第2章 8 私とハルカは
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体育の授業を乗り越え、一日の授業が終わった私たちは並んでベンチに座り中庭にたむろしていた。
「どうかねヨミ。私のありがたみは理解出来たかね?」
珍しく陽気な口調で隣に腰掛ける私に煽るように絡んでくるハルカが鬱陶しい。
「…ハルカのありがたみは知らないけど、気安く話しかけられる程度の交友の重要性は理解した。」
鼻の頭に大きな絆創膏を貼り付けた私が遠くを見つめながら返す。ちなみに私の頭突きを食らったハルカも鼻に絆創膏だ。二人して間抜けな有様である。
「ま、友人の一人や二人作りなよ?」
「君は私の友人では無いのかね?」
ハルカの調子に合わせて私もおどけてみる。らしくなくて自分でも違和感だ。
「…友達なのかな?」
真剣な表情で私の方を見つめてくる悪友に私はちょっとだけ--ほんとにちょっとショックを受ける。
「だって私に対して素っ気ないしな…」
「友達ってそういうもんでしょ?」
ハルカとはもう長い付き合いだ。これが彼女のジョークであるということくらい理解している。
私はハルカとの出会いを覚えていない。
記憶の中では、いつの間にか傍にいて、今日までずっと腐れ縁を続けてきた。
だからこそ、私は時々不安になる。一体いつまで、私はこの子と繋がってられるのだろうか…
もし、一日二日彼女との交流が絶えたなら、私はハルカを忘れてしまうだろうか…そもそも、仮にそうなったとしたらその程度の関係性は“友達”なのだろうか…
「よっし。じゃあ行くかね。」
ハルカがベンチから勢いよく立ち上がる。私は胸に芽生えた小さな不安の芽の気配をおくびにも出さず、ハルカに尋ねた。
「なんか用事?」
「シラユキのお見舞い。あんたも来なさいよ。」
「えぇ…」
「えぇ…って何?あんたさっき自分でなんて言った?」
ぐいぐい寄ってくるハルカに私は面倒くさそうな表情を隠すことも無く晒す。
「あんたね…命の恩人でしょ?」
「それはお互い様みたいなとこあるし…」
私の中ではシラユキとの関係はあの日のお見舞いで終わっていた。しかし、そんなことを言っても今日のハルカは許してくれそうにない。
仕方なく私はハルカの見舞いに同行することにした。
別に見舞いに行きたくないという訳では無い。ただ、入院棟と言う場所がどうしてもあししげく通わせる気分の場所じゃないのだ。
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私達は入院棟に訪れた。夕方ということもあり、この前来た時よりは生徒の数が多い。
四月になりだいぶ日が長くなったが、やはりここはあまり遅い時間にはきたくない。
「ハルカはさ、もしかしてだけど毎日見舞いに来てるの?」
受付を済ませて入棟した私たちは、廊下をすれ違う生徒たちを眺めながらハルカに尋ねる。
「そう言わなかったっけ?」
「昨日来たとしか言ってない。」
なぜ、ほぼ初対面の子のことをそんなに気にかけるのか?
そんな疑問を口に出すとまたハルカに怒られそうなのでやめておいた。
ハルカのこういう所が周りから好かれ、友人に囲まれている要因なのだろう。
大勢いるであろう友人達の中で私はどういう立ち位置なのだろうか…
そういうことを考え出すとまた気が滅入るのでやめておいた。
「…あっ」
目的の三階に着いた時、ハルカが不意に立ち止まり声を上げた。何事かと後ろについて歩いていた私はハルカの肩越しに前を覗き込む。
ひとつの病室の前で何人かの大人達が何やら話している。
よく見るとその中には藤村先生の姿もあり、一緒にいるのは別のクラスのマザーだろうか……
その他にもう二人--
一人は真っ黒な着物に身を包んだ妙齢の女性だった。
色白で、髪も瞳も真っ黒だ。どこか不気味な雰囲気すら感じさせるが、顔立ちは整っておりきっちり着こなした和服も相まって大人の女性としての気品を漂わせていた。
もう一人は男性--というか、男子生徒だった。
女性と同じように黒髪で瞳は真紅。線は細く色も白く女性的な顔立ちだ。髪の毛はくせっ毛でどこか黒猫を連想させた。
黒のスーツを着込んで、和装の女性に付き従うように佇んでいる。
スーツの背広には寄宿学校の生徒バッチがつけてあり、それで生徒だということが分かった。
この寄宿学校はいくつかの場所に学舎と敷地を有しており、男女はそれぞれ別の敷地の寄宿舎で生活する。
男子専用の敷地と学舎があることはもちろん、女生徒専用の敷地もここだけでは無い。
ただし、学舎の異なる生徒達が互いの学舎を行き来することはまずなく、自分たちの所属する学舎以外の生徒と顔を合わせることなど今まで無かった。
ましてこの女生徒専用の敷地に男子生徒など……
「ヨミ、見て。」
一体何事だろうかと眺めていると部屋の中から担架に寝かせられた女生徒が運び出されてくる。
女生徒の目は虚ろで、口から涎を垂れ流し、ブツブツと何かうわ言のように呟いているようだ。
あの目を私は知っている。
「…壊れたんだ、あの子。」
おそらく、精神汚染が限界に達して、手遅れになったのだろう。
自他の境界を見失い、戻って来れなくなった廃人--『ダイバー』の成れの果てだった。
和装の美女が先生とマザーになにか指示を出している。それを受けた大人達と入院棟の職員が担架に乗せた少女をどこかに運んでいく。
とても近寄れる雰囲気ではなかった。
和装の美女と男子生徒は、運ばれていく女生徒をしばらく見送った後、階段の方--私たちの方へ踵を返して歩いてくる。
私もハルカも思わず道を開けた。その間を、二人がゆっくり通過していく。
私たちの前を横切る時、和装の美女はこちらに小さく会釈し、そのまま階段を降りていった。黒猫の少年も彼女に続く。
「…嫌なの見ちゃった。」
「…うん。」
ハルカの呟きに私も返す。
私たちにとっても他人事では無い。だからこそ、今の光景は胸に楔のように突き刺さった。
廃人となった生徒はどうなるのだろうか…
彼女の家族にはなんて報告するのだろうか…
私は嫌な気分になるので、考えるのをやめた。