第2章 14 シラユキの世界
※
寮に戻る途中、入院棟に向かうハルカとも合流し、三人はそのまま私の部屋まで戻った。
いきなりのことにどうしても理解が追いつかず、困惑する私とハルカをコハクが宥める、といった時間をどれくらい過ごしたか--
消灯時間ぎりぎりになって、私たちは藤村先生に呼び出された。
医務室に着くなりハルカが先生に詰め寄った。
「--シラユキの様子は?大丈夫なんでしょうか?」
ハルカの勢いに気圧されながらも、先生は毅然とした態度で私たちに対応してくれた。
「…幻覚症状と、極度の被害妄想。異常な攻撃性を見せている。妄想と現実の区別もついていない状態だよ。正直、厳しいかもしれない。」
私の胸の中にどっしりと居座っていた嫌な重圧はいよいよ現実のものとしてのしかかってきた。
「今は鎮静剤で眠っているが…確実に『サイコダイブ』による精神汚染だ。」
「…そんな、最後に会った時は普通だったのに。」
先生の誤魔化しのない言葉にハルカはガックリと力なく椅子にもたれた。
油断--としか言いようがないだろう。学校側も、私達も…
精神汚染は外目からじゃ分からない。だからこそ、隔離して厳重に様子を見るのだ。
それでも、微かな予兆や異常の発露を見逃すことはあるだろう。
多分--彼女は周りに心配をかけまいと、必死に押さえ込んでいたのだろう。
親元から引き離され、未知の場所での新生活…加え、危険を伴う『サイコダイブ』のプレッシャー…
十六歳の少女が壊れるには充分だろう。
「『ダイバー』は最初の一回が一番危ないからね…潜った時の精神汚染が原因で?」
コハクの質問に先生は頷いた。
「間違いないだろう。潜った時の精神汚染によって、彼女の精神が入ってきてしまった夢の持ち主の心象とダブってしまった…融合…いや、“上書きされた”と言うべきか…」
「…精神の上書き、ですか?」
ハルカが私の方を見やる。
あの時は私たちも少なからず影響を受けた。
汚染により夢の持ち主の感情を『自分のモノ』として誤認してしまった。
--シラユキは乗っ取られてしまったのだろう。
先生の噛み砕いた説明を頭の中で反復し、シラユキの現状を理解する。
「…シラユキは、どうなるんですか?」
そのうえで、ハルカは尋ねた。
「…彼女の精神状態は精神異常者のそれと同じ状態だ。しかもより酷い状態…どうにもならなければ、然るべき処置を下す他ないね。」
然るべき処置--
私の脳裏に、消えていった生徒たちの灰色の目が蘇る。
そして、シラユキの人懐っこい花のような笑顔も……
まるで自分の感情じゃないみたいに、私の心がざわめいた。
どうしようもなく不安で、怖くて、許容できない現実…
私は一体どうしてしまったのだろう?
「…じゃあ、どうにかすればいいわけだ。」
足元が崩れていくような不安の中で、コハクのそんな淡々とした声がいやにはっきり響いた。
「…どうにかとは?」
先生の問いかけにコハクは当たり前のことのように返した。
「つまり、切り離せばいい。彼女の心に引っ付いてきた“異常”を…今までのやり方で。」
コハクは言った。--潜る、と。
シラユキの夢の中に。
「…簡単じゃないよ。」
呆気に取られる私とハルカを尻目に先生が言った。
「調整が難しい…下手をすると、シラユキ自信を攻撃することになる」
「今の彼女の精神状態は精神異常者と同じ…なら、私たちが潜らないといけない。…今までずっと、そうしてきたんだ。」
首を振る先生にコハクもまた毅然として返した。
「…どうせするんでしょ?じゃなきゃわざわざ呼び出したりしないよね?」
コハクの言葉に私もハッとして先生を見た。
コハクの冷静さのおかげで少しずつ私も冷静さを取り戻してきた。
--そうだ、じゃなきゃわざわざ呼び出してまで私たちに事態を説明したりしない。
「…今までの『ダイブ』とは話が違ってくる。シラユキのマザーや上とも話したが…」
「やるなら私が行く!」
私は先生の言葉を遮って立ち上がっていた。
「…おい。」
「私はあの夢の中に潜ってるんだ。シラユキの異常性の原因も同じなら、私が行くのが適任だよ。」
自分で自分が分からない。
どうしてし私は、ほとんど何も知らない子の為に、ここまでしようという気になっているのだろうか?
