第6章 1 想い届いて
--……一体私は、どうしたんだっけ?
意識の覚醒と混乱が、頭をぐちゃぐちゃに掻き回す。目を開けた先の天井が、まるで現実のものじゃないみたいで……
……ていうか、本当にどこだっけ?
見覚えのない無駄に広い天井には、オシャレな丸い照明がいくつも連なって吊るされていて、まるで都会のデザイナーズマンションみたい。
「……そうだった。私たち、クロエ先輩の部屋に…」
身体を起こして、自分の身が今ベッドの上にあることを理解する。ついた手がシーツに深々沈み込み、その柔らかさにちょっと感動…
してる場合かっ!?
「--シラユキっ!コハクっ!!」
ここに来て、私はようやく“目が覚めている”現実に直面し、動揺する。
--シオリの友達を助けるための『サイコダイブ』で、そのまま目覚めなくなったヨミを助けるために、私たちはヨミの夢に潜っていたはず……
なのに、なのにだ。今私たちは現実にいる。
驚いて辺りを見回す私の視界に、隣ですやすやと寝息を立てるシラユキが居た。
やっぱり、『サイコダイブ』が終わってる……
私が動揺している訳--それは果たして『サイコダイブ』がどうなったのか、それをまったく覚えていないから……
成功したのか。失敗したのか……
ただ、夢の世界で確かに、ヨミと語らった…彼女に触れた。それだけは--
--……ハルカが居てくれて…、みんなが居てくれて、良かった。
ヨミの言葉が、頭の中で響くように蘇る。
確認しなければ…っ。そうだ、コハクは?クロエは?
「…っ、コハク、クロエ先輩?どこに…っ。」
眼鏡がなくて、ぼやけた視界に、急にクリアな世界が映し出される。
押し付けられるみたいに顔にかけられた慣れ親しんだ眼鏡の感触に私は目の前の彼女を見上げていた。
「……落ち着きなよ。ハルカ。」
「……コハク。」
私の眼鏡のつるを私の耳にかけながら、コハクが呆れたみたいな半笑いを返している。その見慣れたアンニュイな顔に思わず安堵の吐息が漏れた。
隣で眠っているシラユキに、見たところ異常は無さそうだ。
三人とも無事に帰ってきた……問題は--
「コハク、聞かせて。夢の中であの後なにが--」
と、まくし立てる私の唇に、コハクの人差し指が触れる。
優しげな柔和な表情に私は場違いな安心感を覚えてきた。
「だから、落ち着きなって。お茶でも飲んでさ?」
※
コハクに連れられて、私たちは二人、昨日夕食を摂ったダイニングのテーブルを囲んでいた。
「……クロエ先輩は?」
「分かんないな…私が起きたらもう居なかったよ?」
冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出して、適当に見繕ったカップに注ぐ。
「……いいの?勝手に?」
「大丈夫さ。多分…あの人は怒んないよきっと。」
はぁと大きなため息を吐くコハクは、珍しく疲れた様子だ。
私は麦茶を喉に流し込むコハクにならってカップに口をつける。熱の篭った身体に冷たい麦茶が染み渡る。びっしょりと肌を濡らした汗が引いていく。
「……っ、コハク。気分は?」
「ヘーキだよ。」
どこかおどけた様子すら見せるコハク。顔に滲んだ疲労の影に少し心配になるけど、とりあえずは大丈夫か。
「……ハルカ。まだ十時だ。」
と、コハクが壁にかけられた時計に目をやってそう告げる。
時刻を見ると二十二時四十分。まだ日付も変わってない。過去の『サイコダイブ』で最速だ。
ますます不安が募っていく--果たして、ヨミは目覚めたのだろうか?
「……ハルカ、覚えてる?」
唐突に尋ねてくるコハクに、私はどうしたものかと答えに窮した。
コハクの尋ねている事--おろらくはヨミの夢の中で見た記憶……
私は克明に記憶している。けど、彼女はどうだろう?
そもそも、私とコハクが触れたのは同じ記憶なんだろうか…?
まずそこをはっきりさせたい。何となく、ヨミの深い内面を、不用意に晒す真似はしたくなかった。
「……コハクは?」
「ん?覚えてるよ。いきなりクロエが触れてきて、それで潜ったんだ……」
「え?いや、『サイコダイブ』で見たもの……」
「ん?」
話が食い違う。コハクの訊きたいことは別?
