第2章 6 見てんじゃねぇ
「っ!?」
油断した。
私の背後には、三体目のいじめっ子が出現していた。背中に突き立つ定規を見てケラケラと笑っている。
そんな黒塗りの少女を煽るように、周りの笑い声が一層大きくなる。
「…うるさいっ!」
さらに定規を振り下ろそうとしてくる黒塗りの少女の首を、振り向きざまに刈り取った。
投げつけられたからこの程度で済んだのか…直接突き刺されてたら身体を貫通して終わってたかもしれない。
背中に手を回して定規を引き抜く。
それか、手加減したのか。
いずれにしろ、今のが最後だ。もう隙は見せない。
そう自分を鼓舞し、傷を庇うように立ち上がる私に対し、夢の主は私を嘲笑うかのように私の命を奪りに来る。
一体ずつの出現だった黒塗りの少女が、十体。
「…ちっ!」
慌てて手を下に伸ばし、もう一本の草刈り鎌を引き出す。
その間に、黒塗りの少女達は手に持った定規を一斉に投擲する。
数の暴力となったいじめの刃--それが貪欲に私の命を一直線に狙いに来る。
最初に飛んできた一本を鎌で弾き、私は横に跳び退いた。
しかし狭い廊下の幅は、一斉に迫る定規に埋め尽くされて逃げ場がない。
ほぼタイムラグなしで飛んでくる定規を九本、両の鎌で叩き落とす。
しかし、一本間に合わず、私の右手を定規がかっさらっていく。
「--うっ…あああああっ!!」
腕が千切れ飛んだ。
想像を絶する痛みと喪失感。衝撃で無理矢理肉と骨を断たれた傷口が焼けるように痛み、同時に本来あるべきものの喪失にさぁっと全身に悪寒が走る。
痛みに私は床に倒れ込み、動けない。
追撃がない…?
決定的な隙を晒しながら、黒塗りの少女達は私にトドメを刺しに来ない。
--けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
降り注ぐ子供たちの嘲笑。
仰向けに転がる私と天井の目達の視線が交わっている。
無くなってしまった右腕の傷口から、真っ赤な血溜まりがじわじわと床に広がっていく。
--けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ
子供たちの笑い声が耳障りだ。
私の中に夢の主の記憶が流れてくる。より鮮明に。
私と同じように天井を仰ぎ見る誰かに、嘲笑が降り注いでいる。
周りの子供たちも笑ってた。自分がいじめられるのが怖いから、調子を合わせて笑ってた。
先生も笑ってた。それが行き過ぎた遊びだと理解していても、いじめっ子達を決して叱らず、ただ見て笑ってた。
廊下からこちらを覗く生徒や教師も、無関心な視線をこちらに向けるだけだった。
誰も助けてはくれなかったし、助けを求めることも出来なかった。
いじめよりも、そんな見て見ぬふりの無関心が怖くて、悔しかった。
まるでそうされているのが当然という風に、私を見てるのに誰も私を助けてくれなかった。
--私は、立てなかった。
「--っ」
「けけけけけけけけけけけけけけけけけ」
ぐらぐらと、腹の底から熱いものが湧き上がってくる。
気づけば目の前まで迫っていたいじめっ子達が、私を見下ろしてケラケラと笑っている。その手にはビーカーが握られていて、中に小さな虫の死骸がびっしり詰め込まれている。
--それを私の弁当に入れるんだろう?
私には分かった。
いじめっ子達の嘲笑が、周りの無関心が私の心を沸騰させた。
--殺してやる。
私は起き上がれた。勢いよく上半身を起こし、私を間近で見下ろしている黒塗りの少女の脚を鎌で斬り飛ばす。
「げっ……」
「見下ろしてんじゃ……っ」
脚を無くしてこちらに倒れてくる黒塗りの少女の、塗りつぶされた顔面に草刈り鎌を突き刺した。
仲間が目の前で殺されても、彼女らはケラケラと笑っている。
一切怯むことも無く、笑いながら定規をこちらに投げつけてくる。
私は黒塗りの少女の死体を盾に、飛んでくる定規を全て受け止める。
二本ともの定規を投げてしまった黒塗りの少女達は、私と同じように影に手を突っ込み、得物を最充填する。
意趣返しに、私はその無防備な少女達へ突貫する。
走りながら思いっきりジャンプし、側面の壁を蹴る。壁を足場にしたまま私の体は床に対して水平に傾き、その体制のまま鎌を一閃する。
黒塗りの少女二体の頭を斬り飛ばし、その死体を踏みつけるように着地しながら、襲いかかる三体の攻撃を躱しながら身体を切り裂いていく。
その間も、際限なくいじめっ子達は増殖していた。
「…こいつらじゃないのか?」
一瞬、背後で産まれる敵に意識を取られ、私は黒塗りの少女の蹴りを腹にまともに食らってしまう。
背中まで突き抜ける衝撃に体がくの字に折れた。
そんな私に追い打ちをかけるように、定規が頭に振り下ろされた。
頭蓋が砕け、視界がぐちゃぐちゃにブレる。
「…ぁ」
それでも何とか踏みとどまる私を取り囲んだいじめっ子達が、私を袋叩きにする。
暴力と共に、かつてないほど笑い声のボリュームが大きくなり、まるでオーディオの音量を上げていくみたいに、私の中の殺意もぐらぐらと上昇していく。
--完全に私じゃない。
きっとあの時、いじめっ子を刺した彼女の感情の爆発。
「--うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
振り上げられた少女達の腕を全力の一閃でまとめて斬り落とす。
痛みを感じない少女達を蹴り飛ばし、突き刺し、殴り倒し、切り裂き--私はいじめっ子の包囲網を抜けた。
とにかく一旦距離を…っ
黒塗りの少女達から離れるように駆け出した私の足が、リノリウムの床から這い出て来た少女の手掴まれる。急にブレーキをかれられた私の体は前のめりに倒れた。
「…痛った。」
顔から地面に突っ込み、鼻を打った痛みがツンと頭の奥まで突き抜ける。
そんな私を嘲笑うように、笑い声は私を囲み、天井の目は興味なさげに私を見下ろしている。
……いくらなんでも、おかしい。この子の精神異常の原因はどこ?
