第8章 8 響く密談
「その質問は前もしたな。」
「そうだっけ?」
「ずっと昔だが……」
「覚えてないな。」
私の脳裏にはフウカの顔がこびりついていた。
マザーも別人に変わった。コハクも乗っ取られた。シラユキだって、以前精神汚染で別人に寄生された。
別人がその人の皮を被って生きている……私たちがこの世界で見ている人たちの顔は、本当の顔じゃないのかもしれない。
フウカもきっと、そうやって身体を盗られたんだ……
フウカの中に居たあいつは誰なんだろうと、ぼんやり考えた。
同時に、あいつを追い払えばフウカが帰ってくるんだろうか、なんて希望的な考えも頭をよぎってた。
「……『サイコダイブ』で壊れた子たちは、夢の中に行くんだよ。」
「……夢?」
「きみらが見るような悪夢じゃない。安らぎに満ちた幸せな夢だ。彼女たちは疲れてしまったんだよ…だから、そこで傷を癒すのさ。」
「何を言ってるの?」
「ちょっと長い眠りにつくだけだ……だから、心配ない。」
「……まともに答える気は無いんだ。」
冗談を受け入れられる隙間のない精神状態に、無理矢理押し入ってくる先生の抽象的な返答は私の心を荒れさせる。
そんな私に先生は軽く笑って言った。
「昔からそう言ってる……覚えてないか。」
「……だから、覚えてない。」
「こう言えばみんな安心するんだ。夢だからね。いつかは目が覚めるって……あれ?言ってやったのはきみじゃなくてハルカだったかな…?」
「……覚めない夢もあるんだ。先生。」
私の呟きは小さな医務室の天井に登っていった。口から吐き出された白い息みたいに、すぐに溶けて見えなくなる。
「……ああ、そうだね。」
先生も言った。私と同じくらい力なく。
「……覚めない夢ってのも、悪くないかもしれないが……」
「幸せな夢ならね。」
「……ヨミ。」
先生は私の戯言を聞き流す。戯言はお互い様だ。先生は私の名前を力強く呼んでいた。
「……お前は、ここじゃない所で生きるべきだよ。」
「……。」
「ここはもう、お前の居場所じゃない。」
「……聞いたよ、それは前に。」
私はなるべく明るく笑って見せた。そんな作り笑いも、この人にはすぐに分かってしまうんだろう。きっと先生には、笑顔の下の私の顔が見えてるんだ。
「……ああ。」
立ち上がる私をもう呼び止めなかった。まだ傷口辺りが熱い。
……明日には痛みが引いてくれたらいいけど。
なんて、当たり前に明日を思いながら私は扉のドアノブを握った。
いいじゃないか。明日を思うくらい…そんなにブルーになったって、仕方ないんだから。
--しっかりしなよ、私の主人公。
そうだよ……
私にはまだ、やらなきゃいけないこと沢山あるんだ。
※
「……お風呂久しぶりなんじゃない?」
「キズ、モウヘイキ?」
テルマエ風の大浴場で私は溶けいてた。お湯から立ち込める熱気を吸い込むと、身体の内と外側が同時に温かくなっていく。
ガーゼをつけっぱなしの右肩をシラユキがチラチラ見てくる。
「……ヘーキだよ。痛くない。」
「ソッカ……」
三人並んで深く湯船に沈む。奥の方では女生徒たちがはしゃいだりしゃべったりしてる。
いつも通りの光景だ。ついこの前の事件などもう遥か遠くの出来事のようで……それこそ、夢の中の話みたい。
日常をあっという間に取り戻す生徒たちの姿にそんな感情を覚える。
ハルカとシラユキも、もう大丈夫そうだ。とりあえず、落ち着いてる。
私はハルカにしなだれかかるように体重を預けた。私の急な行動にハルカはびっくりした様子で目を見開いてる。
「え…のぼせた?もう?」
「ダイジョウブ?」
「違う……コハクのことだ。」
私の声に二人がすぐに距離を詰めた。
隠し事はなしって約束した。だから隠さない。私の無能も全部……
本心ではこのままお湯の温もりに沈んでいたい気持ちだけど……
「……私が『ダイブ』したの、知ってるね?」
「あの事件の前の夜でしょ?」
頷く。一応周りを伺うが、誰も私たちの会話なんて聞いてない。
よく考えたら風呂場なんて声の響く所で内緒話なんてアホくさいけど、いい。気にしない。
「……あの夢は、『ナンバーズ』候補者の中から誰が『ナンバーズ』になるのかを決める試験だった……」
