第4章 5 睡眠療法
※
--クロエと別れた後も、私の中のしこりは一向に無くなる気配はなかった。
むしろ彼女に会ったせいでより大きくなったかもしれない。
--私はきみの“敵”だぜ?
クロエの言葉の意味を私は考えてみた。けれど、言葉以上の意味を私は見出すことは出来なかった。
……訊くんじゃなかった。
あの日出会った花梨の笑い顔が今も頭に残っている。
何故だろうか?ひどく気になる。
仮に知ったところで、なんにもならないのに……
私にできることはないし、なにかできたとしてする意味もない。
『ナンバーズ』のやろうとしていることは、花梨にとって不都合なことなのだろう。そして、彼女の母親は娘を守ろうとしているのだろう。
そう考えると、あの時張り手を食らった頬がじんじんと痛む気がした。
…『ナンバーズ』って、なんなんだろう。
閉鎖的で、排他的な寄宿学校--その裏にあるものがひどく不気味に感じた。
……私たちには関係ない。私たちの預かり知らぬところで、良くないことをしているのだろうか……
漠然とした不気味さに追いすがられているみたいだ。
すぐ後ろに感じる不安から逃げるように私は足を進めていた。
※
気づいたら私は再び図書館に戻ってきていた。
目的は本では無い。私はカウンターに座るこだまさんに詰め寄った。
「ごめんこだまさん、また調べ物があるんだ…パソコン借りていいかな?」
なるべく小声で伝える私に、こだまさんは不快感を示すことなくにっこりと笑顔を返してくれた。
外出日に図書館に入り浸る生徒などまず居ない。誰もいないシンとした図書館の中で何故か周りを伺うように慎重に準備室に入る。
……別になにか思いついたわけでも、これといった目的がある訳でもなかった。
ただ、何となく不安で、なにか行動を起こさなければと急かされただけだった。
パソコンの電源を入れて、私は考える。
『ナンバーズ』の目的は花梨だった。つまり、会社や事業というより個人間でのいざこざなのかもしれない。
花梨について調べようにも、ただの学生であるであろう彼女のことなど調べようもない。SNSのアカウントくらいは持っているだろうが、それを特定する術はない。
私は花梨の母親について調べることにした。
……この前、コハクが検索した結果の中に気になる記事があった。
--橘秋葉、“睡眠療法”論文、学会に発表
……この記事だ。
目的の記事を見つけて私はその記事を閲覧する。
記事は古くもう二十年も前のもののようだ。
内容としては、『国立精神医療研究所』に所属する研究員である橘秋葉が、明晰夢を利用した精神病治療の新たな方法を論文として発表した--というものだった。
--明晰夢とは、夢であると自覚しながら見る夢のことである。
夢を見ているという自覚を持ちながら見る夢であり、夢の内容を望むものに変えることもできるらしい。
詳しいメカニズムや発生条件は不明である為、誰にでも起こりうる現象ではあるが意図的に明晰夢を見ることはできないとされている。
しかし、この橘氏は、明晰夢を意図的に発生させ事で、夢を精神病の治療に活用出来るという持論を展開したのだ。
……これって。
夢を使って行われる心的療法--つまり…
『サイコダイブ?』
しかし、内容を見る限り、『サイコダイブ』とは根本的に理論が違っているようにも見える。専門知識がないので詳しくは分からないが…
彼女の発表した“睡眠療法”はあくまで患者が自身で精神状態を改善することを主な手法、目的としており、他者が患者の精神に干渉する『サイコダイブ』とは決定的に異なる。
しかし、世間での認識はどうなのだろう……
その後この研究がどうなったのかは、調べても出てこなかった。
論文そのものも、同様に。
記事に掲載された写真の中で橘秋葉が笑っている。当時二十三歳と表記されており、逆算すると少なくとも今の年齢は四十歳は超えていることになる。
……見えなかったなぁ。
橘社長の顔を思い浮かべ素朴な感想を心の中で口にする。
そもそも、元々が研究者だったということも驚きだ。
当時彼女が所属していた研究所が、現在彼女の会社と共同で『サイコダイブ』導入機の製作を行っているようだ。
……彼女のことを調べても、結局何も分かりはしない。意外な過去がつまびらかになっただけだった。
『ナンバーズ』、理事長との具体的な繋がりは見つからなかった。当然、娘の花梨との繋がりも……
……時間の無駄だ、もうやめよう。
私はパソコンの電源を切って立ち上がった。
こだまさんが持ってきてくれたぶどうジュースで喉を潤して、例をいい準備室を出る。
花梨は他人だ--ほんの少し、会話をしただけ。
それに、彼女がどういう風に“良くないこと”に巻き込まれるか定かではない。
あまりにも情報が不確かすぎる。
仮に、本当に花梨にとって良くないことをするつもりだとしてもやっぱり私には直接関係ない。関係ないし、知ったところで……
