第6章 9 友達になってください
私が少女の名前を呼ぶと、クロエは「いやいや」と手を顔の前で振った。
「……?」
「もうやめ。」
なんだろうか?なにがやめなのか?
「ウチら、知り合ってどんくらい?」
「……え?ひと月…くらい?多分。」
「え?まじ?そんなモン?百年の知己くらいの気持ちなんだが?」
なわけない。そんなの嫌だ。
「まぁいいや。」と、クロエはズカズカと病室に入ってきて、丸椅子を足で引っ掛けてベッドに寄せる。その上に胡座をかいて座った。
「先輩とか付けなくていーぞ?今度からは、“クロエ”で。」
無邪気に笑うクロエの顔は、いつも通りなのに、なんだかいつもと違って見えた。
「会いに来た。」
そして、私の額に手を添えて「う〜ん」と唸る。
「……?熱はないけど……」
クロエがたまにやるこれはなんなんだろう?
「…今は〜…気分的にちょっとブルーなカンジ?なんか元気ないな〜ってカンジっしょ?」
「見てわかりすよね?」
「タメ口でいいって。」
ケラケラ笑うクロエに私はため息をひとつ。
「……なんでかな。私が入院棟に入ると人がいっぱい来るのは……なんなら普段より人が寄ってくる……」
「人気もんじゃん?」
「一応、安静にするよう言われた病人だけど……こう見えて。」
……なんだろう。まるで友達と喋ってるみたいな気分。
気安いクロエの調子に合わせて喋ると、なんだか気持ちも楽になる気がする。案外、友人付き合いをしたらクロエとは楽しくやれるんだろうか?
「で?今日は何しに?」
と、私は早速切り出した。
クロエはなにをしたいのか真意が読めない。本当にただ遊びに来たと言われても驚かないけど……
「……話さなきゃいけないことと…謝ることがあったからな……でも、それ以前に、きみの顔見たくてさ……」
「……随分気に入られたなぁ。」
「いーだろ?ウチときみの仲じゃん。」
なんだか唇を尖らせてバツが悪そうなクロエに、私は先を促すことにする。
クロエとの会話にほんの少しだけ心地良さを覚えたけど、今は人と話す気分じゃないから……
「……謝ることから、聞く。」
「うっ……意地悪な奴。」
「多分……私の予想では、クロエの方が意地悪だ。」
逃げるなと、言外に追い詰める私に、クロエは意外にもあっさりと腹を括った。
丸椅子の上で胡座のままバランスを取りながら、「あ〜」とか「う〜」とか唸りだす。
喋り出しの言葉を慎重に選んでるように見えて、私は少し意外な気持ち。
他人を慮って、言葉を選ぶ--そんな深慮があったか。
いや、意外とクロエは深慮深い方かもしれない。ただ、意図して相手の気持ちを汲まないタイプに見える。
どちらにしろ、今まで見たことないクロエの思い切りの無さ。
それでも、語り出そうとする彼女を私は急かさずに待った。
「もういいや。」
パンッと自分の脚を叩いて、クロエは観念したように笑った。
まるで友達に気安く詫びるみたいに……そんな調子で--
「……ウチのマザーから聞いたろ?『ナンバーズ』の話…」
私の予想した内容と違わない話題を切り出した。
「きみを『ナンバーズ』に推薦したの、ウチなんだわ。」
「すまん、勝手に。」と、顔の前で手を合わせてなんとも適当に頭を下げた。
なんか、クロエらしい。
「謝る」なんて言うから、どんな謝罪が飛び出すのかと思ったけど、逆にクロエが土下座でもしだしたら精神汚染を疑るレベルだ。
「……怒ってる?」
「なんで怒るの?」
伺うようにちらりとこちらを見るクロエに、私はわざとらしく首を傾げて見せる。それにクロエはちょっとだけ安堵したような表情を覗かせた。
「いやほら……マザーになに言われたかしんねーけど、絶対嫌なこと言うじゃん?あの人…だから気を悪くしたかと……」
「……よくも面倒事に巻き込んでくれたね。」
「怒ってんじゃん!」
吐き捨てるように返した私の言葉にクロエはオーバーなリアクションを返してくれる。
……なんだろ?今まで掴みどころのなかったクロエが、今日はコミカルで間抜けに見える。
「いや……そりゃまぁ勝手に決めて悪かっけど…でもな?『ナンバーズ』って色々いいこと--」
「嘘。」
慌てて言い訳から入るクロエに私は笑いながら返した。
「怒ってないって…」
「……お前…小悪魔ちゃんだな。」
「ちょっと何言ってるか分からないけど…クロエのその推薦のお陰で、首の皮繋がったのも事実だ……」
「……?」
頭の上に疑問符を浮かべるクロエに私は環から言われたことを正直に話す。どうやらクロエはその件については知らないみたいだ。
「……ハルカたちが、勝手に私への『サイコダイブ』をしたから、処分するって。もし、私が『ナンバーズ』に加入すれば、免除してやってもいいと……」
「……そっか。」
クロエの反応は意外と淡白だ。あるいは、環のことをよく知るクロエにとっては、別段驚くべきことでもないんだろうか?
