第7章 20 観測者たちの見てる先
何とか……しないとっ!
腹の底が重たい。もたれるような不安と焦りに胃が絞られる。吐き気がする。
頭がぐるぐる回転してるみたいだ。やらなきゃっていう焦り焦燥ばかり先行してなにも考えが出てこない。ずっとコハクの声がする。
--ダメよ。
--耐えて。壊れてしまう。
うるさい。誰だお前はっ。お前なんか知らない。
--私が守る。
『--グゲッ!?』
ヨタヨタ立ち上がる私の目の前で、山が舞った。
黒いボロ切れをなびかせながら球体のような巨体が私の真横を横切っていった。
そのまま壁に激突し、硬い壁に大きなクレーターを刻む。飛んでいったそれが『ナンバーズ』の一人ということは、丸まった身体が衝撃で解けて初めて気づく。
「……?」
『ウ?』
飛んで行った自分の片割れを、残った『ナンバーズ』が不思議そうに見つめてる。
その『ナンバーズ』の背後に、私は確かに感じた。
明かりなんてない暗闇の一箇所が、ぼんやり白んでるように--
……っまたっ。
フジシマを踏みつけてた『ナンバーズ』の巨体がくの字に折れた。誰も何もしてないはずなのに、まるでその白んだ空間に無理矢理引っ張られるみたいに。
『イッ……ッ!イタイッイタイッイタイッイタイッイタイッ!!』
身体の構造を無視して、まるで引力に無理矢理引きずられるみたいに『ナンバーズ』の身体が畳まれていく。血を吐き丸まっていく肉体が肉塊と化す。
暗闇に鮮血と肉片が飛び散る。原因不明の惨劇に私の顔は引きつってた。
……誰か居る?
「…フジシマさん!」
私は『ナンバーズ』が無力化されたのを確認してから倒れ伏すフジシマに駆け寄る。痣だらけの彼女の身体を抱き起こして肩を貸す。寄りかかる彼女の体重に折れた身体の骨が軋む。
「しっかりして。」
「……くそ、またジャージがお釈迦になったし……」
「夢の中だから、ジャージより自分だ。気をしっかり持って。」
肉体より精神に相応のダメージを受けたはず。精神汚染が心配だ。
「とにかく離れよう、立てる?歩ける?」
「急かすなって……」
フジシマを引きずるような形のままその場を離れようとした私の背中を悪寒がなぞった。
『--ナンナンダヨォォォォォ。』
低い声が響き私の背後の空間が黒く歪む。しかも一箇所ではなかった。
闇をさらに塗りつぶす暗澹が同時に四箇所、ぽっかり口を開けたブラックホールみたいに--
『オレノ、ジャマスルキカァァァ?』
『ヒデェェェヨォォォ。』
『アソンデ?ウ?アソンデ?』
『ママ。ママァァ。ミ、ミテテ、ママ。』
暗闇を割る青白い腕が私たちを求めるように伸びてくる。虚空を掴もうとするような指の動きが不気味だ。
「……なんの悪夢だよ。」
「夢の中だからね。」
フジシマの悪態に返しながら私は彼女を背負った。
その間にも身体を闇からひねり出す新しい『ナンバーズ』たち。私は振り返ることなく走った。
……こいつらには勝てない。この夢から抜けるには……『ナイトメア』を探さないと…っ!それより問題は……っ。
さっきのは一体?
