第8章 2 冷たい親子
※
「--やめろっ!!」
屋敷の中に怒号が響き渡る。No.05の低く鋭い声が鼓膜に刺さる。
慌ただしく一変する状況をウチは眺めてた。どうすることも出来ないから……
大きな大理石のテーブルを囲む『ナンバーズ』……
その場に居合わせたまだ十歳くらいの容姿の幼子--No.08。
実の妹の眼前で、今まさに少年の魂が陵辱されている。
並んだ食器を押しのけてテーブルに押さえつけられたNo.08の細い首を、少女の手が締め上げている。
触れた手を媒介にNo.08の中に押し入った魔王は、嬉々とした表情を浮かべて少年を壊しにかかる。
No.08を抑え込む少女に縋り付き泣き叫ぶ少女--No.07。少女の横暴に声を荒らげるNo.05。そんな状況を楽しそうに眺めてゲラゲラ笑っているNo.02。傍観するウチ……
そして騒動の渦中で凄絶な笑みを浮かべる少女--否、覚醒した夢の女王……
『量産機』コハクを奪い取った“姫莉”--
マザー工藤環の館…その食卓はまさに修羅場と化していた。
「やめてぇっ!返してっ!!返してっ!!やめてっ!!!!」
姫莉の足元で叩いたり噛み付いたりするNo.07。『ナンバーズ』としてウチより力を持っている彼女だが、器は幼女のそれだ。現実では実に非力。
「ははっ、なぁあれ何してんの?おい?」
「黙っていろ02!面白がってないで止めろ!」
「は?お前が止めろよ。見てらんないならさ。あははははっ!」
No.07の悲鳴。No.05とNo.02の口論……
次々に耳に飛び込んでくる情報に、ウチはただ静観を決め込んだ。
非力で卑怯な…薄情者の選択。面白がるでも、止めるでもなく……無関係を装う。
ウチはまだ、死ねないから……今はまだ……
「あははははははははははははっ!きたきたきたきたっ!!これで…二つ目……っ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
恍惚とした笑みを浮かべる姫莉がNo.08をゴミみたいに放った。
強制的な『サイコダイブ』から開放されたNo.08は抜け殻のようで、口端から涎を垂らして絨毯を転がる。すがりつくNo.07が何度も呼びかけるけど、きっともう正気には戻らない。
No.06と同じだ。姫莉の欠片を抜き取られて壊された……
足下に転がる双子を見下ろしながら、姫莉はなんでもないようにテーブルに腰掛けてグラスに注がれたシャンパンを口に運んだ。
眠ってるとはいえ、あれの一部が自分の中にも入ってると考えたらゾッとする。
「……貴様。」
「ん?なぁに?私は自分のモノを返してもらっただけだけど?」
「勝手ばかり…理事長が黙っていないぞ?」
No.05の怒りに満ちた脅しに姫莉は食卓全体に響き渡る高笑いを返してた。
「あなたたち、さっきから被害者面だけど、被害者は私でしょう?何十年も幽閉されてあなたたちにいいように扱われて、今だって私の一部を当たり前みたいな顔で抱えてる。ねぇ?それ私のだから返してもらえる?」
「ははっ!これがあの姫莉って冗談か?はははっ!」
「黙れ02!」
No.05は怒り心頭だ。テーブルにあったフォークを掴み取り笑い転げるNo.02の目の前の皿に突き立てた。
「おい、女。何しにシャバに出てきたか知らないけどさ、下位の雑魚を捻ったくらいでチョーシ乗りすぎ。どーすんの?『ナンバーズ』二人もぶっ壊して。」
「やだなぁ何こいつ?」
「お仕置だよ?どうする?今土下座して謝ったら優しくしてあげるよ?」
「なんであなたに謝らなくちゃいけないの?あなたに何かした?」
「僕の食事の邪魔。」
「楽しんでた様だけど?」
「うるさいなぁ早くこっち来て僕の靴を舐めろ。女は、男に膝まづいて奉仕する為の生き物だろ?」
「02、本当に黙っていろ。話をややこしくするな。」
「05、こいつどうせ廃棄するんだろ?だったら僕にくれよぉ?」
「…不愉快。目の前にゴキブリがいるわ。」
「--黙れよぉぉぉぉっ!!」
どんどん不穏な空気になっていく食卓、No.07の甲高い叫び声が空気を切り裂いた。
睨み合っていた三者とウチがNo.07を見る。
No.08を抱き抱えたNo.07は目を真っ赤に充血させて涙を流しながら姫莉を睨んでる。対する姫莉はNo.07に不快そうな視線を向けていた。
「なんでこんなことしたのぉ!!兄ちゃんが何したのぉ!!」
「……。」
「許さないっ!許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないっ!!殺してやるっ!!!!」
「07っ!」
No.07が小さな手を姫莉に向けるのを見てウチは慌てて飛び出した。
突き出した腕を掴んで下ろさせる。
「離せぇっ!!離せ09!!」
「まじでやめろ。無理だ。」
「離せぇぇっ!!!!!!!!」
「分かんだろ!!落ち着けって頼むから!!」
「……その子鼠うるさいなぁ。ねぇ“クロエ”?」
ウチともみ合うNo.07に氷のような視線を投げる姫莉がウチの名前を呼んだ。
コハクの声帯から放たれる姫莉の声に背筋が凍る。もう、ウチの知ってる姫莉じゃない。