「……なんか、悪いことしたか。ホント…」
「……したね。クロエでしょ?ハルカたちを私の夢に連れてきたの。」
責任を追求する私にクロエはいよいよバツが悪そうだ。なんだかいたたまれなくなってきたので、そろそろ意地悪はやめにしよう。
「……冗談だから。」
「いや、まじな話……」
と、二つ結びの髪をいじくりながらクロエは窓の外を見やる。
私と目を合わせられないくらい罪悪感でも感じてるのか。
「……感謝してるよ。それだけではないけど…それはいいんだ。」
だから、私は本音でクロエにそう告げた。
どこまで伝わったかは分からないけど、クロエは無言で頷いた。
なんだか空気が重くなってきた。早くこの場を切り上げたくて私はここで自分の質問を投げることにする。
「……どうして私を推薦したの?」
単刀直入に、一番の疑問を投げかける。
「ん?才能あるから。」
それに対して、帰ってきたのは実に簡潔明瞭な、それでいて信じられないような一言だ。
--才能?『サイコダイブ』の?
環の手前あんな感情を爆発させた私。そんな才能正直嬉しくないのだけれど…
なにより、私に才能?
クロエはおろか、彼女より適正の低いだろうコハクより、さらに夢の中では弱い私が?
クロエは一体、橘秋葉への『ダイブ』で私になにを見たんだろう…
「……どの辺が?詳しく。」
「ん?嘘。」
……?
ちょっとだけカチンときた。私はクロエを睨みつける。
確かに散々弄ったけど、ここは冗談を返して欲しい場面じゃなかったのに……
「いや嘘じゃねーけど。才能あるよヨミは。『ダイバー』の。でも、それってのはただの口実でさ……」
「……?口実?」
いまいち彼女の発言の真意が読めない。計りかねるクロエを見つめる中、彼女はなんだか照れくさそうに頬を染めている。え?なに?気持ち悪い。
「ヨミを『ナンバーズ』に推薦したのも……今思えば口実なわけよ。お近づきの……」
「……??」
「ウチもさ、最初よく分かんなかった。なんでこんなことしてんのか…ずっとだよ。ヨミを推薦したのも、ハルカたち連れてったのも……でも、昨日一晩考えて、分かったわ。」
クロエは私から視線を逸らさず、真っ直ぐ見つめて--
「ウチさ、昔大親友居たんだ……でも、そいつ居なくなっちって…だからもう、やめたんだ。人好きになんのも、友達作んのも……やめたんだ……」
「……」
「でも、きみは友達想いで、友達に想われてて……正直、羨ましくってさ……すげーって思った。普通しねー様なこと、友達の為にできて、そんなきみが…眩しくて……」
「……」
「--友達になりたいって、思ったんだ。」
クロエのそんな告白に、私は自分の顔が熱くなるのが分かった。
面と向かってそんなこと言われたことなんてない。ハルカにだって、シラユキにだって、コハクにだって……
掴みどころのない、何考えてるのか分からないクロエだけど、この時だけは、この人の言葉に嘘偽りも裏表もないって、直感で分かった。
分かったからこそ、私の顔はきっと熱いんだ。
「友達になって欲しい……ウチと……」
それが、私を『ナンバーズ』に推薦した理由だと……
その結果が、この状況だと……
真正面からぶつけられるストレートな好意に、私はなんて返したらいいのか分からなくなってしまった。
ああ、コハクから借りた少女漫画にこんなシーンがあったっけ……
きっと男の子から告白される女の子って、こんな気持ち--
なんか思考が変な方に向かってる気がしたので、私は慌てて現実に戻る。
正直には、返事を待つクロエ。やばい、現実も地獄。
……これ、私がなんか言わないとずっと先に進まないんだろうな……
私は覚悟を決めた。クロエのズレまくった好意に、その行動に、せめて私も正直であろう--
「クロエ。」
「おう。」
なんでそんな漢らしい返事なんだ。
「私は、『ナンバーズ』に入りたくはない。」
「……」
「入りたくないし、そんな独善的な理由で人の事勝手に決めるあたり、クロエには常識がない。引く。」
「……おう。」
なんだか私に対して無感情な声音でクロエが相槌を打つ。なんか急にクロエの温度が覚めた気がした。
え?なにこれ私が恥ずかしい……
「……まぁ、だよな。」
クロエのそんな淡白な反応は、なんだか、最初っから結果を知っていたような、当たり前のものを受け入れるような……
なので--
「クロエ。」
「ん?」
「友達って、そういうものじゃない。」
私はきっぱり、告げた。
「友達って、外堀埋めて、きっかけ作って、「今日から友達」って、宣言してなるものじゃない。」
「……」
「クロエの昔の大親友も、きっとそうだったはず……」
「……」
「……クロエ。私とクロエが、本当に友達になれるなら--そんな事しなくても、なれるから……」
私は自分で言っていて、どんどん体温が上昇していくのを感じる。
それでも、言うんだ。
いつかクロエを、『友達』って呼べる日が来るかは、分からないけど……
「友達なんて、そんなものだ。私とクロエが、何も気にせず隣で笑い合えるようになったら、『友達』だ--」