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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第7章 巣立ちの朝
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第7章 29 だめ

 

  コハクが笑う--嗤う。悪魔の笑みが凶暴に噛み付いた。


  膨れ上がった影が地面から離れて浮かび上がる。円形に形を成す影がコハクの背後で真っ黒な後光のように展開した。


  夢の世界が軋む。コハクの変化に応じてNo.05の足下から世界が塗り変わっていく。

  瓦礫まみれの地面は、上からペイントされるようにNo.05の足下から吐き出される紫煙に包まれる。煙が地面を這いその下から虫が湧き出した。


  百足に蠍に蜘蛛にコオロギ--生理的嫌悪を催すそれらは個ではなく一個の塊のように地面を広がっていく。虫の集団というより、“地面”の一部のようだ。


  あまりにおぞましいNo.05の侵食は、橘秋葉の世界でクロエが見せた精神世界の掌握を思い出させる。

  『ナンバーズ』ならみな可能という、精神世界の上塗り……


  広がる虫たちからは紫煙が立ち込めそれはNo.05の周りを中心に広がり、漆黒の影を塗りつぶす壁のように煙幕となり展開する。


  No.05はこの夢の世界の主導権を握ろうとしている。あの『ナンバーズ』が倒れたのに『サイコダイブ』が終わらないのは、コハクが『ナンバーズ』の精神世界の主導権を奪い取ったからなのかもしれない。


  No.05の侵食が進む中、真っ暗な空に根を張った影がさらに広がっていく。紫煙の煙幕を絡めとるように重なり、重なる空間が歪みひび割れ始めた。


  主導権争い…ということか。


  クロエの見せた花畑とはとても比べられない、不吉かつ気色悪い光景だけど、その押し合いはこの戦いが『ダイバー』として最高峰のレベルにあることを物語る。


  次第にNo.05の侵食が進む。煙がコハクの足下まで進み、その下から虫たちが湧き出した。コハクの潰れた右目からドバドバと血が流れ出す。


  「……。」

  「このまま欠片を引きずり出す。抵抗するな。」


  コハクの足下を這う虫たちがゾワゾワと身体にへばりつく。這い上がる虫たちの姿に背筋が寒くなる。

  紫煙を吐きながら上がってくる虫たちをコハクは流血しながら退屈そうに眺めてた。


  「……やるね。でも所詮、取り込んだ“私の”力でしょう?」

  「……おしゃべりだな。」


  這い上がる虫たちがコハクの顔まで到達する。顔に張り付くコオロギたちがコハクの唇の隙間に押し入り中に入っていく。


  吐き気を催す光景だ。口から滑り込む虫たちが喉を通過する度、コハクの喉が脈打つように膨らんだ。私は思わず口を抑えた。


  世界の拮抗も崩れて、どんどん紫煙が広がっていく。気づけば私の転がる地面も煙に覆われてた。私は反射的に煙から逃れる為に転がる。煙の下から案の定虫たちが湧いてでた。


  虫に覆われたコハクは微動だにせず、影も固まったまま。先程まで見せていた圧倒的な力を感じさせない。No.05の方が上なのか?


  ……っ、このままコハクが攻撃され続けたら、コハクは?


  惚けている場合では無い。私は駆け出す。No.05の意識が私に全く向いていないからか、足で蹴散らす虫たちは私には無反応。同時にコハクの意識も私から逸れている。


  チャンス。私の包丁が輝きを増す。集中してコハクとの過去をひねり出す。

 

  全部……全部--


  「っ。」


  コハクに近寄る私の姿にNo.05が気づいた。彼の視線がそちらに向く。


  --直後、コハクの方に這っていた虫たちがピタリと止まった。

  コハクにまとわりついてた虫たちも、コハクの身体にしがみついたまま動きを止めて、まるでぜんまいの切れた玩具のように静止した。


  「……コハクっ!」


  --だめっ!


  手を伸ばす。あと少しで触れられる。コハクの全身は虫に覆われてもう見えない。私の左手が身体に巻きついた百足に触れた。


  「--私を食い物にした……」

 

  コハクの口から声が零れた。無理矢理入ってきてた虫たちに塞がれた喉から絞り出された声は、嗚咽の混じったような声にならない声だった。

  まるで泣きながら零れた呟きみたいな--


  触れた百足が私に顔を向けた。私の腕の半分程の太さがあろうかという大百足。子犬の牙ほどもある牙を剥き、威嚇するように鎌首をもたげる。


  「っ!」


  毒蛇が獲物に噛み付くように、跳ねるように百足が私に向かう。私の首に百足の牙が深々突き刺さった。



  --愛してるって言ったのに……


  ……どこだろう。駐車場だ。薄暗い駐車場…

  車の中か…私に向かって恨めしそうにそう吐き捨てるのは見知らぬ女……


  知らないはずなのに……分かる。いや感じる。あなたの言ってることは間違ってるって。


  --嘘つき。


  彼女の言葉に喉がひきつる。息が出来ない。

  張り裂けそうな胸の痛み。そのまま身体が真っ二つになりそうだ。


  違う。私--俺は、きみを愛して……


 

  一瞬、視界も頭も支配された。唐突な精神汚染は今までで見た誰のものでもない。

  食らいつく百足が首元で弾けた。白い靄に巻かれた百足の身体が霧散していく。


  数分、いやもっと長い時間、私は誰かの過去を追体験していた気がする。まだ、感じた胸の痛みと温かな感情がこびりついてる。同時に、また傷口がズキズキ痛みだした。


  しかし実際は数秒も経ってないと思う。戻ってきた意識の先には先程と変わらない光景。

  コハクは相変わらず立ち尽くし、No.05は僅かに距離を取り始めた。

  そして……


  「今も、私をいいように使ってる……だから、あなたも食ってあげる。」

 

