第7章 16 試験
※
「……コハクとは仲直りできた?ハルカ。」
昼休憩の時、待ち合わせるでもなく中庭に集まった私とハルカ。
ベンチに座って私は隣のハルカに何となく尋ねてみた。自販機で買ったお茶を飲んでいたハルカが盛大に吹き出してむせる。
「……っ、アンタ、聴いてた……?」
熟れたトマトみたいに赤くなってくハルカの顔を横目に、私は目の前の中庭の緑に視線を向けてた。
昨晩、この緑を眼下にコハクと重ねた逢瀬--なんだか現実じゃないみたいだ。一晩超えたら夢だったんじゃないかって思える。
まさかコハクとあんなふうに話す日が来るなんてな……
「ちょっと、聞いてる?」
私の襟を掴んで揺さぶってくるハルカの反応から、おおよその結果は察した。もう説明はいらない。
「分かったよ。もう……」
「なにがわかったってんのよ!訊いてるのこっち!なにか聴いてたんなら忘れなさいって!」
「……そんな恥ずかしいこと話したの?」
「……っ、知らないなら、別にいい……」
……ハルカは恥ずかしがるようなことじゃなくても恥じらったりするからなぁ。
「……それより、また近いうちに潜るみたいだ。私。」
またしてもなんとなく口にしたそんな言葉でハルカの顔色が微かに曇った。ああ、言わなきゃ良かった。
「……アンタ。」
「気にしすぎだ。大丈夫……」
そう、大丈夫だ。
今まで通り……私は大丈夫--
※
--七月に入って、暑さがぐんっと増した気がする。もうすぐ梅雨明けという話だけど、あれからずっと振り続ける雨模様を見てる限りそんな気配は感じ取れなかった。
あれから、ずっと考えた。考える時間があるくらいには、何も変化はなかった。
周りの全てが、今までのゴタゴタを忘れてしまったのかと思うくらい。何もなかった。
おかげで、みんなといつも通りに過ごした。
クロエはずっと、姿が見えなかった。探しても居ない。私はクロエの連絡先なんて知らないし、知ってても連絡手段がない。
クロエは私のことを友達って言ったけど、私と彼女の関係はそれくらい希薄なんだって思い知った。
かんがえる時間があったので、考えてみた。
私が言われたこと、コハクのこと……
私はやっぱり、コハクには『ナンバーズ』になって欲しくない。コハクの望みも、彼女の語った自由も、そこにはない気がした。
私はやっぱり、ここが好きじゃない。
でも、ここでできた大切って思えるものを、手放したくはない。
藤村先生は言った。私は外で生きた方がいいって。寄宿学校の子供たちの一人ではなくなりつつあるんだって。
真意を考えてみた。思考を巡らせたけど、言葉通りの意味以上のことは、何も分からなかった。
考えても、結論は出なかった。あるいは、結論が出たとしても、ただただ不毛なだけだった。
頭でただ考えるだけで、何かが変わるってことは無い。何もしないならと、クロエの言う通り『今まで通り』に過ごしてた。
おかげで、少しだけ気分が良かった……
脳天気な話だ。あんなに頭抱えて、深刻そうに眉根を寄せて、バカバカしいったらない。全部嘘か?
--七月五日。今日も雨。
じゃんじゃん降りの雨は夜中になっても収まることはなくて、床に就く私の耳にうるさい雨音がいつまでも届いてた。
でも、普段の夜より暗くて深い夜闇は、目を閉じるだけで自然と私を夢の世界に誘った。
--七月五日。今日も、雨だ……
視界が白んで明るくなる。まるで真昼間にいるみたいだけど、周りには何も無くて、明るいのにゾワゾワ足下から這い上がるみたいな不安感が込み上げてくる。
足首辺りに触れる感触が冷たくて、浅い水の中にたってるみたい。
……どこだろ、ここ。
いつもの感覚と違った。『サイコダイブ』に落ちた感覚じゃない。あの世界と違って、私の身体がひどく不安定で頼りない感覚に襲われる。
まるで霊体にでもなってしまったみたいな--
『--』
遠く遠く--どこかずっと遠くから、けれど耳の奥に直接響くみたいな、小さな小さな声が聞こえた気がした。
声の主を探しても、どこにも姿が見当たらない。視界を埋める真っ白な世界のどこかから、私のことを呼ぶ声がする。
何も見えないはずなのに…声は遠いままなのに…
近づいて……
言葉に出来ない感覚がした。不安なような、未知の予感に心臓がうるさく鼓動した。
瞬間、足下の感覚が消えた。
突然地面--というか、今まで立ってた足場が消えたように、私の身体が重力に引っ張られるみたいに下に落ちていく。
ちょうど、いつもの『サイコダイブ』に落ちるあの……
『--行っちゃダメよ。』
っ!?
