第7章 17 ダイチくん
※
「……さぁて、ここはどこだろう。」
役立たずの蛍光灯たちがチカチカ自己主張する構内を、私はあてもなく歩いていた。
多分、地下鉄の駅かどっかだと思う。ただとてつもなく広くて、いくら歩いても同じような光景が続いてる。
所々に設置された構内の案内板も、意味のわからない文字と子供の落書きみたいな地図で読み取れない。段々腹が立ってきたので私は草刈鎌を突き立てた。
広くて延々と続く駅--まさに迷い込んだ部外者を狩るにはもってこいの場所。
影から新しい鎌を引き出すのに時間がかかる。頭の中のイメージが上手く反映されてくれない。それはつまり、私の精神的不調を意味してた。
分かってる。私は嘘つきだ--
あの日見たものを彼女らに告げられないでいる。あの夜真摯に向き合ってくれたヨミを、本心と遠い言葉で誤魔化した。
話すべきかもって、思ってるのに……
「…ちっ。」
思わず舌打ちが唇の隙間からこぼれた。固い床を踏む足もこころなしか頼りない。
思わず早足になりかけるのを抑えて、私は周囲を見回した。
考えてみれば夢の世界。目的地がある訳でもないし、歩き回ってもずっと同じ場所ってことだって有り得るわけだ。現実の常識じゃ測れない。
私は丸い柱を取り囲むみたいに並んだベンチに腰掛け天井を仰ぐ。動き回ってるよりは、こうしてた方が気分が落ち着く気がした。
……。
「…私一人かな?というか、『ナイトメア』居ないじゃん。」
『ダイブ』してから数十分、歩き回っても誰とも何とも出会わない。敵が居ないんだったら正直どうすればいいのか分からない。お手上げだ。
「どうしたー?逃げも隠れもしないぞー?早く出てこないと寝ちゃうぞー?」
「--余裕だな。」
構内に響くくらい大声で吐き出した誰宛でもない声に、背後から反応があった。不意に後ろから響く声に私の身体も反射的に跳ねていた。
ベンチから飛び上がって大きく距離を取る。手にした鎌の切っ先を躊躇うことなく柱に向かって--
「……落ち着け。」
突き立てようとした切っ先に、理知的な声を耳にしてブレーキをかける。その声に、『ナイトメア』ではないと瞬時に気づいた。
「……いきなりおっぱじめることもねぇよ。」
丸い柱の影から姿を現したのは、野太い声に見合った大男--
ガタイのいい身体にスキンヘッド、眉も髭も綺麗に剃られて細く鋭い眼光が私を見下ろしてた。
絵に書いたような不良っぽい風貌に反して、その身なりは濃紺のブレザーにスボン……そして校章のバッチをきっちり付けたお手本のような制服の着こなしだった。
……男の、『ダイバー』。
私は構えてた鎌を下ろした。
他所の学舎の生徒--学年やクラスを跨いだ交流すら少ないこの寄宿学校で、男子生徒を目にしたのは初めてだった。
「…こんにちは、きみも同じ学校の生徒なんだ。」
「……。」
「いきなり声かけるものだから、びっくりしたよ。」
「……夜にこんにちはってのはどうよ。お前……」
しょうもないツッコミをしつつどっかりと重そうな腰をベンチに下ろして、男は私と向かい合う。
「……今日はきみと私だけかな?他所の学舎の子と潜るのは初めてだな。自己紹介でもするかい?」
「……。」
「…私はコハク。きみは?」
「……候補者は他にも潜ってるはずだが?お前何も訊いてないのか?」
……?
さっきからイマイチ話が噛み合わない。最初に言ってた「おっぱじめる」ってなんだろう…?
「……俺は第一学舎のダイチって者だ。訊いてもいいか?」
「……なにを?」
「--お前はなんで『ナンバーズ』を目指すんだ?」
男の口から飛び出した質問に私は頭をぶん殴られたみたいな衝撃を覚えた。それは、たまたま居合わせた『ダイバー』の口から私に向かって出てくるはずのない質問……
「……きみは、『ナンバーズ』なの?」
「今質問してるのは俺だ。」
いきなり目の前の男の周りの空気が張り詰めていく。頭がじんじんして視界が端から黒くなっていく感覚。
「お前……さっきからなにを言ってるのか分からんな。」
「私の方が分からないな。……きみは、何をしにこの夢の中に?」
私の問いかけに男--ダイチは心底怪訝そうな顔をする。私は少しずつ、距離を取るようにすり足で後ずさる。
……まずいな。まともな『サイコダイブ』じゃなさそうだ。どうする?
「本当に何も訊いてないのか?お前。お前“も”『ナンバーズ』候補だから呼ばれたんだろう?」
……お前“も”?
