第6章 16 ハルカへの告白
※
……いつぶりだろうか。
いつも潜る前に見ていたあの顔が、久しぶりに私に笑いかけていた。
コハクや先生に言われて意識する。あれが私の夢なんだろうか?
あまりにも刹那の、不明瞭な、しかしリアリティのあるその光景は、私の頭にしっかりこびりついていた。
間近に感じたあの人の体温や匂いまで、私の中に刻み込まれてた。
ただ、前まで見ていたあの人の顔は、私に寂しさばかりを残していってたのに、今日は不思議と胸が暖かい。
--怖くない。
「…起きるか。」
半日ぶりの晴れ間に私はベッドから勢いよく立ち上がり、自然の目覚ましを全身で浴びていた。
※
--朝、目を覚ました私は私のマザーじゃなくて寮監に呼ばれていた。
朝一番の呼び出しは、多分『サイコダイブ』だと思う。でも、寮監に呼び出されたのなんて初めてだ。
眼鏡をかけて、髪を結う。制服に手早く袖を通して私は部屋を出た。
…結局コハクはどこ行ったのかしら…ちょうどいいから訊いてみようかな。
寮監--マザー小林はちょっと怖い人。
なんだかいつも不機嫌な印象で苦手だけど、コハクが消灯時間になっても部屋に戻らなかったのはなにか呼び出されたなりの用事があったからだと思った。
じゃなきゃヨミやシオリの時みたいにみんな騒ぐはず……
私は寮監の部屋に行く前に念の為コハクの部屋をノックしてみる。
けど、案の定というか、返事はない。
私は諦めて寮監の部屋に向かった。まだ寝てるだけかも。
「ア、ハルカ。」
道中、寝癖をつけた頭のシラユキと一緒になる。
朝の放送で、シラユキも一緒に呼ばれていたのは知っていた。
「オハヨ、ハルカ。」
「も〜シラユキ。髪の毛すごいよ。櫛ぐらい通しておいで。おはよう。」
私は持ち歩いている折りたためる櫛を取り出してシラユキの白い髪をとかす。相変わらずサラサラだ。
「オッケー。行こっか。」
「ウン。アリガトウ。」
先に歩き出す私にシラユキが早足でついてくる。何気なく聴いているシラユキの日本語も、出会った頃に比べてだいぶ流暢になった。言い間違えもほとんどないな。
学舎の階段を登り、他のマザーの執務室より大きく荘厳な佇まいの扉をノックする。相変わらずどういう仕組みか、重い扉が開いていく。
「……おはよう。ハルカ、シラユキ。」
「おはようございます。」
「オハヨウゴザイマス。」
しゃがれた声のマザーに私たちは頭を下げて挨拶を返す。部屋も他のマザーの部屋より広い。
「……朝早くに済まないね……今日はどう?調子は……」
調子はどうか……つまり今日潜れるかってことだ…
「大丈夫です。私は…」
「?エト…ゲンキデス?」
隣で私の返答の意味が分からずとりあえず答えるシラユキ。私たちの返答にマザーは大きく頷く。
「……急で悪いけど、今晩潜ってもらうよ。いいね?」
「はい。大丈夫です。」
「!…ハイ。」
やっぱりな。最近なかったから久しぶりだ。もっとも、別に潜りたくないけど……
「うん。今晩はハルカとシラユキ、コハクに行ってもらうよ。」
私とシラユキとコハク……
なんとも偶然にしてはできすぎな組み合わせに私は内心びっくりした。なんだかヨミの『ダイブ』の後だからか、偶然に感じない。
クロエ先輩がなんかした……?