「……ああ、それも覚えてるけど…」
「そっか。」
「ハルカ、私たち、導入機無しでヨミに潜ったよ。」
どことなく興奮した様子のコハクの言葉に私もハッとする。
私たちは『サイコダイブ』導入機無しで、潜った?たしかに、目覚めた時導入機に繋がれていなかった。シラユキも……
確か、あの時クロエに触られて……
「……あれ、クロエ……というか、『ナンバーズ』って、一体なんなんだろうな……」
コハクのため息のような呟きに、私も思考がごっちゃになる。
考えること、疑問--その答えの出ない問答の多さに、今までの理解の超えた出来事の多さに、冷静な思考力が失せている。
「……コハク、とりあえず。私たちがしなきゃダメなのは…ヨミの無事を確かめること。そのために、確認しよう。」
「うん。」
「どこまで覚えてる?」
私の問いかけに、今度はコハクが答えに窮するように視線を俯かせた。
「……ヨミの、記憶を見たよ。」
やはり、あの時湖の中に放り込まれた私たちは、同じ夢--ヨミのトラウマに触れていた。
「……で?」
「ずっと、ずっと--同じ光景を見せられ続けたよ。……誰かが、死んでいくのを……ずっとさ。」
--フウカ先輩との、最後の『サイコダイブ』……
「そこまでしか、覚えてない……」
コハクが見たのは、フウカ先輩がいなくなる時の、ヨミの最も深いトラウマの記憶……だけ。
「……見たのは、それだけ?」
「それだけ……でも。」
私との夢の内容の食い違いに、僅かな胸騒ぎを覚えるそばで、コハクは強い口調で付け加えた。
--口元を微かに緩ませて……
「ありがとうって、言ってた。」
……っ。
「私さ--、ずっと、湖の中に投げ込まれて、訳分かんなくなりながら、意味わかんない光景を見続けて……でも、ずっと唱えてた。頑張れって。」
「……。」
「だからかな?頭の中に、響いたよ。あの子の声……私たちに、お礼言ってた。」
--みんなが居てくれて、良かった。
届いていた。確かに。私も、コハクも、きっとシラユキも--
その存在を懸けた声は、確かに届いていたんだ。
そして、きっと……
「コハク、ヨミは、大丈夫よ。きっと…」
私は小さく、けれど強い口調で確かに言った。その言葉がコハクにも届いたのか、彼女もまた薄らと、小さな微笑みを浮かべていた。
「……私は、心配してないよ。」
「……ふふ。」
なんだかスっと胸が軽くなって、私は椅子の背もたれに深々と体重を預けて天井を仰いだ。
不思議。さっきまでと全く同じ色の天井なのに、なんだか明るく見えるから……
「……明日にでも、ヨミを迎えに行きましょう?」
「抜け出して?」
「抜け出して。」
二人顔を見合わせて、私たちは笑い合う。くすくすと、シラユキを起こしてしまわないように声を殺して……
「……はぁ。」
私と同じように天井を仰ぐコハクが、消え入りそうな小さな声で--きっと私に向けていない声で……
「……なぁんにも、できなかったよ。」
小さいが、確かに聴こえたその呟きに、私は聞こえないふりをして、カップに残った麦茶を飲み干した。
「他には?」
「ん?」
私の声にコハクはこちらを見て目を丸くする。私は無理矢理空気を断ち切って、話を先に続けた。
なんにもできなかったことなんてない--だって、あなたの想いもちゃんと届いてるんだから……
「他には何も覚えてない?」
私の問いに、コハクは口を少し開いて、すぐにきゅっと小さく結んだ。その後、ふぅと息を吐いてから淡々と答えを返す。
「…潜ってすぐにクロエと合流して、ハルカとシラユキちゃんにも会った。で、その後は一緒だったね。湖に放り込まれたあとのことはさっき話した通り……私が最後に覚えているのは……」
「……覚えてるのは?」
「……ヨミの声を聴いたとこまでだよ。」
一泊ほどの間を置いて吐き出されたコハクの言葉が私には引っかかったけど、私はそれ以上は口にしなかった。
たった今--彼女が見せた微笑みは、本物に間違えないから……
今は、その小さな笑顔を崩したくなくて……
何となく私は、引っかかるものを感じながらもそれを気の所為と断じて忘れることにした。
「さて!」
と、コハクが勢いよく立ち上がり話題を断ち切る。そのまま私を見下ろしてから自分の腕に鼻を当てて…
「汗、かいたね。ハルカは?」
「私も……びっしょり。」
「じゃあ、シラユキちゃんが起きる前に、シャワーでも浴びない?東京までヨミを迎えに行くのに、こうも汗臭くっちゃね。」
どことなく気だるげな、いつものコハクの表情で、おどけて笑ってみせる彼女に私も笑い返して席を立つ。
すぐに会える。こんなに頑張った……
私はコハクと連れ立って、寝坊助な親友を起こす身支度に向かった--