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夜の帳が降りる頃に  作者: 白米おしょう
第6章 夢から醒めて
122/214

6章 7 シオリの名前

 

 ※




  外出日にしかお目にかからない大きな正門をくぐる頃には、すっかり日も暮れたようで辺りは一層暗くどんよりしていた。

  しかも、厚い雲に覆われた空からは堪えきれなくなった涙の雫みたいに、ポツポツと大粒の雨がこぼれ落ちて地面を濡らし始める。


  私はまだ眠ったままのマザーに肩をかそうとするが、大柄な男の運転手がそれよりも早くマザーをひょいと担ぎあげ歩き出す。


  「……ん。」


  車から傘を取り出しこちらに差し出すクロエ。私はそれに首を横に振って返す。

  帰りの道中ずっとクロエがなんかよそよそしい。


  まだ雨は小雨だ。むしろ冷たい雨粒が心地いい。

  今は雨でも浴びて頭を冷やそう…


  私たちの帰還に、すぐに寮監と藤村先生が正門に駆け寄ってきた。

  運転手はそんな藤村先生にまるで荷物でも放るみたいにマザーを受け渡し、そのまま無言で踵を返す。

  車に戻る途中で、並んだ私とクロエに深い一礼だけして…それがどっちに対して--あるいは両方に向けてなのかは、分からない。


  慌てた様子でマザーを運ぶ藤村先生と入院棟の職員達を尻目に、老齢の寮監の鋭い視線が私とクロエに向けられた。


  「…よ。おかえり。」


  と、寮監の濁った眼にクロエは相変わらずな様子で挨拶をひとつ。

  そんな陽気なクロエに対して、見るからに不機嫌な寮監は特段感情を露わにすることも無く、ただ淡々と呟くように吐き捨てた。


  「……私の管轄であまり面倒を起こされても困る。」

  「ん?ここはウチの庭だぜ?」


  お前の管理じゃねーから、とでも言いたげなクロエの相槌に、寮監は何も返さず私の方に目だけ向ける。


  「……君もだよ。」

  「…………はい。」


  年老いた寮監から放たれるしゃがれた声に私は気圧されたみたいにしゅんと小さくなった。

  クロエみたいに言い返す気力はない。というか、そもそも私の責任だ。


  「……ヨミ、君は今晩は入院棟に入りなさい。経過を診るそうだ。」

  「おーい。このちびっこには話があるんだけど……」

 

  と、すかさず口を挟んでくるクロエを寮監が睨みつける。その視線に拗ねた子供みたく唇を尖らせるクロエは渋々引き下がったようだ。


  「また明日な?」


  とクロエは耳元で囁いて私の傍から去っていく。

 

  クロエが背中を向けて歩き出したと同時、不機嫌そうな寮監が無言で顎をしゃくり入院棟の方向を指す。


  私はそれに従って、寮監の後ろについて歩き出す。

 