白一色の世界が暗転するその瞬間、私の鼓膜を震わせる声が頭の中を揺さぶるように響いた。
静かだけど深く重いその声は、どこか懐かしいような感じがして、鈍く私の胸をえぐっていった。
※
目を開けると、暗転した視界は暗いままだった。
ろくに明かりもない屋内に放り込まれたんだってことは直ぐに理解できた。徐々に目も慣れてきて周りの景色を確認することができるようになってくる。
私が居たのは細長いプラットホーム、目の前には線路と、落下防止の柵とホームドアが設置されてる。
後ろの壁には広告が貼り付けられてるけど、その内容は意味のわからない赤黒い絵だったり、解読不可能な文字列だったりだ。
壁際にはベンチも並び、自販機も置いてあった。でも、自販機も壁の上に設置された蛍光灯も明かりがついてない。
ひと目で現実じゃないって解る光景に、『ダイブ』に成功したと確信する。
……あっさり来ちゃったな。
あれだけ嫌だって喚いてたけど、いざ潜ってみたら案外いつも通り。
『サイコダイブ』はその時の精神状態に左右されるって言ってたけど、私は今平常心ってことか?
夢の世界は地下鉄ってところだろう。今のところ、『ナイトメア』の気配はない。
他に誰か潜ったのだろうかと私は歩き出した。奥行のあるホームもどこまでも続いてる訳じゃないようで、少し歩くと端にたどり着いた。
安全柵から身を乗り出したら暗闇の向こうまで路線が続いてるのが分かる。夢の世界には珍しくしっかり世界が広がってるみたい。
周囲を見回しながら私は影からウィンチェスターライフルを引き出ししっかり握る。尖らせた神経になにかの気配が触れた。
……来た。
振り返った先、ホームの中央付近。その一帯が不自然なくらい暗くなっていた。まるでそこだけ墨で塗りつぶしたみたいに不吉に澱んでた。
影が空気に重く溶け込んだみたいなその空間に私は銃口を向けていた。
引き金に指をかけた私の視界の先で、影の溜まった空間がぱっくり開いた。
空間の内側からふたつに切り込みを入れたみたいに開いた闇から、青白い腕が伸びてきた。
私は躊躇いなく引き金を引いていた。火花と共に外に吐き出された鉛弾が回転しながら飛んでいく。武器は問題なく作動した。絶好調だ。
実にあっけなく、当たり前に放たれた弾丸が空間の切れ目に吸い込まれて、その先に居るであろう腕の主に着弾した。血飛沫が切れ目から噴き出した。
『--イテェ。』
「……っ。」
水面に石を投げ込んだみたいな赤い飛沫と共に、拙く重く野太い声が悲鳴をあげた。
痛いと言いつつ大して効いてなさそうな悲鳴に私は立て続けに弾丸を撃ち込んだ。
都合五発の発射、無防備にそれを食らいながらも“それ”は切れ目から姿を現した。
『イテェ、イ…イテェッテ。ヤメロヨ。』
のっそり姿を現したそいつは、黒いボロきれを身体に纏った、ずんぐりした体躯の巨人。
顔には黒いベールのような布がかかり、丸まった大きな背中は動く山を思わせた。
布切れから覗く青白い手足は巨体に反して細く骨ばって、まるで枯れ木みたいだ。
私の倍近くありそうな体躯の巨人は、私から食らった弾丸を、傷口からほじくり出しながらゆっくり近づいてきた。
--今まで色んな『ナイトメア』を見てきたけど、こいつはその今までの『ナイトメア』たちとは異質の気配があった。
……なに、こいつ……。
今までのどれとも--あの橘秋葉の『ナイトメア』とも、違う。
なにか、違和感が……
『オマエ…?オマエ?アタラシイ、『ナンバーズ』?』
「……っ、え?」
『ナイトメア』--と思われた“なにか”は、視線を覆う黒幕の向こうから私を見つめてそう言った。
--そう言って、歪に笑ってた。