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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第7章 巣立ちの朝
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第7章 4 コハクの欲しいもの

 

  しばらくそうして落ちる落ちないと私をハラハラさせてたコハクは、不意に大人しくなってから私の方を見つめてきた。


  「……ヨミ、私さ、ヨミの夢を覚えてるんだ。」


  突然コハクの口から吐き出された言葉に私はドキリとして身体が跳ねた。

  反射的に身体が跳ねた後、言葉をよく咀嚼する。


  「……私の夢?『サイコダイブ』の?」


  私が夢を見ること--この学校の中で私がイレギュラーになりつつあるらしいことは、コハクは知らない。


  「うん、ごめんね。」


  なんで謝るんだろう?私だってシラユキの夢に潜った。コハクだってそうだ。


  自分の深くを覗かれた……コハクだから、ハルカだから、シラユキだから、いい。


  「ちょっと時間が経っても、ずっと覚えてる。ずっと……」

  「恥ずかしいな。まぁ……別に謝ることじゃない。」

  「あの世界のきみは嘘をつかないから、友達のことを知るにはいいね。『サイコダイブ』。」

  「おっかないこと言うなぁ。ダメだよ。それは倫理的に。」


  隠しておきたいことだってあるだろうに……それこそ、コハクにもあるんだろう。

  私たちに触れられたくないところが--


  「--ヨミ、あの人は誰?」


  コハクは大きく息を吸ってから、私に問いかけた。

  その問いかけが、そのまま胸を抉る棘になって私にのしかかった。たったそれだけのトリガーで、私の記憶が目の前で目まぐるしく駆け回るから。


  「……。」

  「話したくないなら、いいんだ。別に……私には関係ない。ただ、大事な人だったのかなって?」

  「……そう、思う?」


  『あの人』--フウカのことだ。それしかない。


  「じゃなきゃ、あんなに鮮明に記憶に焼きつかないと思う。特に、あんな光景は……」

  「……。」

  「私たちは、嫌なことも全部すぐ忘れてしまえる、都合のいい存在だからね。」


  コハクの皮肉が、今は胸の傷にしみる。ひどくしみる。

  忘れてたことだから。そうだ、それを思い出せたのも、みんなのおかげだから……


  「……先輩だよ。私とハルカに、色んなことを教えてくれたんだ。」


  “大事な人”--きっと大事な人だったんだと思う。当時、そこまで思えたのかわ分からないけど……

  大切なことを教えてくれた人だ。だから、きっと大事な人だ。


  「……そっか。好きだったんだ。」

  「なんかその言い方は嫌だな。含みがある。」


  ぼーっと曇り空を見上げるコハクが、小さな唇を動かす。湿った唇の隙間からこぼれる吐息と声音は、ぽつぽつと問いかける。


  「……ヨミは、もう一度その人に会いたい?」

  「……。」


  どう返したものかと私は口を閉ざした。

  だってフウカは壊れてしまった。会うことはもうない。仮に会えたとして、廃人になったあの人ともう一度会いたいかと問われて、私は会いたいと言えるだろうか?

  私にそんな勇気があるだろうか?少なくとも、即答できる勇気は持ち合わせなかった。


  「……無理だよ。」


  質問の返答として、適切でない答えが私の口から落ちた。コハクは私の顔を覗いて、クスリと笑った。


  「だろうね。」

  「?」

  「……それがいい。お別れした人とは、お別れしたまんまがいいよ。」


  コハクの言葉の真意を読み取れず、私は困惑に眉根を寄せた。


  「曇り空もいいものだね、ヨミ。よーく見たらさ、雲の向こうで空が輝いてるのが見えない?」

  「ロマンチストだな、コハクは。」

  「満天の星もいいけど、こういうのもいいじゃないか。ギラギラしてなくて下品じゃない。慎ましやかで日本的。」

  「よく分からんけど、星空を下品と思ったことはないな。」

  「私もない。」


  コハクに言われて雲の向こうを眺めてみる。雲に覆われた空はいつもより暗くて、でも雲の向こうの月明かりはその周りだけをぼんやり照らしてた。

  雲に遮られてぼやける月明かり。不明瞭だからこそ、いつもより目を惹かれる気がする。

  見えないものを見ようとしているからかな……


  風が冷たい。昼間の蒸し蒸しとした生温い風ではなく、夜のひんやりとした冷気を風が運んでくれている。


  確かにいいものかもしれない。私の目にはキラキラの星空は眩しすぎるから、これくらいでいい。


  「……私たちはさ。」


  不意にコハクがおしゃべりを再開して私はそちらを向く。

  風に乗るように流れていくコハクの声を私は黙って聞いていた。私に向けられているというより、独り言みたいだった。


  「昔のことを忘れていく……この学校の外でのことなんて、私たちには無いんだ。でも、そんなペラッペラな私たちでも、ここで生きてきた『今まで』はちゃんとあるんだね。」

  「……コハク?」

  「ヨミにはヨミの、ハルカにはハルカの過去がある。私にも……みんなの知らない昔がある。過去があるように今も…例えば、私とヨミが仲良くなったのは最近だ。」


  コハクの言葉に耳を澄ませる。

  なにか--なにか大切なことを言おうとしてる気がした。


  「積み重ねがあるんだね。だから……昔を忘れたって、そんなに悲観することないんだ。」

  「……コハクは、自分の過去を知りたい?」


  その問いかけは、そのまんま私自身にも響いてきた気がする。

  私にも、私が生きてきた過去があるんだろうか……シオリみたいに……


  「……コハクが今欲しいものって、なに?」


  私の問いかけに、コハクは曇天の夜空を見上げたまま即答した。


  「今。」


  間髪入れずに返ってきた答えは、私を驚かせた。そして、その真意を知りたいと思った。

  コハクは『今』に何を望んで、今には何が足りないのか……?