いや、妙な勘ぐりはよそう……私は素直に頷いて、いつも通りの『サイコダイブ』の詳細を聞かされた後、切り出した。
「……そういえばコハクは?昨日の夜から姿が見えないようなんですが……」
なるべくなんでもないふうを装って…まぁ別に装う必要もないのかもしれないけど、マザーの威圧感に私は「シラユキと一緒に呼び出されたのになんでコハクはいないの?」感を出す。
「……あの子は今晩には戻る。要らん心配はしなさんな……」
やっぱりマザーは答えてはくれなかった。でも、どこかに出かけているらしいことは分かった。
ヨミのことがあったばかりなので少し心配だったけど、それ以上は追求しないで私はシラユキと連れ立って部屋を出た。
「コハク、ドコイッタンダロネ?」
「……さぁね。すぐ戻るわよ。」
なんだかざわざわと胸騒ぎが激しくなるのを、隣のシラユキに気取られぬよう私は気安く笑って返していた。
※
朝食の席で私はハルカの何気ない言葉に凍りついていた。
まだコハクが姿を見せないことについての話題はほどほどに、私はハルカたちの『サイコダイブ』の話題に食いついた。
ハルカとシラユキとコハク--
この三人の組み合わせが環の提示した“人質”と同じメンツであることに、私は分かりやすく動揺したと思う。
「?ヨミ、ドウシタノ?」
そんな私にシラユキが心配そうな顔を向けてくる。対してハルカは、私に向ける視線を除いていつも通りの平静さ。
「……なにかあった?」
決して強い口調で尋ねることはなく、彼女は私を急かさず問いかける。
そんなハルカの対応に私もすぐ冷静さを取り戻した。
「いや、コハク戻ってきてないんだよね?どうするのかなって……」
我ながら苦しい言い訳。でも、シラユキの前では切り出せなかった。
「それまでには戻るわよ。多分……」
「コハク、シンパイダネ。ドコイッタンダロネ。」
「大丈夫。マザーは行き先把握してるみたいだし、誰かさんみたいに心配することないわ。」
シラユキの前でハルカはおどけた調子で私を見ていた。助かる。
……でも、この『ダイブ』が環の言ってた処罰なの?だとしたらコハクはどこに?
コハクが忽然と姿を消したのは、それが関係あるのだと考えていたけど。とりあえず安心していいのだろうか?
そもそも、『サイコダイブ』が規則違反の処罰になるのだろうか?潜った先でなにかあるのかもしれない。
あるいは本当にただ潜らせる--仕事を押し付けるのが罰ということなのだろうか?
……いや、クロエやマザーへの仕打ちをみても、そんな生易しいものとは考えられない……
その程度では、私への『ナンバーズ』入りを強要するには弱すぎる。
もしかしたら本当に偶然メンツが被っただけ…?
考えすぎだ。マザーやクロエに探りを入れればわかること。
それはそうと、もしこの『サイコダイブ』がハルカたちを傷つける目的の『ダイブ』だったら、どうすればいい?
もやもやしたまま、ハルカたちの話を上の空で聞きながら朝食が終わる。
予鈴まで数分となり、シラユキが自分の教室に向かっていくのをハルカと見送る。
「おっと、時間ないわ。急ご。」
壁の時計を見てハルカが私の手を引っ張る。掴まれた手首を逆に引っ張って私はハルカの足を止めた。
「っと…なに?」
「……ちょっといい?」
ハルカを見つめる私の視線にハルカはなにかを察したのか、生徒たちの行き交う廊下をキョロキョロ見回す。
「……時間ないけど。いいわ。どこで聞く?」
※
私たちは中庭のベンチに並んで腰掛けていた。背後の渡り廊下には人影はない。みんな始業に備えて教室に向かったんだろう。
すっかりサボり魔な私と、悪友の二人。今日は久しぶりに一日天気がいいらしいという青空を見上げて並んで座る。
「……で?なに?」
隣のハルカが何気ないふうな口調で切り出した。私の方は、ここに来てまだ何かを逡巡しているみたいだ。火傷したみたいに気道が熱い。
「……私のせいで、ハルカたちが危ない目に遭うかもしれない。」
それでも私は吐き出した。ハルカには嘘も隠し事もなしだ。