この場に、姿の見えない“誰か”が確実に、居る。
まるで幽霊のような不確かさの醸す不安はまた、量産される敵を前に牙を向いた。
フジシマを背負って駆け出す私を追う『ナンバーズ』の一体が、走り出しと同時に上から押さえつけられるように倒された。
『イギッ!?』
一瞬振り返る先で、うつ伏せに抑え込まれた『ナンバーズ』の頭が胴体から無理矢理引き剥がされる。同時に、二人目の『ナンバーズ』もなにかに突然掴まれたように後ろに引っ張られて引きずられていく。
「…あれ、あなたが……?」
「だったら良かった!」
とにかく走れっ!脚の膝がカクカクと力なく折れるけどそれでもつんのめりながら走った。
『ナンバーズ』を攻撃してる“誰か”。誰かは分からないけど…
分からないってことは、味方とも言いきれない。私たちを守るように『ナンバーズ』を蹂躙する姿なき“誰か”から私は全力で逃げ出してた。
※
「--05、てめぇ……」
ウチの目の前で今まさに殺し合いでも始まりそうな雰囲気だった。
マザーの寝室に置かれた観測機を前にテーブルを囲む四人の『ナンバーズ』……そんなウチらを暗い双眸で眺めるウチらの“母さん”。
「あれはお前の後輩か?余計な野郎連れてきやがって……」
「……俺が『ナンバーズ』に相応しいと判断した。適正も高い数値--」
「話をややこしくしてんじゃねぇよ。候補者探しを命じられたのは09だろ?お前もなんでも言うこと聞くパシリが欲しくなったのか?」
「……お前と一緒にするな。01。」
No.05の鋭い視線がNo.01の後ろに控えるNo.04に一瞬向けられた。当の彼女は一切動じる気配もない。
普段は理知的で場をかき乱すことの無いNo.05までこのザマだ。それくらい、この部屋は殺気立ってる。
「……お前のお気に入りが俺の連れてきた候補者に潰されるのがそんなに不満か?」
「…不満に感じるのが俺だけならいいが--」
「こらこら。二人とも。」
暗闇に溶ける子供たちを窘める湿っぽい声音に二人が黙る。
観測機で参加者の脳波と精神パルスを眺めながら、優雅にもワインをグラスの中で揺らすマザーは、ここ最近終始ご機嫌だ。
「仲良くしなさい?今日、新しい“きょうだい”が生まれるのよ?」
「あー、あー、マザー?」
空になったグラスにNo.04がワインを注ぐ。割って入るウチにマザーの視線が絡んだ。
「なんで06が居るの?どゆこと?」
「いいじゃない。ただのスパイスよ。この方が楽しいじゃない。」
「…いやー……あいつが居たんじゃ生き残るどころの話じゃ--」
「……いや。」
ウチとマザーの会話にボソリとNo.01が口を挟む。険しい視線を無機質で単調なモニターに向けている。
「……参加者は四人か?04。」
「ええ……ヨミ、コハク、ダイチ…それに09の連れてきた少女で四人。あとは06だけです。」
「おかしい。」
No.04の説明にNo.05も怪訝そうな顔をする。釣られてウチも心電図のような線ばっかりの画面に向かう。
確かに計測しているのは五人分……しかし、多少の波はあれど規則的な波長を示す彼らの精神パルスに、時々それらと異なる波が混じる。
まるで姿の見えない六人目が、いたずらっ子のようにチラチラ顔を覗かせてるみたいに……
「……ふぅん。」
時々乱れる波長を眺めて、一人マザーだけは楽しそうに口端を吊り上げ歪めてた。
時々見せる--慈愛とは程遠い悪魔のような微笑をたたえて……
「……なんだ、環。」
「いいえ。なんでも。」
ワインを舌で転がす彼女はNo.01にまともに取り合う気が無い様子。ウチもモニターから視線を外してテーブルの上のクラッカーをひとつつまむ。
……この試験は、夢の主を倒して、最後の一人になるまで殺し合う--残った猛者一人だけが、次の『ナンバーズ』として迎えられる……
つまり、どう転んでもヨミとコハクが二人残ることはないわけだ。
コハクもヨミも、試験内容を知ったら互いに生き残ることを望みはしないはず……きっと自分が死のうとする。
ウチのミッションは、二人を無事なままこの試験を終わらせること……
試験そのものが無効になっても、問題は振り出しだけど、その時はその時考える。
その為に上手く美希に動いてもらわないといけない。
夢の主さえ倒せば『サイコダイブ』は終わる。誤算なのは夢がNo.06の夢ってこと……そうなると話が変わってくる。
あいつにヨミたちが勝てるとは思えない…どうにか切り抜けてもらわねーと……
美希には“切り札”を持たせたけど……果たして通用するかどうか……
見通しの甘さに歯噛みしながらも平静を装ってモニターを眺める。ウチの視線がかかる先で、正体不明の波長がまた大きく波打った。