「……」
なぜクロエは、私の質問に正直に答えるでもはぐらかすでもなく、あんな答え方をしたのだろう……
あの時のクロエの態度を思い返し、なんだかまた無性に腹が立ってきて、私は気分を落ち着かせるように本棚から本を選んで席に着く。
もう忘れよう。
そう決めてページをめくり、本の世界に没頭する。
--それでも私の中で引っかかったそれはいつまでも私の中に燻って、本の世界に集中出来なかった。
周りはこんなに静かなのに--
※
連休も明け、月曜日からいつもの日常が始まった。
いつも通りの授業に、友人たちとのいつも通りの日常--そんな日々が一週間程流れた。
私は花梨のことを忘れつつあった。少なくとも、意識して思い出そうとすることも無く……
この日は『サイコダイブ』の訓練の日だった。
授業の一環として行われるこれは、具体的にはただのイメージ修行だ。
目を閉じて、横になり、マザーから出される“お題”を頭の中でこなしていく。
具体的には、「イメージでダンスを踊れ」と言われたら、そんな自分をイメージする。
「空を飛べ」と言われたら飛んでいる自分を、「夜景」と言われたら夜の街並みの景色を…
そんな感じである。
脳波を測定する装置に繋がれ、生徒たちが目をつむって仰向けに寝ている姿はなんだか不安を煽る光景だが、夢の世界で自分の動きを反映するにはイメージ修行も重要らしい。
……ただ、ほとんどの生徒には「昼寝の時間」なんて呼ばれる不憫な訓練でもあるけれど。
かく言う私もそんなひとりで、出されたお題をこなしながらもゆっくり近づいてくる睡魔にうつらうつらする。
中には本当に寝てしまう生徒もいるが、寝たらすぐ分かるのでマザーに叩き起される。
正直に言って退屈な時間だ。
--そんな感じで一日を消化し、私は夕食までの時間をコハク、シラユキと共にハルカの部屋で過ごす。
「--早口言葉。生麦生米生卵。」
ハルカの部屋でごろりと天井を仰いで寝っ転がる私の耳にコハクの声が聞こえてきた。
「ナマムニナマゴメ、ナナタマコ。」
コハクに習って復唱するシラユキにコハクとハルカが爆笑する。
私たちはハルカの部屋でシラユキの日本語特訓を行っていた。
最近はハルカの部屋に入り浸ることが多くなった。理由は、全員の部屋から一番近かったから。それだけである。
「シラユキ、言えてない。」
「難しいかい?」
余程ツボに入ったのか、ハルカとコハクが目に涙を浮かべて笑っている。そんな二人にシラユキが拗ねたように頬を膨らませる。
「……モウイッカイ。」
「オッケー、じゃあ…東京特許許可局!」
「トウトウトッキョキョキョキョク!」
コハクのお題に大真面目でボケをかますシラユキ。かわいい。
「かわいいなぁシラユキは!」
爆笑しながらシラユキを撫で回すハルカに、シラユキはますます頬を膨らませる。
部屋を彩るカラフルな家具や小物を眺めながら、そんな握やがな友人達を見守る。平和だ。
あと少ししたらこの平和ともしばらくお別れだと思うと少し気が重い。
「……ヨミ。今夜は潜るんだって?」
ハルカが私の隣に同じように仰向けに寝転がりながら尋ねてくる。
「んー。」
間延びした返事を返しながら隣に寝転がる悪友の方に視線だけ向けた。
「なんかさ…最近みんな調子悪いらしいじゃん?だからちょっと憂鬱だったりする。」
私の台詞にハルカも頷く。
「……最近、入院棟人多いもんね。」
ここ最近、『サイコダイブ』の成功率が低い。
私たちのクラスでも既に何人か、入院棟送りにされた生徒がいる。どういう訳か、そもそも潜れないなんていう生徒もいる始末だ。
「……全部、同じ夢でしょ?」
「……らしいね。」
『サイコダイブ』すら弾く、厄介な精神病質者--
とうとうその難敵への挑戦に、私に白羽の矢が立った。
「……気をつけてね。ホントに……一人で?」
「さぁ、知らない。」
寝返りを打つようにハルカに背を向ける私。意識していたらなんだか気が重くなってきた。
「……そういえば、入院してたハルカの友達、大丈夫?」
話題を変えようと思い出した話のタネをハルカにふった。ハルカもそれに応じてくれる。
「退院した。一昨日ね。全然大丈夫みたい。って言っても、シラユキのこともあるしまだ要注意だけど……」
とりあえず回復したようだ。
やはり、『サイコダイブ』は危ない。
なぜ、こんな回りくどい手法で、危険な治療を行う必要があるのだろう……
ナイーブになっているせいか、私の中にそんな答えのない疑問が浮かんだ。
ダメだ……潜る前からこんなんじゃ……
「……気をつけなさいよ?本当に。」
私の背中にハルカの声が飛んでくる。なぜか私以上に不安になっているハルカに私は苦笑して、勢いよく起き上がった。
まずはこの不安感を忘れるために--
「……シラユキ、早口言葉のコツ教えてあげるよ--」