  段々と強くなる雨足の中、振り返った時には、クロエの黒い背中はもう見えなかった。




 ※




  「……またここか。」


  相変わらず陰気な雰囲気の入院棟の病室。硬いベッドに仰向けに寝転んだ私が見上げる天井には、いつぞや仰いだ時とは違う形のシミがついていた。


  外では、窓を打つ雨音が激しくなり、本格的に降り出したことを音で告げる。

  壁にかけられた時計は二十三時を告げ、今頃みんな寝静まった頃かと、何となくカーテンの閉まった窓を私は見つめた。


  さっきまで部屋の外では誰かの話し声が小さく聴こえてたけど、それも無くなった。多分、また私が抜け出さないか監視してたんだ。


  「…信用ないよね。まぁ当然か……」


  これだけ悪さしたんだ。不良少女もいいとこだ。


  ……マザーは大丈夫だろうか。


  天井を仰ぎながらそんなことを考える私。そんな自分がまた不思議だった。


  「--ヨミ?まだ起きてるの?」


  硬いベッドの感触を感じながら早く寝ようと意識していると、突然扉の向こうから伺うようなそんな小声が飛んできた。


  「っ!?」


  夜の入院棟、人気のない廊下からの声--普通にホラーなスチエーションに私は思わず跳ね起きた。


  しかし、まだ夢に誘われる前の澄んだ思考。すぐにその声に聞き覚えがあることに気づく。


  「…シオリ?」


  私が声の主の名を呼ぶと、扉が遠慮がちに開いてその隙間から少女の顔がこちらを覗いた。


  腰あたりまで伸びた長いプラチナブロンドの髪。茶色の切れ目な双眸の片方はその長い前髪に隠れて伺えない。そんな容貌が彼女のミステリアスさを際立たせる。


  「……ヨミ。」


  花梨の友達--シオリが無事な姿でそこに居た。

  その変わった様子のない姿に、私は表にこそ出さないけど、胸の内で大きく安堵した。


  「……とりあえず、入りなよ。」




 ※




  辺りに誰もいないのを確認するみたいにキョロキョロしてから、シオリは素早い身のこなしで私の病室に侵入した。

  音を立てないように扉を閉める彼女の姿に、私はなんだかおかしくて吹き出していた。


  「……なに?」

  「え?別に?」


  そんな私に、無表情のまま、ちょっとだけムスッとした声音で返すシオリ。なんだろう、表情の違いがなくても機嫌が分かる。


  「シオリ、ただいま。」


  私はそんな--友人と呼べる距離感なのか分からない、馬鹿な冒険を共にした彼女にまず言うべき一言を告げる。


  それを受けて彼女の表情が、一瞬柔らかくほぐれた気がしたけど……


  「……おかえり。」


  多分、気のせいじゃないんだ。



  シオリが丸椅子をベッドの横に置いてしばらく私と見つめ合う。なんだろこの時間。


  「……訊いていいかな?」


  しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは私だった。

  それにちょっとびっくりしたように肩を震わせるシオリが私の顔を見る。


  そんな彼女の瞳から、逃げずに目を逸らさず見つめ返して……


  「--花梨には逢えた?」


  一番訊きたい、一番怖い質問を…


  あの時、夢の世界で私が見た全て……花梨と、秋葉の全て……


  子から母へ向けられた、花梨から秋葉への精一杯の想い--


  --これ以上、私の友達に酷いことしないで!


  それが、シオリにも届いたのか…


  「…………逢えた。」


  長い長い沈黙の後に、シオリはただ一言、私に返した。

  万感の思いの詰まった呟きは、その一言で私に理解させる。

 

  結局花梨は戻ってこなかった。でも……

  私たちの無謀な努力は、無駄ではなかった……


  「……そっか。」

  「ヨミ。花梨は、まだ目を覚まさない。」


  シオリの口からはっきりと、あの夢の結末を私は聞いた。

  環から伝え聞いたそれと同じ結果に、私の胸が改めて締め付けられた。

  それでも私は下を向かないって決めた。

  だって、きみが真っ直ぐ、前を見てるから……


  「……うん。」

  「でも、私に言ったよ、花梨はさ……」


  今度は確かに、絶対に気の所為ではなく、シオリは私に微笑んで--


  「待ってて、って……」

  「……そっか。」

  「…だから、伝えなきゃいけないこと、その時伝える。私はあの子を、待つことしか出来ないかもだけど……」

 

  いいの?それで。いいんだね?


  口をついて出そうになる言葉を私は呑み込んだ。それは、心を決めた彼女には無用な言葉……


  「今は、待つことにする。だからヨミ……ありがとう。」

  「……?」

  「……あなたのお陰よ。花梨に逢えたのは……」


  シオリは少し、身を乗り出して私に近づくと、澄んだその瞳で私を真っ直ぐ見つめた。

  その仕草と表情は、まるで自分の大切なものを、決して忘れないようにと、目に焼きつけるみたいに見えた。


  「……言えてよかった。帰ってきてくれて…ありがとう。」


  あんまり真っ直ぐ私にそんなことを告げる彼女はなんだからしくなくて、恥ずかしくて私はまともに彼女のことを見れない。

  顔を背けてなんて返したらいいものかと思案するけど、妙案浮かばず……


  「……ヨミは、私の主人公ね。」


  おいやめろ。ほんとにどうした?


