第6章 36 クロエの冒険3
厄介な名前が出てきた。ウチの顔には分かりやすく狼狽の色が浮かんでるだろうな。
「……意識ねーだろ?意思疎通出来んの?」
「黙れ。お前調子に乗るなよ?いい加減殺すぞ?」
じわじわとにじり寄ってたNo.01の殺気が目に見えるほどはっきりした意思となってウチに殴りつけられた。
どうやら地雷を踏んだらしい。
「……そのコハクって子の方が、妃莉の魂を預けるに相応しいと?」
情けなく縮こまるウチをよそにマザーがNo.01に噛みつく。余程ヨミが気に入ったのか、一向に引き下がる気配がない。それはNo.01も同じか……
「……結局09はなにが言いたいの?今は空いたNo.10の空席を埋めることが重要よ。相応しい子がいるのなら、すぐにでも加えたいわ。」
「だから、てめーのお気に入りはその気がねーんだろ?」
「その気にさせる方法なんていくらでもあるわよ?あなたもそうしたんでしょ?実。」
ダメだこいつら、ウチの話全然聞いてない……
このままじゃ何しに来たのかも分かんねーまま無駄に怒りだけ買うことになる。やばい。
「--相応しい者が二人居るのなら、両方加えては?」
ひりつく室内の空気に低い男の声が伝搬する。またしても割り込む新たな参加者にNo.01の表情が一層不機嫌に歪む。
「……失礼します。」
マザーに一礼して部屋の入口に佇むのは、目の下の深いくまが印象的な青年だ。
「……05。おめーもなんかあんのか?」
No.01の射すくめるような視線がNo.05に向けられた。
対して、冷静さを帯びた環の声が二人目の参加者に投げられる。
「--それはないわ。現状妃莉の割れた魂は十個だもの。手元にない残りもあれば十席にこだわる必要はないけど……」
「……俺らは妃莉の魂を保管する器。魂以上の数の器は今は必要ない。残りの在処の検討すらついてねーんだからな……妃莉の欠片を植え込んでこそ、『ナンバーズ』を安全に運用できる。」
話がめんどくせー方向に向かいかけたのを、マザーとNo.01が真っ向から切って捨てた。ウチはほっとしながらNo.05を気づかれないように睨む。
「では、どちらが適任かを選定する試験でも行うというのは……」
ほっとしたのも束の間にNo.05からまためんどくせぇ提案が。何しに来たこいつは!
「……何度言わせる。妃莉の指定だ。てめぇらの意見なんぞ聞いてねぇってんだ。」
No.01か苛立ちを隠すことなく、全身から暴風のような圧が噴き出す。髪が逆立って見えるほど、表情が険しく悪鬼のように歪む。
「……それ、お前が言ってるだけじゃん?『ナンバーズ』ってあいつが決めてんのか?」
「あ?」
あえて打ち鳴らされる奥歯を噛み締めてウチが突っかかる。No.01とウチの視線が交差する。
「--なるほど、選定試験ね。」
マザーがぽつりと呟きを漏らした。No.05の提案した試験というのに興味を示したらしい。まずい。
「マザー、『量産機』に拘る必要はねーと思うんだけど?」
「--ヨミとコハクと、09の言う外部からの候補者で、試験をするってのはどうかしらね?」
……は?