  虫たちが一斉に動き出す。ただし、その進行方向は今までと真逆--


  金切り声をあげる虫たちは一斉にNo.05の方に向かって行く。


  「……っ!」


  生み出した主に向かって、牙を剥いて迫る虫たちには明らかな敵意があった。

  迫る虫たちにNo.05は手をかざす。

  かざした手のひらからは煌々と輝く赤い光が湧き出す。蛍の光のように丸い光がシャボン玉みたいに虫たちに向かって吹き出し触れる。

  夢の世界が業火に包まれた。光の玉は虫たちを焼き払い、死骸を這うようにコハクに向かう。


  「……ははっ。」

  「……っ、貴様っ。」


  コハクは笑う。眼前を覆う業火に笑う。そして世界を侵食していた紫煙が晴れていく。


  攻撃を仕掛けたNo.05の口や鼻からドバドバ出血する。訳が分からない。

  困惑したまま私は形勢が逆転したことだけ悟る。火炎放射のように迫る火の手から逃れるように離れる私に虫が追いすがる。


  ……私にまで攻撃を?いや……


  違和感を感じる。No.05は私を歯牙にもかけてなかった。それに、襲いかかる虫たちからはもっと別な気配を感じた。


  数百の虫の束が私に迫る。手にした肉切り包丁でそれを薙ぐ。

  『ナンバーズ』が生み出した夢の一部……『ナイトメア』たちは驚くほど呆気なく切り払われる。


  次々襲い来る虫たちはNo.05の意思に従ってない。逃げる私を目で追うのはコハクだった。

  しつこく食い下がる虫たちを叩き斬り、すり潰し、切り払う。

 頭を押さえて膝を屈するのはNo.05だった。何が起きてる?


  「……早くあの子殺しなよ?じゃないときみが辛いだろう?」


  逃げ惑う私の反撃をコハクが笑いながら眺めてる。言葉を投げられたNo.05の目鼻口からは血が止まらない。


  この虫たちはNo.05が生み出した。でも、制御してるのはコハク……?しかし、ダメージのフィードバックはNo.05に向かってる?


  --だめよ。奴でも勝てない。逃げないと。


  逃げる?どこに?コハクをこのままにして?


  --夢から醒めるの。まだ間に合う。


  だめだ。コハクを助ける。決めたんだっ。退かない。


  「……何をした?」

  「なに?あなたの中に居る私に語りかけただけ……」


  No.05は紫煙も虫も、完全に止めて動かない。苦しげに吐き出される彼の言葉にコハクは返してた。


  「……ありえない。欠片に自意識はない。制御できている。」

  「あるわよ。それだって私だもの。」


  コハクは段々饒舌になってる。壊れた人形のようだった仕草や言動が、人間味を帯びてきて感情の機敏を感じる。


  「あの子とあなたで、殺し合ってもらおうと思って。あなたの子供はあの子を襲い、あの子の攻撃はあなたに還る--どっちが先に壊れるかな?」

  「--笑わせるな。」


  No.05の身体から煙が立ち上がる。入道雲のように噴き出す紫煙は渦を巻くように広がり大きくなる。

  煙を突き破り、外界に解き放たれるのは電柱程の太さがありそうな大百足。深い緑の身体に赤い顔。無数の複眼に覆われた頭部からは刀剣のような牙が生えている。


  それが三体--


  今までの虫とは規格外のサイズ。明らかにフジシマや『ナンバーズ』の大男が出したのと同様の『ナイトメア』。


  巨大な大百足三体、一直線にコハクに向かって襲いかかる。コハクの影響を受けないのかその動きには迷いなく、剥いた牙はコハクのみを狙っている。


  「……はっ。」


  迫る確実な“死”の具現。鼻で笑うコハクの背後、影の後光が回る。

  回る後光から漆黒の針が突き出す。円形の影から飛び出す百を超える針は漆黒の閃光となり百足達を真正面から串刺しにする。

 

  No.05は怯まない。続けざまに次の百足を放つ。今度は五体。それもコハクに触れることはない。


  虫に追われる私を置き去りに両雄の決闘が始まる。

  こっちはいい加減虫たちの追撃に反撃が間に合わない。

  今も無尽蔵に湧いてるんじゃないかってくらい大量の虫たちは、切っても切っても湧いてくる。

  飛び跳ね、よじ登り、私の身体にまとわりつき肉をかじる度、白い靄が閃光を放ち虫たちを屠る。


  でもそれも間に合わない。

  飛びかかってきた蜘蛛に両脚を抉られる。突き刺した牙を強引にひねり肉を削がれる。視界がチカつき私は崩れる。

  膝から落ちた私に虫たちが襲いかかった。まるで津波のように虫の大群が私に正面から覆い被さる。

  守るように展開される白い靄のような皮膜に触れ、虫たちが次々消滅する。

  それも次第に均衡が崩れて……


  --だめ。逃げて。


  首や腕に噛み付く虫たちの重量に私は押し倒されていた。


  --私たち友達だ。だから、信じて?


  --……僕を殺すの?


  --ヨミは、長生きしてくださいね?


  ……ああまずい、身体が動かない。


  ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。


  死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。


  だめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめだめ。


  精神汚染が加速する。笑い声とか、罵声とか、変な光景とか……


  もう……本当にうるさい。


  --うるさいんだ。


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