この黒塗りの少女達も間違いなくその一部だろうが、肝心の核となる部分がどこか分からない。
--他人には認識できないのだろうか?
いやそんなはずは無い。見つけられるはず。それを排除しない限り、この夢は終わらない。
「浅いのか?もっと深くに…」
足を掴む腕を切り飛ばして私は起き上がる。
それと同時に、正面から突進してくる黒塗りの少女が私の腹に飛び蹴りを食らわせる。後ろに吹っ飛びながらも私は鎌を投げつけて少女の胸部を深々と切り裂いた。
衝撃を殺しきれずに私は尻もちをつくように倒れる。
そんな無防備な獲物に嬉々としていじめっ子達が群がってくる。
単体は脅威ではない。数が揃えば厄介だが、なにより際限なく湧いてくるのが一番面倒だった。
そしてこの笑い声--
天井の視線--
逃げ場のない学校内で戦闘以外の要素が私の精神汚染を助長していく。
これ以上は、戻って来れない。
鬱陶しい。鬱陶しい!
笑うな!私を見るな!見てるならどうしても何もしない?助けない!
「…っ!」
私じゃない夢の中の心が私の中で悲鳴を上げる。私はその悲鳴で気が付いた。
襲ってくるいじめっ子達に突撃し、間を縫ってすれ違いざまに柔らかなお腹を裂いていく。
いじめっ子の群れをくぐり抜けた正面、目の前に躍り出た黒塗りの少女の顔面に勢いよく鎌を突き立てた。
鎌が刺さったまま柄を横に乱暴に振り、黒塗りの少女を壁に叩きつける。
さらに襲ってくるいじめっ子達。囲まれる前に私はまた壁を蹴って跳び上がり、上からいじめっ子達を纏めて切り裂いた。
ドバドバと、リノリウムのクリーム色の床に赤が広がっていく。
私はそんな血溜まりに躊躇なく手を突っ込んだ。
気づいた。
この女の子の心の闇を--それを象徴するものを。
この子にとってなにより恐ろしかったのは、いじめでは無い。
その他大勢の傍観者--その無関心だった。
その見て見ぬふりが、視線が、きっと彼女をここまで追い詰めた。
--ならば、この夢のトラウマの核は…この子の精神異常の中心は…
血の中から取り出したのもまた鎌だった。ただし、今までの片手で振り回せるものではなく、私の身長よりさらに長い刃のついた大鎌。
新たに湧き出す黒塗りの少女達が定規片手に襲い来る。でももう、相手をする必要も無い。
立ち上がり、大鎌を構える。少し動かすだけでもう壁に当たりそうだ。でも、関係ない。
「--全部っ、切り裂いてやるから!!」
夢の中で、この夢の主に向かって声を荒らげ、私は大鎌の切っ先を天井に向けて--
「--見てんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
全力で上に振り上げた大鎌の刃が、天井に描かれた目玉に突き刺さった。
『--ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
嘲笑の代わりに、絶叫が夢の中に反響し、刃の突き立った目から滝のようなインクが流れ落ちてくる。
鎌の刺さった部分から亀裂が広がり、亀裂の隙間から色とりどりのインクがドバドバと混ざり合いながら降ってくる。
瞬間、黒塗りの少女達の体が膨張--破裂する。
飛び散る血に、汚らしく混ざり合うインク。
実にカオスでとっちらかった夢の世界が、音を立てて足元から崩れ落ちていく。
下は深い闇だ。底が見えない、吸い込まれるような闇--
「…おやすみ。今度こそ、いい夢をね。」
耐えて耐えて、戦った小さな女の子へ、私はそんな言葉をかけながら吸い込まれるように落ちていった。