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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第1章 夢の世界へ
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第1章 3 私たちの「マザー」

 ※



  顔を洗い、歯も磨き、すっかり目を覚ました私とハルカはそのままみなの集まる食堂ではなく、マザーの所へと向かっていた。


  寮と学舎を繋ぐ渡り廊下からは、緑に包まれた美しい中庭を眺めることが出来る。

  よく手入れの行き届いた中庭には小さな噴水まで設置してあり、時々小鳥たちが水浴びなんかにやってくる。

  中庭はセキュリティの関係でガラス張りの天井で閉じられており、ここで見ることが出来る小動物達は全てこの中庭に住んでいるのだ。

  透明なガラスのドーム状の天井からは優しい朝日が降り注いでおり、鮮やかな緑の草木たちが陽の光を浴びて輝いている。


  季節は四月--すっかり暖かくなってきて、ここでのんびり昼食を食べたりなんかもいいななんて考えてる間に私たちは渡り廊下を渡りきり、学舎へと入っていく。


  これまたいつ建ったのかも分からないような木造の学舎は、今日も荘厳な佇まいで私たちを迎え入れる。

  これで近代科学の粋を集めた最新セキュリティがうんたらかんたらだと言うのだ。映画にでも出てきそうなこの学舎が、実はそこらの銀行の金庫よりも厳重に守られているなどと聞いてもやっぱりピンと来ない。


  「ボケっとしてると転ぶよ。」

  「ハルカもね。」


  歩き慣れたいつもの廊下を二人して並んで歩き、マザーの部屋までたどり着いた。


  「--失礼します。」


  三度のノックの後、ハルカが扉の前で声をかける。数秒の後、手も触れていない大きな木製の扉が勝手に開いた。両開きの木製の自動扉なんて聞いたことも無い。


  「おはようございます。マザー。」

  「…おはようございます。」


  「…おはよう。ハルカ、ヨミ。」


  入口付近で直立不動のまま挨拶をする私たち二人に、正面の黒檀の執務机の向こうから優しげな声が降ってくる。


  --マザー


  ここでは教師の事をそう呼ぶ。女生徒しかいないこの女子寮には、男性教諭は居ない。

 

  幼い頃から親元を離れて勉学に励む生徒たちにとって、彼女らは母親代わり--故に、彼女ら教師を私たちはマザーと呼ぶそうだ。


  ちなみに各クラスにマザーは一人。基本、他のクラスを受け持つマザーとは会うことも無い。母親は一人で充分ということだろう。

  日々の授業から生活の管理まで--全て彼女一人で行われるそうだ。


  ちなみに私は自分のマザーの名前を知らない。別に知りたいとも思わなかった。


  私たちはこの寄宿学校に入学した時点で名前を貰う。

  元の名前ではない。この学校生活の中で使う名前だ。それも、マザーが一人ひとりにつけていく。


  私の「ヨミ」

  隣の「ハルカ」

 これもマザーがつけた名前だ。

  私は、自分の本当の名前を知らない…多分、ハルカも。


  「気分はどう?二人とも。どこか、調子の悪い所はないかしら?」

 

  決して張りのある声ではないが、マザーの声は不思議とよく通る。自然と耳の中に入ってくる。


  マザーは三十歳前後の女性だ。

  黒い長髪を後ろでひとつ括りにしており、前髪はあげてある。お陰で髪の毛に隠れず顔が良く見える。

  整った優しげな顔に今までシワがよっているのを私は今まで見たことがない。目じりの少し下がった優しげな双眸は深い、深緑の瞳。色白の肌にはそばかすがあり、普段から着用している黒い服はどこか修道女のような清廉さを感じさせる。