先程までの剣呑な空気から一変、マザーの顔がパッと輝き嬉々としてそんな提案をしてくる。とんでもなく面倒な方向に話が進み出した。
マザーは合理性より娯楽を優先する。No.05の提案が要らぬ気を引いてしまった。
「いやいやいや、違うて。いや、それでいーけど。」
「いいわけあるか。環、調子に乗るな。そんな悠長にやってる暇はねーんだよ。10に預けてた妃莉の一欠片ですら、維持するだけでどれほど--」
「あ〜ちょい黙って01。ウチが喋ってる。」
「クロエが黙れ。」
全然ウチの言うこと聞いてくんねーじゃん。いや、当たり前か。
「選定するのはいい!でもヨミとコハクは候補として相応しくねー……」
「うるさい黙れ。システムを維持しているのは妃莉だ。その本人が適任だと言ってんだ。これ以上--」
「--喧嘩はやめなさい。」
言い合うウチとNo.01の声量がどんどん上がっていくのに対して、割って入るマザーの声はひどく冷静で静かだ。
子を窘める母のそれに、思わずウチもNo.01も口を閉ざした。
「09の言う通り、よく吟味するべきだわ。09が相応しいと思う候補者を見つけて、改めてその子らとヨミとコハクで誰にすべきか決めましょう?」
……なにが09の言う通りだ。よく言うよさっきまであんなに反対してたくせに……
悪態をついてる場合じゃねー。事態が好転するどころか一層めんどくせーことになってきた。
「09、候補者はあなたが責任を持って連れてきてね?もしいないのであれば、ヨミとコハクで決めましょう。」
「ちょい、マザー?」
「待ちやがれてめぇ、環。何勝手に決めて--」
瞬間、身体を締め付けるような威圧感がウチを襲って、反論するために開いてた口がそれ以上言葉を紡ぐことなくぴしゃりと閉じた。
まるで蛇に絡みつかれ、締めあげられてるみたいな……
嫌な汗がたらたら垂れるウチとは対称的に、今にも殺し合いを始めそうなNo.01が向かいの環を睨んでる。
--その視線を涼しい顔で受け止める我らがマザーは、その端正な顔を凶悪に歪めて笑う。
「--決めるのは私。私の忠実な子供たちであるあなた達が、私に意見するなんてありえない。むしろこれは、限りなくあなた達の側に寄った提案よ?」
それ以上の反抗は許さない--言葉に滲むウチらへの威圧に、ウチはすっかり反抗の元気も削がれて黙りこくる。口の中が異様に乾く。
「試験の方法はどうしましょうか?05。やっぱり『サイコダイブ』で殺し合いでもさせる?」
ウチらの意見などお構い無しにマザーは嬉々としてNo.05に語りかける。すでに決まったと、もう議論を勝手に終了してしまった。
No.05とマザーが論じ合う声が遠くに聞こえる。どうしたものかと頭を巡らせたけど、ウチの頭脳じゃ名案は浮かんでこなかった。
ウチは頭悪ぃからなぁ……
変なとこで自己嫌悪に陥りながら、思う。
--この身体に入ってんのがあんただったら良かったのにな……
※
--私の子供たちは反抗期なんでしょうか?
私の足が固く冷たい石の床を踏む度に、草履の軽い足音が広い室内に反響した。
数歩遅れて私に続く息子の、響くような思い足音が、私の鼓膜を規則的にノックする。
私が踏み込んだ地下の暗室--一際大きなそこは壁も床も温もりを保たない冷たい牢獄のような一室。
部屋一面に並べられた容器の周りを、能面のような顔の医師たちが忙しなく駆け回っている。
容器の中--暗室で仰向けに寝そべる幾人もの器たち。けれど、それも一時的に魂の欠片を収めておく為だけの急造の入れ物に過ぎないけど……
バスタブのような底の深い容器に拘束され並べられた器たちは、それぞれ老若男女様々な人物が無作為に選ばれた。
--そのどれもが、壊れてしまったけど……
「……あら。」
地下の暗室に足を運んだ私が今の器を覗き込むと、容器の中で歪んだ表情を浮かべた少年が、ブツブツとうわ言を呟いて目を見開いている。
「……コワ、レタ?レタ?」
遅れて私の後ろから興味深けに覗く巨体の坊やが、嬉々として私に尋ねてくる。
丸まった背中に山のような体躯。知性の感じられない声を発する口は、顔と一緒に黒いベールに隠れている。
--No.06。私の息子、その一人……
“壊れている”、という点では彼もそう大差はないのだけれど……
「クウ。クッテ、イイ?」
「…いいけど妃莉を取り出した後でね。」
この器はもうダメだろう。妃莉の魂を受け入れられるだけの強度がない。壊れてしまった。
No.10の廃棄は想定外だった。それだけに、宙ぶらりんになってしまった妃莉の一欠片を維持するだけで、何人もの器が必要になってしまった。
精神は、器たる肉体がなければ存在できないから……
……それにしても、なぜ妃莉の魂だけ特別なのだろうか。
本来、器など“空にしてしまえば”誰でもいいというのに、なぜ、この子の魂だけは、器を壊してしまうのか……
妃莉の精神だけは、器を選ぶ。
--お転婆な09、可愛い可愛い08、07、半分壊れた06、真面目でいい子な05、実にあげてしまった04、顔も見せない奔放な03、やんちゃな02--それに、私の愛おしい息子の実……
あの子なら--
ヨミならば、耐えてくれる。最高の器として。私の娘として相応しいはず……
もし…もし--実の妨害に屈するようなら、その程度の器だったということだけど……
「……はぁ。」
壊れた器を回収する医師たちの傍らで、私の悩ましく熱い吐息が唇から漏れ冷たい壁に吸い込まれた。
どうして喧嘩するのだろう。どうして仲良くできないんだろう……
私の期待に応え続ける限り、際限のない愛を注いであげているというのに……
「--反抗期なのかしら。」