しかし、もはや私自身この感情を抑えることができそうにない。
「…それなら、私も潜ります。」
私に並び立つようにハルカが言った。
そんな私たち二人を、コハクが眩しそうに見つめている。
「…私も行きます。それなら、安心でしょう?」
先生に向き直るコハクがそう言って微笑んだ。
その表情と言葉に、得体のしれない自信のようなものを感じる。
そして、それに先生も一定の信頼を見せた。
「…慌てるな。今、君たちのマザーに話を通すから。」
先生はため息交じりに、デスクの上の受話器を手に取った。
私とハルカは、たった一言で先生を折れさせてしまったコハクを見つめ、コハクもまた私たちを見つめ返して--
「さ、行こっか。」
まるで遠足にでも行くかのような気軽さで私たちの背中を押した。
※
--『ダイバー』の夢の中に潜るのは、多分初めての経験だ。
私は睡眠導入剤と精神安定剤を水で流し込んで、ベットに横になった。
ベットの隣に置かれた『サイコダイブ』の導入装置のモニターには、相変わらず意味のわからない文字数列が連なっている。データ化された、シラユキの精神だ。
これがシラユキの夢……
私が眠りに落ちれば、二人の精神は同期し、私はシラユキの精神を落とし込んだ仮想空間--夢の中に入り込む。
言葉にするとなんだか変な感じだ。
見知った誰かの心の中を覗き見るのは、やはり抵抗があった。そのせいなのか私はなかなか眠りにつくことが出来ない。
それでも、やらなければ……
覚悟を決めて、深く瞼を閉じる。
ベットの下--さらにその下…深い深い深淵に引きずり込まれるように、私の意識は沈んでいく。
眠りに落ちる直前、私は眼前の闇に目をこらす。
いつも朧気に現れる“誰か”は、今日は姿を見せなかった。
※
閉じた瞼を突き抜けるような光の眩しさに、私はゆっくりと目を開けた。
ひりひりと肌を灼く暑さに私は思わず頭上を見上げた。
太陽だった。
真っ白に見える太陽からギラギラと日差しが降り注ぐ。真夏のような暑さが私を遅い、額から汗が吹き出す。
私の目の前には、真っ白な砂浜が広がっていた。
太陽の日差しを受けた白い砂浜が眩しく輝き、その先には真っ青な海がどこまでも広がっている。
カラッとした暑さと遠くから響いてくるさざ波の音。酷く暑いが不快感はなかった。
--要は真夏の海辺だった。
…これがシラユキの夢の中。
季節感がまるでない心象風景の中佇んでいた私の視界に、何かが映り込んできた。
眩しい青と白の世界の中に、遠くから何かがのっそのっそ歩いてくる。それが、ハルカとコハクでは無いことは明白だった。
私は影に手を入れた。
頭の中にイメージしたウィンチェスターライフルが、影の中私の手に収まる。その感触を確かめながら私は影からライフルを引き抜いた。
ゆっくり近づいてくる人影に私は慎重にライフルを向けた。
私は先生の言っていた言葉を思い出した。
--シラユキを攻撃してしまうかもしれない。
これがシラユキに巣食った精神異常なのか、私には分からなかった。『サイコダイブ』の導入機がシラユキの精神をどこまでも夢の中に反映しているのか分からない。
『ダイバー』の夢の中が他の人と違うのかも、分からない。
「…シラユキ?」
私はつい人影に語りかけていた。
その声に、人影はピタリと動きを止めた。
……。
「…シラユキ?私だよ…」
意味があるのか分からないが、私は語りかける。語りかけながらも、私はライフルの引き金に指をかけた。
しばしの沈黙の後、人影が再び動き出す。
--っ!?
同時、夢の世界が大きく歪んだ気がした。青空と砂浜に、波紋が広がるように大きく歪み、広がっていく。
--暗い部屋が私の頭の中にフラッシュバックする。
これって…っ
見覚えのある覚えのない暗い記憶が、私の中に流れ込んでいく。人影が近づき、波紋が広がる度にどんどん--
ひとりぼっちの部屋の中、不衛生な暗闇の中をネズミたちが蠢く。
腹に穴が空いたような猛烈な空腹の中、少年は暗闇に手を伸ばし--
「…うっ!」
不快な感触と味が口に広がった気がして私は思わず口を押さえた。
間違いない、あのうさぎの夢だ…
そしてトラウマは人影が近づく度に強く私の中に流れてくる。急速に精神汚染が進行する。
私は引き金を引いた。
果てなく続く常夏の空に乾いた銃声が響き渡った。真っ直ぐ飛んでいく鉛弾が、はるか遠方の人影を撃ち抜いた。大きく後方に弾け飛ぶ人影が白い砂浜に倒れた。
--同時、真っ青な空にガラスを踏み割ったようなひびが大きく走った。
「っ!?」
甲高い音に私は頭上を見上げ、ひび割れた空を仰ぐ。
直後、私の中に再び誰かの記憶が流れ込んでくる。
--大きな白い家。
緑色の芝生に、大きな犬が寝そべっている。気持ちよさそうに目を閉じるゴールデンレトリバーの体を枕に、小さな少女が寄り添うように眠っている。
それが私自身だと直感で分かった。
いや、私じゃない……
シラユキの記憶?
平穏な温かい記憶に大きな亀裂が走った。どろりと亀裂から血のようなものが垂れ落ち、白い砂浜を汚す。
「…っ」
今、私は…
頭の中に流れ込んだ記憶とひび割れた夢の世界に私は困惑し立ち尽くす。
--そんな私の眼前に、前触れもなく少女が現れた。