  マザーの優しげな風貌に不安を抱いてこの寄宿学校にやってきた子供たちはみな安心するのだという。

  かくいう私も、物心ついた時から彼女から母親として接されてきたということもあるのだろうが、

 安心する女性=母親=マザー

 みたいなイメージが出来上がってしまっていた。


  とはいえ、彼女がただ優しいばかりのマザーでないことは私もよく理解しているつもりだ。


  「大丈夫です。気分はいいです。」

  「…私も。」


  マザーの問いかけにハキハキ答えるハルカに習い私も同じように返した。

  そんな私たちにマザーはいつも通りの優しげな笑みをたたえたまま頷き応じた。


  「それは良かった…昨夜の『ダイブ』ではかなり痛い思いをしたと聞いたから…」


  さり気なーく本題に入ってきた…


  「…ごめんなさいマザー…昨夜の『ダイブ』は…」

  「…いいのよ。お顔をあげて、ハルカ…」


  自らの不手際を恥てか、期待に応えられなかった罪悪感か、顔を伏せて声を沈ませるハルカにマザーがゆっくりと歩み寄った。

  マザーの手がハルカの肩に置かれ、慰めるように彼女の頭を撫でてやる。


  「失敗することは何も恥ずかしいことではないわ…誰だってするもの。私だってね…」


  マザーはハルカの隣に立つ私の頭も撫でてくれる。思っていたより怒ってはいないようなので私は少し安心した。


  「『サイコダイブ』は危険なのだから…本当はあなた達には荷が重いってことも、分かっているのだけれど…」


  マザーは私たちを慰め、気を紛らわすつもりで言ったのかもしれないが、私にはその台詞が面白くなかった。

  何も自分からやりだした事でもないし、大人たちがやれと押し付けてきたことなのに「荷が重いことは分かってる」なんて、だったら初めからやらせなければいい。


  別に『ダイバー』であることになんの誇りも自信もないけれど、何となく不愉快で私はマザーの手を振り払った。


  「今朝はね、ただあなた達が無事かどうかが気になってね…こうして集まってもらったのよ。」


  「私たちを責めるつもりはない」

 マザーはそう言いたいらしい。さっきの一言で少し気分が悪い私は、用が済んだならさっさと解散にして欲しいと内心思った。

  やはり、こういう話題は空腹時に聞くものでは無い。


  「…でもね。」


  一拍置いてから、マザーは私たちを二人を見つめて口を開く。その目は「優しくない時」のマザーの目だ。


  「これはあなた達の仕事なの…だからね…」

  「失敗したままは許さないってことでじょう?分かってるよ。」


  マザーが言い終わるより早く私は矢継ぎ早に言った。

  つまり、今朝呼んだのは私たちのコンディションを直接確認するためなのだろう。

  ……今夜も潜れるのか否かの。


  私のそんな態度にマザーは少しだけ寂しそうな顔をし、隣のハルカは咎めるような視線を向ける。


  「流石ヨミね。期待しているわ…でも、無理だけはしてはダメよ?昨夜のような仕事は…」

  「別に現実の体がどうこうなるわけじゃないよ。」

  「精神的に良くないわ。もっと自分の中にも目を向けて?」


  ……よく言うよ。


  今はマザーの全ての言動が打算的に見える。ダメだ。こういうのは良くない。

  良くないとわかっていても、そういう気分なのでどうしようもない。なんだかんだ、昨夜のうさぎを取り逃したのを引きずっているのだろう。


  「…それでね、今朝呼んだのはもうひとつ話があるのよ。」


  まだあるのか…朝食の後に出直したい。


  「今月からこの学校に新しい生徒が入学したの…あなた達と同じ十六歳よ。

 適正テストも問題なくクリアしたからすぐにでも潜れるわ。それでね、今晩の『ダイブ』にその子も同行させて欲しいのよ。」


  どうやら本題はこれらしい……

 要は新人の『ダイバー』の指導してやれということらいし。お前ら二人では手に余るようだからもう一人付けてやるという風にも聞こえる。


  ダメだやっぱり。私、機嫌悪い。


  「…新人の指導、ということですか?」

  「一人では危険だから…あなた達も初めはそうだったでしょう?」


  マザーはそう言って私二人を見つめて


  「あなた達なら安心して任せられるわ…お願いね。」


  マザーのこういうところもあんまり好きじゃない。

  既に決定したことなのだろうに、下手に出るような、機嫌を取るような言い方をする。


  …この仕事だって全く安全じゃないんだ。

 いつの間にかいなくなっていた子だって何人も知っている。


  遊びじゃないのだから、毅然に「やれ」と命じればいいのだ。


  ……私はそう思った。

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