第2章 7 戦闘訓練
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目を覚ますと、見慣れた天井だった。
私はゆっくりと、体を気遣うようにベットの上で起き上がりハッと思い出したように右腕に触れる。
「…ついてる。」
それはそうだ。あれは夢の中の出来事だから…
私はホッと安堵の息を零しながら、頭に繋がった線を引き離す。
『ダイブ』の後はいつも寝汗が酷い。額に手をやり栗色の前髪をかき上げるように上に持っていく。掌に触れる額の感触は冷たい。
「…はぁ。」
まだ、夢の中の記憶が鮮明にこびりついている。
いじめられっ子の悲しみが、怒りが、殺意が--胸を裂く負の感情が、私の中に痛みとしてまだ残っている。
果たして、あの子は救われたのだろうか…
「…今日は、いい夢見れるかな。」
※
この日は体育の授業があった。
『ダイバー』を育成するこの寄宿学校には、ほかの学校にはないような授業も存在する。
体育の授業がその最たる例だ。
『サイコダイブ』で夢の世界を自由に動き回るにはイメージが大切らしい。
イメージ通りに身体を動かし、戦うために私たちは実際の身体の動きを知る必要がある。
夢の世界で実現できるのはあくまで『ダイバー』の理解を越えない範囲の行動だ。
ある程度はイメージで補えても、自分の理解していない--知らないことは夢の世界に反映できない。
戦い方を知らなければ、戦えないということだ。
「ヨミ、あんた昨日はシラユキのところ行った?」
体育--もとい格闘訓練の授業中、パートナーのハルカがそんな質問を投げかけてくる。
投げかけられたのは質問だけではなく、同時に鋭い拳が頬を掠めた。
「行ってないけど?」
私は身体を動かせるこの時間が好きだ。
ハルカに一気に詰め寄って細かく打撃を重ねる。その一つひとつをハルカは丁寧にブロックした。
隙あり。
私は曲げていた膝を伸ばし、そのままハルカの鼻に頭を突っ込ませる。鈍い音と共にハルカが間抜けな悲鳴を上げ後退した。ついでにそのまますっ転んだ。
「ハルカは昨日も行ったの?」
うさぎとの死闘から四日--私もハルカも授業に復帰し、いつも通りの日常に戻っていた。
しかし、シラユキはまだ入院棟から出れていないらしい。
「あんた……」
すっ転んだままこちらを恨めしげに睨みつけるハルカが呆れたように呟く。
「様子くらい見に行ってやりなさいよ…」
そう言われても…私が行ってもどうこうなるわけじゃない。
別に心配してないと言う訳では無いが、この学校では珍しいことではない。一々気にしてられないというのも正直なところだった。
それに、親しくなった人がある日突然居なくなるのは寂しい。
こういう所が私の人付き合いの不得手さに繋がっているのだろうか?安全安心な教育環境が聞いて呆れる。
ハルカは「はぁ…」と嘆息をひとつ私に吐いた。
「そんなんじゃいつまで経っても友達できないよ?」
「あれ?ハルカは私の友達じゃないの?」
私のそんな軽口に気味悪そうにハルカが表情をしかめる。失礼なやつだ。
「…別に欲しいと思ってないよ。」
「欲しい欲しくないじゃなくて、居ないと困るもんよ友達って。そんなんじゃ社会に出てから困るわよあんた。人付き合いなんてどこでも付きまとうんだから。」
まるでお母さんか学校の先生だ。
社会に出てから--そんなハルカの言葉がこの閉鎖的な学校生活の中では妙に現実味のない言葉に聞こえた。
正直、想像すらしてこなかった。
あれだけ毎日息が詰まると嫌事を垂れておきながら、いざ外の世界に出たときのことなど意識したことはなかったのだ。
それこそ、この学校の敷居を跨ぐのは月二回の外出日しかないと…漠然とずっとここで過ごすんだと…
寄宿学校に居られるのもあと三年。
ずっと居たいと思ったことは微塵もないが、その後の人生を想像したことがなかった。
「…困るもんかね?」
「困るわよ。例えば今だって…あたしが相手になってなかったらあんた一人よ?」
ハルカは広い屋外訓練場を見渡して私に言った。
今は二人一組での徒手格闘の訓練だった。
「…いや、そんなこと…」
誰か声をかければ相手くらい見つかるだろう…
私がそういう旨を主張するとハルカは「ふーん…」と頷いて、
「じゃあ声掛けてみれば?私のありがたさが分かるよきっと。」
「え?」
鼻を押さえながらハルカはスタスタと歩き去ってしまう。そのまま、別の女生徒達の輪の中に入っていく。
「…なんだよ。」
突然一人取り残された私は、きょろきょろと辺りを見回す。
何人か、一人でぶらついている生徒がいるようだ。名前も知らないけれど…
私は人に話しかけられないほど人嫌いでも、人見知りでもない。
ので、私は堂々と近くにいる生徒に声をかけに行った。
--もしかして私は嫌われているのだろうか…
七、八人くらいに声をかけたが誰も応じてくれなかった。
なんでだろう?ピアス空けてて不良っぽいから怖いのだろうか?