「……私がこの前の『サイコダイブ』のおかげで目を覚ましてから…工藤理事長にあったんだ。その時……『ナンバーズ』に誘われた。」
「は?『ナンバーズ』!?」
想像していた内容と異なっていたのか、ハルカが素っ頓狂な悲鳴のような声を上げた。
「え?『ナンバーズ』って、『サイコダイブ』適正の高い人がなるって……」
「他にも、選定基準があるって。で、私はそれを満たしてるみたいだ。」
「……自慢ですか?ヨミさん。」
何を言うか。この局面で。
場を和ませようとしたハルカの戯言をスルーして私は続ける。本題はここからなんだ。
「それはいいんだけど……まぁ、私に『ナンバーズ』に加入したいって気持ちはない……ないんだけど……」
「……入るの?」
私はハルカを横目に一瞥。
「……ハルカたちが、人質なんだ。」
イマイチ内容を理解しきれないハルカがキョトンと目を丸くした。ここでなぜ自分たちが出てくるのか理解出来ない様子。
まぁ、当然だろう……
「……私が帰ってきた日、マザーがどうしたのかって、訊いたね。」
「……うん。」
「マザーは規則違反で…理事長から……罰を受けたんだ。それで、入院してた。」
話がきな臭い方向に向かっていきハルカの眉間の皺が深くなる。
気づけば始業のチャイムが学舎に鳴り響いていたけど、私もハルカもそのチャイムを意にも介さない。
「……罰って…なに?」
ハルカはおそるおそると言ったふうに尋ねた。マザーに見た目での変化はなかった。当然だ。
でも、それにはっきりした答えを返せるものを私は持ってない。
「……クロエが言うには、精神をいじめられたって……」
ハルカの脳裏に精神汚染の言葉が浮かんだだろう。私もそうだ。
ただ具体的に何をされたのかは、私には分からなかった。
「……で?」
私はハルカに促されて話を繋げる。核心部分だ。
「規則違反はマザーだけじゃないんだ。許可なく『サイコダイブ』した、ハルカとシラユキ、コハクも……」
それでおおよその話の流れを察したハルカは、はぁと深くため息を吐いた。
「……『ナンバーズ』のクロエ先輩の了承は得たんだけど?」
「そのクロエも、罰を受けたっぽい。」
「なーるほど。なんて言うか……全く予想してなかった方向ね。…で?アンタは理事長さんに加入は断った?」
「……うん。」
「で、私たちが出てくるわけね。」
これ以上の説明は不要だろう。私も胸の奥に溜まっていた思い息を口から吐き出した。
「……それでだ。今日の『サイコダイブ』…」
「私とシラユキとコハク……タイミングとメンバー的にそのお仕置が今回の『ダイブ』だってわけ?」
ハルカの言葉に私は曖昧な反応しか返せない。そうだとも断言出来ないから。
しかし、こんなことを語って聞かせたところで、どうしろと言うのだ……
「まぁ、シラユキの前ではしない方が良かったわね。あの子、怖がりだもん……」
「なんか気遣わせたね。ごめん。」
「ヨミも他人に気を遣えるくらいには大人になったのね。」
「……うるさいな。」
ハルカの何気ない冗談に、私も少し気持ちが楽になる。あるいは、溜まってたものを吐き出したからだろうか?
「ヨミ。とりあえず私はアンタが私らの為にやりたくないことをするのは、反対。」
と、ハルカが強い口調でキッパリと告げる。
「……でも。」
「でも、じゃない。アンタがクロエ先輩みたいに神出鬼没になったら、シラユキが泣くわよ?寂しいと死ぬんだからあの子。」
「うさぎか。」
「それと、私たちに対するお仕置だけど、はっきりしたこと言えないなら、まずはっきりさせてから。ただの『ダイブ』かもなんでしょ?」
淡々と整理していくハルカに私はたじたじだ。
大人になったはハルカの方だ。昔の泣き虫はどこに行ったんだろうか。
「……どうやって?」
「知らないわよ。」
「人任せ!?」
「アンタが原因の厄介事でしょ?まぁ…冗談だけど。それについてはアンタの方が心当たりあるんじゃない?」
「……まぁ。」
「で、肝心なとこなんだけど……」
ハルカは身体ごと私の方に向き直って、尋ねる。
「アンタは、なんで『ナンバーズ』に入りたくないの?」