私の説明に二人が息を呑んだ。ハルカは深いため息を時間をかけてゆっくり吐き出した。
「……コハクは、『ナンバーズ』になったのね?」
『ナンバーズ』……
そうなるのだろうか?ただ、夢の中で見たコハクの姿、他の『ナンバーズ』たちの態度……それに私が肌で感じたものは、私の知る『ナンバーズ』と今のコハクの現状があまりにも乖離して感じられた。
「……はっきり分からない。けど、あいつらにとってもなにか…不測の事態が起きたのは確か。」
「アイツラ?」
「他の『ナンバーズ』たち。で、コハクはコハクじゃなくなったんだ。」
「どういうこと?」
ハルカの疑問になんと答えるか考える。どう説明するか、それ以前に私自身よく分かってない。慎重に言葉を選ぶ。
「……以前シラユキに起こったみたいな…コハクの中に誰かが入り込んだ……感じなのかもしれない。『サイコダイブ』中に、突然コハクの様子がおかしくなった。」
「……。」
「……ジャア、ナントカナルンダネ。」
シラユキの言葉は説得力に欠ける希望的観測……少なくとも実際に触れた私にはそう感じた。
夢の中でコハクに触れた。彼女との記憶を押し出して干渉した。
でも、無駄だった。
「……今コハクの中に入ってるのは、『ナンバーズ』から“ヒマリ”って呼ばれてる奴だ。」
「何者?」
「分かんないん。ただ、他の『ナンバーズ』たちはヒマリを攻撃してた。途中から入ってきたNo.01だけは、ヒマリとなんか話してて……」
記憶をなぞりながらしゃべる。頭が痛くなってきた。
蘇る黒い世界--血まみれのコハク。虫、『ナイトメア』たち……
あれは間違いなく、私が経験した中で最凶の悪夢だった。
「……No.01は、コハクを『ナンバーズ』に勧誘したやつなんだ……」
「……じゃあ、仕組まれてたってこと?初めから?」
「?ヨミハ、『ナンバーズ』ニ、ナラナイッテコトダッタノ?ハジメカラ?」
「騙されてた?」
「いや、二人とも待って……クロエの話じゃ工藤理事長とNo.01はその事で対立してる風だった。色んな思惑が動いてるんだ……それで、私は目が覚めたんだけど……」
「その後の“あれ”。あれはそのヒマリってのが起こしたって訳ね?」
ハルカに頷く。ハルカは直接『ダイブ』直後のヒマリと接触した。その異常性は理解してるだろう……
「…アレハ、『サイコダイブ』ダッタノ?」
「私はそのヒマリに触られた瞬間夢に落ちた……その試験の『サイコダイブ』でコハクは乗っ取られて、ヒマリって奴が目を覚ましてきたってわけね。」
「デモ、タテモノノ、ミンナヲドウジニ、『ダイブ』サセルナンテ、デキルノ?」
「ハルカ、シラユキ……」
私は二人の顔を見て説明する。夢の中で遭遇したヒマリを思い返しながら……
「私が思うに……あれは、『ナンバーズ』なんてものじゃないんだ。もっと…強い力を持ってる……分かんないけど……」
「要は面白くない事態って事ね。」
ものすごく抽象的なまとめ方だ。ただ、そう。私たちにとってとても面白くない事態が起きてる。
「問題なのはコハク……の身体がそのまま連れていかれたってことだ。」
「ダレニ?ドコニ?」
「私を撃った奴……『ナンバーズ』だ。」
「てことは、東京……?」
頷く。確証はないけど。
一番問題なのはコハクが今私たちがどうこうできる場所にいないこと……
これからどうするにしても、私たちはこの鳥かごを出ないといけない……
「……それで、ハルカ。」
「ん?」
私は口を開きかけて、一瞬躊躇った。不用意に伝えたいいものかと……
ハルカにとっても、きっと他人事じゃないんだ。
フウカの姿をした『ナンバーズ』は……
ただ、躊躇っていても仕方ないんだ。私は意を決して口を開く。
「……ハルカ、その『ナンバーズ』は--」
「--おーっ!広いなぁ〜っ!!」
直後、私たちの密談を邪魔するように割り込んできた声は、大浴場全体に反響して響き渡る。その声に聞き覚えしかなくて、私たちは揃って後ろを振り返ってた。
視線の先--大声に浴場中の視線が集まる中……
「初めて来た!」
肩にタオルをかけて堂々と立つ真っ裸のクロエがそこに居た。