その後しばらくウロウロしたり、棒立ちで待ってみたりしたが、誰も私のところには寄り付かない。
どうやら私はクラスの中で孤立しているようだ。
クラスメイトでこのザマだと、他クラスの生徒など私に話しかける子はいないだろう。
もしかしたら--本当にもしかしたらの話だが、ハルカが居なかったら私は一日声を発さない日なんかもあるのだろうか?
……そう考えると、なんであの子話しかけてきたんだろう。
私はあの、名前も知らない栗色の髪の少女を思い出す。
図書館で会ったのを最後に一度も顔を見てないけれど、珍しく私の記憶には残ってた。
この避けられっぷりから鑑みて、あの子はきっと私に何か用事があったのではないだろうか…?
「ヨミ、一人ですか?」
なんてくだらない思考に頭を回していると、後ろから不意に方を叩かれた。
振り返るとそこには優しげな笑みを浮かべるマザーが立っていた。
「良かったら私が相手になってあげるけど…」
のんびりした声と顔でバトル漫画の戦闘開始前の台詞みたいなことを言ってくる。しかしこのマザー、侮れないのだ。
マザーは全ての教科を担当する。つまり、私たちに格闘術を叩き込んだのもこのマザーだ。
「…いや、いいです…」
「でもあぶれてしまったのでしょ?一人じゃ訓練にならないわよ?」
有無を言わさぬマザーの圧力。どうやら逃げられないらしい。
この状況を作った元凶である悪友の方を恨めしげに睨みつけると、向こうもこちらにニヤニヤといやらしい笑みを返してくる。
--マザーとの戦闘は最も避けなければならない事態だ。
何せこの女…強い。
「げっ!!」
私の攻撃を軽く躱し、捉えた腕の関節を極めて私を抑え込むマザー。
強いだけでなく、容赦もない。
「ちょっ…折れるっ…」
「折れないわよ。」
ギブアップだとマザーを激しくタップ。が、マザーは慈母のような微笑をたたえたままさらに体重をかけてくる。
「--っの!!」
私は全身の力でマザーを押しのけ、マザーの下から脱出する。
しかしまだ右腕を捕まえられたままだ。
仕方ないので片腕は諦める。私は捕まった状態のまま、地面を蹴って跳び上がる。そのまま空中でマザーの顔面に蹴りを放つ。
「っ」
それを軽く躱すマザーは、私の腕を下に引っ張る。空中で無防備な私の体は腕に引っ張られて地面に叩きつけられた。
それでも攻撃の手を止めず、マザーの脚を刈り取るように蹴りを繰り出す。無茶な動きに捕まった右腕が悲鳴を上げる。
「…もう。」
私の蹴りを片足で難なく受け止めたマザーは、流石に限界な私の腕を解放する。
よしっ!これで距離を取れ--
すかさず身体を起こしてマザーから離れようとするが、すぐ目の前に拳が繰り出されていた。
顔面まで数センチ。反射的に私はそれを手でガードする。
捕まった。
マザーは半歩ずつ近寄りながら、慈愛に満ちた母の顔で鉄拳を繰り出し続ける。
早い。一手でも対応をミスすれば袋叩きにされる。
「遅い遅い。追いつけてないわよ?」
うふふと笑いながらマザーの攻撃の回転が更に上がる。だがまだ問題ない。これなら十分対処可能…
いつまでも打ち続けることは出来ないはず。手が止まったところで反撃を--
私がマザーの一挙手一投足に神経を尖らせているその時、マザーが不意に後ろに飛び退いた。
「っ!」
マザーの動きを見逃すまいと捉え続けていた私はそれにすぐ反応出来た。マザーを追うように距離を詰めた。
手の届く距離に入る。ようやく私のターン。
拳を握り一本拳を作り、マザーの急所を狙う。
攻勢に転じ焦りが出た。私はマザーの全身への注意を怠った。
マザーの拳がいきなり眼前に飛び出す。が、それはフェイクで直前で止まった。しかし、私はその撒き餌にみっともなく食いついた。
私の視界が砂のカーテンに覆われ、目の中に入った砂粒が私の眼球を擦る。
マザーの蹴り上げた訓練場の砂が目潰しとして襲いかかり、見事私の視界を封じることに成功する。
直後に、頭が揺れるほどの衝撃を顔面に受けたので、私は見事にマザーの鉄拳を貰ったのだろう。