「……どういうことだい?ますます話が分からない。もしかして--きみも『ナンバーズ』に誘われたのかい?」
鎌の柄を握った手の中で汗が滲む。湿っぽくなる掌の中が熱い。
……落ち着け。こいつは『ナンバーズ』ではない。ただ、この『ダイブ』もただの『ダイブ』じゃないね。
たとえこいつが敵だったとしても、『ナンバーズ』じゃないなら……
私はすぐに突拍子のない発想と軽率なリスク判断を自戒する。
まだ敵対者と決まったわけじゃない。それに、もし本当にこいつが『ナンバーズ』候補なら、『ナンバーズ』には及ばずとも相応の実力があるはず……
それでも私の中でこの男に対する警戒は上昇するばかりだ。
いきなり攻撃しかけた私に動じず、「おっぱじめる」発言……
そして『ナンバーズ』候補……
「…この『サイコダイブ』は、『ナンバーズ』候補者が集められてるってこと?」
「……何も知らされてないんだな。本当に。」
私の焦りが表に出てただろうか。ダイチは警戒する素振りも見せずにベンチから立ち上がり、ゆっくりこちらに歩を進めた。
「……これは、試験だ。」
「……試験?」
試験--言葉通りに受け取るなら……
「……候補者が私たち以外に居るのは知らなかったな……これは、誰をNo.10に決めるかの、試験ってこと?」
「そういうことだ。」
ダイチが頷く。瞬間、彼の巨体が私の視界から消えた。
瞬きの間の刹那--私は反射的に大きくバックステップ。彼が私の死角に回り込んだのだと身体より数瞬遅れて脳が理解した。
理解した次の瞬間には、私の右腕が強い衝撃に軋んでた。
骨まで響く痛みと、ガードした腕の上から私の身体を吹っ飛ばす衝撃。身体を一直線に突き抜けるダメージに引っ張られるみたいに私の身体も殴られた方向に飛んでいた。
横に吹っ飛ばされて視界が移動する。その中に拳を振り抜いたダイチが立っていた。
「--ぐっ!?」
……素手で殴られた!
右腕に全く力が入らない。ビリビリと皮膚が痺れて、骨が内側でじんじんしてる。手にしてた鎌も落としてしまった。
壁に叩きつけられた衝撃で腹の底から空気が絞り出される。衝撃に内蔵が悲鳴を上げて縮こまってる。息ができない。
私の身体が壁際から崩れるより速く迫ったダイチの腕が、私を押さえつけるように首にかかった。太く力強い前腕が喉を圧迫する。
「……事態は呑み込めたか?お前は何も知らないままここに放り込まれたようだが、こっちにも事情がある。手加減はしないぞ?」
「……っ、ぁっ……っ!」
「この試験に生き残った一人が、『ナンバーズ』の末席に連なることが許される。俺はここでお前を殺す。……さて、話の続きだ。」
……おそらく、というか、ほぼ間違いなく理事長が仕掛けたんだろうけど。
いきなり『試験』とか一体全体どうなってるんだ?
『ナンバーズ』加入の為の試験なら、ヨミもこの夢に潜ってるってことか?なら、早く行かないと……
……くっそ。こいつ、信じられない力だっ!
「お前はなんで『ナンバーズ』を目指す?」
息もできないくらい首をきつく締めあげた腕が少しだけ緩んだ。久しぶりの呼吸に私の肺が空気に喘いで大きく胸を膨らませる。
「……答えろ。」
「--やだねっ!!」
さっきのお返しと、私は渾身の力でダイチの鳩尾につま先で蹴りこんだ。
肉に食い込む確かな感触、脚に伝わるダメージの振動。
それでも、奴は屁でもないって顔で私の首をまた締めた。
「……っ!?」
「……答えてくれ。せめて理由を知っておきたい。」
何度も蹴る。同じ箇所を集中して。それでも全くダイチからのダメージの反応はなくてまるで空気を蹴ってるみたいな虚しさすら感じた。
「もし、叶えられるなら、俺が代わりに叶えてやる。お前が『ナンバーズ』に見る夢を…だから……」
蹴るのをやめた私の脚はぶらんと力を抜いた。その時足に地面の感触が伝わらなくて、私の身体は締め上げられながら持ち上げられてるって気づく。
それでも地面には私の影が落ちている。たとえ周りが暗くて見えなくたって、私の下にはいつも影がある。
意識を極限まで研ぎ澄ましイメージする。反映されたイメージは凶刃となって暗闇に溶けた影から上に勢いよく突き出した。
「っ!?」
間一髪跳び上がる黒い大鎌を間一髪躱す。腕の緩んだその隙に顎を思いっきり蹴りあげた。
流石に効いたか体勢を崩すダイチから逃れ、宙に跳び上がった大鎌を左手でキャッチして距離を取る。
「はぁ……っ、たく、お優しいことだね。でも自分のやりたいことは自分でやるから、お気になさらず?」
「……。」
「きみはどうなんだい?なにか目的があって『ナンバーズ』を目指すの?」
私に対話の意思などない。ただの時間稼ぎ。
奴なら私が逃げ出してもすぐに追いつく。夢の世界であることを差し引いてもこいつの身体能力は異常だ。
目的が私の殺害ならこいつは追ってくる。ヨミと合流するにも、こんな物騒な奴は連れて行けない。
……ここで闘る。せめて動けなくしてからこの場を離れる。
ゆっくりと向き直るダイチに警戒しつつ、周囲に意識を向ける。もし『ナイトメア』なんかが出てきたら不意をつかれて最悪なことになる。
「……話したらお前は諦めてくれるのか?」
「それはどうかな?話す気がないなら、別にいいけど。」
……右腕は、動く。まだビリビリ痛いけど。折れてはないっぽい。
精神汚染も、ない…夢の主からの攻撃じゃないからかな?
「……話せばお前が折れてくれるなら、話す。お前に人の心があるなら、折れてくれるだろうな……」
「深刻な問題なんだ?でも生憎、こっちはこっちでブルーな気分でさ、他人に同情してあげられる余裕はないかもね。」
「本調子ではないと?それはいいことを--」
--また、奴が消えた。視界から残像を残して消えた直後に右を見る。
居ない。右側に避けるように地面を蹴った。
「--聞いたっ!」
上から声が降ってきた。身構えた時には、視線の高さに降りてきたダイチが身体をひねらせながら空中で蹴りを放つ。
反射的に大鎌を一閃させたけど、手応えが伝わる前に……当たったか確認するより先に--
火花が散った視界がブラックアウトした。