を見せてくれた。
美しい微笑みはほんの一瞬。
少女はそれっきり何も言わなくなり、私同様深く湯船に身を沈める。
ほんの少しだけとは言え会話し、その会話がいきなり途切れて両者の間に沈黙が流れる。なかなかに気まずいものがある。
しばらくお湯の温かさを堪能した後に私は湯船から身体を出す。浴場から出る直前、ちらりと先程の少女の方へ振り返ると少女は今だ深く湯船に沈み、ぼんやりと空を見つめていた。
……結局、誰だろう?
そんな思考を働かせる価値もないような疑問も刹那のうちに脳から消え失せ、「まぁどうでもいいや」という結論とともに私は体が冷えないうちにと脱衣所へ服を求めて足早に向かっていった。
※
--夜もすっかり更けていき、消灯の時間が近づいていた。
私は今朝処方された精神安定剤を二錠、白湯と共に呑み込むとベット横の仰々しい機械を起動させる。
モニターに映し出された項目を目的に合わせて選択していき、やがて今晩の仕事がモニターにデータとして映し出される。
なんのこっちゃ分からない数字と英語の羅列--昨夜潜った夢と同じデータ。
リベンジマッチだ。
電極のような線を二本ずつ左右のこめかみに貼り付けて、データとして映し出される今晩潜る夢を選択する。
モニターに心電図と脳波が表示され、緑色にランプが点滅している。
ランプが緑なら『ダイブ』可能の合図だ。
私はベットに倒れ込むように体重を預け、そのまま瞼を閉じる。
こめかみに貼り付けた線から熱い感触を感じる。脳に直接、微弱な電流を送り込まれているかのようなこの感覚はあまり好きにはなれない。
段々と意識が遠のき、下へ下へ引きずり込まれるような感覚を覚える。普通に眠りに落ちるのとは感覚が違う。私の意識が電脳化され、誰ともしれない夢の中へリンクしていく…
「…おやすみ私、いい夢を。」
薄れゆく意識の中私は私に向かって呟いた。
瞬間、閉じたまぶたの裏側に、誰かの顔がぼんやりと浮かび上がる気がした。
いつも通り、その顔を見ようとするけれど、それより早く私の意識は現実より引き離されていく。
--笑っている気がした…
どんどん遠のく意識の中で私は何度目かの問いかけを霞がかった顔へと投げかけた。
--あなたは誰?
--今日も借りものの夢の中へと…
--夜の帳が降りる頃に…