「……待て、今黙らせっから。」
「早くしてよぉ。イライラしちゃうから--」
食堂の燭台に灯った火を揺らすように、勢いよく扉が開かれた。力任せに開かれる扉の音に全員がそちらを見る。
「……なんの騒ぎ?」
その場の空気が凍りつく。
勢いよく部屋に入ってきたマザーが広い食堂に視線を巡らせる。
食堂に揃う四人の『ナンバーズ』と、一人の抜け殻……
そして事態の中心に立つ夢の女王。
床に倒れた幼い身体を目にし、マザーの表情がみるみる温度を失っていく。それに合わせて部屋の空気もどんどん張り詰めていくみたい。
「……マザー、申し訳--」
最初に口を開いたのはNo.05だった。深々頭を下げて詫びる彼の誠意の篭った一言をマザーは無視して一歩前に出た。
着物の裾から覗く草履が絨毯の毛をかき分けていく。ゆっくりしたマザーの歩みは静かだけど、内に揺らめく激情をその足音に映してた。
「……03は?」
「……いえ、それが。またどこかに……」
頭を下げたままのNo.05が返答した。マザーはそれに大した反応を示すことなくぐったり倒れ込んだNo.08の元に膝を下ろした。
「……マザァ……」
ウチの腕の中で泣きじゃくるNo.07が助けを求めるようにマザーを呼ぶ。
マザーはただじっとNo.08の顔を眺めてた。マザーが注ぐ視線には一切の感情の色が見て取れなくて、彼女の心境を傍目から察するのは難しい。
怒りか、悲しみか……いや、マザーに『ナンバーズ』への情はないか。
「……クロエ。」
室内の静寂を破ったのは場違いなほど明るい姫莉の声だった。よりによってウチを呼ぶな。
「その子、まだぐずぐずうるさいよ?殺していいの?」
「……。」
今は、余計なこと言わない方がいい……
口を開いた姫莉に、マザーの視線が移った。真っ黒な双眸が姫莉を捉えて、姫莉もまたマザーを見た。
「……これ、あなたが?」
「……誰?」
姫莉はとぼけた様子もなく首をひねった。分からないのか……無理もない。マザーももう姫莉の知ってる姿じゃない。
「好き勝手するじゃない…久しぶりの自由はよほど楽しいらしいわね。」
「……え?誰?」
「母親に向かって誰とは何?」
マザーが大きく距離を詰める。
マザーの着物の袖から白い腕が伸びてくる。黒い着物と薄暗い室内に白い肌がよく映える。
女性らしい細腕が姫莉の制服の襟を掴んだ。襟首を掴み取り自分の方に力任せに引き寄せる。マザーの暴力的な挙動に全員が驚いた。
自分からは決して動かず、常に余裕の笑みをたたえてる、暴力はおろか声を荒らげることすらない--
それが工藤環だけど、ここ最近は余裕がない。
「……母親?」
暴力的なマザーの行動より、彼女の口にした言葉に姫莉は引っかかる様子。目を丸くしてウチの方を見た。
「……環さんだよ。」
なるべく目を合わせないように、ウチは短くそう告げた。怖ぇ。
もう近くに居たくなくて逃げるみたいにその場をはなれる。へたりこんだNo.07は置いていく。
「……母さん?」
目を見開いてマザーを正面から見つめる姫莉。舐め回すようにマザーを見つめる姫莉の姿はマザーの不機嫌と相まって挑発してるようにしか見えない。
事実、挑発してんだろうけど……
「……あっはははははははははははははっ!はははははははははははっ!!あははははははははははははははっ!!」
張り詰めた糸のようにピンと張った空気をビリビリ震わす大笑い。襟を掴まれたまま、息のかかる距離で姫莉は腹を抱えて笑ってた。
「嘘でしょ!?幾つだよあんた!若作りしすぎっ!あはははははははははっ!はははははははははははははははっ!!」
どこまで本気か分からない。正直やめて欲しい。ちょっと不機嫌なだけであるろくなことにならないんだ。マザーを本気で怒らせるような真似は……
パチンッと、乾いた音が響いた。
「はははははっ!」
パチンッ!!
「あははははははははははははははははっ!!」
パチンッ!!
肉と肉を打ち合わせる高い破裂音は、響き渡る笑い声を寸断する。
頬を打たれても止まることなく笑い続ける姫莉をマザーは無表情のまま叩いてた。
笑い続ける姫莉の頬をマザーの手が何度も叩く。その度一瞬止まる笑い声。壊れかけのレコードみたいにプツプツ途切れながら姫莉は笑い続ける。終いには目尻に涙を浮かべながら……
「あ〜……っ、恥ずかし。」
頬を赤くした姫莉がようやく息を整えて笑いを止める。ヒックヒック言いながら至近距離からマザーを睨めつける姫莉が歪んだ笑顔を叩きつけてくる。
凶悪な笑顔には品がない。無邪気な子供の悪意に満ちた笑顔だ。だけどよく分かる。
この二人は親子だって……
「やめて欲しいな娘の前で。歳考えなよ恥ずかしい。幾つよあんた。」
「あなたも同じでしょう?」
また頬を叩かれて姫莉の顔が弾ける。
「……さっきから痛いなぁ。やめてくれない?」
「やめるのはあなたよ。奪い取った欠片を返しなさい。」
マザーは終始凍り固まったように無表情だ。それどころか目の前の姫莉と目すら合わせない。それが一層不気味さと不穏さを際立たせる。
そんな実母の顔を、反対にじっくり睨みつけ、舐め回すように見つめる姫莉。
「や、だ。」