  「……シオリ、精神汚染のダメージが深刻みたいだ。ちゃんと休んだ方がいい。」


  私の照れ隠しにシオリはちょっとムスッとして返し、すぐにまたいつもの無表情に戻る。でも、その目元は確かに笑ってるように見える。


  「……ハルカがね、言ってた。」


  --ハルカ。


  その名前を耳にした途端、私の心臓がドクンと跳ねる。

  それが何に起因するものなのか、内を渦巻く感情が多すぎて検討がつかない。


  「ヨミが戻ったら二人揃って説教だって。」


  可笑しそうに声を弾ませる彼女に私も釣られて頬を緩めた。ハルカは言いそうだもん。そういうこと。


  「……会ったらまず、お礼言わなきゃ…」

  「……そうね。」


  誰にともなく吐き出した呟きにシオリも頷く。

  またしばらく、二人の間に沈黙が流れた。でも、静かな病室に響く雨音が心地よくて、私はその沈黙を聴いていた。

 

  今度はシオリが、その居心地のいい沈黙を破る。


  「それと……私思い出したんだ。」

  「……なにを?」

  「……--名前。」


  勿体つけるみたいに間を置いて、シオリはなんだかとても嬉しそうにはにかんだ。

  その笑顔は印象的で、多分私は忘れないと思った。


  その響きも含めて……


  「……真奈美(まなみ)。シオリじゃなくて、真奈美……それが、私の名前。」


  忘れない。


  だって彼女は、私がずっと知りたい名前(もの)を、先に手に入れたんだから……




 ※




  ……眠たい。


  夜が明けても、外は相変わらずの雨模様だった。

  いつの間にか開け放されたカーテンから覗く空は変わらぬ曇天で、昨夜よりは落ち着いた雨足が、病室の窓をしとしと濡らす。


  病室の日めくりカレンダーはいつの間にかめくられ、五月最後の日を示していた。どうやら今日は金曜日らしい。


  病室には花が飾られ、誰かが来たのだろうことを知る。入院棟の職員だろう。

  当然だがシオリの姿はどこにもない。


  昨夜はあの後、シオリと他愛のない雑談をしばらくして、その後の記憶がない。

  本当はもっと色々訊きたかったけど、多分そんな気分じゃなかった。


  ……なにより、これ以上はシオリを巻き込みたくなかった。


  「……随分、夜更かししたみたい。」


  まだ頭が重くて目がしっかり開かない。それでもいつも通りに目が覚めたあたり、習慣というのは恐ろしい。


  そんな私の眠気も何もかも、次の一瞬には消し飛んだけど……


  最初は、ゆっくり慎重に、音を立てないように扉がゆっくり開いた。


  当然それに気づいて私はそちらを見るけれど、扉を開けた本人はそれに気づかず、なにやら廊下の向こうにいる誰かと小声で喋りながら慎重に扉を開いた。


  「……ダメダヨ。オキチャウヨ。コハク、コエオオキイヨ。」


  …………


  なんとも無邪気なその姿に私は思考が停止した。

  しばらくぶりに見た白い髪と白い肌。


  いざ目の前に現れたら、おかしなことに私はピクリとも動けず、声のひとつもあげられなかった。


  「ワタシタチデオコスンダカラ……アッ。」


  そう言いながら、室内の私に気取られないよう慎重に病室に足を踏み入れたシラユキと私が、ばっちり目を合わせた。


  固まる両者。さながらたまたま大自然で居合わせた捕食者と獲物。その邂逅の瞬間。


  「……」

  「……オハヨウゴザイマス。」


  まさか目を覚ましているとは思わなかったのか、固まる私にシラユキはそんな間抜けな挨拶をひとつ。


  瞬間、シラユキの後ろから勢い良く扉が開かれて、棒立ちのシラユキと扉の間を縫うように、少女が一人飛び出した。


  「……っ、ハル--」


  その姿に、見慣れすぎたその顔に、私がその名を呼ぶより早く……


  抱きつくように飛びかかってきたハルカに、私は押し倒されていた。


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