  欲しいってことは、持ってないってことだ……


  「……昔、好きな人がいた。」

  「え?」


  コハクが急に語り出す物語の切り出しに、私は間抜けな声を夜闇に響かせた。コハクの答えの意味を聞きたいと、追求しようとしてた私の身体の力が抜けた。


  「この学校にね…もう、ずっと忘れてた。」

  「……ここ女子校……」

  「ヨミ。」


  私の遠慮がちなツッコミがコハクの声にいなされる。野暮なツッコミだった。もしかしたら私が言葉の意味を履き違えてるだけかも…


  「もうね、すごい好きでね。初恋だった。」

 

  初恋らしい。女子校なのに。

  すごく色々言いたいことがあった。こんなタイミングで唐突すぎる自分語りからのカミングアウトに、私は色々言いたいことがあった。まじあった。

  あったけど、コハクの横顔を見たら言葉が喉から出てこなかった。


  コハクは、泣きそうな顔をしてた……


  「その子も、居なくなっちゃったんだけどね……」

  「……。」

  「後悔してる。この口で、ちゃんと気持ちを伝えたかった。それに……約束もしたんだ。」

  「……約束?」

  「一緒に外の世界に出ようねって……この学校から出ても、一緒に居ようって……」


  私の手が自然に伸びる。避難階段の柵の上に置かれたコハクの手に触れた。重なる彼女の手は、震えてた。


  「……そっか。」

  「そうなんだ。その子も最初の『ダイブ』で壊れちゃった。どこかに連れていかれて……一緒に出ようって約束したのにね……」


  なんて言えばいいのか分からなかった。こういう時、友達が自らの傷口をさらけ出した時、私はそれに触れてやるべきなのだろうか?

  それとも、化膿して醜くなった過去の傷を、見ないようにするべきなのだろうか?


  「……だから出るんだ。」


  コハクは、私の手に重ねた細い指を、ぎゅっと力いっぱいに握りしめた。私の指の間に通された指から、震えるくらいこもった力が伝わる。


  「……それが、『ナンバーズ』になりたい理由なの?」


  私の問いかけにコハクは頷いていた。

  彼女は触れて欲しくなかった傷口を、私に晒してくれたんだ。

  きっと、私の傷口に触れたから--


  「『ナンバーズ』になって、自由が欲しい。それで、あの子に会いに行く。」


  先程の私への問いかけに重なる。だからこそ私は自分の返答を悔いた。

 

  そんな後悔の苦味、さらけ出された傷口への不安--

  それらを押しのけて私は口を開いてた。


  「--その子のこと、私たちより大事?」

  「……ヨミ?」

  「その子に会えたら、その子の方に行っちゃうのかな。コハクは……」


  最低だ。言うべきではない。

  なんて自分勝手で、コハクの想いを踏みにじる一言。言ってから私はひどく後悔してた。


  「ふふふふっ。」


  でも、コハクは笑ってた。

  恥ずかしさと申し訳なさで顔を俯かせる私に向かって、なんだか楽しげに笑ってた。


  「おかしいな。ハルカも、同じこと言ってた。」

  「……っ、さっき?」

  「さっき。」


  コハクの言葉にますます顔が赤くなる。頭に血が登ってきて脳が煮える。そんな私をからかうみたいにコハクはずっと笑ってる。


  「そっかそっか。ヤキモチ焼きなヨミたちは、私の事応援してくれないわけだ。」

  「……ごめん。」

  「いーよ別に。ありがと。」


  何に対しての礼なのか、コハクはニカッと笑ってから大きく伸びをした。

  夜の風を全身に浴びるように、後ろに体重を傾けて気持ちよさそうに身体を伸ばす。


  「危ないって。」

  「やっぱダメだ。夜中はおしゃべりになるね。もう戻ろうか?身体も冷えちゃったし。」


  コハクは後ろに身体を倒したまま器用に後ろの階段に落下する。みっともなくコケることなく、綺麗に踏み板の上に着地した。

  私もそんなコハクにならう。柵に手をかけたまま後ろに飛び降りた。


  結構大きな音がしてヒヤリとしたけど、コハクは「大丈夫大丈夫」と平気な様子。実際音に誰かが気づいた様子はない。


  「帰ろ?」


  先を行くコハクの背中を見つめながら私も足音をころして歩く。


  コハクは、私に解ってほしくて、語って聞かせたのかもしれない。

  私なら理解できるって、私を覗いたコハクが思ったのかもしれない……


  ……でも、だとしても--


  コハクの願いが叶ったとして、その時コハクはどれだけ傷つくんだろう……

  きっと、変わり果ててしまってるその子の姿に……


  「ヨミ。」

 

  ひんやりと風が私の身体を冷やす中、コハクが風に髪をなびかせながら振り向いた。

  出会った時より、ほんと少し、髪が伸びたな……


  「さっきの話、みんなには内緒ね?」


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